0.プロローグ(8.1) / 1.函館(8.2) / 2.旭川・富良野(8.3) / 3.知床(8.4) / 4.標津・野付半島(8.5) / 5.支笏湖(8.6) / 6.小清水・網走(8.7) / 7.サロマ湖(8.8) / 8.札幌(8.9) / 9.屈斜路湖・摩周湖・釧路湿原(8.10) / 10.室蘭・昭和新山・洞爺湖(8.11) / 11.稚内(8.12) / 12.利尻(8.13) / 13.礼文(8.14) / 14.サロベツ(8.15) / 15.根室(8.16) / 16.新冠・襟裳岬(8.17) / 17.厚岸・霧多布(8.18) / 18.阿寒湖(8.19) / 19.札沼線・深名線(8.20) / 20.大雪山黒岳・層雲峡(8.21) / 21.小樽(8.22) / 22.積丹(8.23) / 23.函館・大沼(8.24) / 24.エピローグ(8.25-26)
私は朝の釧路駅に降り立った。ここからはすぐに根室行きの快速列車が接続する。今日はとにかく東を目指すことにしたので、私も快速はなさき号に席を取った。釧路での時間は七分あって、充分朝食を手に入れることも可能だが、高い駅弁を朝っぱらだからといって嫌うと、構内にはそば屋の類はないので食いっぱぐれることになる。実際、そうなった。それにしてもやはり、風がひんやりとしている。道東もやっぱり、涼しい。
釧路を通るのは私はこれで三度目だが、朝は初めてである。夜全く見えなかった景色が、車窓に展開する。市街の風景が朝の光を浴びて鮮明に車窓に広がり、きらきらと輝いてさえいる。釧網線を草原の中に分け、市街を抜けると、ヨシが茂り、ぽつりぽつりと樹木の存在する湿原地帯へと進み、やがて原生林も現れるようになってきた。湿原、牧草地、原生林、ごくたまに集落、道北と同じように大自然を感じることのできる風景の中、列車はひたすら東を目指していく。
厚岸に近づくと、列車は海辺に出た。この海は厚岸湾で、対岸に伸びる砂州に向かって架かる大きな橋も見える。網の干される海岸に寄する波は、天気のせいか内海であるせいか、あくまで緩やかだ。そして列車は、比較的大きそうな厚岸の市街地へ進んでいく。厚岸駅で禁煙区間は終了ということだ。さっそく車内のあちこちで煙が立ち始めた。
列車はしばらく、首の長い水鳥が群れる湾岸を走っていく。水面は朝日を反射し、きらめいている。市街地はとうに途切れ、寄り添っていた湾はそのうち湿地へと変化していった。広大な緑の大地を、川の流れが、時にはまっすぐ時には蛇行しながら貫いている。広々としていて何もない、という意味での北海道らしい風景を、ここでも見ることができる。まさに、「荒涼とした」という表現がよく似合う風景だ。
そしてまた、いくつかの林を抜け、車窓に時々広がる牧場には、放牧されている牛の姿も見られるようになってきた。間もなく列車は厚床に着く。厚床には前にも来て、バスから上りの列車に乗り換えたが、駅舎ばかりきれいで何もない所だった。人口より牛の数の方が多いというのは、この辺りのことなのだろう。「おーいおーい北海道……」なんて歌いたくなるような風景が、車窓に展開していく。そしてまた続いていく、ミズナラやエゾマツ、カラマツ、トドマツの林。何とも遠くへ来たという旅情をそそるもので、逆にうらさみしい風景であるようにも感じられてくる。こんな所で列車から放り出されたら、まず人には会えないだろう。会えるのは、牛か、キツネか、はたまた熊か……。一瞬透き通った青さのすがすがしい海と接することはあっても、ひたすら荒涼なだだっ広い草原の風景が、車窓には続いていく。入り江の向こうに伸びる断崖は、ある所ですとんと切れ、その先は荒い岩場になっている。落石岬であろうか。
根室が近づいてくると、車窓には鬱蒼とした風景はより少なくなり、広く牧場が広がる場面が多くなってきた。右手には、何か島のようなものが浮かぶ海が広がり、左手には遠くの方に風蓮湖らしきものが何とか見える。いよいよ東端も近い。そして列車は最東端の東根室駅をあっさりと通過し、海に面して広がる大きな根室の街へと突入していった。駅にはこの列車の折り返しの便を待っているのか、改札口から長い人の列ができていた。
駅前のバスターミナルを見てみたら、納沙布岬行きのバスがすぐにあるようだったので、私はそれに乗り、まず行くところまで行ってしまおうということにした。バスは発車すると、広い通りが縦横に走る根室の街の中を走っていく。さすがに最前線の都市だけあって、市役所やいろいろな所に「島を返せ!」の文字や、キリル文字の看板が見られる。ロシア人の来訪が多くなったといつかニュースで言っていたけれど、その時の映像が、まさにそのまま車窓に展開している。そういえば、やはり最前線の都市である稚内にも、確かにロシア語の看板はあった。
やがてバスは市街を抜け、所々小さな沼が散らばる湿地帯を通り、バスは根室半島の先端を目指して進んでいくようになった。海岸にも近く、延びている半島の、とりあえず先端に見える辺りの沖合かなり近い所に、島が二つと岩礁多数が浮かんでいる。まさかあれが北方領土ではあるまいか、などと私は思ってしまった。そうだとしたらスコトンからトド島くらいの近さしかないが、案の定それは北方領土などではなく、バスはやがて方角を変えて、その島を横目にしてさらに進んでいった。アナウンスされる地名も、地の果てに近づくにつれユニークなものになってきた。トモシリという地名があり、「友知」という字を当てているようだ。もちろん当て字なのだが、この感じに意味があるとすれば、事実上の「国境」の街にふさわしい名前といえやしまいか。フラリ(婦羅理)という地名もあり、旅人には響きがよい。のちに図書館学の演習課題でこの地名の由来を調べる機会があった。「フラリモイ」で「臭気のある沼」という意味らしい。
歯舞を過ぎ、珸瑶瑁辺りまでやってくると、左の方の雲間に、国後と思われる山が見え隠れするようになってきた。右の方には平たい島もいくつか見えるようになってきた。灯台も見えてきたし、今度こそ本当らしい。草原の中にある、今のところ最東の小学校、珸瑶瑁小学校を通り過ぎ、黄色や紫や白の花の咲く草原の間を縫うように、岬の灯台……あるいは笹川良一の建てた「平和の塔」……をめがけて、バスは走っていった。
バスの終点は小公園になっていて、橋の欄干のように柵の立つ海岸があった。私はその欄干にもたれかかり、目前に広がる海を眺めた。バスから見えた平たい島々はやはり北方領土だった。よく晴れ、きれいな深い青色の海が目前に広がっている。そしてすぐ近くに平たい島がいくつか浮かぶ。遠くの方にはうっすらと国後島の山並みも見ることができる。最近はビザなし渡航とかもはやりだけれども、こんなに近いのに自由に行けないというところに、私は国という概念のナンセンスさを感じた。海から岬に吹きつける風はとても冷たく、長袖シャツを着ていてよかったと私は思った。水は青くてきれいだけれども、多少、例えばスコトンで見た透き通った海に比べれば濁っているようにも見える。
礼文に泊まった時、スコトンの語源は積丹と同じく「シャスコタン」、「夏の集落」という意味だと聞いた。北方領土の中の色丹島の語源も、本当は「大きい島」という意味らしいが、響きが似ているし、これらと同じという説がひょっとしたらあるかもしれない。オホーツクと太平洋の接する潮目でよい漁場であることは間違いない。そういう所だからこそ、国境紛争も起こってしまうのだろう。時折沖合を船が行き交う。漁船か警備艇かはわからない。BGMに、どこかで聴いたことのある歌が流れてくる。そうだ、標津の北方領土館で流れていたのと同じ歌だ。
同じ歌が流れてくればやっていることも大体同じで、ここにも標津にあったような「望郷館」という施設があった。そこの二階からはやはり標津と同じように、望遠鏡で島を眺めることができる。ここからは歯舞諸島が至近なので、その姿はよく見える。そこに立つ灯台、沖を飛ぶカモメの姿までが、くっきりと見えてきた。
辺りに軒を連ねる売店では、花咲ガニと貝殻島の昆布が大流行だ。ここもあまり突端ということを感じさせない、むしろ外国との接点としての国境の雰囲気を私は感じさせられたものだった。そういう所を潮風に吹かれてさすらうのも、また悪くない気が私にはする。今度来る時には、金持ちになってカニでも食いに来よう、と私は思った。
私は駅へ戻るバスに乗り、来た道をとにかく引き返した。白や紫の花の咲く原野の向こうには、牛が放牧されている。視界の限り丘陵のようなものはなく、国後の山が霞みながらもよく見える。ここにも「北海道らしい」風景は確かにあった。
ところで、ハボマイやトモシリや、スコトンまたはシャコタンのように、北海道の地名には、全く同じか似たようなものが他にあることが多い。語源は恐らくどれをとっても、その土地を説明する言葉だろう。思うに、アイヌだけで暮らしが成立していたころは、土地に固有名詞など必要なかったのではあるまいか。往来も限られていただろうし、もちろん交差点などというものもなかっただろう。その場所を特定しなければならない理由がないのだ。地名という概念自体、和人が持ち込んだものなのであるということを、地名を聞いて外国みたいだと思う前に思ってみるとよいのかもしれない。
やがてバスは再びロシア語の看板の立つ市街地へ戻っていった。私はロシア語を学んだことはないが、キリルアルファベットはギリシャ文字から派生したものだからそれから類推すれば読むことくらいはできる、ということは知っていた。とりあえず、Хоккайдоは「北海道」、Нзмуроは「根室」、これくらいなら私にでもわかった。
バスから降り、私は駅前を少し歩いてみた。本当の市街の中心は少し離れているのだが、駅前にもカニ屋はたくさん立っていて、一人前千から千五百円も出せば、店の中や前の所のテーブルでむさぼることもできるようだ。せっかくだから奮発してみようかとも思ったが、港まで行ったらもう少し安くなるかなという期待もあり、また車石というものも見てみたかったので、私は花咲港へ向かうことにし、再びバスターミナルから違う便のバスに乗り込んだ。バスはオホーツク側の根室港に背を向け、疎らだが家並みの続く通りを行く。線路も割合近く、さらにその向こうには牧場が広がり、風景はまたのどかな風景へと回帰していった。
車石入口というバス停は、花咲港にも近いらしく、丘の上にあたるこの辺りからも、坂の下に広がる港の様子がかいま見える。車石へ向かい、私はここから分岐する道を歩いていった。丘の上に位置する小さな街並からはしばしば、海を抱え込む花咲港や、その周りに広がる市街が一望のもとになり、そしてその周りにのどかな牧場の風景が広がる。日射しも強くなり、私はさすがに羽織っている長袖シャツを脱がざるを得なくなった。やがて丘の上の家並みも途切れ、道の周りには黄色や紫の花の咲く野原が広がるようになってきた。そしてそのうち、道の両側、そして前方に海原が広がってきた。気のせいか、さっき行った納沙布よりも、こっちの方がよほど、私には突端の情が感じられる。
その道はしまいには下る階段になり、その下の岩場の海岸に、車石はあった。車石というのは専門的に言えば、枕状節理である。冷えた溶岩に亀裂の入る柱状節理のバージョンアップで、冷却と押し上げが同時に起こった結果、亀裂の入った岩が放射状に広がってできるのだそうだ。写真で見た印象よりもずいぶん小さく見えたけれども、自然のなせる見事な技であることは間違いない。この辺りの岩は節理が発達し、角張っている。そしてその角張った岩々に向かって、荒波は高くしぶきを上げる。少し裏手に回ると、小さいけれどもちゃんと放射状になっている、いわば小さな車石がたくさん、崖面に貼りついているのが見られる。岸壁だけでなく、海に浮かぶ岩も車石になっていて、その上にはカモメが群れる。そして、奇岩に打ち寄せる海は、どこまでも青い……。便がいいわけではないから、騒がしさはさほどない。ここも、自然の威力というものを感じつつ、静かに見るのがよいかもしれない、と私は思った。海風はやはり冷たい。しかしそこに広がる光景は美しく、私は何度も何度も見入ってしまった。遊歩道や駐車場が工事中で、必ずしも全貌を見られたわけではないのが残念だが、こういうのができて便利になって、静けさが失われたとしたら、私はそれもいやな気がする。
来た道を戻り、左へ道を入ると下り坂になり、私は突然神社の境内に入った。花咲金比羅神社だそうだ。なるほど、海の街には海の神様というわけである。その階段を下りきると、そこが花咲港だった。丘の上からも見えていたけれども大きな船が何艘も浮かび、クレーンなどが立ち並んで、かなりものものしい港らしい雰囲気を作り出している。しかしお盆のせいか、昼時だったせいか、私にはそんなににぎわっているようには見えなかった。カニを扱う店も何軒かあるようだったが、どうも値札の見えないものを食う勇気が、私には起きなかった。貧乏学生という身分では、やむを得まいか。
花咲港はまさにロシアとの交流の最前線である。ロシアの貨物船がたくさんここに寄港するらしく、街にはキリルアルファベットがあふれている。小さな商店、案内センター、バスの停留所、そしてバスの車内にまでも。運賃表のところにはТарнфとある。ロシア語でも「タリフ」らしい。実際バスにもロシア人のカップルが乗っていた。英語ならまだしも、ロシア語がしゃべれる運転手など、まだ相当珍しいのではあるまいか。運転手さんもたじろいでいた。
花咲港始発のバスは、坂を登ってさっきの車石入口を通り、そして来た道を戻っていった。駅では停まってくれるものとばかり思ってボタンを押さずにいたら、このバスは市内線で、終点は駅ではなかった。まあいいやと思ってそのまま乗っていると、納沙布岬行きのバスでも通った、この辺りにしては大きい商店のファミリーデパート前という所で停まったので、私も平静を装って一緒に降りた。「ファミリーデパート」は、マークからいって恐らくニチイの系列である。私でもよく知っているスーパーとそう変わるものではない。ただ、店内にロシア人が多いことを除けば。
私は平静を装って駅へ歩いた。日本語、ロシア語で北方領土返還を主張する根室支庁、市役所の並ぶ官庁街を、私は進んでいった。市役所の隣に、ときわ台公園という児童公園があり、そこには黄色い、小さい展望台があった。どう見ても子供用なのだが、恥を忍んで私は登ってみた。登ってみても大して見晴らしはよくないが、それでも国後の島影は確認できる。おそらくはそのために、つまり子供に国後島の存在を確認させるために建てたものなのだろう、という意図が私には感じられた。
駅前に戻り、私は結局、ここで奮発して、花咲ガニをむさぼることになった。真っ赤でとげとげの花咲ガニ相手に、はさみで殻を切り刻み、カニフォークで身をほじくり出しと、私は慣れない作業に悪戦苦闘した。めんどくさかったけれど、カニは淡泊でおいしかった。素材の味を大事にするのが北海道流というが、素材そのものがおいしいものが取れるからこそ、そういう考え方も生まれてくるのだろう。そんなふうに真っ赤な花咲ガニ相手に格闘しているうちに、秘かに私が心の中で考えていた、最東端の駅攻略作戦など、どうでもよくなっていた。根室の街の思い出として、岬の北方領土の風景、ロシア語の看板、車石のユニークな風景、カニのおいしさというのがそろっただけで、私には充分なような気がしてきた。
私はこの旅に出るにあたって、金は貯めてあるからいらないと言ったにも関わらず、しかも二回も小遣いをくれた親に、花咲ガニを送ってやることにした。両親も春に北海道には行っていたが、パックツアーで根室には来ていなかったらしいので、いい土産になったような気がする。カニ屋のおばさんに「独り旅いいねえ」と声をかけられた。私は笑ってごまかすしかなかったが、彼女は今までに私のような旅人を何人も見てきているのだろう。ひょっとしたら彼女にも、そういう時代があったりするのだろうか……。「次はどっちへ行くの」と訊かれ、明日のことは詳しくは考えてなかった私は何と言おうかと思ったが、「釧路の方へ行こうと……」と、とりあえず間違いではないことを答えた。
私は今度はうわさに聞く落石岬を訪れてみることにした。従って列車に乗るため、私は駅に戻った。直行するバスもなければ落石駅からのバスなんてものもなく、一時間くらい歩いていかなければならないといい、それだけに、見られるものはさぞすばらしいんではなかろうかという予感がしたのである。根室駅の記念スタンプには「朝日がいちばん早い納沙布岬の街」とある。まさにここは国のとっぱずれなのである。ついでに「カニのおいしい街」であると思うのだが、それは花咲駅に譲るのかな。
花咲線の列車は二両で入ってきたが、切り離され、時間をずらして一両ずつ折り返していくようだった。列車は発車すると、住宅街の裏手へ回っていく。最東端の東根室駅は高台にあった。もし下手に攻略していたら、列車の便の悪い地域のこと、身動き取れなくなっていたかもしれない。東根室を出ると、列車はさっきバスで通った道に並行して進み、左手に車石方面の海を望む。花咲駅からはさっき訪れた花咲港の姿も、遠くにではあるが確かに見える。さっき駅に戻る時、この駅に出ようかと思ったのも事実である。見る限りこの辺りはどこでも、車石の辺りのように、海岸線が海に切り立っている。
そして列車は、来た道ののどかな風景の中を引き返していった。荒れ地か畑の中を、エゾシカの家族が突然横切っていくというシーンも車窓には展開し、乗客の注目を集めていた。野生の熊とかキツネとかをここに来て十五日にもなるのにまだ見ていなかったので、私にはそういううれしさも感じられた。昆布盛を過ぎると、左側に広がる海の向こうに、切り立つ断崖が見えてきた。あの先に、これから目指す落石岬がある。私は落石駅で下車した。
降り立った落石駅は、待合室だけの駅だった。駅前通りにわずかな家並みがある他は、周りには草原、その向こうに雑木林。ここも、何もない駅だった。コインロッカーだの荷物預かり所だの、そういうしゃれたものはない。しかし歩く旅に私の荷物は重かったので、私は書き置きしてザックを待合室に置いていくことにした。
駅を出て、「落石三キロ」という道路標識に従い、私はひたすら道道を歩いていった。海からの風は強く、寒いくらいだ。どんなにかんかん照りでも、日陰がかなり涼しいのが道東である。私はひたすら、雑木林に囲われた道道を、四の五の言わず延々と歩いた。道にはしばらくは線路も並走する。間もなく、お盆のように平らだけど高さのある半島、そしてそれに囲まれる青い海、さらに入り江に造られた港町が崖下に見られるようになった。ちょうど上空から街を見るような感じになり、よい眺めが広がった。その半島へつながる道を目指し、私はさらに歩みを進めた。途中で、疲れ切って駅に戻る少年たちとすれ違った。彼らもきっと岬を目指したのだろう。先はまだまだ厳しそうだ。
やがて道の右側にも海が見え、私は半島に入ったことを知った。すると道道は下り坂になり、さっき見下ろした漁港まで高度を下げていった。見た感じ花咲港と同じようなものものしさがあったが、やっぱりお盆のせいか、ひっそりしている。でも商店も何軒か住宅地の間に軒を連ね、港が活動していれば案外にぎやかな街になるかもしれない、という期待はできる。いずれにせよここが駅前よりにぎやかであることに、疑いの余地はなかった。
道道は住宅地の裏を回り込み、岬の探索道につながって再び登り坂になった。つまり列車から見てお盆のように見えた平たい半島は陸繋島、つまり陸と砂州でつながれた島なのであって、自然条件によっては島だった可能性もあるのである。坂を登りきり、「島」に完全に入ると、落石港とその周りの街が、さっきとは違った角度のパノラマになって広がった。道の両側には白や黄色や紫の花咲く緑色の草原となる。そしてしばらくすると車止めがあって、そこから先は人間しか入れないようになっていった。何台か止まっている車がある。逆に、普通は車でここまで来てここから歩いていくものなのだろう。
車止めを越え、私はさらに歩みを進めた。入っていくと、ぼろぼろに朽ちたコンクリートの建物があった。無線送信所の跡だそうだ。黒ずんだコンクリートは、今にも崩れそうな廃墟のように気味悪く存在する。これが最後の人工建造物で、あとは原野や原生林が続くのみになった。サカイツツジの群生地というのがここにあるという。サカイツツジは、南限が樺太だと思われていたのにこの地に飛び地的に自生しているという珍しいものらしい。エゾマツの根元の水苔の上に生えるとされ、初夏に赤紫色の花をつけるというが、時機を逸してしまったようで、どれがそれなのかは私にはよくわからなかった。そこからは湿原となり、私は造られていた木道を歩いていった。看板が示すように、腐りかけていて、歩くたびにぐらぐらとし、スリリングだ。倒れかかるヨシをかき分けながら、私はエゾマツの林の中を進んでいった。ナラやナナカマドも混じる原生林で、足下にはミズバショウの巨大な葉も見られる、深い森の中をひたすら進んで行く。ようやく森を抜けるとまた草原が広がり、木道も終わり、そして、青く広がる海が目前に広がった。その突端に、灯台があった。駅から一時間十五分、私はようやく落石岬にたどり着いたのである。
灯台の下は断崖になっているが、普通ありがちな柵のようなものはない。落ちたければ落ちることも可能だ。こんな所までやって来る物好きは少ないようで、辺りは至って静かだ。静かとは無音であるという意味ではなく、岩に押し寄せる波の音と風の音、そして草木がなびく音だけが支配する静寂な世界が、そこには広がっていた。後ろを振り向いても草原、その向こうに深い緑を呈する森林が広がるだけ。前を見れば崖の下に、深く青い海が、水平線いっぱいに広がる。ここでも私は突端の旅情を充分に感じることができた。一時間以上も歩いてきてよかった、と私はしみじみ感じた。列車の都合もあるし、そこそこの時間で私はこの岬を辞去したが、機会があれば……人生に挫折するようなことがあれば……また原生林を抜けてこの地を訪れてみたい。駅からここに来る一時間十五分の間に、その先へ進むかどうかを考えることだってできるはずだ……。
風はますます強くなり、空はよく晴れているのにかなり寒くなってきた。しかし海は、どこまでも濃く青かった。草原の中にはリンドウだろうか、紫色の筒状の花が揺れる。そんな中、長くなった私の影とともに、私はゆっくりゆっくりと帰路についた。原生林に入り、港町に戻り、道道に戻り、途中犬に吠えたてられたりしながら、多少時間と荷物のことを気にしつつ、行きと同じくらいの時間で私は歩いていった。既に夕刻にさしかかって、日は刻一刻と弱くなり、肌寒さも増していく。夕食の食糧など、店がないか、あってもお盆休みで調達できるわけもなく、この前同じスジの列車に乗った時に車販があったような気がするという頼りない記憶だけを信じてあきらめ、私は素直に駅に戻った。来る時置きざった荷物は、当然のように、駅の同じ場所に鎮座していた。
駅には「近距離切符はJR乗車券発売所で委託者が販売しております」とあった。必要だったわけではないが、私は一応駅前に細々と広がる商店を見て回った。しかしどこにもそのような気配は感じられない。港の付近はひょっとしたらにぎやかなのかもしれないが、この駅前にあるのは、確かに寂れた小さな街だった。列車がやってくるまで結局、駅には誰一人現れなかった。
やってきた上りの列車に私は乗り込んだ。車窓に広がっていたのは夕暮れの風景だった。列車はあっという間に落石岬の半島を通り過ぎ、海岸に躍り出て、そしてまた、大草原の風景の中を進むようになった。辺りが夜の闇に包まれるのに、そう時間はかからなかった。もはや車窓には何も見えない。私は明日のことを考えたり、今日納沙布でもらった北方領土の資料を見たりしながら、暇をつぶしていた。車販がいたというのはやはり幻だったらしい。しかし厚岸で十分間停まるのは変わっていなかった。駅に何かあるかなと思ったが、キヨスクは閉まっていた。道東の夜風はやっぱり寒く、自販で買ったのはホットミルクティーだった。東京では暑くてとてもこんなのは飲んでられないだろう。
列車は夜の釧路に着いた。上りのおおぞらに乗るのはこれで三度目となる。夕食は、昼が豪華だったのと、昨日みたいでなくうまいビールが飲みたかったのとで軽く済ませようと思い、私は駅のミスドに入った。しかし腹的には軽く済んでも、六百四十円払ったならコンビニじゃあ立派な弁当が買えたのにという後悔の念にも私はさいなまれることになった。ラジオのニュースに耳を傾けると、昨日北方領土の海で銃撃事件があったという。一見穏やかそうに見えたあの海であったが、まだまだ緊張せざるを得ない海でしか、ないらしい。
改札の前の列は長くなっていった。昨夜から今朝のおおぞらの自由席は増えて二両あったので、今日も二両であるという予想はついたが、駅の自動アナウンスや電光掲示は「自由席は前一両」を繰り返すばかりだった。そんなもんだから、自由席客は改札が始まると直ちに駆け出していく。しかし現実、その必要はなかった。文明の利器というのは、フレキシビリティーに欠けるらしい。こうして私は、いつものように、また夜行列車の客になったのだった。