0.プロローグ(8.1) / 1.函館(8.2) / 2.旭川・富良野(8.3) / 3.知床(8.4) / 4.標津・野付半島(8.5) / 5.支笏湖(8.6) / 6.小清水・網走(8.7) / 7.サロマ湖(8.8) / 8.札幌(8.9) / 9.屈斜路湖・摩周湖・釧路湿原(8.10) / 10.室蘭・昭和新山・洞爺湖(8.11) / 11.稚内(8.12) / 12.利尻(8.13) / 13.礼文(8.14) / 14.サロベツ(8.15) / 15.根室(8.16) / 16.新冠・襟裳岬(8.17) / 17.厚岸・霧多布(8.18) / 18.阿寒湖(8.19) / 19.札沼線・深名線(8.20) / 20.大雪山黒岳・層雲峡(8.21) / 21.小樽(8.22) / 22.積丹(8.23) / 23.函館・大沼(8.24) / 24.エピローグ(8.25-26)
目が覚めると、新鮮な風景が周囲に広がる、というのが夜行列車の旅の醍醐味の一つであると私は思う。その時、列車は森林の中を走っていた。私は植物の名前には疎いけれど、今まで見てきた風景と、似ているところはあっても違う部分もある、ということくらいはわかる。北海道の杉は自然のものではない、と函館のバスのガイドさんの話にあって、それゆえ杉があればその林は人工林であるということができるが、どうやらこの辺りは原生林らしい。時折平地も広がるが、気のせいか水田よりも荒れ地や野菜畑の方が目立つ。白樺の木もたくさん生えている。一晩のうちに遥か東へ来ただけあって、車窓の雰囲気もどこか違うように、私には感じられた。列車は網走国定公園内を進み、間もなく車窓には網走湖も姿を現した。朝の湖は深い緑に囲まれ、静かにきらきらと光っている。
私は朝の網走駅に降り立った。今日の宿を羅臼にとってあったので、今日のところは知床半島の方へ行くことにして、私は釧網線のローカル列車に乗り込んだ。網走を出た列車は、桂台までは街並みの中を行くが、トンネルを一つ越えるとすぐに海岸を走るようになった。特に北浜辺りでは、噂通り列車は海の本当に間際を進んでいく。これがオホーツク海か……と、初めて見るその海を、私はしげしげと眺めた。海としては何の変哲もないが、目前に広がる海は明るい。冬に流氷が来たら、この大海原が氷で埋め尽くされたら、いったいどんなふうに見えるのだろう。
列車は程なく、小清水の原生花園の中へと歩みを進めた。広大な土地は、荒涼とした、という表現がぴったりだ。本当に何もない。緑や黄色の絨毯の中に、ぽつぽつと赤紫の花が咲いている。牛が集団で沼に浸かって水浴びをしていたりもしている。これがどうやら本当の北海道らしさなのかなあ、などと私は思った。止別から斜里にかけても、広がる風景はひたすら原野だった。死ぬならこういう所がいいなあ、などという根暗な考えさえ、私の思考の中に自然と出てきた。時折表れる街も小さいものばかりで、街に入ったとたんに駅に着く。斜里もそんな駅だった。
私は駅で軽く朝食を取って、知床半島を進むバスに乗り込んだ。地の果てへの入り口だからと言っても涼しいわけではなく、直射日光と多くの人間というファクターにより、バス内の冷房も必要悪なものとして稼働する。さすがに海側の席は早々と占められてしまったので、私は山側の席に甘んじることになった。
バスは発車すると、列車から見て思ったよりも案外大きい街の中を進んでいった。だてにこの辺りの拠点の都市ではない。あまりきれいにとは言えなかったが、斜里岳もその姿を車窓に現している。やがてテープで知床の案内が始まった頃、バスは街を抜け、ジャガイモや麦やトウキビの畑の中へ出ていった。稲ではないものが広々としているところに、本土とは違うという意味においての北海道らしさを私は感じた。大根の葉のようなものはきっとビートだろう。この辺りの土地というのは昔はかえりみられなかったというから、今これだけのものが育てられているということは、それからみればすごい発展を遂げてきたということになる。語源となった「シャルンペツ(芦の多い川)」が象徴するように、自然の資源は多く、それゆえ産業に関しては条件がいいという。朱園という集落では、畑の間に直線状にカラマツが植えられ、いかにもカラマツで取り囲まれているかのような感覚を私は受けた。それは防風林、防雪林の役割も持っているという。やがてバスは海岸に出て、峰浜という集落へ出た。ここまで来るともはや畑はなく、集落は単なる漁村となった。ここにはスキー場もあり、冬には流氷の見えるスキー場となってにぎわうそうだ。あまり人のいない、というか観光客にも素通りされてしまいそうな静かな雰囲気だったけれど、冬になってどれだけ雰囲気が変わるのだろうか、などと想像を巡らせるのも、初めて訪れた街での楽しみであるように私には思える。
そのうちだんだん山の姿が近づき、道も頻繁にカーブするようになってきた。バスは海の間際を行くようになり、ゆるい崖沿いに造られた道路を走っていく。空はよく晴れ渡り、左の車窓に広がる海も、空と同じ色をしている。
やがてバスは本道と分かれて高台に登り、かなり高い土地から海を見下ろす格好になった。程なくバスは、オシンコシンの滝で小停止した。車内はさながら即席の撮影会状態になった。滝は源流は一つだというが、三つの筋となった水が、ごつごつした崖面に沿って豪快に流れ下っている。さっきまで通っていた本道は相変わらず海沿いで、そちらを通っていれば、この滝を下から見上げる格好になる。あっちを歩いてみたい、という声も乗客の中から出てきた。今ここで見ている滝も豪快ですばらしいが、そうすると違った角度から、また違った滝の雄姿が見られるのかもしれない。バスは少し進んで、オシンコシン展望台に着き、ここでもまた撮影会になった。ここでは滝からは遠ざかるが、反面眼下に広々と広がる青い海を眺めることができる。間近に見るのとは違った意味で、むしろよりスケールの大きい風景が、そこには広がっていた。私はすがすがしい自然美を、しばし堪能した。
バスは本道に戻って、引き続き知床の海岸線を進んでいった。奥へと歩みを進めるにつれ、自然はだんだんとその造形を美しく、おもしろくしていく。アイヌ語でアザラシのことをトッカリと言うそうだが、時々そのアザラシの現れるというトッカリ岩、あるいは親子岩、亀の形をしたチャシコツ岬といった、おもしろい岩の並ぶ海岸線に沿って進んでいくと、まもなくバスはウトロの市街地へと入っていった。いきなりバスは「小松宅前」という、よく話に聞く「宅前」停留所を通過した。高台からは、湾を囲むように開けた街の概形が見て取れる。バスはそんな街の中へ降りて行き、やがて温泉街の中心に位置するウトロ営業所へと到着した。
営業所では客の入れ替えがあったが、それでも車内が混雑していることには変わりがなかった。さすがに人気のある観光地である。再び発車したバスは街を抜け、橋を一つ渡ると、原生林の中へと入っていく。知床連山の姿も、だんだんはっきりと見えてきた。道も険しさをさらに増し、高度も上がったり下がったりを繰り返すようになってきた。
いったん、岩尾別川に沿って、バスは岩尾別温泉へと寄り道をした。岩尾別川は、川原の石がごつごつとした浅瀬の川である。上流にはサケ・マスのふ化場があり、秋には川を上るサケが群をなすという。こんな小川がサケに占められるという風景は想像に難いが、いったいどんなふうになってしまうのだろう。道はすれ違いができないほど細く、無理にすれ違おうとすれば車は脱輪してしまう。事実、そうなった。とんだハプニングで、ガイドの呼びかけにより何人かの男性客が駆り出された。当事者にとっては大変だっただろうが、傍観している分にはのどかな風景である。
岩尾別温泉の一軒宿で方向を変えて来た道を戻り、本道に復帰して、さらにバスは奥を目指していく。しばらくすると草原の中に幼い木が生えているのが見られた。昔は入植者がこの辺りまで入っていたが、あんまり儲からないので街へ移っていき、人のいなくなった跡地に木を植えているのだという。木はまだまだ幼くて、そのせいで風景はまだまだ荒涼としている。この風景が周りと変わらなくなるまでには、まだまだ時間が必要なように見受けられる。一度失われた自然は、元に戻るまでにかなりの時間を要するということを、ここでは実感できる。
程なく到着した知床五湖のレストハウスで、私はバスを降りた。駐車場には車があふれ、レストハウスにも人がたくさんいて、今まで見てきたひとけの少ない静かな雰囲気は、ここには見あたらない。知床五湖も遊歩道のある有名な観光地だから、そういう独り旅、あるいは少人数での旅の雰囲気を味わうのは難しいけれど、自分で好きなように、展開する景色を楽しむことは、どんな所を訪れてもできるものである。北海道に来て以来よく見る、やぶの中の、葉の異様に大きい笹をかき分け、私は遊歩道を歩いていった。一湖から五湖という、数字の無味な名前をつけられた湖は、どれもミズナラ、ダケカンバ、トドマツ、ナナカマドの森の中にひっそりと存在している。特にナナカマドの葉の中に、まだ八月も上旬だというのにほんのり赤くなっているものがあって、私は思わず自分の目を疑った。広々とした二湖、横に長い三湖、せせこましい五湖といったように、それぞれいろいろな個性を持ちつつも、どの湖も対岸の知床連山を控え、緑色の背景の中、山の姿を映して、静かに神秘的にたたずんでいる。この際名前など便宜上のものであって、現実に美しく存在する湖は、名前とは切り離して味わうべきであろう。一般にそうできればよいがとりあえず、ここではそういう湖の姿の楽しみ方ができる。遊歩道を歩いていくと、至る所に熊への注意を促す掲示がある。これだけ人がいれば熊も怖がって出てこないということで、現実に彼らの姿を見ることはなかったが、熊とてじゃまされずに生きていたかろうに、さぞ迷惑な話だろう。
神秘的な五湖、そして現実に熊がいるらしい雑木林の雰囲気をそれなりに楽しみ、私はレストハウスに戻ってしばらく休憩した。レストハウスには、こけももや山ぶどうなどの果実で作ったジュースや酒やソフトクリームがあり、金を惜しまなければ、長いバスの待ち時間を楽しむことができる所だ。私は酒を買っていきたいのもやまやまだったが、長旅の最初いきなり荷物を増やすのも得策でないと考えて、やめておいた。
時間はまだまだあり余り、やがてさらに奥へ行く知床大橋行きのバスも来たのだが、これに乗ったとしたら今度は折り返しのバスにすぐ乗らなければどうしようもないということがわかったので、私はウトロの方へ戻るバスをさらに待ち続けることにした。知床西岸の旅で東岸の羅臼に宿を取るというのは、ともすれば得策ではなかったのかもしれない、などと思いながら、私は禁煙の館内を逃れて外のベンチに座って、煙草に火をつけ、そびえる山々をしげしげと眺めてみた。あそこに見える白いしみは何なのだろう、まさか万年雪ではあるまいか? それに、あの中や奥にまだ人跡未踏の場所があると思うと、人間なんて大した存在ではないのかもしれないな、などと私には思えてくる。こんな所で煙草を吸っている人間など、あんな山から見ても単なる点でしかないのだろう。ただ、大きなものを見て夢見ることができるのは、小さい者の特権なのかもしれない、とも私は思う。
ウトロ方面のバスに乗り、今度は市街に入る手前にある知床自然センターで私は下車した。ここにはバス停の名前にもなった知床自然センターという施設が、小さいながらもきれいなたたずまいをみせ、その脇にフレペの滝へ通じる遊歩道の入り口ができていた。
私はその遊歩道に入った。道はしばらく原生林の中を行くが、やがて背丈の低い草の密生する草原へと出た。私はしばらくその中を進んでいった。ふと振り返ると、山の姿をバックに、広々と左右に草原が広がる……。遠くの山の他には、草と岩石しか視界の中にないのだ。だだっ広いという北海道のイメージにわりあいぴったりとくる、爽快な風景が目前に広がった。
遊歩道の終点は、海に対してそそり立つ断崖になっていて、展望台もできていた。そこからは、フレペの滝の全貌を見ることができる。この滝は、川が落ちるのではなく、地下水が海に向かって落ちるものであり、露出した赤茶色の岩盤に、横に並んでまっすぐ入った二本の水の噴出口があって、そこから勢いよく水が噴き出している。確かに、閉じた目からとめどなく涙が噴き出しているという形容も当てはまり、「乙女の涙」という別名も、この滝の姿をうまく現しているように私には思えた。そしてその大量の涙の行く末となる海の、それは青いこと! 今日はなんだかきれいなものばかり見せてもらっている気が私はしていた。
海の際のさわやかなそよ風の流れる草原、そして原生林の中を歩いて自然センターに戻り、そこにある簡単な展示を見ながら、私はバスの時間を待っていた。アマチュア写真家による、北海道の自然を写した写真展も行われていた。山々を写したものもあれば、かわいい小動物たち、あるいは鮭を捕らえた視線の厳しい熊の写真などもあった。そこには確かに、凝縮された北海道の姿があった。この旅で、私はこれからどれだけ、このような風景を目にすることができるのだろうか……。
今度は知床峠を越えるバスに乗り込んだ。知床自然センターは山道への分岐点のすぐそばにあるので、出発したバスはすぐに山道へと入っていった。山道とは言っても、最近開発された部類で、カーブは続くものの道幅は充分ある。周りは当然原生林に囲まれる。進んでいくにつれだんだん高度は上がっていき、逆に植物の背丈は低くなってきて、周囲の景観もみるみるよくなってきた。そして程なく、バスは知床峠へ到着した。
知床峠ではバスは五分ほど停まり、ここでも撮影会となった。広がる景色は雄大そのものだった。羅臼岳と思われる高い山がすぐ近くにそびえ、左右に広がる山地の間は谷のようになっていて奥行きを感じさせ、その最も奥には水平線らしきものが見えていた。本当ならこの地点からは、国後島までも見渡すことができるのだという。あいにくこの日はややガスがかかって、そこまでの展望は望めなかった。
バスはやがて山を下り始めた。七合目まで降りると、周りを敷き詰めていたハイマツはなくなり、トドマツないしカラマツの林へと変わっていった。この辺りの松は、ある決まった方向の枝が長く、ある決まった方向の枝は短くなっていて、まるで風になびいた状態が固定されて保存されているかのような感じになっていた。よほど風の強い場所なのだろう、という想像も、私には簡単についた。
このような、自然の姿しかないような風景は、露天風呂もあるらしくにぎやかそうなラウス温泉を過ぎると、だいぶ普通のものになってきた。ホテルの姿も現れ、バスはだんだんと市街地へと入っていった。自然の中に無理やり通した道路ほど、こういう度合いの変化は激しいもので、皮肉なことだが見ていて楽しいものになっている。やがてバスは、小さな木造小屋のような建物の脇のスペースへ入っていった。そこが羅臼のバスターミナルであった。
時間的に、羅臼の市街を一回りできそうな感じだったのだが、そんなに遠くない所に、光苔の洞窟があるということだったので、私はそこに行ってみることにした。どのバスに乗ればよいのかと窓口の人に訊いたとき、彼が示したバスは、ここまで乗ってきたバスだった。
再びバスターミナルを離れると、バスの中に潮の香りがしてきて、海沿いに近づいているということが感じられるようになってきた。果たして、にぎやかな市街地を進んでいくと、バスは程なく海沿いへ出た。そこから洞窟はそれほど遠くではなかった。職員とはバスターミナルで訪ねた仲だったので、運転手さんは光苔洞窟の目の前でバスを停めてくれた。
そこは本来まっすぐであってもいい海岸の岩がえぐり取られたような、薄暗いほこらのようになっていた。上の岩からは、絶えず水がしたたり落ちている。そしてその暗い中に、弱々しいが光を放つものが、確かにあった。ある種不気味だけれど、こんな生物もいるのだ。私はまた珍しいものを見せてもらった気がした。
この場所自体そんなに遠い場所ではなく、帰りのバスを待つくらいなら歩いて行けない距離ではなかったので、私は帰りは歩いていくことにした。夕方の空気はすがすがしく、しかも知床の山が強烈な西日をシャットしてくれるので、それは心地よい所だった。昆布干しの行われ、カモメのいっぱい飛ぶ海岸は、しばらく進むと港になって、漁船もたくさん現れるようになった。水平線の彼方に、うっすらとではあったが島影があった。もしやと思ったとおり、それは国後島の姿だった。歩いていく途中にある、しおかぜ公園という小さい公園に、そういう案内があった。この公園には森繁じいさんの銅像も建つ。静かにたたずむ漁船たちを見ながらのんびりするには、とてもよい所だ。涼みがてら、私もしばし足を止めた。
私は再び街の中を行った。YHも街の中にあって、バス停も近いしかなり便はいい。ただ他の所と違って、設備はいまいちといった感じが私にはした。カーテンすらないパイプのベッドなんて今時あまりない。私と同じような独り旅の人間もいるにはいるが、食事は外に行ってしまったようで、他には団体とカップルしかいなかったものだから、思いもかけず寂しい食事となった。ただ、派手ではないけれど、ペアレントやヘルパーの接し方には暖かいものを感じた。例えば独りで本を読んでたりすると、つかず離れずの場所で見守ってくれているかのような感じが私にはしたのである。ここは知床へのベースとなるべき所で、同泊の人たちも、明日は知床を攻めるという話をしていた。私もここに電話を入れた時は、こちらから知床を目指そうと思っていたのだが、今日たどってきたルートを取った方が何かと余裕ができそうだったのでそうしたのである。ただそうやってみんなの話を聞いていると、まだまだ、訪れてない場所が多くあるような気がしてきた……。室内は蒸し暑かったけれど、夜の風はかなり強く、外に出るととても涼しかった。東京ではこの時期、まず味わえない感覚である。