山口・山陰(2001.8.2-19)


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 温泉街に泊って体も心ものんびり、という意図があったわけではなかったが、早めに宿を出ることの多かった今回の旅としては珍しく、ゆっくりとした朝を私は宿で過ごすことになった。しかしながら天気は不安定で、温泉街は土砂降りに見舞われ、湿度の高い街並みは源泉の湯気にけむり、決してすっきりとした旅立ちではなかったことになる。宿は温泉街を囲む丘陵の上へ登るロープウェー乗り場の近くだった。私はとりあえず、営業を始めたばかりのロープウェーに乗って高台を目指した。

城崎温泉 天気はあまりよくなかったけれど、とりあえず朝一番の山の空気は涼しくてすばらしくおいしいものだ。昨日そぞろ歩いた印象では城崎は大きくて賑やかな街だと思っていたのだが、展望台から見てみれば、周囲をすぐ近くにまで深緑色の山並みに囲まれた中に案外とせせこましく広がっているのだなあといった感じだ。谷間に合わせるように屈曲した街並みには、小さな車がひっきりなしに往来し、そして温泉街の出口はきわめて太い円山川に押さえられているかのようだった。すぐに河口があるようで、遠くに見える山に囲まれた広い水域が、もう海であるということになるらしい。雲で霞んでよくは見えないけれど、起伏に富んだ複雑な地形は海岸にまで及んで、きっと複雑で美しい海岸線になっているのだろう、と私は想像をめぐらせた。今日も日が陰っているとはいえ蒸し暑さを感じる下界であったが、山上に吹き抜ける風は、至って涼しいものであった。

 再びロープウェーで下界へ戻り、駅まで続く温泉街を歩いた。街の喧騒から離れて歩きたければ、川沿いに桜並木の細い路地がある。雨が陽に照らされて蒸し暑いけれど、美しく飾られた川の姿を眺めながら、のんびりと歩くことを楽しむことができる通りだ。この街には旅人を快適な気分にさせるほどよい賑わいを持っているのかもしれないなと、大通りに戻ってもさほど喧騒に悩まされることのない通りを歩きながら、私は考えていた。

 城崎から山陰線を上る列車は、私にとっては久しぶりの「電車」ということになった。軽快に走る列車に寄り添う円山川は、線路と同じ高さを、河原らしい河原を持たないまま場合によっては直接へ移送する道路に接し、ゆったりと大河のように、幅広い川面を示しながら流れていく。私はすぐ次の玄武洞駅で列車を降りた。小さな無人駅にはかなりの人が一緒に降り立ち、目の前の渡船場へと向かった。玄武洞はこのあまりに幅広い円山川の対岸にあり、多くの客を乗せた小さな渡船は、山肌を映しこんで深緑色に輝く円山川を、水しぶきを上げながらゆっくりと航行していった。

玄武洞 円山川を渡りきって船を下りると、目前に控える山肌には、もともと玄武岩の採掘場だったという洞窟が5つほど開け、深緑の樹木が切れた中に、美しい曲線を描く節理が何層にも走っていた。細長い柱状節理が、時には斜めに、時には水平に走り、そして時には六角形の断面が、巨大な蜂の巣のように、複雑な山の稜線の中にあって特異で美しい幾何学的模様を、とてつもなく大きなスケールで白日の下にさらす。玄武岩といえば本来黒味の強い岩石のはずだが、日光の反射の具合でかやや白色を帯び、時には日陰で苔をまとって青白く輝く洞窟もある。開口のきっかけは人工的な営みであったのだろうけれど、自然の造形の美しさを充分に感じさせる溶岩は、川の目を逃れるように静かに、山の中でその姿をさらし続けるのであった。私はまた一つ、すごいものを見ることができたような気がした。

円山川 狭い範囲に美しさの凝集する玄武洞をあとにして私は再び渡船に乗り込み玄武洞駅に戻ったが、城崎へ向かう列車やバスに接続するような航行であるため、逆方向を目指している私は何もない駅でしばらく何もせずに列車を待ち続けることになってしまった。ようやくやってきた上り列車は、しばらくは大河に沿って走り、やがていくつにも分かれていく川の周囲を固めるようになった田んぼの中を通って、住宅街へと入っていく。この辺り、豊かな川の恵みを充分に受けた土地であるのかもしれないなあ、と思いながら車窓を眺め続けていると、列車は程なく工場、そして市街の広がる中へと進んでいき、次の豊岡駅へとたどり着いた。

 私は但馬の小京都と言われているらしい出石(いずし)の町を目指して、豊岡駅からバスに乗り継いだ。バスはしばらく広くて賑やかな市街を進む。宵田町から脇道へ入っても道は広いままだが、建物が顕著に古くなり、程なく街並みは瓦屋根の木造の建物に支配されるようになっていく。そしてここまでの街並みを見渡すような高台へと上っていくと、バスはさっきよりは川幅の狭くなった円山川を渡っていく。広い緑の河原に守られていて、まさに道路のすぐそばまで川面が迫っていたさっきの様子とはだいぶ違っていたけれども、流れがゆったりとしているのは相変わらずである。

 川を渡りきると道幅は若干狭くなり、周囲には田畑の姿も目立つようになった。一面の田んぼはやや黄色味を帯びて、実りの季節に入りつつあることを感じさせてくれる。田んぼの風景や坂を登った住宅の風景、工場、切通しの断崖などいろいろな風景を見せてくれるバスは、細い道を曲がりくねりながらゆっくりと走っていく。やがて前方には山懐に抱かれるような感じの街並みが現れる。バスはその、城下町出石の中へと歩みを進めていく。

 たどり着いた出石は、古い木造瓦屋根の建物が目立つ街並みだった。ぜひ食べてみたいと思っていた皿そばの店も、そこいらに乱立していた。ためしに食べてみたが、特徴はそばそのものというよりもむしろ、そのシステムにあるようだった。価格表は入場料代わりの薬味の値段と、一人前5皿が標準とされるそば一皿あたりの値段が示される。そして直径10 cmほどの小皿に盛られたそばが注文した数だけ持ってこられ、一皿単位で何枚でも追加注文をすることができる。要は食べたい量だけ食べられる、合理的で面白いスタイルである。私は8皿いただいたが、その店の最高記録は一人で77皿だとか。

辰鼓楼 珍しい食事を終えた私は、出石の城下町を散策することにした。城下町に当たり前のように立ち並ぶ古めかしい建物はそれぞれが商店となって人々を呼び込み、しっとりとしたものと思っていた私にとっては予想以上に活気があっておもしろい街並みであるかのように見受けられた。その街並みの中心に位置する時計台、辰鼓楼は、ひときわ目立つ高い建造物として、街のシンボル的な存在となる。街並みを見下ろす山の中腹には、白くて小さめの石の積まれた石垣が残っていた。本丸こそないが櫓は残っていて、城跡の雰囲気をそれなりにとどめている。

出石城址から 私は水のない堀を渡って石垣の中へ進み、今では稲荷神社への参道としての意味しかない石段を登って、神社のある一番上の層へと登り詰めた。そこからは、出石の城下町の様子が一望のもとになった。近代的な四角い建物はほとんど見られなくて、黒や灰色の瓦屋根がびっしりと平野を埋め尽くす。街なかでも感じられる古い住宅街の落ち着いた雰囲気は、上から見てもひと味違うものなのだなと私は感じた。そして市街の外側には、黄緑色の田圃市街地の土蔵と、なだらかな稜線を持つ山並みが取り囲み、この市街をより穏やかに守っているかのようだった。

 城跡からの広大な景色を楽しんだ私は、引き続き城下の散策へと出ることにした。十字路にさしかかるたび、古い建物の集まる次の路地が目に飛び込みまた新しい景色が展開する、歩くだけでも楽しい街並みの中には、商店街もあれば、古めかしい建物が現実に沢庵寺の庭園住宅として使われている住宅街もあれば、赤茶けた特異な土壁が印象的な酒蔵もある。そして喧噪に飽きたなら、市街と周囲の丘陵との間にはいくらでも静かな寺院がたたずんでいるのである。沢庵和尚が復興されここで修行したという沢庵寺もその中の一つとして存在する。静かな境内には大きなお堂があるが、裏に隠れるようにして、背の低い草と池、亀の島で構成される庭園があって、のんびりと静けさを楽しむことができる。また沢庵和尚が住まわれて漬け物の沢庵の改良を試みたといわれる庵も残っていて、彼が街の喧噪を忘れて静かに暮らしていた当時のことを想像しながら、静かな境内の散策を味わうのもまたいい。

 思ったよりも楽しく歩け、いろいろなものが見られ、珍しい皿そばの体験もでき、私にとってはこの街を訪れることができたことがとてもうれしいこととなったのだった。出石の街をあとにして豊岡駅へ戻るバスは、一面の黄緑の田圃が川沿いの谷に広がるのどかな風景の中を進んでいった。往路とは違い、バスは川沿いの堤防の上をひたすらと進んだ。寄りそう川は傾きかけた日を浴び、のどかな風景の中にひときわの輝きを与えていた。そのうちに堤防の周囲を埋め尽くすものは田圃から徐々に家並みへと変わり、豊岡の市街が近いことを教えてくれた。今回は行けなかったけれどこの街にはコウノトリの郷公園などというところもあるようで、次に訪れるときには是非、という思いも私は新たに抱くことになったのだった。

 辺りにはまた夕暮れが訪れつつあった。今日の私の宿は福知山にとってあったので、豊岡からはやや長い時間列車に揺られていくことになった。豊岡を出た山陰線の上り列車は、帰宅する高校生たちをたくさん乗せて、やや疲れた表情を見せながら、それを癒すかのようなのどかな田畑の風景の中を進んでいく。やがて高校生達を下ろしながら進んでいくにつれ、周囲の風景にもだんだん山間の色が現れるようになっていく。播但線と分岐する和田山まで来ても特に大きな街が開けるわけでもなく、深緑の山に囲まれた田圃の中に、申し訳程度の建物が出現するだけだった。駅の構内には煉瓦作りの建物や給水塔も立っていて、レールも何本も走る広い敷地を擁していたけれど、草蒸したレールは何とも寂しい山間の風景を演出するかのようだ。

 そんな和田山を過ぎると風景はなおいっそう、山がちの険しいものへとなっていく。さほど遠くない山並みでさえ低く立ちこめる黒い雨雲に覆われ、いっそう陰鬱な雰囲気を強くする。長い長いトンネルを越えると列車は兵庫県から京都府へ進む。すなわち、山陰本線の旅もいよいよ最終段階に入ったということになるわけである。列車は道路や田畑に対して高い所を通り、山の隙間には小さな田圃や畑も見られるけれど、相変わらず天気の悪い陰鬱な谷間の風景が続いていく。それでも進むにつれて、川沿いに広がる田圃は少しずつ広さを増し、やがて次第に薄暗くなってきた車窓には、街灯やネオンの点り始めた福知山の街並みが、遠巻きながら見えてくるようになってきたのだった。

 福知山では私は乗り換えたことはあったはずだが駅から外には出たことがなくて、あまり印象を覚えていなかったのだが、今日すでに夕刻となった福知山を訪れた印象は、建物は多そうだけれどすでに開いている店は少なく、夜が早いのだなあということだった。福知山は鉄道の街、宿に戻っても、耳を澄ませばどこからか、列車が走る音が聞こえてくる街である。


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