0.プロローグ(8.1) / 1.函館(8.2) / 2.旭川・富良野(8.3) / 3.知床(8.4) / 4.標津・野付半島(8.5) / 5.支笏湖(8.6) / 6.小清水・網走(8.7) / 7.サロマ湖(8.8) / 8.札幌(8.9) / 9.屈斜路湖・摩周湖・釧路湿原(8.10) / 10.室蘭・昭和新山・洞爺湖(8.11) / 11.稚内(8.12) / 12.利尻(8.13) / 13.礼文(8.14) / 14.サロベツ(8.15) / 15.根室(8.16) / 16.新冠・襟裳岬(8.17) / 17.厚岸・霧多布(8.18) / 18.阿寒湖(8.19) / 19.札沼線・深名線(8.20) / 20.大雪山黒岳・層雲峡(8.21) / 21.小樽(8.22) / 22.積丹(8.23) / 23.函館・大沼(8.24) / 24.エピローグ(8.25-26)
私はいい気になって寝ていたのだが、この前この列車で上った時と同じように旭川で、また今日はそれに加えて滝川で大量の客が乗ってきて、席をぶんどって寝ている場合ではなくなってしまった。この列車は見方を変えれば朝一番であり、サラリーマン系の人々の利用するところとなるが、それにしても札幌に着くのは六時半、旭川を出たのはまだ四時台でしかない。みんなそんなに急いで、どこに行くのだろう。日の出も早いせいか、どうやら北海道の朝は早いらしい。
予定通りことが進むのであれば、今日で早朝の札幌は最後となる。六時半にはキヨスクに食事になるようなパンが入る、ということも私の中ではすっかり定着していた。久々、今日の朝食は外に出ないで調達できた。
私は小樽に向かう普通列車に乗ることにした。長い列ができていて、朝っぱらから混んでるなあと思ったが、後ろの方はそうでもなく席は取れた。朝ラッシュといえば朝ラッシュで、わりあい車内は混み合っている。天気は悪くないが、外は少し霞んだ感じがある。市街を囲む藻岩山や円山も少し霞んで見える中、列車は走っていく。延々と続く札幌の市街地の中、新駅建設ラッシュが起こったおかげで、列車はこまめに停まっていく。手稲辺りまで来ると、左側の山との距離がみるみる近づいてきて、車窓には次第に田圃や緑が多く見られるようになり、都市の色をだんだん失ってきた。
洒落で銭箱の飾ってある銭函を出ると、列車は崖っぷちの海の間際を行くようになってきた。ここにきて空は曇り、海の色も何となく灰色がかって、透明感が感じられない。海岸は固められているが、もともとは岩場で、多少の岩礁が水面に浮かぶ。大きい岩のある所には、漁村のような集落もできている。そんな固められた海岸の上に、張碓駅のホームがある。どこでホームと外を出入りするのか、列車からはわからなかった。海水浴場もたまに現れるが、北海道のシーズンはもう終わったと見え、至ってひっそりとしている。
しばらくは几帳面に海岸線に沿って列車は進んで行くが、やがて海の沖合にかなり大きな船が見えてくるようになると、陸にもかなり大きな街が作られているのが見えるようになってきた。まだ残っていた客車普通列車とすれ違い、その大きな街、小樽へと列車は入っていく。小樽の街は、遠巻きに山に囲まれた範囲に成立していて、札幌に比べれば小さい街であるように列車からは見受けられる。南小樽までやってくると、いくつも古びた重厚な建物が見られるようになってきた。列車から見ているとどうもせせこましい作りの街であるような感じだが、実際はどうなのだろう。そんな楽しみを感じつつ、私は小樽駅に降り立った。
私は駅前のバスターミナルに向かった。バスターミナルにはいろいろな行き先のバスがいて、一日乗車券を買ってからも、どこへ行こうかと私はけっこう迷ってしまったが、街中なんていつでも行けるからと思って、とりあえず外縁から攻めることにし、私はおたる水族館行きのバスを選んだ。
小樽駅を出たバスは、札幌なんかより道は狭いがやはり大きな小樽の街の中を進んでいく。途中、交差点のすぐ前方に、網走の二ツ岩のように黄土色の断崖が立ちはだかった。小樽というのは山の斜面ぎりぎりにまで迫る街であるらしい。祝津へ向かう道も、かなりアップダウンがきつい。
そんな坂の街小樽の中、バスはひたすら坂道を登ったり下りたりしながら、郊外へ出ていく。周りは山なのに、どんなに細くバス同士のすれ違いが難しいような道沿いにも、家並みが途切れることはない。そうやって坂を相手に悪戦苦闘しているうちに、やっとのことでバスは、カモメの鳴きしきる海沿いへ出た。そこは祝津の港になっていて、車窓からは鉄塔や船もたくさん見える。そんな港街の坂の上に、バスの終点の水族館はあった。
水族館は、この前のSのように楽しみを共有できる奴が一緒であれば行ってもよいとは思うが、独りではあまり楽しむ自信もないし、そんな所より「小樽」というものに触れたかった私としては、その近くのやはり丘の上にある鰊番屋の方に興味をそそられていた。
それはどこかにあった本物の鰊番屋を移築したもので、昔そこに暮らしていた人たちの息づかいまでもが伝わってきそうな古めかしい建物の中には、その当時の生活用品などが展示され、靴を脱いで実際に建物に上がってみることによって、その時代をしのぶことができるようになっている。私は建物の二階から、窓の外を眺めてみた。小さい祝津港と祝津の街は一望のもとになり、そして広い海までもが見渡せた。空気が霞んでいてよくは見えないけれど、対岸の形だけはわかるし、祝津の港街が、周りを断崖に囲まれた中にせせこましく存在する様子もよくわかる。そして何より、この鰊番屋の二階の畳の上に寝そべりながら海の景色を見ていると、なんだか頭の中までのんびりとしてきて、私はこの上ない幸せな気分になってきた。昔の漁師もほんのひととき、こういう幸せを感じた瞬間があったのかもしれない。この手の展示物にしては、異様にリラックスできる所だ。次はどこに行こうかな……なんてことを考えながら、私は祝津の街と海をしばらくのんびりと眺めていた。展示によれば、日本で最初に塩数の子を作ったのはこの街の人たちなのだとか。それにしてもこの番屋、一家族の家にしては大きいように感じたが、実は二百人を越える人たちの生活の場だったのだという。そうなると多少、窮屈だったかもしれない。
鰊番屋の裏手には灯台があって、その脇には海を見渡せる展望台もあった。ここも断崖の海であり、足元の岸壁には細い柱状節理が何本も立っている。恐らくこれが、オタモイ海岸へと続いていくのだろう。そして、直下に広がる海の色のきれいなことといったら! それは本当に青く、透き通っていて、水に隠れている岩の様子までかなりはっきりと見てとれた。沖合には時折小さい船が駆けていくが、至って静かな雰囲気が、そこにはあった。
そのオタモイ海岸を巡る遊覧船が祝津港からも出るらしかったのだが、しばらく出ないようだったので、私はあきらめてとりあえず市内に戻ることにした。路線図を見て、手宮洞窟というものが目に留まったので、私は坂を下りきった手宮という所で降りようとしたのだが、手宮の大きなバスターミナルは車窓から見えるのに、この路線はそこには停まらないらしく、私は次の錦町というバス停まで連れてこられてしまった。
道を少し戻り、私は海と崖に挟まれたような道を歩いていった。バスターミナルからすぐの所の海沿いは、工事現場になっていた。中には線路が何本か引かれ、機関車やディーゼルカーが置いてあるのが見えた。この辺りにある鉄道記念館のものらしい。歩いていくと、煉瓦づくりの建物や、機関車やえもんに出てくるようなレールバスや、ラッセルカーなどが錆びついて置いてあるのが目に入ってくる。よくよく見れば、この鉄道記念館自体も改装休館中というオチがついてきた。平成八年度完成らしく、それまでの間、準備室が離れた所にオープンしていたらしいが、別にここを見たかったわけではないので、私は素通りした。ところが、さらにオチがついていた。目当ての手宮洞窟も、復元工事のため見られないのだという。これには私は一気にがっくりときてしまった。私はすごすごと、バスターミナルまで引き返すしかなかった。
しばらくバスターミナルで休み、私は小樽運河に出た。この辺りは小樽運河の端に近く、歩くにはちょうどよい。運河沿いの道路、そして運河に面した対岸には、重厚な石造りの建物が見られる。私の身近な所では石造りの建物というのはあまりないから、そんなものを見せられると私はやはり異国情緒的なものを感じるが、不思議と違和感のない街並みになっていると私は思った。うまく周りの風景と調和しているのだ。運河沿いの散策道自体も、それらしくきれいになっていて、車の音さえ聞こえなければ、潮の匂い、潮風、運河沿いに並ぶアンティークな倉庫群といった、ロマンチックな情景になるのだろう。そして街灯に灯の点る頃、ここはもっとすてきに輝くのだろうか。私は歩きながら、目の前の風景が夜になった時のことを想像していた。明日の夜は小樽にいることもできるから、もう一度寄ってもいいような気も私はしてきた。
旧ウォールストリートを横目に、私は寿司屋通りへと歩みを進め、豪勢にも線路の高架の近くの栄六という寿司屋に入った。この前のカニといい、食事に金かけ過ぎではないかという気もしたが、ガイドブックも、小樽に来たら寿司を食わんと損だと言うし、せっかく来たんだからうまいものを食っていくのも悪くないという気持ちの方が、私の中では勝ったのである。確かにあのとろけるようなホタテやイクラには、多少の投資をしてもかまわんと思うことができたし、また板前さんも気さくな人で、店の居心地もそれはいいものだった。
こうして小樽の味を満喫した私は、普通のアーケード街を通り、駅に戻った。運河や旧ウォール街を歩いたときは異国情緒を確かに感じたが、小樽のすべてがそういうものであるというわけではない。普通の街と異国情緒が隣り合い、大した苦労もなく簡単に行き来できる気楽さ、開放感も、ひょっとしたら港街ならではのものなのかもしれない、と私は思った。
私は昨日の登山で歩く体力は使い切っていたので、このあと歩いて港や北一硝子などを攻めることはできなかった。わりとあまり物を見ていない気はしたが、運河の情景はしっかり見てきたので、まあいいかと私は気持ちを割り切ることができた。運河沿いの観光案内所でロープウェーの割引券をもらったので、今度はそんなに歩かずとも行くことのできる天狗山に登って、小樽の全景を見てみることにした。
バスターミナルでしばらく待ち、私は天狗山行きのバスに乗り込んだ。さっき歩いた道をかすめるように通ったバスは、跨線橋を渡って駅裏に出た。やがて登り坂を登るようになっても、表ほどの規模ではないものの、商店街は連なる。さらに、天狗山に向かう路地に入ると、坂は一層急になってきた。さすがに商店は途切れたが、学校や集合住宅はまだまだ続く。そんな急坂を、バスはゆっくりゆっくり登っていく。後ろを振り返ると、既に海の展望が開けていた。隣の山は、中腹まで墓地で占められていたが、この山も、遠くから見るときっと中腹まで街になっているに違いない。
バスを降りた私は、ロープウェーの乗車券を買い求め、臨時便のロープウェーに乗り込んだ。小さなゴンドラはふわりと浮き上がり、すぐさま、車窓からは港が視界に入ってきた。左手に七十メートル級のジャンプ台が現れる。テレビではよくジャンプ競技は見るけれども、実際に目の当たりにしてみると、途方もなく巨大なものに私には見える。雪がなくて下界との距離が極端に見えることも、その理由かもしれない。やがて高度を上げていくと、さっき訪れた祝津やオタモイの含まれる丘陵の向こうにも、海が見えるようになってきた。
ロープウェーから降りた私は、真っ先に見えた第二展望台へ行き、そこから小樽の市街を眺めてみた。下では多少の蒸し暑さを感じたものだったが、ここは人が少ないのと、日陰なのとで涼しく、虫の声と……そういえば秋の虫だ……、港の船の音が聞こえるくらいで、静かな所だ。煙草もおいしい。それぞれの建物はあくまで小さいが、港に向かって開ける平地や、山の低い部分にまでびっしりと敷き詰められている。そんな白っぽい街を取り囲むように緑の丘陵があり、街の中にも所々緑色の部分が見られる。例えれば、緑色の部分を陸とする白い多島海のようだ。細い筋のように通う道路を見てみると、昆虫のように車が往来している様子がわかるが、全体として風景は固定されている。しかし、この風景の中に降りたら、人の往来のかなり激しい街であることは、既に見てきた。やはりこういうのを見ていると、人間という存在の小ささを実感でき、細かいことなんかどうでもいいような感じがしてくる。レストハウスに流されるビデオでも言っていたが、このせまい中におもちゃ箱のようにロマンが詰まっていると思うと、個々の人間のやることなんてやっぱりスケールが小さいな、という気にも私はなった。もし夜来たら、夜景もきれいなのだろう。天気も良いし、昼間の今、見ている風景も充分きれいだ。
第一展望台からは、小樽の西側にそびえる山を正面に見ることができる。わりと行くのに苦労した祝津の灯台も、ここから見てしまえば、この大きい街の中で大した位置を占めているわけでもない。そして山の中にまで団地が広がっている所もあるし、斜面高い所まで家々が並んでいる所もある。市街の中心から出ない限り気づきにくいが、小樽が坂の街であるということは、ここからの風景で見事に証明される。あの山々の向こうに、オタモイ海岸の断崖の海岸線があると聞く。当然ここから見ることはできないが、あんなタイムロスするんだったら行ってみてもよかったかも知れないな、なんてさっきのことを思い出しつつ、私は思っていた。
この山は冬はスキー場になる。そのために木が取り払われており、だから見晴らしがよいのだ。こんな風景……異国情緒の都市を見ながら滑り降りる気持ちって、どんなだろう。斜面に立ってみたが、けっこう中級コースくらいの斜度はありそうである。冬、この山がスキー場になったら、きっと辺りは今とは違って真っ白になって見えるのだろう。やはり北海道というのは、いろいろな季節に訪れなければならない所のような気がする。いつ来ようが今度来るときには、また違ったものを見せてくれるに違いない。
そばにはシマリス公園というものがあり、小動物に目がない私としては当然、百円払って入ってみることになった。無心にひまわりの種を食ったり、巣穴の中に入ったり、追いかけっこをしたりするリスたちを見ていると、昨日の夜読んだぼのぼの……「おねいちゃんのにおいがする」「エッチになったんだろ」「やめようね」なんていうせりふとオーバーラップして、私にはおかしさがこみ上げてきた。本当に足元をちょこまかと動き回るものだから、下手したら踏みつぶしてしまいそうだが、無邪気にかけずり回るシマリスたちは、私の心を和ませてくれた。
ロープウェーで下まで降りると、臨時便で駅よりも先に行くバスが発車間際だった。次にどこに行くかは乗ってから考えることにして、私は飛び乗った。このバスは快速バスだったようで、限られた所にしか停車せず、来る時に苦労した急坂もさっさか下り、小樽の街の中へ、そして運河沿いの異国的な通りへと入っていった。私はとりあえず有名どころを攻めようと、北一硝子前でバスから降りた。
北一硝子三号館にせよ、ベネチア美術館にせよ、前者は石造りの倉庫、後者はアーチを多用した洋館で、建物そのものは重厚で美しいものではあったが、中に入るにはちょっと人が多すぎ、私はうんざりしつつ通過して歩いていき、結局は運河に行き着いていた。運河だって人造のものには変わりないが、この水のある風景はわりあい心になじむものであると私は感じた。私にはいい加減疲れがたまっていて、楽しめるはずのものも充分楽しめなかったかもしれないが、小樽運河や、そこから駅へ通じる道をゆっくり歩いていくことによって、私はこの小樽がいい街であることを感じることができた。雑多なように見える街の中に、よく見れば古風な石造りの建物や、バスからは気づかなかったのだが手宮線の踏切があったりして、そんなものを見つけるたびに、ちょっとした感動に浸ることができるのが、この街のよいところなのだろう。疲れを癒して、明日の夜また来よう。小樽を去るにあたって、私はそう決めた。
小樽から函館本線を上る列車は、わりあい混んでいた。札幌方面と比べて極端に本数が少ないからか、学校の帰りとぶつかったからか、いろいろ理由はありそうだ。道東や道北では非冷房車でもそんなに不快感はなかったものだが、この辺の非冷房車は、ただ蒸し暑いの一言である。
発車した列車はゆっくりと市街地を進み、オタモイ団地のそばを進み、そして次第に、小樽を取り囲む山々の中へと分け入っていった。切り開かれた斜面にまで家は建ち、畑ではいろいろな作物が作られている。谷間のコンクリート工場を横目に、列車はあくまでゆっくりと進んでいく。天狗山の上から見れば小さな箱庭に過ぎない街並みでも、移動するのはけっこう大変なことである。
塩谷を出てしばらくすると、やっとの思いで列車は海をかすめる。しかしこの辺りの海岸線も、オタモイの続きなのか険しく、列車を容易には海岸沿いに出さない。列車は何回かトンネルをくぐり、海はその合間に遠巻きに見えるだけ。山の上の方には厚い灰色の雲がかかる。とりあえず昼間天気がもったのはよかったが……。列車は海沿いというよりもむしろ、山間の谷に沿って進んでいる。谷にはわずかな家並みが続き、その隙間を埋めるように、田畑が存在する。ガイドにも載っていたフゴッペ洞窟へは蘭島からバス三分、徒歩十五分だそうだ。また、ストーンサークルなど、他にもこの沿線にもおもしろそうなものはあるらしい。雲は気がつくと全天にかかってきた。この分では夕陽もきれいに見えるかどうか、多少心配にならざるを得ない。列車はそのまま、海沿いに開けた街の中へと入っていった。私はその余市で下車した。
余市駅からはすぐ前に、小樽から移してきたかのような洋館が見られる。ニッカウィスキー関係の建物である。本当なら行って確かめてみたいところだが、私はどうも動く気になれなかった。昨日の登山のあとに無理をしすぎたのか、それとも二十日間に渡る旅の疲れの累積だったのだろうか……。乗るつもりのバスの時間の直前に、そのバスと同じ方向の美国行きのバスがやってきてびっくりしたが、案ずることなく積丹余別行きのバスもすぐにやってきた。私はそっちに乗り込んだ。
バスは案外大きい余市の街の中を進む。駅前にも街はあったが、役場に近い入船町にも、なかなかよくある規模の町が続き、その街並みは海沿いに出てもなお続く。ここも街の本体は駅というよりは港にあるものらしい。見どころも、ニッカの他にもいろいろありそうな感じだ。港と別れてようやく商店街は途切れるけれど、家並みはそれでもなお続く。ただそれも道路沿いだけのようで、後ろにひかえる斜面には、畑が広がるようになってきた。ブドウが作られているようで、駅で売っていた余市ワインの原料になるのだろう。この街は果物の街を自称しており、その証拠か、やがてリンゴ畑も視界に入るようになってきた。
ようやく家並みを抜けたバスは、登り坂を登り始め、シラカバやミズナラ、エンジュなどの生い茂る林の中へ入っていき、トンネルを越えると急な下りに入る。もはや畑など開かれた土地はなく、深い森林の中を下っていく。すると集落が現れ、バスは海沿いに出た。その瞬間、えびす岩、大黒岩というらしい、大きな岩が海に二つ浮かんでいるのが目に入ってきた。どちらがどっちなのかは私にはわからなかったが、片方の岩はほんの細い部分で海面に接しており、よくもこんなに立ったままでいられるものだと、私は感心してしまった。そしてトンネルを抜けると、今度は天に向かってそそり立つ高い岩。ロウソク岩というらしいが、その形がどうも勃起した男性器を思わせるのだ。陰嚢までがあるせいだろうか……。ライダーは気楽に停まって記念撮影をするが、バスはひたすら素通りしていく。それにしてもなかなかおもしろい岩が見られる。この通りはセタカムイラインといい、奇岩のたくさんある海岸を、何回もトンネルをくぐって進んでいく。海岸にそそり立つ断崖には横筋が平行に入って地層が露出し、この付近が海底から隆起した地形であることを示している。そして地層がそんなふうに露出するくらいの急斜面が、海に切れ込んでいるのだ。
海水浴場がある辺りから、バスはまた街の中へ入っていった。古平の街である。大きそうな街で、下車も多い。左側にかかる雲は、厚くなってきた。そしてバスは港に出た。港に沿って開ける街の中を、こまめにバスは停まりながら進んでいく。「古平名物生うにちらし、いくらちらし」の文字がとてもまぶしく私の目に飛び込んでくる。いちいち立ち止まれないのは、他力本願な移動旅の弱みである。
トンネルを抜けると街はなくなり、また崖下の海岸線の風景となった。やがて長く前方に伸びた鼻のような陸地に、やはり港に沿った美国の街が現れた。この街には「松山千春曾祖父に捧げるロマン碑」なるものがあるらしい。バスターミナルの近くには黄金岬展望台への登り口もあり、興味の持たれる所だ。
バスターミナルは市街地の端っこで、出発したバスは坂を登り、みるみるうちに美国の街を見下ろす格好になった。私は小樽のパノラマを見たばっかりだったからそれほど大きな街には見えなかったけれど、爽快な風景であることは間違いない。やがてバスは山道を走るようになった。雲が厚くて心配したが、案ずることなく、低くなった太陽は夕陽となって、きれいに見えるようになっていた。夕陽に照らされると、何でもないカラマツ林でもとてもきれいに見えてくる。積丹牧場という広々とした草原もあり、その向こうに真っ赤な夕陽が、今にも静かに沈もうとしている。これで牛がいたら最高に絵になる風景になったのだろうが、北海道というものに期待される風景を、私はここでも見ることができた。
いつの間にかバスは林を抜け、婦美付近のトウキビ畑や荒れ地の中を進んでいた。そしてまた林に入り、幌武意という、漁港につながっているらしい集落を経て、坂を下りきり、山間の平野の入舸という集落に入っていった。バスは再び海へ出た。バスの真正面に、夕陽が姿を見せた。オレンジ色の球体は、今にも地平線に接しようとしている。周囲の空は鮮やかなオレンジ色に染まっていた。ああ、私は今日もまたこうして、きれいなものを見ることができたのである。夕陽はだんだん、水平線に隠れていく。その様子がはっきりとわかる。今まで日の入りを、こんな形で見たことがあっただろうか。私はまた、ひとしおの感動に浸っていた。
港を過ぎたバスは、再び岩場の海岸へ出た。太陽が完全に隠れた漁村には、暗闇が徐々に勢力を伸ばしてきた。その漁村、日司、そして続くわりと大きな野塚を過ぎると、大量の客が下車し、バスは一気にがらがらになった。寂しさに包まれた海岸には、岩一つあたり一匹、カモメがちょこんとたたずんでいた。
野塚を過ぎてからは、また海岸線が続いた。もはや現れる集落は小さく、その頻度もだいぶ下がってきた。あたりには夜が訪れ、水平線付近にのみ、船の明るい灯がともっていた。間もなくバスは、積丹YHの前に到着した。
到着したYHでは、小さい女の子が応対してくれた。やけにひっそりとした感じがあったが、案ずることなく、間もなくにぎやかな大集団が帰ってきた。みんなして夕陽を見に行き、ついでに泳いできたらしい。「もう少し早く来ればよかったのに」とみんなに言われた。私も夕陽には満足はしていたので別に不満はなかったが、みんなで見に行かれてどうやら楽しまれたらしい。
このYHは和気あいあいとできる感じで、とりあえず案内にも書いてあったウニツアーの他にも、明日も二時半に起きて日の出を見に行こうとか、浜鍋をしようとか、いろいろなYH企画があるらしい。なかなか、私などどうしようか迷ってしまうところだ。にぎやかさだったら島のYHでも感じたけれど、今日はその時ほど人は多くなく、あそこにたくさんいた常連系もいないので、私も全く自然な形でその雰囲気の一員となった。夜もYHなのに飲み会になるし、陽気な雰囲気の中、ふと行こうかと言い出した感じで、漁火ツアーに行くことにもなった。夜は十一時、漁火がどうのこうのというよりも、YH前の海岸で、酒と雰囲気に任せて他愛ない話に終始した感じだったが、旅先でこういうことができるというのも、一人旅またはそれに近い人が夜を共にするYHならではのことで、それはそれで楽しかった。それにしても浜辺の夜風の寒かったこと……。
とりあえず積丹ってどこを見ていいのかわからない感じだし、下手にバスで途中下車してはまるよりは、たまにはどこかに腰を落ち着けるのも悪くない気も私はしていた。日程を延ばすことはもはや私にはできないし、いろいろ見てみたい気もしないでもなかったが、そうやってどうしようかと迷っているうちに、寝ないでそのまま日の出を見に行くという流れに、私は飲み込まれていった。徹夜ウノ……いや「ウニ」大会が始まり、罰ゲームで私はいつの間にか、そのツアーの副隊長をやることになっていた。