北海道(1994.8.1-26)


0.プロローグ(8.1) / 1.函館(8.2) / 2.旭川・富良野(8.3) / 3.知床(8.4) / 4.標津・野付半島(8.5) / 5.支笏湖(8.6) / 6.小清水・網走(8.7) / 7.サロマ湖(8.8) / 8.札幌(8.9) / 9.屈斜路湖・摩周湖・釧路湿原(8.10) / 10.室蘭・昭和新山・洞爺湖(8.11) / 11.稚内(8.12) / 12.利尻(8.13) / 13.礼文(8.14) / 14.サロベツ(8.15) / 15.根室(8.16) / 16.新冠・襟裳岬(8.17) / 17.厚岸・霧多布(8.18) / 18.阿寒湖(8.19) / 19.札沼線・深名線(8.20) / 20.大雪山黒岳・層雲峡(8.21) / 21.小樽(8.22) / 22.積丹(8.23) / 23.函館・大沼(8.24) / 24.エピローグ(8.25-26)

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 列車の中では本当によく寝て、私は、旅行初日以来の函館駅に降り立った。昨日YHで一緒だった彼も一緒である。彼は今日は函館をほとんど見ることなく、海峡二号で島抜けするという。それまではまだ時間があり、朝市で朝食をとろうという意見は、私たちの間で共通だった。

 入る店を決める前に、私達はしばらく朝市をブラウジングしていた。値段の安さというよりも、その豊富な品揃えに、私は感心した。彼も、「お土産ここで買えばよかった」なんてことを言っていたけれども、本当に、いろいろな道内各地の名産品が置いてあるのだ。人がたくさん集まって活気あふれる店先で、私達は夕張のカットメロンを食べた。「この赤肉がおいしい!」と彼は言う。私も、それほどメロンが好きなわけではないが、久々にメロンをうまいと感じた。「夕張で買うと本当に安いんですよ」と彼は言う。夕張は行きたいと思ったことはあったが、今回は結局行けなかった。「電車じゃちょっときついかもしれませんね、道はいい道が通じてるんですけど……」と、腰の低い彼は同情してくれた。もちろん店先にはウニも置かれている。しかし、「ウニはもういいや」と、二人の意見はまた一致した。丸のまま売られているのを見て、「こんな中にたった少ししか入ってないんだよねー」と、昨日のウニツアーのことを二人で思い出し、そして高い値札を見て、「うちらいったいいくらくらい食ったんだろう」なんてことを私達は言い合った。私は寂しい一人旅の中で、偶然出会った彼と共通の思い出を持てたことが、何となくうれしかった。

 肝心の朝食は結局、茶夢という店で朝市丼を食べることになった。オードブルだかなんだかよくわからないが、イカのわたの味噌漬けとかわた味噌とかまでがついてきた。私は内臓系はあまり好まないけれど、なぜだかこれはおいしくいただけた。丼もけっこう大盛りで出てきたし、なかなかいい店であった。

 食べ終わった頃、彼の帰還にちょうどよい時間になった。「また会いましょう」と言って彼は握手を求めてきた。「涼しい北海道ともお別れか……」と名残惜しそうに彼は言う。私も一日ほど脱出の日がずれているだけで、考えることはだいたい一緒だった。私は久しぶりに、意気投合できる人と出会えた気がしていた。

 彼と別れた私は、もう一度朝市をのぞいてから、市電の乗り場へ向かった。私の北海道最終日は、函館付近を見ることにしていた。案内所はまだ開いていなかったが、露店で一日乗車券を売っていて、いろいろな見どころへの行き方を係員の人が教えてくれた。いろいろ見るべき所はあるようで、とりあえず私は楽しみになってきた。朝ラッシュがまだ終わっていないらしい、少し混み合った電車に乗り、私はとりあえず西側の外人墓地側から攻めることにした。

 電車はしばらくはなんでもない通りを行くが、十字街を過ぎる辺りから、ぼつぼつと洋風建築のどっしりしている風格のある建物が車窓に現れてくる。電車道の左手は函館山になり、頂上に展望台やアンテナを従えてどっしりと居座っている。そして、そっちへ向かう道は急な坂となり、どの坂もきれいに彩られて、この街らしさをよく演出している。

 終点の函館どっく前で私は電車を降り、市街最西端の魚見坂を登った。坂の上から魚の様子がわかるから、魚見坂という名前だというが、登っていっても家々の隙間からたまに海が見えるくらい。時代は流れてしまっていたようである。この坂は、電車から見えた坂と違って彩られているということはなく、その脇にはよくある街並みが続いている。そんな街並みの中に、なぜか煉瓦で囲まれた高蔵寺という寺があった。中をのぞいた感じでは大きく立派な感じであるけれども、寺というものにあまり煉瓦というイメージがないだけに、本堂と赤い色との対比は私にはなかなかおもしろく感じられる。この辺りで道端の草を見てみると、私の地元とあまり変わらず、ハキダメギクなどもたくさん見られた。あまり内地と気候は変わらないということか、それとも内地との交流が盛んになって、種の交換があったのか。それは私にとって、家路も近いのだということを認識せざるを得なかった一瞬であった。

 外人墓地は、その先すぐの所にあった。朝早いせいか、雰囲気は異様に静かだ。日本人の墓と違って、かなり土地をゆったりと使うので、中はどことなくのんびりとした風景になっていた。木々の向こうは海に面していて、近くに函館ドック、その先に海に沿って丸く広がる函館の市街が見える。沖には大きな船が停泊する。雲は厚く、切れて青空が出ている所もあるが、空の色も、海の色も、いいとは言えない。しかしここから見る函館の風景は、至ってのんびりとしていた。のんびりとした広場のような所から見える、遠巻きな風景だからだろうか。

函館市街 外人墓地から、私は坂の上の道を東へ向かった。いくつもの坂で坂下の街へ通じ、どの坂の上からも函館の街並みがとてもきれいで、私はいちいち足を止めながら進むことになった。よくテレビのCMに出てくる函館の街並みが、しかしフレームの中の平たいものではなく、リアルな風景としてそこに現れる。本当にいろいろな建物のある街で、日本的な寺もあれば、中華会館のような赤煉瓦のきらびやかなものもあり、元町公園の上の函館区公会堂や、公園下のイギリス領事館のように、いかにも洋風の建物もある。港街函館は、実にいろいろな文化の混じり合う所であり、もしかしたら小樽以上に異国情緒のある街だ。観光の拠点とあって、元町公園付近には非常にたくさんの人が集まり、にぎやかな雰囲気になっていた。

 そんな洋館の集中する辺りから、下は函館の砂州上の街を両側から海が挟み込んでいる様子がわかるようになってきた。私は洋館のうちのいくつかに足を踏み入れたりしながら、ゆっくりとさらに東へ歩みを進めていくと、そのうち下の方には、ドックのある方とは反対側の海がよく見えるようになってきた。函館山に登るロープウェー駅を過ぎてしまえば、しつこく騒がしかった団体もほとんどいなくなり、そしてすぐそばの函館公園まで来ると、外国のような街の雰囲気もなくなって、辺りはむしろ林の中のような雰囲気になり、ゆっくりできる感じになった。函館公園にも小高い丘があって、ここからでも海はよく見える。こちらの海は、街はよく見えない代わりに、岩場のごつごつした海岸線が露呈して、それなりに雰囲気も違って見えている。函館というものは、街並みに飽きた頃ちょうどよいタイミングで自然的な風景にも出会うことができる街でもあるようだ。

ハスキー犬 私のそばには、一匹のハスキー犬がついてきていた。函館の街の中で出会った彼は、私が歩くと、先回りしてはマーキングを繰り返しつつ、私とともに道をずっとついてくる。私が、案内板とかを見たくて立ち止まっていると、先回りしていた彼も私のもとに引き返して立ち止まり、「早く行こうよー」と言わんばかりの目と息づかいで迫ってくる。私は、こいつに気に入られたんだな、と悟り、それからはこのハスキーと一緒に散策道を歩いていった。

 道は山道へと入っていった。久しぶりに深い森の中へ入ると、そこには久しぶりに杉の木もあった。杉の木は植えられたものであると、私は初日に聞いていた。つまりもう、本州はすぐそこだということなのである。山道はしばらく、かなり急な登りが続く。そして坂を登りつめた所は、街側だけ木が取り払われ、街の風景が一望できるようになっていた。その景色といったら、函館山の山頂にはかなわないのだろうが、それでもすばらしいものだ。誰も知らない展望台を見つけられたような気がして、私はうれしさを感じた。きっと夜、車でこの道を通る人も、ここからのこの眺めを見て、うっとりするのだろう……。
函館山から
 さらに進むと、道は下りになる。遠くに見えていた海が次第に近くなり、坂を下りきると、私はついに立待岬に出た。目の前には、灰色の海が広がっていた。カモメは鳴き、海の波は少し立って海岸に押し寄せる。右側の海岸は崖となり、垂直に近い岩が岩肌を露呈する。その先には津軽半島の島影、そして正面前方に下北半島……。本州ももう、目の前なのだ。今からそちらへ向かい、北海道、長くお世話になった北海道を去ると思うと、私はなんだかやっぱりちょっと寂しいものを感じざるを得なかった。後ろを振り返ると、函館の街並みが広がる。その右の方には空港があり、今まさに飛行機が飛び立とうとしている。岬の風は強く、肌寒い。旅の最終日を異様なまでに寂しく演出しているかのような岬の風景が、そこには広がっていた。街というイメージの強い函館にも、こういう厳しい自然の風景は確かに存在するのだ。岬までついてきたハスキーは、岬でいろいろな人にかわいがられ、いつの間にかいなくなってしまった。そう、どんなになついたものとでも、いつかは必ず別れなければならない日がやってくるのだ……。

 岬から谷地頭に下りる道には、石川啄木一族を含む市営墓地があった。近くに岬を控え、海越しに大きな街を見つめながら、静かにいられる場所。こんな所に骨を埋めることができるなら、とてもすばらしいような気もする。北海道で教員をやろうかな、という思いもまた、私の頭の中をよぎっていく。

 谷地頭の街中にある停留所から、私はまた市電に乗り込んだ。函館駅を経て、五稜郭に向かって北上するにつれ、私は街の表情が少し変わっていくのを感じた。すなわち、十字街付近に独特の雰囲気があったものが、北上するにつれそれが薄れ、よくある街並みに変わっていく。

 五稜郭公園前電停で私は電車を降り、わりあい大きくにぎやかな通りを五稜郭公園へ向かった。まずは上からと思って、近くの五稜郭タワーに私は登った。ところが、高さがいまいちなのか、あるいは距離が近すぎるのか、そこから静止した状態で五稜のすべてを見ることができず、下半分の形をなんとか確認するにとどまってしまった。遠景を含めた景観はよく、本州の島影も見えて、眺めが悪いということは決してなかったが、立待岬に行った時のような感動をそこに見つけることは、私には結局できなかった。空が晴れてきたのは救いだけれど、私はどうも物足りないという感じを拭うことができなかった。落ち着ける場所もなかったことだし、もう一度星形を見て、なるほどなという程度に思い、人が多くなる前に、私はさっさと辞去した。入口の所で飲んだ牛乳がおいしかったということで、私はこの場所を訪れた意義づけをすることにした。

 私は公園の中へ歩みを進めた。緑が豊かなのはよいが、何も言われなければ、どこにでもある城趾公園とそう雰囲気的には変わらない。この城郭は、死角をなくすために西洋の手法を取り入れてこういう形になったという。しかし十字街付近にあった洋館とは違い、根本的に日本人が日本人のために作ったものである。建物がないから、西洋の手法の効果がいかほどのものなのかはわからない。こういう雰囲気に身を置く限り、城郭の形なんか、ひょっとしたらどうでもいいものなのかもしれない。ただ緑の多いところであるならば、それはそれできれいなものに思えてくるものである。既にナナカマドやカエデが、うっすら赤みを帯び始めていた。私の旅行は、秋の訪れとともに終わることになるようだ。全体的に黄色みがかったそれらの葉は、深い緑の松に映えて、コントラストの美しさを生み出す。そういえばこの松も、エゾマツやトドマツ、カラマツではないのだ……。

 別に函館駅に戻ってもよかったのだが、行ったことのない駅へ行けるならそうしようと思って、私はバスでここから五稜郭駅へ出ることにした。バスは五稜郭公園の脇を通っていく。石垣の角が直角でないのを確認することによって、ようやく私は五稜郭の特色ある形を実感することができたような気がした。バスはそのまま街並みを移動し、小さな街の小さな駅といった感じの五稜郭駅に到着した。函館市内には変わりはないが、巨大な街の雰囲気は、ここにはない。

 函館からやってきた、今時こんなのあるんだといった感じの真っ赤なディーゼルカーに乗り、私は大沼公園へ向かうことにした。列車はしばらく市街を行くが、間もなく田畑の広がる地帯へ出ていく。遠くに見える海や山の影は、車窓を雄大に演出する。稲穂は既に低く頭を下げ、タマネギ、ニンジン、ビート、トウキビ、そして黄色やオレンジの花が作られているのが車窓から見える。函館を朝出て道内へ向かう旅人達は、この風景に北海道らしさを感じるのだろうか。もうこういう景色と接することができるのもあと少ししかない私のような人間は、旅の思い出に浸るばかり……。道東や道北に比べれば建物や車は多いけど、目前に広がっているのは、間違いない北海道の風景なのだ。七飯を過ぎた頃、そんな風景の向こうに函館山が真左に姿を見せる。他の周りの山とはつながらない独立峰である。函館山は単なる市街の丘などではなく、山として立派な風格があるのだ。

 渡島大野を過ぎると、列車は前方に立ちはだかっていた山の中へ入っていった。勾配がきついのか、列車はあくまでゆっくりゆっくりと進むようになった。ミズナラやイタヤカエデやカラマツ、エンジュが見られるが、何より目につくのが、クマザサである。私も実際に初めて北海道の森林を目にしたときに、確かにまずササの葉の大きいことに気がついたものだ。慣れ親しんだ北海道が、最後の姿を私に見せてくれている。こんな所まで開発の手は及ばんだろうし、今度来るまで、この景色もきっと残っているだろう。右手には函館の街の遠景、そして深く切れ込んだ谷間。トンネルも越えていく。初めて来る旅人をわくわくさせる景色が、いっぱいある所だという印象を、旅の最後にして私は受けることになった。深い森の中をゆっくりゆっくり進み、長いトンネルを抜けると、左には小沼が広がった。シラカバと、赤くなり始めたナナカマドが、風景に彩りを添えている。その向こうには、半分まで雲をかぶった駒ヶ岳がそびえている。

 大沼公園駅で降りることができればよかったのだが、乗った列車は大沼公園を通らない便なので、私は仕方なく手前の大沼駅で列車を降りた。とはいっても目的地まで、そう距離があるわけではない。寂れた感じの大沼駅前を抜け、私は歩いて大沼公園へ向かった。家並みは隙間だらけで荒れ地も多く、ちっぽけな遊園地のような所も閑散として、歩いているとどうも寂しさを拭えない街だ。しかし橋を渡り、大沼公園に近づくにつれ、道はにぎわいを取り戻してきた。大沼公園という所は、なかなかにぎやかな観光地のようである。

 私は大沼公園広場に入った。ぱっと見た感じ、どうもここは沼という感じがあまりしない。それは、水面はあってもその先を多くの島によってふさがれ、湖面を見渡すというわけに行かないからだ。多くの観光客はボートなどで水面へ出ていく。私は島巡り遊歩道の方へ行ってみた。これはその多くの島々を橋でつないでいったものだ。林の中の道を、たくさん架かる橋を渡りながら歩いていると、本当に島が多いことがわかる。水は昨日までいた積丹のようなどこまでも透き通るきれいさは当然なく、沼という名前がよく似合う感じがある。それでも、一人で遊歩道のベンチにたたずみ、風に揺れるミズナラやナナカマドの葉越しに、きらきら光る水面、そして緑色の木をたくさん従えた島々をのんびり眺めているのも、悪くない気が私はした。多くの人が水上へ出てしまうので、こちらの遊歩道に足を踏み入れる人は少なく、その分静かで、きれいな風景の中、物思いにふけることができる。時折近くを通るモーターボートの音がする以外は、木が風になびいて葉っぱ同士こすれる音や、風の音や鳥の鳴き声といった、純に自然な音しか聞こえてこない。そんな中、沼を渡る涼しい風をずっと浴びているのも、悪くない。

大沼 島に囲まれた陸側は流れがないのか、岸はヨシで覆われ、スイレンが茂り白い花を今にも咲かせようとしている。そして沼の向こうには、黄色っぽい地肌をさらした駒ヶ岳が、その姿を現していた。列車から見た姿とは全然違い、雲が完全に取れ、そのすべてを見せてくれていたのである。形は多少いびつな感じだけれど、それでも立派なものだ。なんだかんだ言って、今日もまた、きれいなものが見られたではないか! それは私の旅の最終日にふさわしい、堂々とした雄姿であった。

 遊歩道の終点からは、しばらく歩けば大通りに出るし、それを渡れば小沼も見られる。そっちの方に行ってもよかったのだろうが、疲れもあって、また、もう充分きれいなものが見られたじゃないかという気持ちもあっったので、遊歩道の陸側の道を、私はそのまま引き返した。スイレン越しに見る駒ヶ岳も、またきれいなものだった。このスイレンはどうやらジュンサイというものらしい。土産物屋にはジュンサイの瓶詰めが並んでいた。精がつく食べ物なのだとか。

 函館への帰りは、大沼公園駅から列車に乗り込んだ。線路は行きに横を通った寂しい遊園地、ごく小さな大沼遊園地の横で、砂原線と合流する。列車は先に大沼駅に入っていた砂原線からの列車に併結されることになっていたが、いったん別のホームに着き、函館の方にずいぶん長いこと引き上げてからバックし、編成の先頭に連結された。状況のつかめていない人たちが、「何でバックしているのかなあ」「大沼駅に戻っちゃうよ」「間違えたのかなあ」と口々に言い合う。ほんの分割または併結のために、これだけ大がかりな操作が必要だというのは、少なくとも東京近郊では珍しいことでもある。その後、前から空の車両を二両つなぎ、単行だったはずの列車は一気に五両という長編成になって、夕暮れの訪れつつあった大沼駅を出発し、行きとは違って軽快に飛ばしていった。天気は晴れてはいたが、山にかかる雲は増え、このあと行こうと思った函館山が少し心配になってきた。特に私は初日に訪れて、その時ほとんど見えなかったようなものだったので、今日も見えなかったとなるとあまりに哀しいし、心配になって当然だろう。仁山付近にきて、その函館山が見えるようになってきた。展望台も見えたので平気そうだが、展望台と雲との間の距離があまりなく、私は完全には安心できなかった。

 その後は函館で起こされるまで、私は爆睡であった。旅行の総決算とばかり函館駅前の土産物屋をさまよい、大概のものはそろえたが、ホリデイライトはとうとう見つからなかった。北海道ならどこでも売っているだろうからとたかをくくっていたのだが、函館は北海道にあって北海道にあらずということなのだろうか。夕食も最後だからと、豪勢にいくら丼にした。あのぷちぷちとした食感ともしばらくお別れかと思うと寂しい。でも量的には初日に駅で五百円ほど安く食ったのと変わらないかな、と私は思った。いくらの量が多かったのは確かだが。

 夕食を終えた頃、ちょうど函館山行きのバスの出る時間になったので、私もその客となった。車は路線バスと同じものだったが、車掌まで乗り、初日の定観のガイドさんと同じような仕事をする。立客が出るほどの混雑したバスは、やはりその定観と同じようなコース、同じような演出で、乗客を函館山まで運ぶ。バスで通るのが二回目なのと、今日一部歩いたのとで、この前の時とは全然違い、私は函館の地理を理解し、バスの現在地を頭の中でフォローできるまでになっていた。ライトアップされた洋館は、相変わらずとてもきれいに見える。昼間普通の状態で見ているはずの洋館や、護国神社の鳥居も、ライトアップされるとまた違った姿に見えてくる。しかも今日は天気も悪くなく、それらは一層明るく見えてくる。

 この前と同じように、バスは山に入ると減灯していった。この前見られた二合目や七合目の夜景も、この前なんかより断然きれいなものになっていた。第一解像度が全然違う。かなり小さなライトでさえ、一粒の光源として認識することができる。そして海には漁火が灯る。海の上に新しい街ができたように見えるというガイドの説明だったが、街の灯りなんかよりかえって強い光が、いくつも点々としている。七合目はいちばん美しい夜景ということで、この前の時もぼんやりとではあったがそれなりの美しさがあったわけだけれども、今日はその時よりも確かにドラマチックに、闇夜の中に光の粒がたくさんちりばめられているさまを目にすることができた。車内には当然のように、歓声が上がった。

 そして、頂上に立ち、夜景を目にした私は、もはやその風景を満足に表現する言葉を失っていた。函館について知っている道筋、山、建物、そんなものがすべて光に置き換わったものが、そこに存在していた。両側を海に挟まれた砂州上の輪郭でさえ、光の粒によって、はっきりと形作られている。初日にどうしても見られなかったものを、最終日に私は、こうして見ることができた。長かった旅の総締めとしては、あまりにもできすぎた演出となった。たった一日の函館訪問が、こんなにドラマチックな夜景によって、こんなにドラマチックに演出されるなんて!

 今、私は函館に、そして北海道に、多くの思い出を作ってくれた北海道に、心の中で声援を送ろうと思う。今度いつ私が訪れたとしても、また今日みたいな感動を与えてくれるよう、いつまでも、その美しさを保っていて下さい。いつになるかわからないその日、また訪れた日に向けて……。
天気はあまり安定していないようで、ガスが出て、夜景もほどなくきれいに見ることはできなくなったが、たまにガスが切れたときにのぞく夜景、そして、霧の中そのものの夜景も、それなりにきれいだ。とにもかくにも、晴れた夜景を見ることができて、私は純粋に、うれしかった。山を下るバスは闇夜を下りて行くけれど、目に焼きついた鮮烈な光の粒は、私の脳裏から、当分消えることはないだろう。

 谷地頭温泉にでも行けたらと思って、私は十字街で帰りのバスを降りたが、もう電車がなくなっていたのでやめることにし、函館駅まで歩いていくことにした。何と函館の夜の早いことか。でも、ああいうものを見せられたので、とりあえず心の中は異様にきれいな状態である。夜の函館の街も、所々古い建物がライトアップされ、昼間とは違ったきれいさがあった。赤煉瓦倉庫、旧郵便局、そして、ジェットフォイルが静かに眠る静かな港……。寝静まろうとする街は私に、「お休みなさい、また会いましょう」とささやかんばかり、存分にその美しい姿をさらしていた。

 私は最後に趣向を変え、フェリーで島抜けすることにした。別に外が見えるわけでもなさそうだし、ターミナルへの移動のタクシー代もあるのだから、値段的には周遊券を効かして急行はまなすで島抜けするのに比べて贅沢な選択だったことにもなるが、のんびり船に揺られ、大きかった北海道から、余韻を残しつつゆっくり離れていることを実感しながら寝るのも、悪くなかろう。タクシーは夜の街の中を走り、私をこんな時間でもにぎやかなフェリーターミナルに導いた。テレビはついているし、二十四時間営業の売店はあるし、暇つぶしの手段はいろいろある所だ。そして日付が変わりすぐ、私の乗ったフェリーは函館を出航し、二十三日間を過ごした北海道を離れていった。デッキに立ち、回転してゆっくり遠ざかる函館の夜景を相手に、私はビールを酌み交わした。北の大地でできた多くの思い出とともに味わったビールは、最高のものだった。


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