0.プロローグ(8.1) / 1.函館(8.2) / 2.旭川・富良野(8.3) / 3.知床(8.4) / 4.標津・野付半島(8.5) / 5.支笏湖(8.6) / 6.小清水・網走(8.7) / 7.サロマ湖(8.8) / 8.札幌(8.9) / 9.屈斜路湖・摩周湖・釧路湿原(8.10) / 10.室蘭・昭和新山・洞爺湖(8.11) / 11.稚内(8.12) / 12.利尻(8.13) / 13.礼文(8.14) / 14.サロベツ(8.15) / 15.根室(8.16) / 16.新冠・襟裳岬(8.17) / 17.厚岸・霧多布(8.18) / 18.阿寒湖(8.19) / 19.札沼線・深名線(8.20) / 20.大雪山黒岳・層雲峡(8.21) / 21.小樽(8.22) / 22.積丹(8.23) / 23.函館・大沼(8.24) / 24.エピローグ(8.25-26)
二時半「起床」の日の出ツアーには、結局この日のホステラー全員である九名が参加することになった。一緒に飲んだりウノをしたりしたヘルパーに見送られ、副隊長を仰せつかった私は、神威岬を目指して歩く隊列の後ろからついていった。夜風は冷たく、旅行二十三日目にして初めて、持っていたトレーナーが役に立った。トンネルをくぐると、空気は生ぬるいものに変わった。山一つ越えるだけでこんなにも違うものかと思えるほど、空気の触感が変わった。しばらく行くと何とかという食堂があり、ここが岬への遊歩道の入口の目印である。我々は立入禁止の柵を跨ぎ、岩場の海岸の道へ入っていった。公式には落石の危険があるのかそういうことになっているのだが、ヘルパーの解説によればこの柵は、「アイヌ語でレッツゴーゴーという意味」なのだとか……。ちなみにこのヘルパーは岡山出身である。
我々は夜の危険な遊歩道を進んだ。ちょうど満月に近く、月明かりで比較的足元や周りの視界はきいたけれど、ごつごつした岩場、積丹の荒々しい海岸壁、ましてやこんな所は人など滅多に通らないものだから、踏み固められていようはずもなく、歩く隊列のそこいらじゅうから不穏な音が上がる。お化けがいそうとかいう怖さではなく、物理的にスリリングなものを感じつつ、我々は先に進んでいく。
そんな岩場や、潮だまりのようにぴちゃぴちゃとした所を延々とひたすら歩いていくと、そのうち我々は、このルートのメインイベントとも言うべき念仏トンネルへさしかかった。作られたときに測量を間違えたためにクランクのような形をした通路は、細くて天井も低い。このトンネルには、落石にあった人の右手が埋まっているという噂があって、後ろを振り向いてはいけないとか、右手を出してはいけないとか、いろいろな決まりがあるという解説がYHではあった。その決まりを忠実に守り、我々は灯りとして左手でライターをつけ、その奇妙なトンネルを進んで行く。もっとも長さはそんなになく、恐いと思う間もなくトンネルを抜けてしまうと、海岸には俗称「女の一生岩」という奇岩が現れた。トンネルから出たときは美しいグラマラスな女性に見えるが、歩みを進めて行くにつれおばさん体型になっていくというところからこの名があるそうだが、太った方のは、もはや人間には見えない。
道はやがて急坂になり、上まで登りきってさらに灯台まで歩き、コースの終点の神威岬の展望台に着く頃には、空はうっすらと白み始めていた。沖には漁火がまた灯り、灯台は強く光を発していた。「こんなに間近で灯りのついている灯台を見るのは初めてかもしれない」と、一緒に来た一人が言う。それは私も同じだった。空はだんだん明るくなり、海の色も、東積丹側は緑、西側は青に美しく輝くようになってきた。同時にこの場所が三方を海に囲まれたまさに陸地の突端であること、そして細く伸びる陸地が岩礁になって、我々のいる位置よりもさらに先端に連なっている様子が明らかになってきた。「新しい朝が来た……」という歌声も聞こえ、カモメ達も活動を始めたのか、盛んに鳴き声をあげるようになった。肝心の朝日は、ちょうどその高さを雲が覆っていたため見ることはできなかったが、朝のさわやかな空気の中でのすがすがしい風景は本当にきれいだったし、三方が海だったために、突端という特殊な場所にいるのだという不思議な感覚も、確かに私は味わうことができたのである。もし一人で訪れたならば、霧多布や襟裳で感じたような旅愁を味わうこともできたのだろうが、苦労を共にした仲間と見たその風景は、愁いというよりもむしろ、成し遂げた喜びを感じさせてくれるものであった気がした。
辺りには朝が訪れた。帰りは公認の遊歩道を歩いていった。アップダウンはきついが、さっきまでの不安定な岩場よりは数段楽である。途中で何度も、私達は行きに通った道を上から見下ろした。「よくあんな所を歩いてきたなあ」と、我々はみんなして口々に言い合っていた。その道の険しさは、上から明るい状況で見ると、そうそう歩けるものではないように思えるほどのものだということが、確かにはっきりと見てとれる。そんな断崖の道なき道を見下ろしながら、我々は宿まで戻り、帰還した後は直ちに、朝食までの束の間の眠りに就いたのだった。
朝食後は「ウニツアー」である。これはこのYHの目玉であり、私もそうだが多くの人がこれを目当てにやってくる。要するにYHのペアレントの本業が漁師で、その仕事を手伝うことでおこぼれにあずからせてもらえるというシステムである。気合いを入れて海岸のウニ小屋へ行くと、かご二個に大量にムラサキウニがうごめいていて、そのさまはまさに圧巻であった。ゴム手袋でウニをつかみ、口兼肛門に専用のペンチのようなものをつっこんで取っ手を握ると、ぱかっという小気味よい音とともに殻が割れ、中身が露出し体液がしたたり落ちる。殻を割られても懸命にうごめく大量のウニは一種不気味でもある。そしてお待ちかね、おじいさんやおばあさん達が、食いねえといって大量のウニを分けてくれた。殻に入ったままの中身を取り出し、黒いわたを取り除くと、黄色の卵巣が残る。それを口に含むと、ほのかに甘く、そして潮の香りたっぷりの味が口の中に広がる……。ウニ一匹から取れる量はごくわずかで、これをこんなふうに手作業でより分けているのだから、値が張るものになるのもうなずける気がした。そして、ただでそんな高級品をいくらでも食べられてしまう幸せといったら、他に何に例えられようか。本当にいろいろおいしいYHだ。それにしても、中身のなくなったウニでさえ、まだ足を動かしている。これは本当に不気味である。ウニ小屋にはウニの殻を目当てにカラスがやってきては、殻を突っついて飛び去っていった。
宿に戻って掃除などしていると、時はあっという間に昼になり、私はそのまま、結局浜鍋大会にも参加することになっていた。取れたての海の幸、サケやエビやつぶ貝のおいしい鍋を囲み、漁師のペアレントとみんなとで、語らいも盛り上がった。準備中や終わったあと、浜辺で泳ぐ人は泳いでいた。何の準備もなかった私は浜辺の岩に座り、一人たたずみたそがれていた。天気は良く、波は至って静かで、カモメや何かの水鳥がたくさん飛び交い、鳴きわめいている。足元の水はどこまでも澄み渡り、水の下の岩の様子や、かなり小さい魚でも泳いでいる様子がよく見える。煙草を吸いながら過ごすそんな風景の中、時間はとてものんびりと過ぎていった。優雅な気分と共に、私は今、とても居心地のよいのを感じた。私の旅ではいろいろな所を見て回るために、移動を伴うことが多いけれど、たまにはこうして腰を落ち着けていく楽しみ方も、よいものであるような気がした。他力本願な移動手段では思うようにならないことも多いが、列車やバスが少ない所では逆に、そういうことができる機会が多くてよいのかもしれない……。今回の旅でYHを使うのは今日が最後の予定だったが、それにふさわしい一級品のYHに、私は泊まることができた気がする。ウニ丼もたくさん食べられたし、まさにもう大満足といったところだ。
そんなのんびりした旅とも、別れの時がやってきた。小樽からフェリーで帰る、名古屋から来たという女の子四人組と一緒に、私は小樽行きのバスに乗った。ヘルパーと、もう少しゆっくりしていく人とが、バスターミナルまで、そして走って行くバスに向かって、走って手を振ってくれた。どこかの島のように派手ではないけれど、素朴な見送りの風景も、また良いような気がした。もっとも、海パンの男三人が走って追いかけてくる様は奇特であるが……。その中の一人とは、今日の宿にする予定のミッドナイトの指定をやはり取っているそうなので、再会を誓って別れた。そう、この彼とは、礼文船泊でも一緒だったらしいのだ。あの時は人が多かったから、正直言って私は覚えてないのだが、巡り合わせって案外あるのかもしれない。意気も割合よく合う人だということがわかったし、そんな人ともう一度会える機会を持てたことは、私にとって新たな楽しみになった。
バスはきれいに青く澄み渡る、晴れた穏やかな海に沿い、積丹半島の荒々しい海岸線を見ながら、昨日の道を引き返していった。もちろん昨日ほとんど寝なかったつけが回ってきて、バスの中では私はほとんど寝ていた。美国ではそれでも、私は気がついていた。美国港を回るグラスボートがあるということは、案内などで知っていたので、そのまま引き返すのも難だと思って、私は女の子達に別れを告げ、バスを降りた。
美国に着いたのは四時少し前だった。グラスボートは五時まで運航と書いてあったのだが、案内所に行ってみると、「たった今最終が出ました」というつれない返事が返ってきた。五時までというのは、どうやらすべての業務を終わる時間のことらしかった。もう一つの遊覧船のコースである女郎岩周遊の方も、海は穏やかそうに見えるのに、「荒天のため運行中止」のまま。私は行く場所を完全に失った。街の中を歩いても、蒸し暑さに似たものを感じるのみだった。明日の函館だって似たようなものだろうし、もう道北や道東のような快感が得られることはないと思うと、私は妙に寂しい気もしてきた。私は疲れもあって、バスターミナルで途方に暮れるしかなかった。体力があれば黄金岬展望台がすぐ近くだったのだが、昨日寝なかった時点で、今日ハードな旅は無理になるということが決定していたらしい。再び小樽に向かうバスに乗り込み、冷房に当たりながら積丹の海岸線をせいぜい楽しむくらいしか、今の私にはできなかった。海は本当にきれいだ。ここに限らず、神威岬の岩肌などにも多くの地層が見られる。実習科目が地学だったなら、旅をしながら教材研究も可能だったのだろうが、化学ではそうも行くまい……。勃起した男性器のような岩を眺めながら、私はそんなことを考えていた。
余市駅に戻った私は、多少は鋭気が戻ったので、街の中をふらついてみたが、これといって目立つものは、駅前の範囲ではニッカ以外になく、どこにでもありそうな少し大きめの街といった感じであった。小樽は街全体に雰囲気があって、洋館や石の倉庫もその一部になっていたが、余市におけるニッカは、言ってしまえば目立つ存在である。周りが普通の街並みなのに、そこだけが異空間なのだ。
小樽行きの列車の中では、私はひたすら寝るだけだった。小樽に着く頃にはもう夜になっていた。列車を降りてからも、眠気は継続していた。私はいい加減疲れて、もうどうでもよくなっていた。私は一番先に目に入ったケンタッキーで、本能に基づいてチキンをひたすらむさぼった。そしてさっさと引き上げた。そしてさっさと運河を目指した。夜の運河、それだけが見たくて私はひたすら歩いた。他のことは、スコトンライターをなくしたことを悔やむ以外には、私には考えられなかった。
いつの間にかたどり着いた運河の夜景は、確かに、きれいだった。造られたきれいさではあったけれど、それでもやっぱり、きれいなものはきれいだった。ガス灯などの灯りでライトアップされた川面には、建物の姿が逆さになって映り、少し揺れるものの、そのまま静止していた。人工的なもののはずなのに、川面にちらちらと反射する光には、一種神秘的なものさえ感じられた。きれいなものは、理屈抜きできれいなのだ。
私は運河を眺められる広場に座った。ガス灯などの光は数列に並び、やはりそのまま、揺れる水面に映っていた。そしてそんな黒い水面に、ライトアップされた建物は堂々と浮かび上がっている。夜の小樽はやはり、きれいだった。昨日期待したとおりの景色が、そこに現れていた。周りは人がいてうるさかったけれど、私はしばし時間の経つのを忘れ、まるで夢でも見ているかのように、そのきれいな景色に臨んでいた。
カモメが一羽、倉庫の前を横切り、何度も何度も旋回する。いいねえお前は、いつまでもここにいることができて……。その場はそれなりににぎわってはいたが、私はなぜか、寂しさを感じていた。もうあと二日を残すのみとなった私の大旅行。今まで好き放題、いろいろやってこれたけれど、もうそろそろ、そういうわけにもいかなくなる。帰ったら教育実習の準備に取りかからなければならないし、もう寝坊したからといって好き勝手に予定を変えることもできなくなる。もっともっと好き放題やりたいし、自由でありたいと思いながら、日常へ回帰する道へと歩み出さなければならないのだ。そう思うと、旋回するカモメがうらやましくて、ここを動きたくない気もしてくるのだけれど、らちもあかないので、私は引き返すことにした。いつになるかはわからないけれど、このきれいな夜景との再会を誓って、私は、きれいにライトアップされた旧ウォールストリートやアーケード街を通って駅へ戻った。昼間はけっこうにぎわっていた街も、夜は店も閉まり、アーケードは異様に広々としていた。
私は寝ながら札幌へ移動した。そしてこの旅最後の札幌駅では、旅行中何度もお世話になったテレビの前のベンチで爆睡であった。気がついたのは、ミッドナイトの発車の直前であった。ホームに行くと、例の彼と再会することになった。昨日寝てないのは彼も同じで、もうすぐ寝れることをお互い喜びあった。慣れないカーペットカーで振る舞いはぎこちなくなったけれど、あとはもう、寝るだけだった。