1.岩国、下松(8.2) / 2.山口、長門峡(8.3) / 3.宇部、長府(8.4) / 4.小串、土井ヶ浜、角島(8.5) / 5.川尻岬、青海島(8.6) / 6.萩(8.7) / 7.津和野、益田(8.8) / 8.浜田、温泉津(8.9) / 9.石見銀山、出雲大社(8.10) / 10.日御碕、立久恵峡(8.11) / 11.松江市(8.12) / 12.美保関、弓ヶ浜(8.13) / 13.大山(8.14) / 14.倉吉、白兎海岸、湖山池(8.15) / 15.鳥取砂丘、浦富海岸(8.16) / 16.余部鉄橋、浜坂、竹野浜(8.17) / 17.城崎、玄武洞、出石(8.18) / 18.福知山、保津峡(8.19)
常勤の仕事を手に入れることができた2001年の夏、実は後にいろいろなことが起こったりしたのだが、とりあえず夏休みには昨年までのような教採ついでの全国行脚はしなくてもよいことになった。書類上夏休みということになっても7月いっぱいは夏期講習と称して、普段の授業時間だけでは間に合わない部分を集中的に、むしろ普段よりも長い時間働くことになったが、その一方で8月は全く出勤しなくてよいというすばらしい状況となり、久しぶりに完全に観光のみを目的とする、長期に渡る独り旅をすることが可能となったのである。私はこれまで訪れたことのなかった山陰地方に焦点を合わせ、周遊きっぷのアプローチ券を含めた有効期限をフルに活用した、18日間に渡る長期の独り旅に出ることにした。
夏の旅の利点の一つは、いろいろと見て回る時間を長くとれることにあると思う。早朝5時に家を出ても、すでに支障なく動き回る上で充分な明るさである。昨日よりは涼しくなったような気がした巣鴨から東京駅に出て、私はチキン弁当を手に、異様なまでに鼻の長い500系のぞみに初めて乗り込んだ。新横浜を過ぎてしまえば、曇天ながら濃くて鮮やかな緑の風景の中、手前の風景をすさまじい速さで吹き流しながら超高速で走るようになった。さすがは500系! と私はただ感激するしかなかった。湯河原の山や熱海の海は霧に煙ってどんよりとしていたが、新丹那トンネルを過ぎると嘘のように晴れ上がり、「今日は涼しい関東」を脱出したのだということを目の当たりにさせてくれるかのような車窓の中、しかしさすがに頑張って早起きした体には高速催眠現象が容赦なく襲いかかり、静岡や名古屋などあっという間に過ぎてしまって、あれよあれよという間に関西地方へと突入してしまった。
まだ朝といっていい時間であるはずの新大阪のホームに、さっきまでいた東京とは異質のむっとした蒸し暑さを感じつつ、私は500系のぞみからひかりレールスターへと乗り継ぎ、引き続き西を目指した。ゆったりとしたシートに電球色の落ち着いた照明は、それなりに高速走行でありながらもゆったりのんびりとした列車の旅路を実感させてくれる。のぞみほどではないにせよ新幹線であることには変わりなく、私はしばらくゆったりとした車内から、気持ちよく流されていく車窓を楽しむことができた。そして再び蒸し暑い広島駅のホームに降り、次に乗り継ぐことになったこだま号を迎えれば、やってきたのは一番古い型の車両という、すばらしい落ちがついてきたわけである。大型の新幹線の車内には数えるほどの客しかおらず、最後の一駅間は別の意味でゆったりとした汽車旅となった。
降り立った新岩国駅には、山間の小さな駅というよりほかに言いようがない雰囲気が駅前に広がっていた。駅の周囲は緑豊かな山並みに囲まれ、街並みもごく小さく、ここに来るために乗った列車が新幹線であるということを忘れてしまいそうな感じさえ受けてしまう。振り返って駅舎を見れば確かに新幹線サイズの巨大なものが鎮座するのだが、タクシープールに大量にたまっている車両ともども、持て余し気味な感じだ。少し歩けば岩国駅にも通じる錦川鉄道の御庄駅もあるのだが、荒れ放題な上に岩国行きの列車も1時間ほどなく、これではらちがあかないと、私は頻発する路線バスで市街へと向かうことにした。
山城を含んでいるらしい深緑の丘陵を回り込むように、錦川の流れに沿ってバスは一路錦帯橋を目指して走っていく。新幹線が停まるとはとうてい思えない緑豊かな山の風景を、ゆったりと広く流れる川が演出する。そんなゆったりとした流れの川が、深緑の風景の中に白い河原を広々と輝かせるようになると、バスは程なく錦帯橋へとたどり着いた。白い河原と緑の山との間を取り持つように、褐色のアーチは風景に優雅さを与え、ゆったりとした川の流れとともに安らぎのある風景を作り出している。橋の下の川は浅くて、子供達が涼しげに水遊びに興じているのもまた、ほのぼのとした夏休みの風景と言えよう。対岸の深緑の山並みの中には、それなりの距離があるせいか、はたまた山並みがあまりにも雄大であるせいか、小さく見えてしまう山城がぽつんと孤立しているかのように含まれている。それも何やら、地震の影響で入場はできないのだと、看板が語っている。
私は錦帯橋を渡り、対岸の園地を目指した。風景として見る分には美しい曲線を描く橋だが、実際に渡ってみればきついアップダウンが何度も繰り返されることになって、炎天下にあっては決して楽な行程ではない。しかし深い緑の風景が一面に広がる中、川面を渡る風を全身に心地よく浴びることもできる。渡った対岸は城下の武家屋敷があった所だといい、現在は吉香公園という園地が整備されていた。日陰が少ないのがこの天候ではきついのだが、園内では様々なものを見ることができた。古い建物も残っていれば、この辺りになぜか大量発生するというシロヘビを飼っている施設もあれば、土産物屋ではトビケラの幼虫の巣であるという人形石というものも見られる。もう少し穏やかな季節にのんびり散策すれば、歴史のある穏やかな風景を存分に楽しめるのかもしれない。入場できない山上の城が復活する頃にまた来たいものだな、と私は感じたのだった。再びアップダウンのきつい錦帯橋を渡ってバスターミナルのある市街に戻れば、そこらの飲食店に「岩国寿司」という幟が立っていた。昼食にいただいてみたが、要は穴子の乗った押し寿司であった。
私は再びバスに乗り、岩国へと向かった。ここからは一転、バスは市街を行くようになった。乗ったバスが西岩国駅を経由する便で、列車にも乗ってみたかった私はいったん西岩国駅に立ち寄ることにした。西岩国駅は洋風の石造りの建物で、さほど大きくない街並みの中、外見はきわめて立派である。しかし実際には無人駅だ。もとはこちらが岩国駅を名乗り、錦帯橋への観光客もこの駅を使っていたものだったというのだが、やはり持て余し気味の構内は寂しい。やってきた錦川鉄道から乗り入れてきた列車に一駅だけ乗り、私は岩国駅に着いた。辺りはとうていここで外に出て散策でもするかという気にはさせてくれない暑さに包まれていた。
今日の予定にはかなり余裕があって、午後は下松に寄るか柳井に寄るか、はたまた宿のある防府まで直行しようか、選り取りみどりで迷ったりもしたのだが、運賃計算上は何度も乗ったことになっているのに実際には一度も乗ったことのなかった岩徳線の車窓を見ていくことにした。本線側には去年乗っていて、南岩国の付近で現れた一面の蓮畑の風景に驚いたりもしたことを覚えていたが、それほど大規模ではないものの岩徳線の沿線にもいくらか点在しているようで、森林の多い中にあって丸い葉で埋め尽くされる沼の風景は特異な景観をもたらしてくれる。西岩国まではそのまま折り返す格好になってしまったが、岩国城の載る山を右手に見送ると、バス路線がそうであるように、この線路も深い山道へと入っていった。時折長い長いトンネルもあったりする谷間を行く間、しつこいまでに深い緑色の風景が、車窓には延々と続いていく。玖珂あたりでは多少の市街は広がるが、目立つのはやはり田圃の明るい緑であって、そしてまた周りを深緑の丘陵に囲まれる車窓へと戻っていくのに時間はかからない。新幹線でかっ飛ばすのも悪くはないけれど、目や体に快いのはやはり、こんな緑色の深い風景をごとごとと進むことなのかもしれないなあ、なんてことを私はぼーっと車窓を眺めながら考えていたのだった。高水は鶴の街だといい、モニュメントや剥製が駅に置いてあったりしたけれど、いくつも続く無人駅の一つであることには変わりがないようだった。
私は、本当の意味で小さな駅である周防花岡駅に降り立った。駅のすぐ近くには新幹線の高架が堂々としていて、500系のぞみがあっと言う間に走り抜けていったとしても、その周囲を埋め尽くす明るい緑色は、あたりの雰囲気をあくまできわめてのどかなものに落ち着かせてしまうのである。この駅の近くには、ごくごく小さな街並みの中に花岡天満宮という社がある。焦げ茶色の社と深い森の造る荘厳なお宮だが、しかし荷物を背負っているせいか初日で疲れがたまっているせいか、私には登る石段が必要以上に辛いものであるように感じられてしまった。何とか高台へ登りきれば、木々の合間からは下松の市街や、その向こうに横たわる海まで見渡すことができて、それなりの爽快感を得ることもできたのだが、この社からその市街へ達するまでのバスの便は、思った以上に不便であるようだった。そのバスの不便さに予定変更を余儀なくされて、私はいったん周防花岡駅に戻り、山並みがだいぶ遠くなって家並みや工場も見られるようになった車窓を眺めつつ列車で櫛ヶ浜へ一旦迂回してから、本線を下松まで逆走することにした。
下松で列車を降りた私は、市街の北側に接する星の塔へ行ってみることにした。しかしながらここまでの行程で私はすでに猛暑の中歩き疲れてしまっていて、もうほとんど惰性で動いているのみのようなものだったことも否定できない。下松とは元々推古天皇の時代に隕石が松に下ってお告げをしたという言い伝えから来た町名なのだそうで、何となく訪れてみたい街であるような感じをその話から受けていたのだが、何のことはない、この星の塔にしても港の見える公園にしても、ふるさと創生事業で最近造られたものなのだという。立木に遮られて全角度展望というわけにはいかなかったのだが、眼前の工場地帯の向こうには確かに港が広がり、その向こうの海は笠戸島を大きくたたえて、それなりに見応えのある海の展望がそこには開けていた。これ以上ほかの所に行くのはさすがにきついなとは思っていたけれど、そんな状態でもなんとかそれなりの風景に出会えたことを私は素直に喜んだ。心なしか風が涼しい気がしたのは、やはり海を渡ってきた風だからなのだろうか。心持ち過ごしやすい木立の間のベンチに座り、快い風を浴びつつ、木々の合間に見える下界の風景を眺めながら、私はしばし蝉時雨に身を任せ、あくせく動くだけが旅のすべてではないのになと思い直していたのだった。そして帰りしな、塔よりも少し低いところにある見晴らし台に寄ってみれば、むしろ市街に近づいてより大胆に広がる展望に出会うことができた。少なくとも納得のいかないまま一日が終わるということだけはなくなったわけである。
長かった一日もようやく夕方にさしかかり、私は程良く混雑するようになった列車に乗り込んで宿のある防府を目指した。車窓には家並みや工場の合間から海がちらちらと見え、黒松が植わっていることからも常に海岸近くを走っているらしいことがうかがえる。今日の私はずっと山間の深緑の風景に身を任せていたから、実に久々に出会えた風景であるかのようにも感じられた。所々山間の風景に戻ることがあるけれど、むしろ逆に海岸線ぎりぎりにも出て、緑の丘で囲まれていくつか島も浮かべる複雑な形の海も車窓いっぱいに広がるようになった。変に歩き回ることを考えるよりも、この辺りの小さな駅で適当に降りて、海辺にでもたたずんでこんなきれいな風景に身を任せていた方がよっぽどよかったのかもしれないなあ、と私は今日の炎天下歩き回るだけだった行程を反省するしかなかった。海岸線ぎりぎりの美しい車窓は富海を過ぎてしばらくするまで続き、そして程なく、列車は防府の市街へと入っていったのだった。
私はとりあえず市街の中の宿に入り、食事で外出するついでにとりあえず防府天満宮だけは行っておくことにした。宿から多少距離があったけれど、それなりに近代的な普通の街並みから参道に入れば、立ち並ぶ小さな店店の門構えからどことなく、ここが神社への道であることを感じさせる雰囲気になった。7時近くなってもまだ充分な明るさが残っていることに、だいぶ西へと進んできたことを感じたが、もはや参道の店もほとんど閉まっている状態だった。それでも朱の色きらびやかな境内への出入りに制限はなく、時間的に散歩する地元の人くらいしかいない状態で、かえってのんびり見て歩くことができてよかったような気がした。