0.プロローグ(8.1) / 1.函館(8.2) / 2.旭川・富良野(8.3) / 3.知床(8.4) / 4.標津・野付半島(8.5) / 5.支笏湖(8.6) / 6.小清水・網走(8.7) / 7.サロマ湖(8.8) / 8.札幌(8.9) / 9.屈斜路湖・摩周湖・釧路湿原(8.10) / 10.室蘭・昭和新山・洞爺湖(8.11) / 11.稚内(8.12) / 12.利尻(8.13) / 13.礼文(8.14) / 14.サロベツ(8.15) / 15.根室(8.16) / 16.新冠・襟裳岬(8.17) / 17.厚岸・霧多布(8.18) / 18.阿寒湖(8.19) / 19.札沼線・深名線(8.20) / 20.大雪山黒岳・層雲峡(8.21) / 21.小樽(8.22) / 22.積丹(8.23) / 23.函館・大沼(8.24) / 24.エピローグ(8.25-26)
利尻のYHも企画のせいで夜騒がしい時間があったが、ここも八時間コースやトド島への出発があって朝はあわただしい。企画に参加するわけでも連泊するわけでも、ましてや島抜けするわけでもない私は独りでYHを少し早めに出て、今日どうするかを考えながら、街の中でも見て回ろうということにした。荷物をまとめていると、ヘルパーではなく本物のペアレントが私のために玄関に出てくれた。「いかがでしたか」と彼が訊いてくるので、「食事がおいしかったです」と私は正直に答えた。「そう言っていただけるとうれしいです。うちは海のものしか出せないんですけどね……」と、彼は私に言った。常連やヘルパーに仕切られるミーティングでは彼の姿は隅の方にしかなかったけれど、彼は彼なりにホステラーとの接点を持とうとしていたのかもしれない。私は少なくとも彼には聞こえるように、「では行ってきます」と言って、あわただしい宿を出た。
私は船泊の街へ出た。この街は三筋の道の中に街の機能のすべてが納まっている感じだ。商店はほとんどがその真ん中の筋に集中し、ものの数分もあればその街の端から端まで踏破できてしまう。小ぢんまりとした街である。バス停はいちばん海側の筋にある。辺りは静かで、カラスやカモメの鳴き声だけがこだましている。
天気は悪く、雨も降ってきた。歩きを主体とするのはこれでは無理だろうから、私はバスでスコトン岬を目指すことにしたが、そのバスの時間まではかなりあった。私は近くの久種湖に行ってみることにした。昨日の送迎車で「最北の淡水湖」という説明のあった所である。船泊の街から軽い坂を一つ越えると、それはすぐに目に入ってきた。湖に対峙する丘には、忠魂の碑なるものが建ち、そこへ向かう階段の上に登ると、久種湖の全景ばかりか、船泊の街越しに、スコトン、そしてトド島、さらには広い海が一望のもとになった。そして雲間には礼文岳が見え隠れする。案外に雄大な景色が、そこにはあった。誰も知らない展望台を見つけることができたような気がして、私は独りで喜んでいた。
ここで私の愛用のカメラが壊れてしまいあわててしまったが、街に戻ってレンズつきフィルムを手に入れて急場は何とかしのぐことができた。改めて展望台に登り、私はまた、久種湖を眺めた。久種湖は周りをアシで覆われ、湿地化が始まっているかのような印象を私は受けた。アシで囲まれ水流の悪い部分には、緑色の何かが浮いている。ヘドロではなく、明るい緑色の植物プランクトンの集合体と思われる。自然の成り行きで湿地化するというなら、結果的にここも美しい大草原になってくれそうな気がするが、でも今のこの水のある風景ものどかでいいものだ。
船泊の街に戻る時、私は坂を登らない回り道をしていった。小中学校の横を通り、細くてどこにでもあるような家並みの道を抜けると、スコトンへ向かう大通りへ出る。YHの近くにあった礼文町総合公園への入口があったので、私はそこへ入ってみた。たいして大きくもない公園だが、誰も人はおらず、雰囲気は至ってのんびりとしている。この島では山に登らなくとも高山植物が見られるという。高山植物といわれても私はよく知らないのだが、草原の感じが他の所とどこか違うような感じはした。トクサ科なのだがトクサより細くて明るい緑色の植物、イヌムギではないのだが感じの似た、しかしもう白くなった草、タンポポみたいだが軸がやたらに細い花、マツヨイグサみたいな黄色い花、黒い穂のような実をつけている草……。こんな時、ほいほいとこういう草に名前を与えてくれる人がいたら、私はその人を一瞬にして尊敬の対象とするだろうに。
私は公園から船泊の三筋の街へ戻った。雨はだんだん弱くなってきた。ミーティングで聞いたのだが、最北端の牛乳を売っている、道場牛乳という牛乳屋さんが、三筋のうちいちばん山側の通りにあるという。私はそこを訪れてみたが、一瞬私は困ってしまった。入口がまるっきり、普通の家、つまり道場さんちの玄関なのである。牛乳直売所という質素な看板を信じて声をかけると、高校生くらいのお姉さんが出てきて、瓶に入った牛乳を持ってきた。見た感じ、私が知っている牛乳のように真っ白ではないような気がした。しかしこくがあっておいしい牛乳だ。乳脂三・八パーセントだから濃い部類だろう。「最北端のキャップ差し上げます」という張り紙の文字が気になって、私はお姉さんに訊いてみた。すると彼女は、筒の中から丸い新しい牛乳キャップを取りだし、スタンプで今日の日付を、製造年月日が入る所に押して私に渡してくれた。何とユニークな記念品であろうか。
ここが最北の牛乳屋なら、別の所には最北の鯛焼き屋もあるという話である。しかしそれにしても、だいぶ日は高くなったのに街は静かだ。雨のせいかお盆のせいか。あまりに静かで、最果ての街という雰囲気が辺りに満ち満ちている。これから先、人生に挫折しかかったら、またこの船泊という所に来てみようか……私にはそういう想像も、容易についてしまった。
YHや久種湖のあるサイドとは反対の船泊の街の端は高台になり、その頂上には礼文神社がある。ここからも小さい市街は一望のもとになり、その向こうに礼文岳、そして右にはスコトンという、なかなかすばらしいパノラマである。ちょうど礼文岳も、雲が切れてきれいに見えるようになってきた。
バス乗り場に戻ると、やがてスコトン行きのバスがやってきた。カメラが壊れたり街中で尿意をもよおしたり、ライターを紛失したことに気づいたりと、小さな街の滞在だったのにあまり落ち着けなかった気がしたが、気を取り直し、私はバスに揺られてスコトン岬を目指すことにした。
バスは海沿いに少しばかりの家や土砂置き場の並ぶ道を進み、前方に長く突き出す岬の先端を目指していく。第一、第二、第三浜中という無理やり名前をつけたようなバス停が続き、いよいよ道は断崖に沿い、カーブも多くなってきた。
バスの着いた終点には、駐車場ができ、小さなレストハウスもできていた。そしてそこにはひっきりなしに観光バスがやってきて、そのたびごとに人だかりができ、その狭いレストハウスももう大変な混雑になっていたのである。こんな混雑では岬の旅情どころの騒ぎではない。あれまあとうんざりしていたのもつかの間、しかし乗ってきたバスが香深へ折り返していき、観光バスもいなくなると、辺りはうそのように静かになった。人の声もわずかになり、聞こえるのはほとんど波の音だけになった。レストハウスの脇の道を行くとすぐ、展望台がある。下には細長く岩場が伸び、その先にトド島と呼ばれる案外大きな島が浮かび、そこに向かって漁船がすべっていく。三方は海で、こうして見ると、本当に突端に来たんだという感じがする。小雨に濡れながらも、こんな風景を目にすると、さっきまでどこかに行っていた落ち着きや、旅の愁いが、私の心の中に戻ってきた。静かなスコトン岬は、宗谷よりもずっと強く旅情をかき立ててくれる。寂しくもあるけれど、それが風来坊の醍醐味かもしれない……売店のトウキビをむさぼりながら、私はそんなことを考えていた。最北の牛乳は百円になっていた。八十円で飲んでおいてよかったと私は思った。
売店のおばさんが、バイト君に話している。「今日は金持ちが多かったねえ。ウニがいっぱい売れたよ、行列できちゃったもんねえ……こういうの見てると、もっとあっちの方とか見ていってほしいと思うけどねえ……」観光バスの客は十五分ほどでこの地を去り、残るのは次の便まで三時間足がない私のようなバス旅派と、ライダー、チャリダー。こういう人種は観光バスの客のように金は落としていかないだろうが、それでも彼女はいつまでもこういう人種の味方でいてくれそうな気がする。私も、彼女の言う「あっちの方」へ行ってみることにした。
展望台からは下へ降りる道が続いていて、その先は岩場になっていた。岩伝いに歩いていき、私はもうこれ以上進めない海岸線に出た。ウニの殻が散乱する潮だまりにはいろいろな貝が住み、海の底から生えている海藻が、波に揺られて往復運動する。海の色は透き通っていて、海藻の色がそのまま海の色になる。波は時折音を立てて押し寄せ、カモメや黒い海鳥が鳴き声を上げる。そんな岩場に腰掛けると、さっきの展望台はだいぶ高い所にあり、そこには今バスで着いた人々が群がっているのがみえた。本当に岬の突端であるこの岩場を訪れる人は、あまりいない。それだけになおさら最果ての旅情を強く感じつつ、私は私だけのスコトン岬の岩場に座り、しばらく海の水が揺らめくのを眺めていた。
書いた手紙を投函するポストを私は探した。バスでここに着く直前に集落があったような気がしたなと思って、私は少しバス道を戻っていった。ポストがあれば集落があるといった具合で、そこは本当のスコトンバス停だった。レストハウスまでバスが来たのはシーズンだけの特例で、本当の終点はこの集落である。集落とは言っても家が集まっているだけの小さなもので、気のせいかずいぶんひっそりとしている。バス停の前にだけ場違いに派手な、明るい水色の壁に黄色い魚の飛び跳ねる絵画の描かれた、鉄筋コンクリートの建物がある。香深町立須古屯小学校である。帰りはレストハウスからでも乗れるのだろうがここからバスに乗ることにして、私は荷物を持って移動した。人生につまずいたらまた来よう。スコトンというのは実に、そう思わせる旅情のある岬であった。私は心の中で、さよならスコトン、と語りかけていた。
帰りのバスの客は私だけだった。スコトン岬を見たい客にとってはここの路線バスはあまり便がよくないのかもしれない。寂しかった車内は、白浜という所で少しにぎわいを取り戻した。どこかで見たことのある人たちが乗ってきたと思ったら、昨日一緒に泊まった人たちだった。トド島ツアーからの帰りだったらしい。車窓は、ここに来たときもそうだったけれど、外側が濡れてしまっていてシルエット状態で、海沿いを走っているらしいということしかわからない。その後は眠気が襲ってきて、昨日通らなかった船泊から上泊までの海は、私は結局見れずじまいになってしまった。
香深のフェリーターミナルに着いたバスはそのまま元地行きの便になるというので、金だけ運賃箱に入れ、私はそのままバスに乗っていた。元地行きになったバスは、香深の町を離れ、まず高台へ登っていき、そして細い山道をうねうねと行く。樹木は少ないと聞いていたが、麓の方はさほどでもない。しかし高度が上がっていくにつれ、樹木はやはり疎らになっていった。辺りは、緑色の中に、模様のように深緑の木が存在するようになっていった。香深の街や港がだんだん小さくなり、山の上に被さるガスへの距離は近くなっていく。道は細く、バス同士のすれ違いは苦しい作業だ。
桃岩への登山口付近が峠となり、桃岩トンネルを抜けると、目前に荒々しい西海岸の姿が現れた。東海岸のなだらかな海とは違う感じがあり、私にはこの島が東西に細い島であるということがよくわかった瞬間だった。ここからは道は下る一方になった。雨は強く降りしきり、運転席からも横がよく見えないらしく、客に「下にバスいませんか?」と訊いてくるのだ。ここからその彼の観光案内がはじまった。「あの前に見えるのが桃岩の裏の部分で、桃の種と言います」と言う。大きな岩という印象はあったが、よくは見えない。だいたい表からまだ見ていないのに裏から先に見てしまったのは、だいぶ大それているような気が私はした。そして、「あれが猫岩です」本当に、ごつごつした岩場の中、海の上に猫が鎮座しているような形の岩がある。じっくりと見る時間がないのが惜しいところだ。
客は私の他には中年の夫婦のみで、彼らも途中で降りてしまったので終点まで来たのは私だけだった。帰りのバスの時間と、それが最終であることを教えてくれた運転手に別れを告げ、私は目の前の元地海岸へ歩みを進めた。
雨はだいぶ強くなっていて、私はとりあえず雨宿りをしたかったが、辺りにある土産物屋はどれも小さく、並ぶ屋台はどれも混んでいた。まあいいかと思って、私は濡れながら、まず地蔵岩を見てくることにした。路地裏の商店街のように屋台が両脇を固めている細い道は途中で途切れ、あとは断崖に沿う砂利道となる。前方の険しい岩場に、手を合わせるような形で、薄い二枚の板が立っている。どのような作用が働いてこんなものができたのか、専門でない私にはよくわからないが、その存在は神秘的でさえある。二枚の岩の間に入ると薄暗く、とにかく人間の大きさからは非常に大きいものであるということが、首を痛くするほど上にあげなければならないということからもわかる。この二枚の岩の間にちょうど沈む夕陽がとてもいいものであるらしいのだが、そんなものは望めそうにない空が、相変わらず辺り一面に広がっている。
バス停に戻り、私は目の前の元地海岸に降りてみた。くず昆布の散らばる海岸には小さい丸い石がごろごろし、押し寄せるさざ波が、石を揺り動かすような音を立てる。ここはめのう海岸と呼ばれるとおり、めのうを拾うことができるらしい。並ぶ土産物屋ではどこでも、ここで拾ったらしい原石を売っている。しかし角の取れた丸い岩が無数に散らばるこの海岸の中で、白く透明感のあるめのうの石はなかなか見つからないものだ。海岸には、背を丸くして地面ばかり見ている私をあざ笑うかのように、カモメかアホウドリか、何か海鳥が鳴き声を上げ、跳ね回る。
雨のせいで寒くなり、私は並ぶ屋台に入って雨宿りをしつつ、この辺りの保存食であるらしいヌカホッケに手を出した。干物で、こんな風に単品で食うものでは本当はないらしいけれど、きっと酒がおいしくなるだろう。大阪から来たじいさんが、店の人と話をしている。中身はこの島のことだった。夏は住みやすいけれど冬は大変らしい。旅館の経営者は夏に稼ぎ、冬は何もしないそうだが、漁民の冬はタラ漁が始まってとても忙しいのだという。そして灯油などこちらでは必需品なのだが、運賃がかかる上に独占状態でなかなか安くならないと。島の暮らしというのは夢見られるほど楽ではなさそうだ。コーヒーとホッケだけで粘っていた私に、店の人は「雨かからない?」と声をかけてきた。観光バスは去ってしまいのんびりした雰囲気、しかも雨で人も少ないとなれば、店の人も暇になるのか。
帰りのバスまではまだ時間があった。売店の前に一袋に百円セルフサービスで売っているくずめのうの感じを目によく焼きつけ、私はもう一度めのう海岸に出た。よく見ると、本当に小さい、五ミリくらいのならけっこう落ちていることに気がついた。本当にめのうなのか、岩石鉱物研究室の友人にでも訊いてみないと疑わしいところだが、私は夢中になって、その透明感のある白から茶色の小石を拾い集め、一緒に落ちていたジュースの空き瓶を海水で洗ってその中に集めた。ふと、やはり石を拾っていた五年生くらいの子供に声をかけられる。「お兄さんも探しに来たんですか、どれくらい見つかりましたか」これくらいだよと、私は彼に瓶を見せた。「すごいですね。僕はこういうのを見つけたんだけど、本物ですか」と言って彼が差し出した三センチほどの大きな石は、確かにめのうだった。そんな大きさのは拾いつくされたと思っていたのに、よく見つけたなあ……。
雨はその激しさをさらに増し、気温も時とともに下がる一方になった。濡れたせいもあって寒くなり、私は帰りのバスが思いっきり待ち遠しいのを感じた。ようやくやってきた最終のバスに、意外にたくさんの人が乗ってきたのは、最終であるというのもあるだろうが、島の西岸を踏破する八時間コースの終点がここであるというのも原因なのだろう。運転手は発車の前に両替を済ませることを客に命じ、そして発車するとかなり高速で運転し、高速でカーブを切ってバスを進めた。私は少し酔いそうになってしまったが、すばらしいドライビングテクニックで、出発時の遅れなどものの十分の間にすっかり回復してしまったのだった。
今日の宿は昨日とは違い香深付近にとってあった。終点のバスターミナルまで乗って、歩いていってもよかったのだが、昨日一昨日と見てきて、島のYHである以上港で顔を合わせた方がいいのかな、と思い、私はフェリーターミナルでバスを降りた。案の定、ちょうど稚内からの便の着いたターミナルには迎えが来ていて、大した距離ではないが、私も一緒に送迎車に乗せてもらった。信号で停車した時、運転手が言う。「これはこの島で唯一の信号です」つまりここ以外では信号など必要ないのだ。言われて見れば確かにこの島で、他のどこでも、船泊の街でさえも信号は見なかった。だから山で道に迷ったら「信号はどこですか」と訊けばここに連れてきてもらえるのだという。もっとも、「その前に人に会うかどうか」という世界らしいが……。
礼文YHはきれいな所だった。昨日一昨日と泊まった所に比べるとエレガントな感じで、そこみたいにバカ騒ぎをすることはなかった。ミーティングでも歌はなく、観光案内に終始された。私にとっては予備知識はあり、それに明日は本土に帰るのだから、聞くこともなかったはずなのだが、利尻滝とか、船泊でも聞いた鯛焼き屋とか、ゴロタ浜の穴あき貝とか、桃岩とか、話を聞けば見ていない所がまだ多くあるような気が私はしてした。まあ、全部見てしまうことだけが旅の目的ではないし、いいでしょう。そんなことをしたら、またここに来る理由がなくなってしまうのだから。
ところで、元地で拾った小さいめのう、朝一で売店が大きいのを拾って、加工したかすをばらまいたものである、という噂があるのだそうだ。後日友人にこの話をしたら、「あった所に戻すんなら正しいんじゃないの」と言われたが、私も笑いながらそう思った。めのうは嵐のあとだとよく取れるらしいし、バカYH桃岩でもよく取れるらしい。それから、本当かどうかわからないが、かつて礼文に唯一のコンビニがあったのだが本土からクレームがついて閉店したという。その店の名は「レブン・イレブン」……聞いて力が抜けた。