0.プロローグ(8.1) / 1.函館(8.2) / 2.旭川・富良野(8.3) / 3.知床(8.4) / 4.標津・野付半島(8.5) / 5.支笏湖(8.6) / 6.小清水・網走(8.7) / 7.サロマ湖(8.8) / 8.札幌(8.9) / 9.屈斜路湖・摩周湖・釧路湿原(8.10) / 10.室蘭・昭和新山・洞爺湖(8.11) / 11.稚内(8.12) / 12.利尻(8.13) / 13.礼文(8.14) / 14.サロベツ(8.15) / 15.根室(8.16) / 16.新冠・襟裳岬(8.17) / 17.厚岸・霧多布(8.18) / 18.阿寒湖(8.19) / 19.札沼線・深名線(8.20) / 20.大雪山黒岳・層雲峡(8.21) / 21.小樽(8.22) / 22.積丹(8.23) / 23.函館・大沼(8.24) / 24.エピローグ(8.25-26)
突然のことで、網走へ三度目の来訪となった。まあ、こんな生活をしていれば、トラブルはある程度つきものだと思うし、独り旅の気楽さで予定などいくらでも変えられるのだから、じたばたしても始まらない。せっかく予約した宿をキャンセルするのはめんどくさいけれども、私は案外落ち着いていて、今日は美幌からのパノラマコースを目指そうということも、すんなりと決められた。とりあえず、美幌駅からの出発の時間まではだいぶあるらしく、その間にいろいろ寄り道することもできてしまうことがわかったので、私はまず、この前網走に来た時に行かなかった二ツ岩を見に行くことにした。
駅で朝食をとって、二ツ岩へ行くバスを待っていると、私は自転車を持った子供たちの集団をNHKが取材している現場に出くわした。よく見ると、彼らはさっきまで乗っていた夜行列車に一緒に乗っていた子供たちだ。何気なく一緒に乗ってきただけだったけど、まさか取材を受けるような団体だったとは。最近はやりの、記者が密着取材する子供たちの偉業の記録番組か何かだったのだろうか。
やがてやってきたバスに、私は乗り込んだ。朝の日射しは強いが、まだ目の覚めきらない街の中を、バスは進んでいく。海岸町という街に入ると、だんだん潮の香りが強くなり、街を抜けるとバスは海岸沿いに出た。遠くの方に現れた、海岸近くに浮かんでいるような大きな岩が二ツ岩で、片方は陸続きだけれども、確かに二つあるように見える。太陽の光を反射して白っぽく光る海を横に見て、バスはその二ツ岩をひたすら目指していく。
終点の二ツ岩バス停からは、大きなホテルと水族館の周りに広がる集落の建物の死角となっていて、二ツ岩は見えないけれど、ホテルと水族館の駐車場を通り過ぎれば、大きな岩はすぐそこに現れた。辺りの海岸線は岩場になっていて、私は岩伝いに離れ小島状の二つ目の岩まで行ってみた。どちらの岩も、海岸に「立っている」という表現が正しい。崖面は直角に近く、クライマーでもない限りこの岩のてっぺんには行けないだろう。そんな崖面にも苔はへばりつくように懸命に生きている。二つの岩の間に立つと、岩が太陽光を遮ってくれ、岩の間に吹く風はとても涼しく快い。そして、海の水はどこまでもきれいだ。遠くの方には網走の市街が小さく見え、うっすらと知床連山の姿も見ることができる。朝の散歩としては、なんだかとてもいいものが見られた気が私にはした。
駅に戻るバスの中では、バスの運転手と、常連の観光客らしい人が会話していた。話題はもっぱら、最近の暑さのことであった。何でも今年は三十七年ぶりの暑さで、海沿いのこの網走でも三十度を超える日が何日も続いているという異常な暑さが話のネタになっていた。去年は七月十六日に暖房が必要で、半袖なんか着ていられなかったのに、と運転手は言う。東京が猛暑となればこちらも猛暑になるというわけで、こちらの人は慣れてないだけに、さぞかし苦労も多かろう。バスの運転手さんは、美幌や呼人の方にも出ていくそうだが、そちらの気温は網走どころではないともいう。ばてちゃうよ、なんて客に愚痴をこぼす運転手なのだった。食べ物の話にも会話は及んでいる。今はほっけや「めんめ」の開きが脂がのってておいしいのだという。めんめとはきんき鯛のことらしい。そんな話を聞くと、食べてみたくなるのが人情というものか……。
駅に戻り、私は石北線の列車に乗り込んだ。けっこう客は乗っていて、空いている席はほとんどない。列車は網走湖のほとりを、様々な色のキャンプのテントを横目に見ながら、とことこと走っていく。蒸し暑い車内も、トンネルに入ると涼しくなる。冷房車では味わえない楽しみが、この列車にはある。呼人半島の近くで湖岸を離れた列車は、その後はひたすら林の中を進んでいった。
途中で寄り道する時間は充分あったので、私は女満別で途中下車することにした。女満別の駅舎は図書館と同居した、こぎれいなものだ。切符の販売はなかったけれど、私は大学では図書館司書の資格を取るべく授業を聴講しており、図書館建築に関する科目も受講していたので、駅と図書館の同居という珍しい形態を目の当たりにすることができたことは喜びであった。時間的にまだ開館はしておらず、中の様子をじっくりというわけには行かなかったけれど、ガラス越しに見るその図書館は、小ぢんまりとはしているものの、きれいそうだった。駅前広場も小ぎれいで、広々として見える。もっとも車が少なかったからそう見えただけなのかも知れなかったけれども。
網走湖岸へは、駅から跨線橋を渡ればすぐ行くことができる。そこにはキャンプ場があり、人々は湖水浴を楽しんでいるが、さほど混雑しているわけではない。どことなくのんびりとした雰囲気のある、静かでいい所だ。私のような一見の客の来るべき所では、本当はないのかもしれない。本当なら、ゴムボートに揺られてみたり、ビーチボールを投げ合ったりして遊んでいく所なのだろう。三百円でシジミ袋というのを買えば、それ一杯分に限りシジミを捕ることができるのだそうで、シジミ捕りに興じている親子連れも多い。気持ちよさそうに泳いでいる子供を見ると、私も一緒に遊びたくなってしまったが、水着も持っていないしそうもいかない。
湖は大きいが、湖水はよどんでいて、さっき見てきた海ほどきれいとはいえない。湖は真ん中がくびれたような感じになっていて、その向こうかなり遠くの方にはヨットが数隻、これまたのんびりと浮かんでいるのが見える。そして、パンツもはかないでシャワーを浴びる子供、ヤドカリを見つけ、喜んでいる子供……。ああ、平和だ。子供の喜ぶ声以外の音はほとんど聞こえない。そんな湖を眺めながら、私はベンチに座り、時が流れるのと同じようにゆっくりと、コーラを飲み干した。
楽しげな湖畔をあとに私は女満別駅に戻り、やってきた上りの快速列車に乗り込んだ。今度は二両編成でやってきたので、車内にはゆとりがあった。車窓ものんびりしたもので、時々ビートやとうきびの畑が広がるものの、概して林の中を進んでいく。目的の美幌は女満別からはさほど遠くでもなく、間もなく広々とした平地が広がったかと思うと、列車は市街地の中へと入っていった。さっきのバスの運転手の話の思い出される、噂の美幌。駅の温度計は早くも三十一度を示す。話通りの暑さだ。
美幌の駅から、私はパノラマコースという観光コースを行くバス路線に乗ることにしていた。このバスは、路線バスでありながら、景勝地での観光の時間もあるというユニークな形態のバスで、予約しなくても観光バスのような便利な旅を楽しめるというもので、期待を抱きつつ私は切符を買ってバスに乗り込んだ。
発車したバスは製糖工場の煙突をあとにし、美幌の街の中も程なく抜けると、野菜やトウキビの畑の続く農村へと入っていった。テープの案内で気がついたが、農家の屋根は赤だったり青だったりして、緑だけの広々とした畑の中で、特異な存在となっている。バスの周りに広がるのは、ビート、人参、ビート、麦、豆、ジャガイモ、麦……。広々とした中にいろいろな作物が植えられる農村が、車窓にはしばらく続く。金色だったり緑色だったりする畑の中を、時折カーブを切りながらも、大概まっすぐバスは進んでいく。
やがて広々とした畑は、カラマツに囲まれるようになり、いつしかバスもカラマツ林の中を行くようになって、徐々に山道へと入るようになってきた。周囲は白樺の原生林となり、それはだんだんだんだんと深くなって、カーブを切る回数も増えてきた。そのうち周囲には松の木が多くなり、枝ぶりが知床峠で見たように方向に偏りが見られるようになってきて、高度が上がりつつあるということが感じられるようになると、間もなく右手に牧草地が現れるようになってきた。つまり、クマザサとか背丈の低い草原に囲まれるようになり、もしかしたら牧草地のようなものというよりは、切り開いたあとの荒れ地だったのかもしれない。植林されたのか、か細い木が規則正しく整列している所もある。周りを覆う木がなくなり、この辺り、美幌高原の起伏の様子がとてもよくわかるようになってきた。そんなどこまでも広大な風景の中、バスは美幌峠に着いた。ここでバスは二十分ほど停車し、観光の時間ということになったので、他の乗客がそうしているように私も、峠の展望台に登ってみることにした。
バス停の周囲には、ありがちな土産物屋がにぎやかで、広場からは細いけれども階段状の立派な遊歩道が丘の上へ続く。人は多いのだろうが、それを包み込む風景が雄大なので、ごみごみとした感じはなく、空気はあくまでもさわやかだ。展望台は中腹と頂上にあるが、眺めは断然頂上がよい。そこからは三百六十度の展望が開け、かなり遠くの方を囲む山並みもそれはきれいだが、眼下にその姿を現した屈斜路湖も一望のもとにできる。真ん中に大きな島を浮かべ、周りを山に囲まれた中に静かに水を貯えている……それでもさらに大きく見える。峠から降りていく道は、背丈の低い木の生える斜面をぐねぐね下っている。大きなトラックでさえ、まるでミニカーのようだ。連なる斜面からは、パラグライダーでふわりと飛び上がる人もいる。こんな広々とした風景の中、鳥のように浮かんでいるのは、さぞ気持ちよいのではあるまいか……。様々な空想にふけりつつ、私はしばらく、柵に寄りかかったままになっていた。
広場に戻った所にある土産物屋には、クマザサ入りソフトクリームが売られていた。このあたりでは山を覆い尽くして余りあるほどメジャーに見られるクマザサだが、それを食するとなるとどんな感じがするのだろう。興味をそそられるものがあったけれど、人が集まる所だけに混んでいて、バスの時間もあり私はパスせざるを得なかった。残念。
バスに戻ると、間もなく発車となった。クマザサの生い茂る峠道を、バスは今度は屈斜路湖の方へ下がっていく。屈斜路湖は阿寒で最大の湖で透明度も高く、マリゴケという珍しい苔も発生するという案内がある。降りるにつれ、周囲のクマザサは、フキ、そして背の高い原生林へと変化していった。この辺りはカツラの木が多いという。よくわからないが、何かがねじれているのがその木で、言われてから探すとなるほどたくさん生えているのがわかる。このカツラでアイヌは丸木船を作っていたのだという。丸木船しか交通手段のなかった時代が、この地にはあったのである。クマゲラがアイヌに丸木船の作り方を教えた、という伝説もあるのだそうだ。間もなく周囲にはまた畑も見られるようになり、あるいはプリンスホテルのテニスコートのようなものも現れ、元のような田園、農村の風景へ戻っていくのに、そう時間はかからなかった。
バスは和琴半島にさしかかると、半島の中へ入っていった。ここではさっきのような休憩は取られなかったが、歩いても四十分で一周できるという。原生林の中、湖畔をのんびり散策するのも悪くなかろう。もしまた来ることがあったら歩いてみたいものだ。それにしても遠くの空に、雲が低く立ちこめていたのが気になった。天気がもってくれることを祈りつつ、私はまたバスに身を任せた。
バスは砂湯方面へ進路を取った。湖面と同じ高さをバスは走っていき、古丹という集落を過ぎると、バスは原生林の中へと入っていく。そして湖側の林の中に色とりどりのテントが見えるようになると、間もなくバスは屈斜路湖岸の観光スポットである砂湯へ到着した。ここでバスは五十分停車するので、昼食の時間にもちょうどよい。
とりあえず、ちょうど腹が減ってきたので、私は食糧を調達することにした。しかし、一目湖の方を見ただけでも人が多いということがわかるほどにぎやかな観光地で、時間的に昼であることは全員に共通なのだから、当然食堂は混んでいた。それよりは、クッシーの鎮座する広場の中、ベンチに座って、広々と横たわる湖でも眺めながらのんびり喰うのが得策である。たまたまバスの中で、この辺り特産のジャガイモの話をしていて、食べたいなと思ったところにちょうど揚げじゃがを売っており、それとフランクと牛乳を買い込み、私は空いているベンチに席を取った。なんてことのないものだが、とてもおいしかった気がした。
ここが砂湯と言われる所以として、ここの砂浜は手で掘っても温泉が湧いてくる。実際にそうしてみたら、本当にじわりと温かいお湯が湧いてきたので、私は思わず感動してしまった。こんなふうに地面の近くに暖かいものがあるおかげで、湖水も生ぬるいくらいの暖かさがある。それゆえ人々が湖水と戯れるには格好のスポットとなっていて、女満別のような、強く息づいているのどかさがあるわけではない。しかしみんな楽しそうで、子供たちが遊ぶ姿もほほえましく眺めていることができる。ここも、見るだけよりは遊んでいく所なのだろう。
ここの温泉は飲むこともでき、適応症に熱射病の予防というものもある。私のような旅を続ける者には格好のものだと思い、私は試しに一口飲んでみた。生ぬるい感じがした。五十七〜八度だという。その時、私は売店でカップラーメンを見つけた。もしかしたら……とは思ったが、ふつう五十七度でカップラーメンはおいしくはできない。これはたぶんキャンプ客用だろう。
時間が長めだったので、私はだいぶのんびり過ごすことができた。広々とした湖に浮かぶ楽しげな子供の姿を楽しむこともできたし、貴重な体験もできたし、食べ物もうまかったし言うことはない。しかしあいにく暑さを感じるほどの陽気で、外にいても煙草が吸えるわけでもなかったようなので、私は少し早めにバスに戻り、涼むことにした。
バスは再び発車すると、また原生林の中を進んでいった。林越しにちらちらと見える湖もまたすばらしくきれいなものだ。この湖は温泉のせいで冬も凍らないため、鶴の格好の繁殖地となるという。冬にはきっと装いを一変した湖の姿が見られるのだろう。その姿も見てみたいような気も、私はしていた。
いつの間にか湖を離れると、原生林が突然途切れ、バスは川湯温泉の温泉街へ入って行くが、バスターミナルのある、少し離れた通りの坂道を登る所では、バスは再びシラカバやナナカマドの原生林をかき分けていく。この辺り、原生林の中に慎ましやかに人間の営みがあるかのような感じがする。バスターミナルをあとにすると、目前に、はげた変わった色の山が現れた。茶色の中にちりばめられた硫黄色の部分からは、たくさんの蒸気が噴き出している。この山はアトサヌプリ、「裸の山」という意味で、硫黄山とも呼ばれているという。周囲は白樺が立ち枯れ、ハイマツや背の低い草で覆われ、荒涼とした風景が、そこに広がっている。
山の麓でまた二十分ほどの時間が取られた。バスから出たとたんに、硫化水素の臭い、そして水蒸気による熱風が辺りに立ちこめ、今まで訪れた場所とはだいぶ雰囲気が違うということを、私は肌で感じることになった。所々赤茶色の酸化鉄や黄色い硫黄の染みついた、何の生気も感じられない白い河原のような岩場を登っていくと、水蒸気の噴気孔があった。ゆで卵のできるほど熱い蒸気が、しゅーしゅーと大きな音を立て、勢いよく力強く吹き出している。大地は黄色に染まり、湯気が辺りを覆う。後ろを振り返ると、山麓の草原が一面に広がっていた。立ち枯れたシラカバを覆うようにハイマツが広がり、さらにその隙間に背の低い草が敷き詰められている。それはまさに、荒涼とした大地であった。鬱蒼として清楚な原生林とは、明らかに違う。これは実に、自然というものの持つ厳しい側面なのである。
バスは再び発車すると、間もなく元の安らぎを与えてくれる原生林の中へと戻っていった。その中に少しばかり開けた集落のある川湯温泉の駅前で多くの客を乗せると、バスは線路を跨ぎ、しばらくしてまた山道を登るようになってきた。カーブを繰り返し、低く立ちこめた雲に今にも届かんとするかのように、バスは高度を上げていく。次に目指す摩周湖は、かなりの高台にあるらしい。雲間からの日射しはだんだん強くなり、木々の高さもだんだん低くなり、バスはだんだん谷間を見下ろすような体勢へとなっていく。摩周湖第三展望台を通過し、バスは山道をさらに進む。湖側はカルデラ壁に阻まれ何も見えないが、反対側の山並みの風景はそれは豪快で雄大だ。曇ってはいたけれど、近くの硫黄山あたりまではとてもきれいに見えていた。もしこれで霧が晴れていたなら、ここにもすばらしい景観が広がっていたのだろう。このあたりに生えるダケカンバは曲がりくねっている。気候の関係でまっすぐ伸びることができないらしい。これも自然の厳しい一面ということになるのだろうか。そのうちバスはカルデラ壁を登りつめ、バスからの摩周湖の青い水面が、林越しにかいま見られるようになってきた。展望台で、再びバスは十五分強の停車時間に入った。
摩周湖は、周りをカルデラ壁に囲まれ、北海道で今まで見てきた、広々として海ともつかない湖とは異質の、閉鎖的な湖であった。湖面は深い青色で、静かで、今まで感じていた熱気を吹き払わんばかりの冷たい風が、湖面を通って流れている。カルデラ壁にはダケカンバ、ナナカマド、イタヤカエデなどの原生林になっており、静かな雰囲気を演出している。流れ出す川もないのにきれいであるということは、地下水脈がたまたま地表に露出してできたものであると理解すればよいのだが、それにしてもこんな山の中に突然あるという湖自体、神秘的な存在であり、深い青色と、ぽつんと浮かぶ中の島が、神秘さに拍車をかける。霧の摩周ともいい、この時はそれでも全貌は見られたからましだったものの、うっすらとスクリーンをかけられたように見られたのも事実で、もし空が快晴だったらこの湖はどんな表情を見せてくれるのだろうかと、想像すればするほど、私にはこの風景がより神秘的に見えてきた。
摩周湖をあとにしたバスは、あとはひたすら坂道を下り、山道も抜け、再び牧草地や畑の広がる、イメージ的に北海道らしい風景、あまりに広々とした農村の中へと回帰していった。しかし低く立ちこめる雲は山だけの話ではなかったようで、山を下りた頃から、雨がぽつりぽつりとしてきた。バスの行く道はだんだん細くなり、やがてバスは弟子屈の市街地へと入りこんでいった。
その市街地の中心部にあるバスターミナルで、私は今日いろいろきれいなものを見せてもらったバスに別れを告げ、郵便局で金を下ろしつつ、摩周駅まで歩いていった。街自体はそこそこの規模のあるもので、温泉があれば人も集まるのかなといった感じであったが、行き着いた駅があまりにぎやかな感じがしないのは、その位置が中心からやや外れていたからなのか。駅前は広々として見え、太いしかし短い道筋には土産物屋なども並んではいたが、あまり活気は私には感じられない。列車が上りも下りもしばらくなかったということも、そう感じた一つの原因かもしれない。私は駅のベンチに座って、友人への残暑見舞いを書いていたり、あるいは駅前にあるAコープをのぞいてみたりして、列車までの長い時間をつぶしていた。天気はもう良くはならないかもしれないと思わざるを得ないほど、どんよりとしてきた。
時は夕刻にさしかかり、私はようやくやってきた上りの列車に乗り込んだ。疲れから眠気がきて記憶は断続的なのではあるが、風景は相変わらず、原生林だったり、畑だったりしていた。五十石付近では、牛が牧草を食む場面もあれば、全く未開の原野の広がる場面もあった。そして、茅沼を過ぎた右側の車窓には湿原が広がり、この辺りまでくると、一面が背丈の低い草原という場面も珍しくなくなってきた。あるいは原生林になりかけのような背の低い木で地表が覆われるような場面、そして所々に沼も現れるようになり、車窓には自然の風景の成長過程というものが目の当たりになってきた。
列車は釧路湿原という駅に着き、私はここで途中下車することにした。駅は十七時をもって既に店じまいになっていたが、鍵のかかった駅舎の中を覗いてみると、どうやら私が数日前に訪れた原生花園駅と同じような営業をしているらしかった。臨時駅だけあって周囲には、家もなければ店もない。湿原の中に突然作ったものであるから、そんなものはない方が当然である。ただ目の前の小さい湿原に、水が流れる音がこだまする。音源はそれしかないから、なおのこと大きな音であるように聞こえてくる。空は、雲の切れ間から、赤みを帯びた太陽がのぞくようになっていて、ひょっとしたら釧路湿原で評判の夕陽が見えるかもしれないという期待が持てるようになってきた。そして、明らかに今までからの変化としてとらえられたのが、気温だった。さすがに釧路は涼しい。さっきの美幌の三十一度がうそのように感じられる。
細岡展望台という湿原の展望台が近くにあり、それは遊歩道をたどっていけば行けるという。無人の駅舎に荷物を置きざることに危険を感じたので、私は重いザックも連れていくことにしたが、階段状の坂道を登っていくのはかなりこたえる。距離は大してなかったけれど、急な道をようやく登りつめた所に、その細岡展望台があった。
そこからの眺めは、まさに雄大であった。輝いて流れる川を中心に、両側に黄緑色が広がっている。あくまでも平らに、一面に広がる。展望台の一番前に立つと、まるで鳥になったかのように、私は自然の中に浮かんでいるかのような気がしてきた。一部分、こんもりと盛り上がった深緑色の丘陵がせり出している。この丘陵はこの湿原が海の底にあったころからの陸地であり、その突端は、海に突き出す陸地の突端と同じように、岬と呼ばれているという。人工建造物は、今立っている展望台だけと言っていい。人を寄せつけない湿地が、その作用で自らを守り、雄大な景色を造り出している。対面方向の山の高さも、丘程度で大したことはなく、西を向いているこの展望台からの夕陽が評判になるのも、私はうなずけるような気がした。あいにくその方向は雲に覆われていたけれど、次の列車まで一時間以上あるので、意外とたくさん集っているライダーらしき人たちとともに、私もそれまで少し粘ってみることにした。
粘っているうちに、辺りはだんだん薄暗くなり、風もさらに涼しくなってきた。太陽の方向の雲の厚みも、残念ながら増しているようだ。まずこれでは夕陽をのぞむのは無理と私には見えた。ことごとく天気にはついていない。でもこれだけ雄大なものを見ることができたのだから、私は今日のところはこれでよしとしてよいような気がしてきた。今日の旅はきれいなものばかり見られ、なんと内容の濃いものになったことか。出だしはこけてしまったが、結果的には、あれでよかったような気もしてきた。
結局夕陽は見られなさそうだったので、私はあきらめて駅に戻ることにした。途中、煙草も吸いたかったので、ビジターセンターに寄り道して、少し大回りしていくことにした。ビジターセンターはもう少しで閉まろうとするところだったが、駐在のおじさんは優しい人で、声もかけてくれたし説明もしてくれたし、居心地のよい所だった。駅に戻ると、ホームでは、今まで展望台の上にいた人たちだろうか、案外たくさんの人が列車を待っていた。なるほど、次の列車は上下込みで最終となるのである。恐らくみんな、夕陽目当てでこの地を訪れたのだろう。そういう人は多かろうに、駅を閉めることもないんじゃないかと私は思った。周囲には何もないから至って静かで、列車が近づいてくると、それがまだ遠くにいてもすぐわかる。音が聞こえてから少し長めの間のあと、強いライトをつけた列車がやってきた。単行ではあったが、そのわりにはすいているようだった。私も列車に乗り込み、暗闇の中、釧路駅へ向かった。
釧路駅に着き、駅で夕食を取ったあと、私は夜の釧路の市街を散歩してみた。この前こういう時間の釧路にやはり来た時は、何か祭りのようなものをやっていて、夜でも明るい街だという印象を受けていたが、祭りをやっているわけでもない今でも、明るさは変わりない。ただ、辺りは静かだった。明るいということとにぎやかであるということの間に、相関があるとは限らないらしい。昨日すすきのを見ているので、比較してこちらの車の少なさが目につく。そして、駅から離れていくにつれ、その静けさの度合いは上がっていく。街道は明るくても、開いている店は少ない。
駅から一キロほど北大通りを下っていくと、観光スポットにもなっている幣舞橋がある。道を歩いているぶんには、それは何でもない橋でしかない。この橋の脇には、川原に降りられるような階段道ができていて、その下は小公園様になっていた。そこから見られた橋は、きれいにライトアップされ、夜の釧路を実にロマンチックに演出していた。そして漂う潮の香りは、そんなロマンチックな気分を一層強調するものだった。釧路って案外、いい街かもしれない……。
あとはこの前と同じように、私はおおぞら十四号の列に加わり、そして改札開始とともに席を取った。走らなくても席は取れるということはわかっているのに、ついつい走り込んでしまうのは群集心理ということなのだろうか。再び夜行列車の人となった私の隣の席には、「ちょっととなり街まで」と断っておじさんが座ってきた。彼が話し好きだったせいで、話は弾んだ。車内を見た彼は、「若い人ばっかりだなー」とか「俺も旅したいなー」とかしきりに言っていた。彼も昔はよく……それこそ今乗り合わせている若者と同じように、よく旅をしたそうだ。船に乗っている方らしく、今でも仕事半分、観光半分で旅に出ることはあるそうだが、昔のようにはいかないといい、さんざん羨ましがられてしまった。彼は、「楽しい旅を!」と言い残し、次の停車駅の白糠で去っていった。釧路の「隣町」白糠まではだいたい二十分、運賃は四百七十円、私の実家付近では、例えば上野〜柏間に相当する。北海道では「隣」という言葉が意味する距離が我々の感覚と大幅に異なるという話は、どうやら、本当らしい。