0.プロローグ(8.1) / 1.函館(8.2) / 2.旭川・富良野(8.3) / 3.知床(8.4) / 4.標津・野付半島(8.5) / 5.支笏湖(8.6) / 6.小清水・網走(8.7) / 7.サロマ湖(8.8) / 8.札幌(8.9) / 9.屈斜路湖・摩周湖・釧路湿原(8.10) / 10.室蘭・昭和新山・洞爺湖(8.11) / 11.稚内(8.12) / 12.利尻(8.13) / 13.礼文(8.14) / 14.サロベツ(8.15) / 15.根室(8.16) / 16.新冠・襟裳岬(8.17) / 17.厚岸・霧多布(8.18) / 18.阿寒湖(8.19) / 19.札沼線・深名線(8.20) / 20.大雪山黒岳・層雲峡(8.21) / 21.小樽(8.22) / 22.積丹(8.23) / 23.函館・大沼(8.24) / 24.エピローグ(8.25-26)
札幌駅では朝食を調達し、私は次に出る列車の待つホームへ向かった。とにかく富良野へ行ってラベンダーを見ることだけが、私にとってさしあたっての目標だったから、私はすぐ旭川へ向かうオホーツクに乗ろうとした。しかしこれが、朝一のくせに異様な混み具合で、二両しかない自由席になんか、座れるはずもなかった。うねうねと曲がり、車長と同じくらいの長さのある列が、二両分もあったのだから。旭川へは次に出るライラックでも行くことができるので、私はそっちへくら替えすることにした。これはゆっくり飯を食いなさいという神様のお告げだったのかもしれない……。
自由席だらけのライラックは、対照的に空席が目立つほどの空きようだった。相変わらず雲の低く立ちこめる都会の風景の中を、列車はやがて歩み始めた。野幌辺りに来ると、線路際にいろいろな作物の植えられているのが見えるようになってきたけれど、風景の概要は変わらない。夕張川を渡った所では水田も見られたが、今までに通ってきた東北と違って、そのような景色が始終に見られるということはない。ただ、この辺りでは特に稲作の占める割合が多いようで、列車もそれからはそういうのどかな風景の中を走っていくようになった。
シートが快適なので私はつい眠ってしまい、気がつくともう滝川を過ぎていた。車窓には広々と田圃が広がり、のんびりとした雰囲気がそこから伝わってくる。旭川が近づき、右手には大雪山らしき山並みが見えてきた。しかしその頂上は厚くガスに覆われ、全体の様子はうかがい知れない。
乗ってきた列車の終着となる旭川で、私は街中に降り立った。ザックをロッカーに放り込み、私は駅の外に出た。空気はむしろ暑い。今年の猛暑は北海道をも襲い、内陸気候と言われる旭川ともなれば仕方のないことなのかもしれないが、東京とあまり変わらない暑さには、さすがに期待を裏切られた感じを私は受けた。旭川はただのよくある街であるということは前知識としてあって、ここを目的にすることは考えていなかったけれど、せっかく来たのだから街の様子でも見てみようと思い、私は街中へ歩き出した。買物公園という広々とした歩行者天国が、駅前からまっすぐ延びている。下手な車道よりもよほど広いその歩道には、彫刻や噴水などが所々に配置され、それらを楽しみながら、タイル張りの道をのんびりと歩くこともできる。買物公園というからには当然商店街となっているのだけれど、まだ時間が少し早く、開いている店はあまりない。当然、人通りも少ない。
旭川の街も碁盤目状の道をめぐらす新しい街であり、買物公園通りにも様々な道が直交している。四条緑道という通りは、広い通りの真ん中に木々がよく整備されていて、車が両脇を通り、人間は静かな木々の間、道路の真ん中を歩くというスタイルになっていた。歩道の両脇を木々がふさいでいるので、ここでは車など気にせず自分のペースでのんびり歩くことができる。旭川というのは案外、歩行者という存在に優しい街なのかもしれない。
四条緑道の西端に当たる部分に、常磐公園という広い緑地があった。大きな池を中心に構成され、暑い折に涼しげな雰囲気がある。のんびり散策するにはよい所かもしれない、と私は感じた。川も裏手に流れていて、堤防に立つと、大きな橋の架かった太く雄大な流れを中心に、都会にありながら心なしかのんびりした風景が、そこに広がった。
駅へ戻る道は、昭和通りという広い道を私は行った。NHKやいろいろな店もあるわりに、ごみごみしていない印象を私は受けた。やはり道が広いせいで、街自体とても広々として見えるのだろうか。北海道の街というのは、とても広々とゆとりのあるもので、ほかの地域のそれに見られるようなせせこましさ、ごみごみとした感じがわりあい少ないものなのだろう。ただあんまり広々としているので、地図上で感じるよりも歩く距離が長いような気が私はした。殊に夜行二連泊あけであったから、なおさら私の足には負担であった。
旭川駅に戻り、私は富良野へ行く富良野線の列車に乗り込んだ。ホームが改札からかなり離れ、孤立しているかのような感じだが、車輌が立派なのはすばらしい。列車は軽快にホームを離れた。進行後ろ向きに座っていると、旭川の街がだんだん遠くなっていく様子がよくわかる。やがてそれは荒れ地や田畑の中の遠景となり、そしていつしか車窓全体がのどかな風景に包まれるようになってきた。所々停まる駅も、至って小さい。どういうわけか対向列車が遅れていて、千代ヶ岡という駅で予定外の交換長停車にあった。乗る人がいるわけでもないのに車内には、「富良野行きです。整理券をお取りください」という声が空しく繰り返される。やってきた対向列車は、確かに混雑していた。
列車はそのまま歩みを進めていく。やがて美瑛までやってくると、左側の車窓に、色とりどりの絨毯が見られるようになってきた。黄色は麦、深緑はトウキビであろうか。こんなきれいな絨毯に囲まれる、のどかなきれいな街なのだろう。美瑛を過ぎると、車輌が減らされたあおりで、車内は混雑してしまった。車内ののどかさは失せてしまったけれど、車窓のそれは決して変わることなく変化を続ける。右の車窓に見える岩肌は、採石場であろうか。しばらくナラか何かの森林の間を走り、所々、森林の途切れた所に、何かの畑が広々と広がる。そんなすがすがしい景色を楽しみながらも、気になるもの、それはラベンダー畑であった。よく絵や写真で見る一面の薄紫色を、今のところ車窓から見ることはできない。ラベンダーを目当てにこの地を訪れていると言っても過言ではない状態であったから、私の待ち遠しさは増幅されていく一方なのである。
やがて列車は上富良野駅へ着いた。この辺りに来ると確かに車窓からも、ラベンダー色をした一画を斜面の麓に見ることができる。詳しい道はわからないけれど、とりあえずあの方角を目指してみよう。私は列車を降りた。
駅を出て跨線橋に登れば、目的とする方角の見当はついたが、橋から降りてからは勘に頼るしかない。とりあえず方角だけを頭の中にプロットしながら、私は駅前の小さな住宅街を歩いていった。街中には何かの宣伝が、途切れることなく電柱のスピーカーから流されている。有線放送というやつだろうか。そういえば先程訪れた旭川でも、似たようなことが行われていた。しかしそこと似ているという感じをあまり受けなかったのは、今歩いている街が、旭川に比べて格段静かな街であったからだろうか。小さな街も集合住宅を通り過ぎると途切れ、まもなく、駅から目印にしていた白い何かの建つ斜面へと私はたどり着いた。
行き着いたこの場所は、かみふらのラベンダー園という。展望台であるらしい、目印の建造物へたどり着くには、マリーゴールドの咲く畑の中のかなりの急坂を上り詰めなければならない。しかもザックを預けずに来たので、それは私にとって予想以上の重労働となっていた。それにさらに輪をかけたのが、北海道とて例外ではなかったこの夏の猛暑であった。そりゃあ東京ほど不快ではないのだろうが、暑かったことには変わりなかった。汗びっしょりで、もう少しでばてそうになりながら、私はやっとの思いで花畑の間の坂道を登っていった。
ようやく坂道を登り詰め、下を見下ろした時にそこに広がっていた風景は、それはすがすがしい上富良野の街の全景だった。そして眼下には、ラベンダーの薄紫の絨毯が広がっていた。花自体は盛りを過ぎて、多少黒ずんでいた。そういう時期に訪れたのだから、これは仕方ない。しかしそれでもまだ充分きれいに見ることができて、ぎりぎり間に合うことができたということが、私にはまたうれしかった。ラベンダーというのは、近くで見ると、繊細な花がついていて香りもいい。それが群生しているとなると、これまた、画素の細かい絵であるから、近くで見るのと別の意味で、一種独特なきれいさがあると思う。近くに植わっているサルビアやマリーゴールドなどと比較すると、そのことはよくわかる。そして、重労働のあとだけに、私にとってはなおさらきれいに見えたのかもしれない。眼下に広がるラベンダー、そして背景に広がる上富良野の街並みと山並み、それはこの長い旅の最初をきれいに飾りつけるものとなった。麓の土産屋に漂う匂いも、それは快いものであった。
有線の流れる住宅街の中を上富良野駅に戻り、私はまた列車に乗り込んで、隣町の中富良野を目指した。列車は畑の合間をまっすぐと進んでいく。見る限り本当に広々とした風景の中を、列車は進んでいった。下車した中富良野は上富良野よりも面倒見がよくて、駅で荷物も預かってくれるし、駅前には麦茶サービスつきで観光案内もあった。私はそこでとりあえず荷物を預けて、何かありそうな富田ファームという所へ向かうことにした。
歩きづめで疲れていたという条件もあって、歩いて行くには遠い所かなという印象も持ったが、私はとにかく街並みの中を歩いていった。たどり着いた富田ファームは、あくまで農場であるから、必要とあればラベンダーも刈り取られている。ラベンダーの時期が終わりつつあることを象徴するかのように、刈り取られた跡ばかりが、そこには広がっていた。けれども唯一、ダイナミックにラベンダーの残されている場所があった。一つの斜面全体にラベンダーが敷き詰められていて、下から見上げると、それはすごいものに見えてしまう。畑の中を歩いて上に登ることができるようにもなっていたけれど、それはさすがに足が許してくれなくて、しばし下から見上げるにとどめ、私はゆっくりと楽しむことにした。
中富良野の駅に戻る途中に、町営リフトというものがあったので、私はそれで斜面の上に登ってみることにした。一面ラベンダーの植わる斜面をリフトでゆったりと登り、私は上から中富良野の街を見下ろした。さっきの上富良野でさえあれほど感動したが、ここでもまた、すばらしいものを見ることができた。眼下に広がるラベンダー、そして中富良野の街並み、さらにそれを取り囲む田圃、そしてその中に本当に点のように散らばる家々……。ラベンダーに間に合わせ、急いでこの地を訪れて、本当によかったと思った瞬間だった。
あとは今日の宿となる夜行列車を捕まえるために札幌を目指せばよかったが、旭川に戻るのもおもしろくないので、私は富良野を目指した。列車の車窓は相変わらず広々とした畑で、あくまでものんびりしていた。いい加減疲れた私の体には、いい休憩となった。
さて、こうして私は富良野駅に着いたが、ここから上る乗り継ぎの列車は、実に二時間近くないのだった。専門的な話をすれば、石勝線に本線の座を奪われ、名目上だけの本線となった路線の姿ということになる。これだけ間があれば、逆にこれを利用して、何でもない街を隅から隅まで見ていくというのも楽しいものだとも思うのだが、さすがに私はもう歩きたくはなかった。幸いこの駅には、北海道のへそを自認する街らしい名前のへそ文庫という本棚があって、その本を読むスペースとして、絨毯敷きの一角が用意されていた。そこにごろんと横になった時、眠りに落ちるのは難しいことではなかった。疲れた時には寝るのが一番ということなのだろう。
乗る予定の滝川行きの列車は、出発の時間よりもだいぶ早くやってきて、到着と共ににぎやかになった中で、私も起こされた。夕食を調達し、私は列車に乗り込んだ。列車は非冷房で、乗って待っているとどうも蒸し暑い。走り出せばまた違うのかもしれないが、夏の北海道の弱みかもしれないとも私には思えた。
列車は発車し、すぐ左側に見えてきた、薄暮のぼんやりとした、がしかし堂々としている山の姿が、私にはとてもすてきなものに見えた。列車はしばらくその川のすぐそばを進み、車窓にはそこいらで普通に見られる、どこかの片田舎のような風景が展開する。しばらくして、島ノ下だったかを過ぎると、廃線か旧線か何かの跡があって、何かと思ったら列車は間もなくトンネルに突入し、暗闇の中を延々ただひたすらと走っていくようになった。ディーゼル車の弱みで、エンジン音が反響してとてつもなくうるさいのだが、それでも天然の冷房がきいてくれるのでよっぽどましだ。一瞬外が見えた。本当に一瞬だが、険しい山並みが広がった。それは、ガスがかかっているようにも見えた。いったいどんな険しい所を行っているのだろう。ひたすら闇が続くのみの車窓からは、情報はわずかしか得られず、私はただ想像をめぐらすことしかできない。あまりに長いトンネルで冷え切った車体は、トンネルを脱出するととたんに霧に包まれ、外の様子は全くわからなくなってしまった。
辺りはだんだんと薄暗くなっていった。ついこの間テレビで流れていたカナディアンワールドがあるということで、私も名前を知っていた芦別に列車はさしかかった。駅は夜になって無人になっていたようだったが、駅前にでんと構える明るいパチンコ屋のせいで、あたかも活気のある街であるかのように私には感じられた。もっとも、本当の市街地は、ここから二キロほど離れているという。
芦別を過ぎると、列車が車道と川より高い位置関係のまま、列車が橋を渡って行く場面が展開した。それは、列車からでしか見ることのできない、ダイナミックな景観だった。辺りは夕日に照らされ、そんな真っ赤な田畑の広々とした中を列車は進んでいき、やがて、暗くなった滝川に到着した。
滝川では、銭湯でもあれば浸かって行こうと思って、私は夜になった街に出てみたのだが、結局目的は果たせなかった。その上でさらに体を疲れさすよりは、さっさと札幌に行って夜行の席を確保した方が得策と考え、秘かに乗りたいと思っていた一本あとのスーパーホワイトアローを切って、私はすぐやってきたライラックに乗り込んだ。先は長いし、特別な列車に乗りたくなったら、乗る機会はあるだろう、と私は考えていた。ライラックはそんなに混んでなくて、私はデラックスな一人用席をぶんどり、ふんぞり返って寝煙草状態で、そのまま夜の闇の中、札幌を目指していった。
札幌に出る判断は正しかったようで、ごく短い列にザックを置いた時点で、今夜寝るということに関しては何の心配もいらなくなった。余裕かまして札幌の駅の中をうろついていたらさらに疲れた、というまるで馬鹿みたいな行動もとったりしたけれど、最終的に立ち席も出る状況の中、寝ることができるというだけでも充分幸せである。
翌日は羅臼に宿が取れたので、とりあえず網走を目指して、私はオホーツクに乗り込んだ。昨日の夜の快速列車とは格の違う、ゆったりとした特急の座席は異様に心地よく、私はすんなりと眠りに就くことができた。我々のような種族なら注目して然るべき遠軽のスイッチバックの事実にも気づくこともないほど、私は深い眠りに就いていた。