1.岩国、下松(8.2) / 2.山口、長門峡(8.3) / 3.宇部、長府(8.4) / 4.小串、土井ヶ浜、角島(8.5) / 5.川尻岬、青海島(8.6) / 6.萩(8.7) / 7.津和野、益田(8.8) / 8.浜田、温泉津(8.9) / 9.石見銀山、出雲大社(8.10) / 10.日御碕、立久恵峡(8.11) / 11.松江市(8.12) / 12.美保関、弓ヶ浜(8.13) / 13.大山(8.14) / 14.倉吉、白兎海岸、湖山池(8.15) / 15.鳥取砂丘、浦富海岸(8.16) / 16.余部鉄橋、浜坂、竹野浜(8.17) / 17.城崎、玄武洞、出石(8.18) / 18.福知山、保津峡(8.19)
宇部新川に宿を取ったのには、実は翌朝の小野田線本山支線を走る旧型国電に乗ってみたいという目論見があったからだったりしたわけである。私は通常よりも少し早めに宿を出て、今日も暑くなりそうな晴天のもと、この目論見を実行に移すべく列車を乗り継いだ。まずは宇部線で、住宅街や金属管のむき出しになった工場のそばを少しだけ走って、小野田線との分岐点の居能駅へ。住宅街の中の小さな駅で、工場も近いのに土曜日のせいか、辺りの雰囲気は至って静かなものだった。ついで私は小野田線の列車に乗り継いだ。河口に近い厚東川を渡ると工業地帯は少し車窓から遠ざかって、その代わりに田圃の緑豊かな中を行くようになった列車は間もなく、本山支線との分岐駅の雀田駅へ到着した。
雀田駅のホームは分岐したレールの形に沿った三角形をしていて、本山支線のホームにはすでに褐色の旧型車両が客を待っていた。車内は至る所が木造で塗料の独特なにおいが立ちこめ、当然冷房なんかない。ワンマン運転用の改造も施されているとは言っても、運賃箱は簡易なもので、整理券発行機もない。それでも成り立つ程度の規模でしかないということを物語っているようで、寂しさも誘われてしまう。ただよかったのは、朝早い便だったおかげでいわゆる乗り鉄な人々の姿が少なく、じっくりと旧型車両の旅を楽しめそうな感じがしたことだった。
果たして、列車は走り出せば当たり前のように大きなモーター音を響かせ、激しい揺れとともに進んでいくようになった。冷房はないけれど、窓からの風には木造の独特なにおいがついて、快く私の体に当たっていく。わずかばかりの家並みと、緑豊かな田圃の風景の中を、木々の間をかすめるように体を揺らし、ごとごと、ごとごと。浜河内を過ぎると最後の丘をすり抜けて、ゆっくりと線路の末端へとたどり着いた。
もちろん私にとって終点の長門本山駅を訪れるのは初めてだったが、有名な所だから写真で見たことはあった。その印象では電車の進行方向には海しかないような感じだったが、今この線路の延長線上には新しめの建物があって、さほど写真で見たような寂しいところという印象はなかった。しかしここが海のすぐそばであるという事実は変わるわけもなく、少しだけ歩けば、波の穏やかな海と背丈の低い緑の草で覆われた湿地が荒涼とした雰囲気を生み出す風景にすぐに出会うことができる。キク科の黄色い花が点々と緑の草原に彩りを添え、寂しい海岸線を慰めてくれている。海は至って穏やかで、遠方をゆく大型船も、至ってのんびりと行き交うのみだった。やがて旧型車両は海を背後にして折り返し、再びもとの緑の風景へ、細い鉄路をごとごとと、オールドタイマーの強さを感じさせてくれながら雀田駅までの短い旅をさせてくれたのだった。
雀田駅から私はいったん小野田線、宇部線を引き返し、冷房車の異様な快適さを堪能しつつ、宇部市街の東側にある常盤駅に降り立った。住宅街の高台にある駅でホームからは海岸も見えて涼しげなのであるが、いざ街中へ歩き出してしまうと、炎天下に大荷物を持ちながらではやはりかなりきつい。
私は住宅街の中の、常盤湖の周りに整備された常盤公園を訪れた。とりあえずロッカーに荷物を放り込み、私はまず目に付いた、炭鉱のやぐらを模したタワーを擁する炭鉱記念館の中に入ってみた。今は跡形もないけれどこの常盤湖の辺りには炭田があったようで、華やかだった頃に実際に使われていた用具類や歴史についての展示がメインとなる。ここでは女性も上半身裸で坑内に入り、労働していたのだといい、絵で記録されている、色気も何もないその当時の様子にはいささかショッキングなものさえ感じられた。事故で犠牲になった命とともに記録しておかなければならない過酷な状況を、今に伝えてくれる役目をしている施設といえるのかもしれない。
やぐらを模したタワーに上ってみれば、案外大きな常盤湖の全景を望むことができる。のどかな湖畔には白鳥や黒鳥、カモに、有名なペリカンたちがのんびりと羽を休めている。そして、海の方を見れば山口宇部空港の巨大な施設、そして繁栄が今でも続く宇部新川の市街が広い範囲に連なっている。常盤湖自体も実は人造湖らしく、つまりここから見える風景はほとんど人工的なものばかりということになる。広い湖面でのんびりとする白鳥達にとっては、そんなことはどうでもいいことなのかもしれなかったが。
私はタワーから降りて、常盤湖の湖岸へと出た。湖岸は藤棚や緑の芝生広場などのある穏やかな園地でかこまれて、遊歩道もめぐらされている。遊歩道を歩いてみれば白鳥やペリカンたちがのんびりと泳いだり、沖に浮かぶ島で遊んだりと、炎天下に思い思いの時を過ごしている。中には夏ばてのペリカンが一羽、野外彫刻展示場に迷い込んだりということもあったりした。ペリカンには一羽一羽名前がつけられ、足には識別子もつけられていて、訪れた人々には名前で呼ばれるほどの親しまれようだ。ペリカンの方も人にはだいぶ慣れていて、差し出した手を自慢の大きなくちばしでくわえてくれたり、あご袋の中身を見せてくれたり。鳥たちにとっても、そして人間にとっても、ほほえましいまでの安らぎの時間が流れる公園だった。有名なカッタ君の姿を直接見ることはなかったが、ご存命らしく何よりである。
常盤湖の湖上には不定期に遊覧船が出る。白鳥を形どっているらしいがいかにも金のかかっていなさそうな角張った船である。その分値段も安いのであるが。手のひらを伏せたような形と形容される常盤湖は、300年ほど前に造られた灌漑用水湖なのだそうだ。その指の先にも立ち寄りつつ、ボロ船は約15分の湖上遊覧を楽しませてくれる。鳥たちがのんびり遊ぶ湖の形はなるほど複雑で、緑の丘がいくつも水の上に突き出しているようだが、そんな緑の湖岸を、水上を渡る涼風のもとで眺めていたら、この場所へ来ることができたことがなんとなくうれしく感じられるようになっていたのだった。
昼になり、私はバスで宇部の市街へと戻ることにした。バスはあくまで都会的な、中央分離帯のフェニックス並木も堂々とした、道幅のきわめて広い市街地を通っていく。ソーダ通りとはどうせ工業製品としての炭酸水素ナトリウムのことだと思うのだが、暑い市街の中にどことなく涼しげな名前がつけられていて面白い。そんな中に井筒屋デパートを発見し、ここが市街の中心なのだろうとふんで私はバスを降りた。昼食を確保し、宇部線の駅を探しつつ市街を歩けば、この辺りが実は九州と経済的に一体なのかもしれないなと想像させてくれるような福岡の銀行や、カッタ君の絵がこの宇部という街のマスコットであるかのようにでかでかと描かれた建物にも出会ったりした。しかし真昼時、全く日陰のできない正南北方向の移動はなかなか辛く、何とかたどり着いた琴芝の駅のなんでもない日陰がとてもありがたいものに感じられた。
私は再び、宇部線、そして小野田線を西へ進んだ。朝に見たのと同じ、家並みと田んぼがメインの車窓である。遠くの海の方には工場の高い建造物が光を点滅させ、紅白の煙突も強い存在感を示す。雀田では朝に乗った旧型の車両が休憩中だったが、こちらは右へ大きくカーブを切り、より工場地帯へと接近していく。程なく車窓は緑の濃い雰囲気からがらっと変わって、アセチレンボンベの茶色、木材などのチップ、灰色の建物やパイプに煙突、四角に区切られた海と、人工的な色に包まれるようになっていった。南小野田を過ぎればそんな風景も一息ついてまた緑の多い住宅地に戻っていくが、南中川の辺りが小野田市の一番賑やかなところであるらしい。宇部にしろ小野田にしろ、その名前の駅が必ずしもその市の中心地ではないということを教えてくれる。列車は緑の中と住宅地を交互に通り、道幅こそ広いけれど特に何があるというわけでもなさそうな小野田駅にたどり着いた。駅舎の中が妙に蒸し暑い気がしたが、よく見たら蕎麦屋の厨房の廃熱が待合室に噴出する構造になっているではないか。それで平気でかき氷を売っているというのも、なんだか滑稽である。
引き続き私は、長府の城下町を目指すべく、山陰本線を西へ進んだ。厚狭駅付近だけは街並みが広がったが、あとは丘陵とその合間の田んぼしか見えない、本線という割には極めてのどかな車窓が続いていく。埴生を過ぎた辺りでコンクリに守られた海岸線が見えるようになって、そして工場の類が多く見られるようになると小月駅だが、しかし駅の裏は一面のサトイモ畑だったりするのがその実態だったりする。ここからは下関市に入るのだが、山がちの道というよりはむしろのどかな田んぼの中の道になっていく。家並みが現れる頻度も多少は上がるけれど、まだまだ田んぼの方が圧倒的に多い。私は駅前に競艇場が待ち構える長府駅で列車を降りた。駅前のバス停から城下町へ向かうバスは少ないが、近くの国道に出れば頻発している。しかしこのバス停には実に日陰が全くない。もう少しで熱中症になりそうな、気が遠くなりそうな感じがしてきた頃、ようやくやってきたバスに私は乗り込んだ。バスは線路とは少し雰囲気が違う、工場がたくさん脇を固める広い国道をしばらく走っていった。
たどり着いた城下町のバス停付近は、工場の外壁も街並みに合わせた武家屋敷風になっていて、街の雰囲気を盛り上げている。私は古めかしい雰囲気になっている石畳の壇具川沿いを登り、小さいけれど十三の塔という見せ物のある笑山寺を経て、毛利の菩提寺であるという功山寺を訪れた。涼しく薄暗い杜を抜けると山門を経て、重文指定の重々しい本堂が現れる。茶色の柱や茅葺きの屋根は、瓦屋根にはない歴史の重みを感じさせてくれるようだ。もとは大内氏の管理下にあったのだが、滅亡後荒れていたのを毛利氏が改修して今に至る、と、居合わせたバスガイドが説明してくれた。
大きなお堂がつくる落ち着いた雰囲気の広い日陰で私はしばらく休息を取り、再び古い街並みへと歩き出した。毛利家旧宅ではよくある感じの古い家と庭園が公開される。そして小路へ入れば、古い武家屋敷の土壁と、色合いやすすけ具合までそっくりにしてある新しい建物の壁が並び、石畳の道沿いは一面茶色の壁で覆われた不思議な世界になっていた。ほかの類似の場所では白壁に統一してあったりして、明るい雰囲気になっていたりもするのだけれど、何となく、そうではないとわかっていても、古さにリアリティーを感じさせられてしまうのである。忌宮神社は何か祭事中で入るのはためらわれたのだが、この長府という街もまた、いろんなものを見ながらのんびり歩くことができる街なのだなあと、私は夕暮れ近くなってもまだまだ暑さの残る道を歩きながら感じていたのだった。
私はバスで長府駅に戻り、そして山陽本線で下関へと向かった。まだまだ車窓には田畑もかなり目立ち、傾きかけた太陽に照らされて美しく緑色に輝いていた。やがて幡生で山陰線と合流すると、何本も線路の並ぶ周囲は次第に開けるようになってきて、その賑わいは下関に到着するころ、絶頂に達していった。なるほど、旅に出る前に全く考慮に入れてなかったデジカメのメモリカードを駅前で調達するのも容易な位の便利な街である。駅近くの宿に入れば、窓からは関門海峡の向こうに広がる門司の夜景も見られ、それなりにきれいな風景だ。街中には飲食街もあって食事にも困らない。定食屋は並んでいるおかずをとって温めてもらうスタイルで、ここだけのものではないけれど、西に進んできたということをこんな所でも感じさせられてしまったわけである。