0.プロローグ(8.1) / 1.函館(8.2) / 2.旭川・富良野(8.3) / 3.知床(8.4) / 4.標津・野付半島(8.5) / 5.支笏湖(8.6) / 6.小清水・網走(8.7) / 7.サロマ湖(8.8) / 8.札幌(8.9) / 9.屈斜路湖・摩周湖・釧路湿原(8.10) / 10.室蘭・昭和新山・洞爺湖(8.11) / 11.稚内(8.12) / 12.利尻(8.13) / 13.礼文(8.14) / 14.サロベツ(8.15) / 15.根室(8.16) / 16.新冠・襟裳岬(8.17) / 17.厚岸・霧多布(8.18) / 18.阿寒湖(8.19) / 19.札沼線・深名線(8.20) / 20.大雪山黒岳・層雲峡(8.21) / 21.小樽(8.22) / 22.積丹(8.23) / 23.函館・大沼(8.24) / 24.エピローグ(8.25-26)
津軽海峡線の快速列車は降りしきる雨の中、北海道へと歩みを進めてゆく。快速列車とはいうものの、信号でちょくちょく停車し、しかも対向列車が遅れているとかで、そのたびに待たされる。この列車に乗ることができれば、まだ明るいうちに北海道へ感動の上陸をすることができるだろうと思っていたけれど、この状況では必然的に心配になってしまう。郷沢の辺りでようやく顔を見せてくれた海も、曇天のせいで不気味に光っている。ややうねりがあり、泥水のような海岸線の水は、気味悪くゆらゆらと揺れている。
席がちょうど埋まるくらいの客を乗せていた列車は、蟹田でその大多数を降ろしていった。仮にも北海道という、本州から見れば異郷へと向かう列車であり、本州を抜け切らぬ間にこんなに空いてしまうとは思っていなかったので、私は多少拍子抜けしてしまった。かまわず蟹田を出た列車はだんだん、山がちでトンネルの多い所へと進んでいく。青函トンネルに入る前にも、まるで前戯を楽しむかのように列車は短いトンネルに何度も出入りを繰り返し、今度こそはと思ってもすぐ明るいところに出てしまう。この列車にはトンネル内の現在位置を示す電光掲示がついていたけれど、商売上の宣伝文句を連ねるばかりで一向に反応がない。せめて、「まだです」「もう少しです」「いよいよです」などと表示してくれれば、洒落っ気もあって楽しいのだが……などと思っているうちに、列車は明るい所へ出るのをやめた。いよいよ青函トンネルへと突入である。
青函トンネルに入ってしまえば、列車はただ真っ暗闇をひたすら突進するだけになり、正直言って私は退屈だったが、表示器の赤ランプが次第に伸びていき、函館側に近づくにつれ、気分はなんだかわくわくとしてきた。長年夢見続けてきた北海道が、だんだん近づいている。トンネルを抜けたところに広がっているであろう北海道は、どんな姿を見せてくれるのだろうか……自然と想像も膨らんでくる。吉岡海底駅付近で、車窓にこれからの旅を想像させるように時計台やテレビ塔や丹頂のネオンサインが現れ、そして表示器はあと三キロ、二キロ、八五〇メートルとだんだん数字を小さくし、北海道はいよいよ秒読み段階となってきた。
やがて列車は、ついに念願の北海道へ上陸を果たした。薄暗くなりかけた周囲に点在する森林一帯にはもやがかかったように見え、それは一種幻想的でさえあった。先の方を見渡すことは、できない。何があるかわからない、厳格で不思議な大地、それが北海道というものの、本質なのかもしれない。初めての風景は、私にそんな印象を与えた。
未開の原野的なその風景は、木古内を出てから、海のそばを走り漁村の展開する風景へと変わっていった。ここには人々の普段の生活、日常というものが残っていそうな感じを私は受けた。辺りはだんだんと夜の風景へと変わっていく。海は夜見るものではないということは今までの経験からわかっていたのだが、しかし車窓に広がる風景は本当に静かで、厳かなものだった。
列車は函館に到着し、私はいよいよ北海道の大地に足跡を踏みつけた。列車から降りた時に、暑くないことに私は感動した。二十三度だという。この時期、東京ではまず考えられない温度だ。夜でもやっている食事屋も街には多く、ウニ丼いくら丼いかそうめんという文字がそこかしこに踊っている。食べてみたいのもやまやまだったが、しばらく北海道にいるのだから贅沢はあとに取っておこう、と私は思った。それに、朝市の有名な函館なのだから、もしかしたらこういうものは、朝に来たときの方がうまいのかもしれない。いくら丼なら市中の値段よりも安く駅の食堂でもいただけるので、私はそこに落ち着くことにした。多量のいくらの醸し出すぷちぷちとした食感は、八百二十円でも充分に楽しめる。市中の千二百円という値段では、いったいどんなにおいしいのだろう。
函館から私は夜行列車に乗ることにしていたが、それまでまだだいぶ時間があった。夜に函館に来たとくれば、これは夜景を見るしかない、と私はバス乗り場に向かった。天気は悪く市営バスは運休していたが、ほんの少しだけ運賃の高い定観バスは動いており、空きもだいぶあるようだったし、雲が切れていたからもしかしたらとてもきれいに見えるかもしれない、という切符売り場の係員の言葉を買って、私も行ってみることにした。「北山のロマンコース」にはロープウェーコースとバスコースがあったが、私は夜景さえ見られれば文句はないので、安いバスコースを選んだ。ロープウェーコースが人気があって混んでいる一方、バスコースは余裕があり、ゆったりとしたバス旅を楽しむことができそうな感じを私は受けた。
バスは既に夜の闇の中となった函館の市街の中を走っていく。要所要所のきれいにライトアップされた洋館を横目に見ながらバスは進む。きれいと言えばきれいだったが、暗い中を走っているので、位置関係は私にはよくわからないままだった。やがてバスは坂道を登り、函館山の山域へと入っていく。するとバスの車内灯が消え、車窓には外の夜景がよく見えるようになった。サービスが行き届きありがたいことだと思いながら、私は外に展開する夜景を楽しんだ。二合目からの大きくてきれいな夜景が見えた時には、車内には歓声が満ちあふれていた。広いが暗い大空の中の、左右を弓形に区切られた領域の中に、光の粒が密集する……確かにそれは、きれいなものだった。
しかし天気は悪いままであった。上に登るにつれ、バスは雲の中を走るようになってしまい、すばらしいといわれる七合目からの景色も、ぼんやりとしたものになってしまっていた。ぼんやりとでも見ることができたのはまだましだったようで、山頂に達する頃には、完全に何も見えなくなってしまっていた。私はただ、煙のような雨に打たれながら、寒い思いをすることしかできなかった。二合目や七合目からはぼんやりとはしていたもののきれいな夜景を見ることができたのだから、頂上からもし夜景が見られたなら、きっとすごくきれいなんだろうな……そう思うと私は、また日を改めてこの函館を訪れなければ気が済まない、という気にもなってきた。
夜景を満足に見られなかった我々へのせめてもの慰めか、函館駅に戻る途中に、バスは教会群や、日本最古のコンクリート電柱の近くを通り、ささやかな函館の観光を楽しませてくれた。夜の街の中に浮かび上がっているこの景色、昼間はどんな表情を見せてくれるのだろう。
こうして夜の街で遊んでいる間に、既に夜行ミッドナイトへ乗る人の列は長くなっていた。駅の改札は列車別なのが建前だったけれども、青春十八を持っている限り、あまり関係なかったようだ。私も直ちにその列につき、夜に備えた。雨のせいで湿気の多い風が吹いてきた。しかしその風は冷たく、長袖を羽織らずにはいられなかった。異郷の地へやってきた、ということを感じた一瞬だった。北海道限定のビール、サッポロクラシックの存在も私はここで知った。この後、夜行列車の夜のたび、愛すべき友となってくれたことは、言うまでもない。
やがて今夜の宿となる快速ミッドナイトが函館駅へやってきた。普通の指定席車はそこそこいい車輌のように見えたが、自由席車はぼろぼろのボックスシート、この湿度の高い夜に冷房さえもついていない。やはりミッドナイトは、指定を取って乗るべきものなのだろうか。凄まじい席の争奪戦には何とか勝ち残ることができたが、湿度が高くて蒸し暑く、降りしきる雨で窓さえ開けることができない……。さっさと寝ることができればまだよいのだろうけれど、このような悪条件では酒を飲んでもよく眠れない。ようやく寝ついたかと思うと、森の長時間停車に引っかかって、車内はまた騒がしくなってしまった。そこで私は寝ることをあきらめ、森駅のホームに降りて、発車までの一時間近い時間をつぶすことにした。車内は蒸したけど、外はあくまでも涼しい。恐ろしく激しい温度差に、明日以降ついていけるのかどうか、私は心配にさえなってきた。
森を出てからはさすがに疲れたのか、私はわりあいよく眠ることができて、気がついたら外はもう明るくなっていた。車窓をかすめる、初めて見る地名を見ても、私には今どこにいるのかわからず、遠巻きに海が見えたということを手がかりに時刻表を繰ると、どうやら苫小牧の数駅手前にいるらしいということがわかった。車窓には時折、広々とした草原……稲ではなく背の低い草、たまに馬のいる牧場もあったりする……が現れ、どうやら見慣れた本州とは違う所にいるらしい、ということを私は実感することができた。列車はいかつい製紙工場の苫小牧を過ぎ、私はまたちょっと寝たり、身繕いをしたりしている間に、時折原野が広がる風景は、だんだん都会の風景へと変わっていった。やがてサッポッロビール工場も現れ、列車はゆっくりと高架上の札幌駅へとたどり着いた。辺りはあくまでも、都会であった。