0.プロローグ(8.1) / 1.函館(8.2) / 2.旭川・富良野(8.3) / 3.知床(8.4) / 4.標津・野付半島(8.5) / 5.支笏湖(8.6) / 6.小清水・網走(8.7) / 7.サロマ湖(8.8) / 8.札幌(8.9) / 9.屈斜路湖・摩周湖・釧路湿原(8.10) / 10.室蘭・昭和新山・洞爺湖(8.11) / 11.稚内(8.12) / 12.利尻(8.13) / 13.礼文(8.14) / 14.サロベツ(8.15) / 15.根室(8.16) / 16.新冠・襟裳岬(8.17) / 17.厚岸・霧多布(8.18) / 18.阿寒湖(8.19) / 19.札沼線・深名線(8.20) / 20.大雪山黒岳・層雲峡(8.21) / 21.小樽(8.22) / 22.積丹(8.23) / 23.函館・大沼(8.24) / 24.エピローグ(8.25-26)
私は再び朝の札幌に降り立った。私のような旅のスタイルでは何度も朝の札幌にお世話になることは致し方ない。私は自然と、朝の札幌駅の構内の活動パターンも把握できるようになった。例えば、朝構内のキヨスクには六時半ごろに調理パンの類が入荷する、といった具合に。しかし今日は六時三十二分の列車に乗ることにしたので、朝食は駅前のローソンにお世話になることになった。
六時三十二分の列車というのは、千歳線の各駅停車である。今日は日高線沿いに南下して、襟裳岬まで行く作戦を実行することにしたのだ。朝の千歳線は何回か通ったが、今日は私は各駅停車でゆっくりと行くことになった。平和付近で函館本線を分けるために登る高架からは、広がるニュータウンの姿が一望にでき、そしてその向こうの森林公園の中には何かの塔が立っている。ほんの一瞬、車窓には案外見られる風景が展開するが、上野幌まで来ると、辺りは雑木林に包まれるようになった。空はだんだん曇ってきた。よく見るとアスファルトが濡れていて、一雨あったらしいということもわかる。昨日、一昨日といい天気だっただけになおさら、日高の天気が気になってくる。ほんの少しうとうとしたら、苫小牧にはすぐに着いた。外には雨がぱらつき、空気も冷たい。
苫小牧から、私は日高線の旅人となった。乗った車輌は座席定員が少なく、山側の椅子は二人が対面する「お見合い席」あるいは「ラブラブシート」とでも言ってやりたいタイプである。私はそっちに座らざるを得なかった。でも山側なら、日高の馬たちをより近くで見ることができそうな気もして、私は楽しみにもなった。しかし天気は相変わらず。
列車は苫小牧の市街を抜けると、海にもほど近い、沼や川の点在する湿地帯、そしてオレンジ色のクロユリの咲き誇る草原を進むようになった。荒涼とした北海道らしい風景は、ここにもある。時たま生えている樹木もそれほどの高さはなく、森林としては未成熟であることを示している。空は曇っているが、山側の遠くの方には時々山脈の影がかいま見える。海側には港や、黒い炭のようなものを山積みにした工場も現れるけれど、この辺り、基本的に草原の風景が続いていく。車窓には、至ってのんびりした風景が展開していく。防風林にでもするつもりか、木の柵の中に大量の松の木が植林されているのも見られる。松の木が大きくなったら、この景観もまたひと味違ったものになってくれそうな気がする。
鵡川、汐見を過ぎると、列車の左側は丘陵となり、右側はぐっと海に近づいていった。今日は天気がいまいちのせいか、海には昨日見られたような青さは感じられず、むしろ泥臭い色をしている。
富川を過ぎた辺りから、車窓にはぼちぼち馬の姿が見られるようになってきた。広い牧場が柵で仕切られ、その中に、たくさんの、そしていろいろな馬が放牧されている。大きいのや小さいの、栗毛やこげ茶色や白など、馬と一言で言ってもいろいろなものがいるものだ。親子で草を食む姿に、私はとても愛おしいものを感じた。そして目の前には、海が広がる。潮風を全身に受けて育つ名馬たち、これからどんな活躍を見せてくれるのだろうか。進んでいくにつれ、並行する道路には、牧場の入口を示す看板が増えてきた。
日高門別を過ぎると、しばらく列車は崖っぷちを走っていく。海には案外高い波が逆巻いて押し寄せている。相変わらず泥臭い色だが、岸から遠くの方ほど青くなっていて、きれいにも見える。山側の崖には地層が露出し、地下水がしみ出している。そしてしばらく行くとまた車窓は牧場の風景に戻り、また崖と海の風景に戻りという繰り返しになっていった。清畠の露頭には地層が斜めに走り、その中のいくつかの層には貝殻らしきものが詰まっているのもわかる。それはこの土地が海底から隆起したものであることを示し、長い年月の間の自然作用のスケールの大きさも感じられる。斜面は背の低い草で覆われている。
馬の牧場が特に多く、サラブレッドのふるさとともいわれる新冠に、私は降り立った。名前はよく聞く所だが、そのわりには駅舎は待合室のみの小ささで、私には意外だった。駅舎には有線のBGMが流れるが、それがよけいに寂しさを呼んでいる。タクシーしか足がないのに駅前にタクシーがいるわけでもない。外には霧のような雨が降り、風も強く吹いている。
スーパーの建つ駅前から、住宅地や学校のそばを通り抜け、私は線路に並走する幹線道路を歩いていった。市街も大して大きくないようで、川を渡ると完全に途切れ、辺りは森林に沿うのどかな風景に包まれるようになった。バス路線もあるにはあるが、駅前には入ってこないし、本数も多くないらしい。道端には「オグリキャップ六百メートル」という看板が立っていた。私でも名前を聞いたことのあるくらい有名な馬もここにいるんだな、と思いながら、森の中歩みを進めていくと、やがて森は途切れ、高台から、団地のようにたくさん並ぶ広々とした牧場を見下ろせるようになった。そこに、「サラブレッド銀座駐車公園」という広場があった。駅からは三十分くらい歩いた所で、名前の通りサラブレッド銀座への観光客のための駐車場なのだが、そこは白樺の幹を模した柵で囲まれた展望台のようになっていて、ここからサラブレッド銀座と呼ばれる牧場街を見渡すことができるようになっていた。天気があまりよくなくて、見えることになっている日高山脈までは望めなかったけれど、谷間に広がる広大な牧草地に、たくさんのサラブレッドたちがのんびりと草を食む、のどかな風景がそこに展開している。
私は例の「オグリキャップ」の看板に従って進路を取った。あの地点から六百メートルならそんなに遠くではないはずだから、行ってみるかと思ったのである。私自身馬歴は長くなく、はまっているわけでもないし、オグリキャップが記憶に残っているせいぜいの範囲だ。周りの友達が馬に興味を持ちだしそういう話をするようになったころに活躍した馬であり、また旅に出る前に友人に誘われて見た映画「学校」に、夜間中学の生徒のイノさんが、好きだったオグリキャップの走りを熱くクラスメートに語るシーンがあったということも、私には思い出されていた。
案内に従って、私は起伏はあるがまっすぐまっすぐ続く道を進んでいった。馬も人に慣れているのか、車道に首をせり出して道端の草までも食おうとし、私から手の届きそうな所にまでやってくる。こうやって間近に馬を見つめたことはあまりなかったと思うが、テレビなどではわかりにくいけどよく見るとやっぱり、たくましい足を持っているものだ、と私は思った。
そんな牧場の中を通る道を行き、公園から十五分くらいで、優駿スタリオンステーションという牧場に私はたどり着いた。そこにはレストハウスがあって、「オグリキャップの歌」なる曲や、オグリキャップが活躍したラジオの実況が流され、雰囲気を盛り上げている。しかし中に人がそう多いわけではなく、私は展示してあるものをゆっくり楽しむことができた。目当てのオグリキャップは、外の牧場の柵に囲まれた中にいるらしい。その柵の前にはさすがに人だかりができていた。私はまた聞きして知っているだけだから、その馬に対する印象も記憶も薄かったが、周りの人がしゃべっていることから、ああ、あのグレーの馬がそうか、と学習した。オグリキャップは柵の中で、人間から離れたサイドにぽつんと立ち、あまり動くこともなく、何を思っているのか、物思いに耽るようにじっとして、ぴくりともしない。お前はこの柵の中で、本当に何を思っているのか……。かつて活躍した馬だろうが、これから活躍する馬だろうが、この広々とした新冠の牧場に来れば、みんなのんびりできて、さぞいいものだろう。そしてそこに集まる人間も、そうなのではあるまいか。同じ牧場にはミニチュアホースというものも飼われている。確かに小さくかわいげはあるが、立派な馬である。
私はまた牧場の間の道をゆっくりと歩き、来た道を引き返した。さっきの駐車公園からはサラブレッド銀座だけでなく、別の方角に新冠の街の様子もうかがえる。海岸近くにわりと密集したせせこましい街を、両側から海に向かって伸びる緑の丘陵が挟んでいる。公園の北側は泥火山帯になり、全体が牧草で覆われ、そこでも馬が草を食んでいる。そして泥火山帯から連続する丘陵は海沿いの線路まで続き、森林で覆われる。この森の中に、判官館森林公園なるものがあるという。そんなのどかな風景の中を駅に向かって歩きながら私は、将来この地で教師をやるのも悪くないかも知れないな、などという考え方さえ持つようになっていた。街中のコンビニで弁当を買い、明日の宿を阿寒湖にとって、私は駅の待合室で昼食を取りつつ、列車を待った。天気は一向に変化しない。
私はやってきた下りの列車に乗り込んだ。列車は引き続き、牧場の中や、海とさまざまな地層を見せる崖にはさまれた狭い場所を、交互に進んでいった。隣の静内という駅で、列車はしばらく休憩する。券売機の調子がどうも悪いらしく、「暑さでまいっちゃってるんだよ」と駅員さんと観光案内のおばちゃんが話している。今日は天気のせいで、長袖を着ていてもそんなに暑さを感じないが、猛暑はこの地でも例外ではないらしい。
東静内を過ぎると、列車は雑木林や、その隙間に広がる狭い湿地を通るようになった。車窓も山がちになり、いくつかトンネルも通過する。海が左側の前方に見えたかと思うと、そこに広がる街に向かってカーブを切り、そしてまた、もとの風景に戻っていく。馬は列車から手の届きそうな所にいるし、林の中に入れば、手の届くところに雨に濡れたクマザサの葉がある。そしてそんな風景と交互に、水田の広がる風景も現れるようになってきた。だいぶ穂も垂れ下がっている。去年はひどかったが、今年は豊作だろう。
浦河は日高支庁所在地であり、車窓からも割合大都市であるかのように私にはうかがえた。街道沿いに広範囲に家々が立ち並び、しばらくとぎれとぎれに街の風景が続く。しかし駅はそのわりには小さい。日高幌別駅には観光バスがいくつかいて、鉄道マニアとも思えない、「ジャパネスク」のワッペンをつけた、けっこう歳のいったバス客がなぜかホームで列車にカメラを向けている。どういうツアーなのだろうと思ったが、この駅舎は駅と郵便局とレストランが同居しているそうで、恐らくここで昼食だったのだろう。
崖と海の間に列車と道路と家々がひしめく風景はしばらく続き、列車はまた山の中へ入っていった。線路端のあちこちに黄色いキク科の花が咲き、丘陵の隙間を埋めるように湿地が存在する。そして時々開けた土地には馬が放牧されている。そんな風景が終点の直前まで続き、そして列車は多少開けた街の中へと入って、終点の様似に到着した。天気は全く変化せず、左の方に見える日高の山々も雲をかぶったままになっている。
私は引き続き、駅前から接続するバスに乗ってさらに南を目指した。とりあえず今まで乗ったバスと違いJRバスで、周遊券が効くので財布の心配はしなくてよい。少しばかり広がる市街地を出ると、バスはすぐに崖っぷちの海岸へ出て、後ろに何か陸繋島のようなものを見ながらひたすら進んでいくようになった。車窓には時々集落が現れる。その一つは冬島といい、網走の二ツ岩のように海岸に突然立つ岩塊が恐らく地名の由来なのだろう。これをシンボルとするかのように港が開け、その周りに小さな集落ができている。
バスはひたすら、決してまっすぐではない海岸道路を進んでいく。山側には常に崖がそそり立ち、そのくぼみには滝の落ちる所もある。列車が様似で足止めを食らっているのは、こういう険しい地形であるということがその理由の一つになっているのかもしれない。道路際に広がる海には所々、カモメの群れる高い岩が立ち、荒い波が時々道路にまで押し寄せる。そのうち車窓の前方にはだんだん、海に滑り込むような陸地の突端も見えるようになってきた。
笛舞の漁港を過ぎると、風景から険しさはなくなった。列車から見られたような、牧場ののどかな風景も広がるようになった。道路を行く限り、建物の姿も途切れることはないようだ。そしてえりも駅を経て、一段とにぎやかなえりもの中心街へバスは入っていった。駅の隣には岬公園というものがある。何のことはない、古い灯台が一つ、でんとある広場である。
わりと大きいえりもの市街を抜け、歌別の辺りまで来ると、バスは高台に登っていき、車窓は海を見下ろすような感じになった。すぐ脇にそびえる山には霧がかかり、その手前の丘では馬が草を食む。のどかな風景がまた広がる。馬にしては太った感じのがいるなと思ってよく見てみると、角があった。馬ではなく牛だったらしい。そして辺りは次第に、緑色で覆われた丘以外には何もない世界になってきた。せいぜい小さな漁港に広がる街があるくらいで、本当に、よく聞く歌の歌詞のように、何もない荒涼とした風景の中を進み、バスはようやく、小ぎれいなえりも岬バス停にたどり着いた。バスから降りた時、私は外の風が冷たいのを感じた。
さすがに観光地で、そこにはレストハウスと駐車場が完備されていた。もちろん遊歩道も完備される。ふと目に入った出店に、私はつぶ貝の串焼きを見つけた。北海道の観光地で時々見かける、潮の香りを辺りに振りまくそのシンプルな料理を、これが食いたかったのだよとばかり私は買い求めた。串焼きをくわえながら、草原に囲まれた遊歩道の階段道を少し歩けば、灯台を経てすぐに展望台があった。
そこは、襟裳岬の全貌を目にすることのできる場所だった。冷たい風の吹きすさぶ襟裳岬。遠くは霧で霞み、水平線は当然のように見えない。高く切り立つ断崖は海へ深く切れ込み、それでも足りんとばかり、その先の海に点々と岩を従え、広い海の中、陸から続く線の上に波がしぶきを上げている。強い風と波の音が、風景の険しさを一層引き立てている。この岬にはゼニガタアザラシがいるという。ここはその生息の南限だそうだ。言われて見れば遠くの岩の方に、それらしき楕円形の米粒のようなものがあるように見える。そこいらで飛んでいるカモメではないのかとも思えるが、横で百円望遠鏡をのぞくカップルが、「ほら、いるよ」と話をしているから、きっと本当にいるのだろう。私も、普段はあまりしないのだが望遠鏡に百円を投じて見てみた。確かに岩の上にはアザラシがいる。「岩と同じ色をしているよ」とカップルが楽しそうに話をしていたけれどその通りで、岩の上に何匹も、岩と同じ色の楕円形のアザラシが体を横たえているのを、私はレンズの中に見ることができたのである。それは私にとって、貴重な体験となった。
私はさらに、岬の先端を目指した。さっきの展望台から、下の方にもう一つ展望台があるのはわかったが、そこへ進むとそこからさらに下へ行ける道があった。昆布干し場の横を通り、下へ下へと歩いていくと、私はついに、道がもうなくなる所まで到達した。さすがにここに来るほど定観の客には時間はないらしく、ここまで降りてきた人はごく少数だった。ここまで来ると、カモメやアザラシの独壇場である岩場しか前方には見えず、後ろに続く道以外にはもう海しかない。海の中には波に揺らめく昆布が見える。冷たい海風は強く吹きつけ、東からの波はさらに強い。漁船は軽快に岩の間を通り抜けていくけれど、波はそれでも荒い。冷たく厳しく、そして寂しい岬の雰囲気が、そこには確かにあった。
レストハウスへ引き返しているうちに、ガスはみるみる濃くなってきた。上の展望台に戻っても、さっきあれほどはっきり見えた岩々はもはや全然見えなくなってきた。ここまで戻れば観光客はわんさといるけれど、裏腹に灯台からは霧笛が、とてももの悲しく響く。さっきまで見えていた風景は、いったいどこへ行ってしまったのだろう。さっきも決して天気は良くなかったけれど、荒々しい岬の風景、そこに住むアザラシ達、見ることができたというだけでも、幸せだったということなのだろうか。それは、まさに劇的な天候の変化だった。霧の襟裳岬もまたいいものなのかもしれないけれど、それが見せる表情は全く違う。霧は煙状になって、岬から丘の上の駐車場へ降りかかってくる。もう一度岬に出ても、状況はもうもとには戻りそうにはなかった。
バスの時間まではだいぶあったが、どこかへ行くにしても遠いし、行ったところでこの天気では仕方がないので、私はレストハウスから外に出ることなく時間をつぶしていた。突然知らない人が、「学芸大学ですか?」と声をかけてきた。彼らは私のことを学内で見たことがあったそうである。私の出で立ちは知らない人にも強烈な印象を与えていたらしい。ふと目にとまったクマザサ茶を、そういえば美幌峠にクマザサソフトクリームがあったななどと思いながら、私は買って飲んでみた。一面にびっしりと生えているクマザサがお茶になるとは知らなかったが、くせもなく割合普通の味だったような気がする。
売店の並びにある観光案内所には、襟裳岬の植物や、ゼニガタアザラシの生態について、そして、いったんは失われかけた自然を見事に復活させた足跡についての展示がかなり詳しかった。いったん過度の伐採と放牧で失われた自然、その結果の襟裳砂漠を、襟裳式工法という方法で植林し、復活した軌跡には興味深いものがあった。ここは風が強いので、種をまいても根づきにくい。そこで、まいた種の上からゴタという雑海藻で覆うと、種は飛ばないし肥料にもなる。すばらしいアイデアが今の緑豊かなこの自然を守った、ということがよくわかる展示だった。
夕刻にさしかかった頃、私は広尾行きのバスに乗った。来た道を戻ると宿を確保できないおそれがあり、どうせなら来たことがない道を行こうと私は思ったのである。バスは濃霧の中を進んで行った。岬市街を抜けると、レストハウスで学んだ、植林されたという林の脇をバスは通っていく。確かに木々の背丈は、原生林に比べて低い。そのため、原生林の鬱蒼とした雰囲気はあまり感じられず、むしろ草原のように広々とした雰囲気を私は感じた。その広々とした中のまっすぐな街を、バスは走っていく。
人工林地帯を抜け、牧場の中を行くようになると、時々右手には砂浜も見えてくるようになった。何かいわくのあるらしい、百人浜である。襟裳は東海岸は西海岸と違い、砂丘の続く海岸となっているという。百人浜を過ぎると、バスは海沿いへと出ていく。岩場も時々あるが、確かに西海岸と比べればなだらかで、そっちで常に見られた険しさはここにはあまり感じられない。しかし、波が強く押し寄せるのは相変わらずだ。
庶野という集落を抜けると、バスは「黄金道路」へと入っていった。それまでとは一転して、西海岸も顔負けの切り立つ高い崖の下、ごつごつした岩場の海を見ながら、カーブ、トンネル、覆道の繰り返される道をバスは進むようになった。岩場のために波の荒々しさは助長されているようだ。霧の深さも相変わらずで、そんな無理やり通したような道をバスは進んでいく。バス停はあったとしても、数えられるほどの家しかない小さな集落のためのもので、バスはほとんど停まらずすっ飛ばしていく。オンコの沢と名のつくトンネル、第二、第一覆道が続く。どれがそのオンコの沢なのか、私は注意して車窓を見てみた。水が流れていそうなくぼみは確かにいくつか見られるが、どれも大した流量はない。結局私は、それがどこかなのはわからずじまいになった。
その後も似たような風景が、車窓には続いていく。霧がかかってもともと薄暗かったが、辺りはだんだん暗さを増していった。ちょっとうとうとしている間に、険しい黄金道路は終わり、バスは広尾の市街へ入っていった。ここまで来れば道幅も広いし、かつての鉄道の終点だけあって、車窓はけっこうにぎやかそうに見える。そんな街の中を少し進み、恐らく昔のままの姿で駅舎が建つ広場へ、バスは到着した。
昔のままの姿の駅舎とはいっても、標津のように廃墟と化しているという意味ではなく、きれいに手入れが行き届いている。駅舎の中はバスの待合室として使われているのだが、それはまさに広尾駅なのだ。出札口は乗り入れる十勝バスの切符売り場として使われ、キヨスクも観光案内所として使われている。プラットホームには客車とディーゼルカーが錆びつきながらも残され、広尾線時代の面影を残す工夫が随所に感じられる。しかもきれいに保たれ、未だにバスの待合室として使われているのだから、駅にとっては本望なのではあるまいか。ただし時刻表には着発する列車は一本も記されておらず、少しの寂しさを誘っている。広尾線といえば廃止される前に、愛国から幸福行きの切符がブームになったことがあった。今もちゃっかり十勝バスが引き継いで、ここで販売している。最も値段は当時の倍になっていたが。
食糧を調達するために、私は夕方の暗くなってきた街へ出た。バス通りからは確かに大きな街であるように見えたが、それは帯広へ向かう国道沿いであり、駅前は厚床ほどではないもののかなり寂れ、この時間では真っ暗に近い。コンビニも明るい国道沿いにしかなかった。弁当を買い、駅に戻って食べ、私はバスの発車を待った。駅舎内には広尾線の資料室もあったが、電気は消されている。時間が遅いからだろう。暇なのでのぞいてみたが、稚内や中標津で見たものとレベル的には変わらないように私には見受けられた。どうやらかの幸福切符ブームの時、やはり広尾線の新生から大樹行きの切符もよく売れたらしい。十勝バスでも作れないことはないはずだが、こっちの方は引き継がれてないらしかった。
辺りは夜になった。まっすぐの道に沿ってまっすぐ連なる街路灯は霧の中に浮かび、その風景は幻想的でさえあった。そんな風景の中、バスは帯広へ向けて出発する。本当は昼間に旅してみたいのだが、今回は宿を確保する手段なのでやむを得ない。街路灯や、ナイター設備のあるグラウンドの灯りが霧によって拡散するおかげで、しばらくはだいぶ明るい風景が展開するが、広尾の市街を出ると、バスはわずかな灯りを頼りに闇夜を走るのみの存在となった。信号はあっても点滅式で、この辺りの夜の交通量を物語っている。線路が消えても「跨線橋」は残っているらしく、さすが北海道と思えるそんなひたすらまっすぐな道を、バスはひたすら走っていく。昼間だったらどんなふうに見えるのだろうと想像しつつ、私はリクライニングシートを倒した。どうせ夜で何も見えないのだし、のんびり行くしかないのだ。
新生という集落を経て、バスはいったん国道から離れ、大樹駅へ寄り道をした。この駅舎も広尾と同様、よく残されている。しかも客車が何両も置かれ、ライダーハウスとして使われているようだ。実に、駅がきちんとしているということは、街もそれなりの規模があることを示しており、ここも明るく大きな街であるようだった。忠類には「ナウマン象記念館」なるものがあるらしく、私は興味を引かれた。いつになるかわからないがもう一度来る機会があれば、ぜひ立ち寄ってみたいものだ。
それにしてもバス停の名前は画一的なものが続く。途中で「幸福」や「大正本町」が挟まるが、「大正二十号」から、数字が几帳面に一個一個減っていく。こんなバス停、誰か使う人がいるんだろうかと思えるほど、辺りは真っ暗。そんな闇の中を、相変わらずバスはすっ飛ばす。そんなのばっかりなのに嫌気がさしてきたころ、「愛国入口」から「愛国」に入り、次が「川西」だったからいい加減大正ともおさらばかと思うと今度は「川西八号」……。
そんなことをしているうちに、前方の空は明るくなってきた。時間的にも終点が近いことがわかる。几帳面に「川西」が「0号」まで続くと、道幅はぐんと広くなり、中央分離帯には街路灯が点り、パチンコ屋のネオンライトも現れ、バスは次第に明るい帯広市街に飲み込まれていく。街の中に入っても道はあくまでまっすぐで、信号の灯りも一直線に乗っている。それらが一斉に青になり、黄色になり、赤になるさまは圧巻でさえあった。今度は「大通りn丁目」が始まり、nが一ずつ減っていく。そしてようやく跨線橋を跨ぐと、駅が視界に入ってきた。今通ってきた道に時々広がる集落のような街とは明らかに異質な、相当大きい帯広の街の中心へバスは入り込み、ようやく終点の帯広駅前バスタッチへ到着となった。
地図上では碁盤状の道路に対して斜めに線路が突っ切る形になっているが、駅前から街を眺めると道は斜めに広がって進んでおり、それだけ広がりを持って見える。ただ、夜でも明るい釧路のような華やかさは、全くないわけではないが、ここではそこほどは感じられない。駅に貼ってあったチラシによれば、幸福駅はだいぶ原状をとどめていて、定観の周遊コースにも組み込まれているらしい。後日高校の後輩が、国鉄の地紋の愛国から幸福行き切符を見せてくれた。しかし日付は平成五年。聞けば彼はこの幸福駅に行き、ここで買ったのだそうだ。すっかり観光地になってしまったらしい。
意外とおいしいよつ葉のフルーツ牛乳を飲みながら、私は新得行きの最終列車を待った。帯広で待っていてもいいのだが、夜行列車に乗っている時間を長くして長く寝るには、列車の起点側にできるだけ上っていった方がよいわけである。待っている間に下りのおおぞらがやってきた。これに乗って、東釧路辺りに忍び込んで駅寝という手もあるにはあるが、私は普通の旅人を装うことにした。やってきた車輌には、七七七という番号がついていて、幸運を感じさせてくれたが、新得へ移動する間、完全に私は寝ていた。新得では駅員が起こしてくれた。
新得駅はきれいだった。駅前にはやじろべえのモニュメントがある。何でもこの新得という街には、北海道の重心があるのだという。それにしても外は寒い。乗るつもりの列車まで三時間半あってあまりに暇なので、私は駅前通りをふらついていたが、まさかこの時期に煙草のせいでなく吐く息が白くなるとは思ってもみなかった。駅前をふらついてみても、開いている店は小さな居酒屋くらい。独りで入る勇気もなく、私は駅に引き返した。昼間は知らないけど、夜の新得は本当に静かだ。ソファーがあって一晩でも楽に過ごせそうな待合室で横になったら、あっという間に列車の発車時間になっていた。時にして深夜二時半。私は下りのおおぞらに乗り込んだ。自由席はこの日から一両に戻り、席はそこそこ埋まっていたが、一個しかなかった空席をめでたく取ることができ、私はすぐ、眠りに就いた。