0.プロローグ(8.1) / 1.函館(8.2) / 2.旭川・富良野(8.3) / 3.知床(8.4) / 4.標津・野付半島(8.5) / 5.支笏湖(8.6) / 6.小清水・網走(8.7) / 7.サロマ湖(8.8) / 8.札幌(8.9) / 9.屈斜路湖・摩周湖・釧路湿原(8.10) / 10.室蘭・昭和新山・洞爺湖(8.11) / 11.稚内(8.12) / 12.利尻(8.13) / 13.礼文(8.14) / 14.サロベツ(8.15) / 15.根室(8.16) / 16.新冠・襟裳岬(8.17) / 17.厚岸・霧多布(8.18) / 18.阿寒湖(8.19) / 19.札沼線・深名線(8.20) / 20.大雪山黒岳・層雲峡(8.21) / 21.小樽(8.22) / 22.積丹(8.23) / 23.函館・大沼(8.24) / 24.エピローグ(8.25-26)
「あっ、晴れてる!」同室の人間の大声で、私は五時頃起こされることになった。外は確かに、昨日の大雨とはうって変わっての良い天気だ。まだ雲海は多く残っていたけれど、青空は確かにのぞき、外はすがすがしい朝の風景になっていた。ニュースによれば、昨日の雨は本土ではさらにすごかったらしく、上川、空知、留萌支庁管内ではかなりの被害だったという。しかし不安定な天気は午前中には終わるといい、今日は最近続いた陰鬱な旅からは解放されそうである。それにしても、私がいなくなろうとするといい天気になるのだから、むかついてしまう。この島ではスコトンの旅情も味わえたし、元地でめのうも拾ったし、私は一応楽しんだつもりにはなっていたが、一日天気のサイクルがずれてくれればと思うと残念でならない。
フェリーターミナルまで、YHで荷物は運んでもらえたが、人は多いので歩きということになった。まあそんなに遠くではないし、朝の散歩にはちょうどよい。港までの細い道を、傘を乾かしながら、私はゆっくりと歩いていった。雲間の青空はかなり大きくなり、昨日までと違って太陽の光も充分に届く。昆布干しをしている朝の浜辺ののどかな雰囲気の中、私はまだ目覚める前の街を歩いていった。
しかし街はのどかだったのに、フェリーターミナルは大混雑であった。稚内行きの船の改札を待つ列は、とぐろを巻かんばかりの長さになっていた。Uターンラッシュが始まったようだ。荷物を持ってきてくれたヘルパーに、お世話になりましたと私は声をかけた。彼は不思議そうな顔をしていた。彼は昨日フェリーターミナルに迎えに来ていたのと同じ人で、私が昨日の夕方この島に来たのだと信じていた可能性が充分にある。
列が長ければ大型船といえども中はかなりの混雑で、通路に、配布されたござを敷いて座らなければならないほどだった。行きと違ってのんびりゆったりとした船旅は、これでは無理だろう。だいたい行きと違って甲板もあまりゆったりとした造りでないのがおもしろくない。港ではバカYHの人間がギターをかき鳴らし、甲板の人もそれに呼応する。船には無数の紙テープが投げこまれ、埠頭も船も大騒ぎだ。
Uターンラッシュでは、どうやら別れは寂しいものという観念は通用しないらしい。
船はやや遅れて出航し、礼文をあとにした。行きの水平な姿と違って、利尻ほどではないけれど案外起伏のある礼文の全貌を見ることができたのは、私にとっては上出来の土産となった。礼文岳の姿も、なんとか見ることができた。しかし遠くの利尻の方は雲をすっぽりとかぶったままだ。
船は大海原を稚内へ向かう。島には雲がかかるが、空はだいぶ晴れてきた。海は太陽の光を反射してきらきらと光り、深い青色に見える。そのきれいさと言ったらまさに、表現のしようがない。行きの海が、空のせいでくすんで見えていただけに、海ってこんなに青かったんだ、と私は感激するしかなかった。風があるのか波があるのか、船はけっこう揺れている。こういう時は体の重い部分を低くして、小さくなっていた方がいいという話を聞いたことがあったので、私はその通りござの上で小さくなっていた。それでも軽い船酔いになってしまった。東京から沖縄へ、何回か、三日続きでフェリーに揺られたことのある友人が、上陸してからも地面が揺れているような感じがしばらくしていたと語ってくれたことがあった。私の船旅はほんの二時間だったが、それでも船酔いになるなんて、私は彼と一緒に船旅なんてできそうもないような気がする。彼がそれに出発する直前……それは雪の日だった……「揺れそうだしなあ……」と不安がっていた気持ちも、今の私には理解できる気がした。
稚内が近づくと、中は妙にあわただしくなってきた。船から見る今日の稚内も、この前と違い、百年記念塔までよく見渡せるほどで、雲はまだ多かったものの日射しも充分明るく、それはいい天気になっていた。そんなさわやかな日射しの中、下船した私はフェリーターミナルから駅までの道を、この前来たときのことを思い出しながら歩いていった。
次に稚内を出る列車は普通列車だったが、一日五本しかない普通列車を求める十八族のせいか、改札には長い列ができていた。サロベツ原野を目指すことにした私も、その列に加わった。今日から二枚目の周遊券の有効期間に入る。やがて改札が始まり、発車時間が近づくと、ホームには蛍の光のメロディーが流れ、誰を見送っているのかたくさんの自衛隊員が、発車に合わせて万歳の声を上げ始めた。まるでさっき見てきたフェリーターミナルのようなノリである。大きな都市なのに、疎らにしか外へ出ていく便がないという条件が、こういう現象を起こさせるのだろうか。ともあれ、最北という特別な意味のある街ではあったが、利礼含め、旅情を感じることのできる街だったと思う。天気のせいも、もしかしたらあるのかもしれないが……。進行方向の後ろ向きに席を取ると、最北端の線路、そしてその向こうの海は、列車が動くとともにだんだん遠ざかっていった。
列車は南稚内を過ぎると市街地から抜け、車窓にはクマザサやヨシの茂る緑色の中に、点々とエゾマツなどの樹木の深緑色が存在する風景が展開するようになった。こういう未開の原野が延々と続く風景も、ある意味北海道らしいといえる。今まで二日半くらい島にいたが、島には「広々としている」という意味の北海道らしさは存在しなかったので、それは私にとっては、久しぶりに見られた風景ということになる。やがて一瞬、右の車窓に日本海が広がった。今日の海の色は、本当に深く輝く、透明感のある青色でとてもきれいだ。車窓にはたまに牧場も現れる。緑色の野原の中に白黒の模様があるのはなんとも目立つが、動きが少ないだけにとてものんびりした風景を生み出している。抜海駅付近の海岸線一帯は天然お花畑と言わているそうだ。これだけ広々とした土地なら、花の季節の風景は相当なものだろう。兜沼駅に停まると、列車の右側にその兜沼が見える。沼の周囲は湿地化しており境界がぼかされていて、一体化しているのと同じように、広々とした感じがある。
徳満辺りから、列車はサロベツ原野の地帯へと入っていく。車窓に現れた原野の風景は、噂どおり本当に広々としている。丘陵はずっと遠くの方に見られるだけで、樹木もたまにあるだけ。視界を遮るものはなく、異様に広々と緑色が広がっているように見える。空は快晴とまではいかないが、こんな所をサイクリングするのはさぞ気持ちよかろう。そんな楽しみを感じながら、私は次の豊富で下車した。
豊富の駅前で自転車を借り、向かい風の中、私はサロベツ原野を目指した。いろいろな店のある商店街があってけっこう開けた豊富の街も、踏切を一つ渡ると途切れ、道の周りは牧場や荒れ地の風景へと変わっていった。その間を縫うように延びていた道もそのうち、しまいにはどこまでもまっすぐ延びるようになり、下手をすれば自転車でも居眠り運転しかねない雰囲気になった。しばらくは荒れ地とわずかな原生林、たまに農業関係の工場などが交互に現れ、最後の原生林を抜けると、私はついに、本当に一面何もない、ただ背丈の低い、葉の細長いイネ科の植物のようなものだけが地表を覆う、サロベツ原野の中に躍り出た。丘はあくまでも遥か遠くにしかなく、地平線まで何にも遮られない緑一色の所もある。そしてさらにその向こうには、霞んだ利尻がそびえている。今までいろいろな風景を見てきたが、ここまで「何もない」風景が今まであっただろうか。何に例えようもない、ただ、広い。海でもないのに視界の限り、同じ風景が広がっている。これこそが北海道の広さということなのか。
そんな原野の真ん中に、駐車場、バス停とともに建つレストハウスで、昼食を兼ねて私は休憩を取った。揚げいも、いも餅が人気の品ということで、私はいも餅を食べながらサロベツ産の牛乳を飲み、これが北海道の味なのだ、と感慨に耽っていた。レストハウスからは原野の中に無理やり作った木道が一周していて、原野に生える草に、より近づいてその姿を楽しむことができるようになっている。観光バスの客さえ避ければ、この広い原野、見渡す限り人影は私だけという状況も珍しくない。広範囲に巡る木道で、反対側を歩いている人影など無視できるほど小さくなってしまうのである。一見イネ科の植物で占められているように見えた原野だが、よく見るとかなりたくさんの種類の植物が生えていることがわかる。目立つのは、スベリヒユを巨大にしたような感じのや、杉の葉ほどの小さい、それらしい形のものなど。授業で覚えたてのネジバナも時々あって、一面緑の中に可憐なピンクを添えている。クマザサが生えている所もある。クマザサは地下水が少なくなった所に侵入して生えているのだという。つまり地下の様子の変化が、地上の植物の様子からわかるのである。これは興味深い現象だと私は思った。
レストハウスに戻り、私はさらに自転車で海を目指した。遠くに見えていた丘が近づいてくると、原野の縁に作られた牧場の風景が展開する用になった。乳腺の張った牛のたくさんいるのどかな牧場を横目に、時々立ち止まって写真を撮ったりなどしつつも、私は海を目指した。やがて道は丘にかかり、広々とした風景は途切れ、道は原生林の中へ入っていく。坂を登りきり、道が下り坂になるまでにそれほど時間はかからない。道は稚咲内の集落を貫いて延びていた。そして集落を抜けると、目前に海が広がった。両側には、幅は狭いけれど大草原がかなり遠くまで続いている。
道の終点は、日本海オロロンラインという街道に合流していた。この道の広々とのびやかなことといったら! 片側は海、片側は草原、視界はあくまで広々とし、こんなところで車を飛ばすことができたらどんなに気持ちいいだろう。海の向こうにはおぼろげだが堂々と利尻富士が立つ。朝に比べれば雲もだいぶ取れてきた。サロベツという所は本当に広々とし、心まで広々とさせてくれる。
レストハウスに自転車を置き、私はすぐ近くの海岸に出てみた。海岸は長く続く砂丘になっていて、稚咲内園地という囲まれた一角も含め、ハマナスなどが育っている。海風がとても強く、砂浜には絶えず波が押し寄せ、人の声もかき消さんばかりの大きな音をとどろかす。砂浜にはたくさんの貝殻が落ちていた。よく見てみると、穴あき貝も案外たくさんあるではないか。穴あき貝は、貝殻を溶かして中身を食べてしまう別の貝によって食べられてしまった貝の死骸であるという。礼文島のYHで、そういう貝がゴロタ浜にたくさんあると聞き、私は行けずに悔しい思いをしていたのだが、あると思っていなかった所にたくさんあったものだから、意外な発見とばかりうれしくなって、私は夢中で穴あき貝を拾い集めた。
サロベツ原野、そして稚咲内の海の風景に満足した私は、ひたすら、今来た道を、記憶の中の風景がそのまま巻き戻されていくのを感じながら、四、五十分かけて豊富の街へ戻った。レストハウスのいも餅だけでは持たなかったようで腹が減ってきたので、私は自転車を返す前に街の中で買い物をしていった。私が旅で携帯しているメモ帳の残りが少なくなったので、ついでに買おうとしたが、手頃なものが見あたらなくてあきらめて駅に戻った。わりあい楽しめたのに時間はわりあい余った。私は待合室に座り、街中で買った菓子で腹を満たし、時々駅前をうろうろしたり、あるいは煙草を吸ったりして、上りの列車を待っていた。これだけ晴れ上がったのに、Tシャツでは肌寒い。さすがは北国である。
私はやってきた旭川行きの急行礼文に乗った。稚内からここまで来た各駅停車と同じ型の列車がやってきて、本当に急行なんだろうかと思ってしまったが、とりあえず各駅停車ではなさそうだ。車窓からは西日が射し、広がる牧草地の向こうには精悍な利尻富士がそびえる。ひょっとしたら今日は夕陽がきれいなのかもしれない。下りの宗谷に乗って、ノシャップの夕陽を見に行った方がひょっとしたらよかったのかもしれないなあ、などと、乗ってしまってから私は後悔した。でものどかな風景の中、寝ながら行ける汽車旅は、どちらに向かったとしてものどかでいいなあ、などと思っていたら、私は本当に眠ってしまった。気がつくと天塩中川だった。車窓には雑木林に囲まれた畑が広がり、そして辺りには確実に、赤い夕暮れが訪れていた。
さらに進んで行くにつれ、風景は山がちになってきた。右側には天塩川だろうか、広く大きな川が沿う。もはやクマザサだけで覆われているには南過ぎ、ミズナラやカバノキなどが深い、林の風景が展開する。
音威子府に着く直前、列車の左側に沼のようなものが見えた。ここにも沼があるのかと思ったが、沼端の湿地のように見える部分は何かの畑のようにも見える。そして近くに流れる川のようなものをよく見ると、道路の中央線のペイントが見えるではないか。この川は実は道路で、ポンプ車が一生懸命排水作業をしている。そういえば列車も徐行している。昨日私を悩ませた雨はこの辺りではさらに広く洪水を巻き起こし、それがまだ復旧してないらしかった。朝のニュースで確かに被害が出たとは聞いたが、私がそれを目の当たりにするとは思ってもみなかった。川の水位は確かにまだ高く、河原は水浸しになっている。自然の猛威を感じずにはいられない。オトイネップという外国のような地名にうっとりとしている場合ではなかった。
そんな音威子府を過ぎても、車窓は相変わらず農村と原生林の繰り返しが続いた。美深の辺りでは稲作もされているようだ。途中の川では、なぎ倒された木が川の真ん中に沈んでいる風景も見られた。各所に大きな爪痕が残っているらしい。日はだんだん低くなり、雲を赤く染めるようになってきた。丘の向こうの雲は、燃えるような赤さをしている。やがて名寄まで来ると、西の空を除いて辺りは薄暗くなってきた。深名線への乗り換え案内の際、「昨日の大雨で、ダイヤが乱れている場合があります。お確かめください」とアナウンスがある。まさかどこかで寸断され、このまま廃止という流れではあるまいかと、充分あり得る話だけに、私には気になって聞こえた。辺りはだいぶ暗くなって、ふと西を見ると、西日が山の形をくっきりと映し出す、とても幻想的な風景になっていた。空はきれいになったが、あちこち爪痕が深く刻まれているらしいということも実感する旅となった。
日が暮れてしまえばやることはなくなる。こうしていると、ただ列車に乗っているだけって暇だな、と私は思えてきた。今日はサロベツですごいものが見られただけに、こんな時間はなおさら不毛だ。
列車はやがて、夜になった旭川に到着した。検札の時に、旭川から札幌行きに乗り換える人がいて、車掌が「三分しかないのでお急ぎください」と説明していたのが聞こえたので、多くの人がここで乗り換えたのだろう。私も一緒に、スーパーホワイトアローに乗り換えた。腹は減っていたが、弁当など買っている暇はなかった。札幌に着けば何でも食えるだろうと思い、私は我慢することにした。列車は夜の闇の中をひたすら進んでいく。スーパーがつくだけあって、椅子の座り心地は上々だ。間接照明も、しゃれている。
やがて私は札幌に着いた。明日は根室の方に行くことにしたので、私は初めて下りのおおぞらの列を取った。お盆休みのせいか、今まで見てきたより列が長いのを私は感じた。私はようやく夕食にもありつくことができ、また外のローソンで、豊富で手に入れられなかったメモ帳も手に入れることができた。動き回りながら、道北と札幌ではやはり気候が違うということを私は感じた。Tシャツでは寒かったはずが、こちらでは蒸し暑ささえ感じたのである。道中気になった深名線については、駅に掲示があった。朱鞠内から幌加内で鉄道、国道ともに不通、つまりどうしようもない状況だという。相当、すごかったらしい。
深夜になり、私は下りのおおぞらに席を取った。自由席が多客のせいか、普通一両のところ二両になっている。私にとっては数日ぶりの夜行列車となる。夜行列車の旅には欠かせない缶ビールだが、今日はどういうわけか飲み干すことができなかった。飯の直後のせいか、煙草の吸いすぎか……。でもよく眠った。