0.プロローグ(8.1) / 1.函館(8.2) / 2.旭川・富良野(8.3) / 3.知床(8.4) / 4.標津・野付半島(8.5) / 5.支笏湖(8.6) / 6.小清水・網走(8.7) / 7.サロマ湖(8.8) / 8.札幌(8.9) / 9.屈斜路湖・摩周湖・釧路湿原(8.10) / 10.室蘭・昭和新山・洞爺湖(8.11) / 11.稚内(8.12) / 12.利尻(8.13) / 13.礼文(8.14) / 14.サロベツ(8.15) / 15.根室(8.16) / 16.新冠・襟裳岬(8.17) / 17.厚岸・霧多布(8.18) / 18.阿寒湖(8.19) / 19.札沼線・深名線(8.20) / 20.大雪山黒岳・層雲峡(8.21) / 21.小樽(8.22) / 22.積丹(8.23) / 23.函館・大沼(8.24) / 24.エピローグ(8.25-26)
一九九四年八月一日。その日は、九時を回っても三十度を切らない、猛暑の夜だった。私は重いザックを背負って家を去り、列車の人となった。
ザックの中には、長い旅に備える着替えなどの他に、一種異質なものを含んでいた。化学の教科書である。一ヶ月も経って九月になったら、私には教育実習という一大イベントが控えていた。教育実習には教師としてベストの状態で臨むのが本当だから、夏休みはそのための準備に充てたほうが本当はよいのである。しかし、来年になってしまうと、卒研やら就職やらで、到底自由な長旅など楽しむことはできないということがわかっていた。そんな私にとって、この年の夏休みは、そういう旅に出る最後のチャンスだった。旅の後に見えているものがわかっている以上、完全に自由な旅というものは、到底望むべくもないものであることはわかっていたが、日程は限られても、帰ってきたら一生懸命勉強しようということは、心に誓っていた。旅先で読むかどうかは別として、教科書は、それを忘れないための象徴だった。
私は北海道に向けて針路をとった。夏の北海道、気候は温暖で、景色も広々として、のんびりとできそうな北の大地、多くの自由でありたいと思う旅人の憧れの地とも言うべき北海道を、私は目指した。決まっていたことは、まず、花が終わらないうちに真っ先に前日テレビでやっていた富良野のラベンダー園を目指すことと、間に利礼両島を訪問するということだけだった。あとのことはその場で考えればよい。周遊券さえあれば泊まりはぐれても何とかなるのが北海道である。本来なら東京から周遊券を買っていくところであるが、この四月に実施された、突然の二十日から十四日間への有効期間短縮が、壁として立ちはだかってきたのである。許される期間いっぱい旅をしたかった私は、青森まで青春十八切符で普通列車を乗り継いで行く代わりに、十日間有効の青森発の周遊券を二枚買うことにした。
そういう事情があって、北海道への歩みは極めてのんびりしたものになった。ムーンライトに高崎から乗り、ひたすら日本海に沿って私は北を目指した。四年前の夏に東北を訪れるためにこの路線を通った時よりもさらにゆっくりとした歩みで、象潟の元多島海の風景など、その時よりもじっくりと眺めることができたなんていうのも、私にとっては皮肉な話であった。割合楽しんだように思えたその時でさえ、見残したものはたくさんあったのだということを感じた。高校を卒業するとき、後輩が色紙に、「常に道端の名もない花を観る余裕を持ってください」と書いてくれたのを思い出した。できるだけたくさんのものを、北海道で観てこよう。私はそう思った。
北上するにつれ、台風崩れの低気圧の勢力圏に入り、天気は悪くなってきた。そんな青森に着いたのは、家を出てから十七時間半経った午後の三時半であった。ようやく念願の周遊券を手に入れた私は、いよいよかというわくわくした気持ちで、津軽海峡線の列車に席を取った。外は依然として雨、風景も靄に煙ったまま。旅立ちとしては少し物悲しい。北海道の天気は、果たしてどうなっているのだろうか。