1.岩国、下松(8.2) / 2.山口、長門峡(8.3) / 3.宇部、長府(8.4) / 4.小串、土井ヶ浜、角島(8.5) / 5.川尻岬、青海島(8.6) / 6.萩(8.7) / 7.津和野、益田(8.8) / 8.浜田、温泉津(8.9) / 9.石見銀山、出雲大社(8.10) / 10.日御碕、立久恵峡(8.11) / 11.松江市(8.12) / 12.美保関、弓ヶ浜(8.13) / 13.大山(8.14) / 14.倉吉、白兎海岸、湖山池(8.15) / 15.鳥取砂丘、浦富海岸(8.16) / 16.余部鉄橋、浜坂、竹野浜(8.17) / 17.城崎、玄武洞、出石(8.18) / 18.福知山、保津峡(8.19)
萩で迎えた朝は、なんだかわからないが異様に蒸し暑いものだった。古くから都市として発展してきただけあって、こんなところでも案外コンクリートジャングルだったりするのかもしれないなあ、などと思わされながら、私はとりあえず、それでもさわやかに流れる大きな川に沿って、高層のホテルに固められて異様な雰囲気の東萩駅前へ向かい、自転車を借りて市街地を観光することにした。
歴史が古いということは当然史跡が多いということも意味するわけで、どこにでもあるような道路が通り普通に見える街並みが続く中であっても、寺院や古い建物、そして獄あととか女台場とか、こまごまとした史跡が最近の建物の間に混じっていたりする。そんな街並みは海岸に接していて、菊ヶ浜という萩城の手前の砂浜からは、左手の萩城の山と右手の笠山にはさまれて延びるきれいな海岸線の風景を見ることもできる。
私はとりあえず萩城を訪れた。入場料の必要な施設でありながら自転車で入ってよいというのは珍しいと思うのだが、そのおかげで城内や、周辺の海岸へも楽に移動することができるのはうれしい。萩城は指月城とも呼ばれているが、城の建物自体が残るわけではなく、濠と石垣だけが残されて、ちょっとしたきれいな庭園をのんびり散歩しているかのような趣を感じることができる所だ。そして東側は東側で、ちょっとばかりの森を隔てて海に接している。そこには、さっきの菊ヶ浜から笠山方面へ弓なりに延びていく海岸に接して湾状に穏やかに広がる海の風景があった。辺りは異常なまでの蒸し暑さだけれど、それを一瞬忘れさせてくれる涼しげな風景のもと、私はしばらくのんびりと過ごすことができた。萩というのはうわさにたがわぬきれいな街であるらしいということを、私は早くも感じさせられた。
城を出た私は、城下に広がる市街を、玉江、堀の内、城下町方面へ適当に走ってみることにした。古い市街には独特の丸みを持った古い壁が並び、またそんな壁に囲まれる古い建物も点在する。鍵曲という防衛のためのクランク道なんかも、曲がれば曲がるたび白壁がいっぱいに視界に広がり、わざと複雑につくってある城下町のややこしい雰囲気を作り出している。一つ一つの建物にいちいち入らなくても、自転車を走らせるだけでも面白い街並みの中には、夏みかんソフトクリームの露店も立つ。夏みかんの栽培は幕末から明治初期にかけてリストラされた武士がはじめた副業だ、という話を聞いたときはなるほどなあと思うと同時に大変だったのだなあという複雑な気分にもさせられたものだったが、それは難しい理屈ぬきにさわやかさを私の口の中に与えてくれた。そして、城下町に隣接するように、近代の商店街が続く。冷房の効いたアーケード街は、炎天下を走り回った後のクールダウンにはちょうどよい存在である。
萩の市街の中心と思われるこの辺りから遠ざかるように、私は市街の外縁を走り回った。かつてはにぎわったのではないかと思われる南側の萩駅方面は、駅自体も簡易委託だし街並みもこれといって奇抜なものがあるわけでもない普通の街並みであったが、東側へ向かって市街の載るデルタの外へ出るように進んでいけば、古い街並みが普通によく残されていて、萩焼の窯元もたくさん、そんな古い街並みの中に居を構える。その先に、松蔭神社が佇む。
松蔭神社自体は緑の杜の中の新しい神社であるが、吉田松陰の旧宅や松下村塾の建物が残り、幕末の維新を断行した人々を育てた風土が保存される。松蔭「先生」と敬称つきで至る所に記される名前を見れば、この人が以下にこの街の人々に親しまれているかがよくわかる。松下村塾で松蔭による教育が行われたのはほんの1年だったというけれど、それだけの短い間に日本に革命を起こすほどの影響を与えた人なら、「先生」と呼ぶにふさわしい人物であるということなのだろう。そんな目で見ると、境内に建つ「明治維新胎動の地」という石碑が、とても誇らしげに建っているかのようにも見えてくるものだ。
こうして市街の大体を回り終えるころには昼過ぎになっていた。私はいったん自転車を返車し、まだ通っていない道を探しつつバスセンターを徒歩で目指した。さっき見た所のように特に城下町として古い景観が保護されている場所でなくても、所々には堀の内や武家屋敷で見られたのと同じような家や土壁があったりして、この萩の街の美しさをまた感じることになったが、近代的な商店も多くて基本的にはよく栄えた街であるようだ、蒸し暑さだけはどうにもならない、ということも含めて。
午後は海沿いの美しい海岸に沿っていくバスに乗り、指月城と対になって海へと突き出る笠山につながる砂州である越ヶ浜へ向かった。バスの終点の周囲には小さな漁村が開けているが、小さいながらも土産物屋や食堂なども並び、寂しさを感じることはない。砂州へ歩みを進めて初めに出会うものは明神池という大きな池である。一見何の変哲もない池に見えるが、池を満たす水は実は海水なのだという。何でも岩盤を通して海とつながっている池なのだそうで、すんでいる魚もすべて海水魚なのだとか。何もいわれなければ、神社の境内に佇む、本当に何の特徴も見当たらない静かな池なのだけれど、よく見ればうごめくフナムシたちが確かに、この水が海水であることを教えてくれていた。
深緑色の小高い笠山を背後にして、その杜の中の神社の境内に入ると、そこには異様にひんやりとした空間があった。風穴といい、多孔質の溶岩にしみ込んだ大量の水が絶えず蒸発熱を奪い続けているのだという。設置されていた温度計は実に14℃を指していた。バスを降りたときから萩の市街とは何か違う、そんなに暑くない空気を感じていたものだったが、その正体がここにあったというわけである。同じ萩市内とは思えない異質な空間の、やや聞きすぎの間もある天然のクーラーの威力に私は感心せざるを得なかった。
この神社が砂州と陸繋島の境となって、先の道は唐突に急坂となっていく。海岸沿いに通された遊歩道に進めば、笠山がかつて火山であったことを示す真っ黒い溶岩の作り出す荒々しい海岸線が所々に見られるようになった。多少のアップダウンがあって必ずしも楽に歩ける道ばかりではないが、それを癒してくれたのが、所々にさっきと同じように存在する風穴からの涼しい風だった。
そのうち周囲に生える樹木の中に、コウライタチバナ、ツバキなどの肉厚な葉のものが増えてきたのを感じながら歩いていくと、私はまもなく先端の虎ヶ崎にたどり着いた。やはり黒い溶岩がごろごろとする岩場であるが、それらをよく見れば確かに細かい穴がたくさん開いている。看板によれば、さっきの明神池と同じように海水が出入りする池も多くあるということだったし、どうやらこの島はすかすかの溶岩の島であるということができるらしい。穏やかに波の寄せる海を眺めれば沖合いには、いくつかの平たい島が浮かんでいる。あれも笠山と同じような溶岩の島なのだという。思っていたよりもたくさんの不思議な風景に、この笠山で私は出会うことができたような気がしたのだった。
岬の周囲の林は花の季節にはにぎやかになるらしいのだが季節柄深緑色の静かなものになっていて、私はそのまま深緑の森へつながるその道へ入り込む山頂経由の遊歩道を通って越ヶ浜へ戻ることにした。牛飼い場のあとであるという石垣やら、夏みかんのたわわに実る畑やらもあり、海岸沿いのルートとはまた違う穏やかな風景を楽しむことができるのだが、つらかったのは虫も多いということだった。まとわりつく蚊やアブを追い払い、とにかく早く脱出することを心がけて、森の中のアップダウンをこなしていたら、山頂に立ち寄ってここが火山であったことの証である火口跡を見ていくことをあきらめざるを得なくなってしまったのだった。他の季節であればこんなこともないのだろうけれど。
森の中の坂道を脱出すれば、笠山の入り口に当たる涼しい神社を境界に、すぐに極端なまでに平坦な越ヶ浜の集落へと私は再びたどり着くことができた。猛暑の萩から脱出した私にひと時の清涼を与えてくれた笠山の森に感謝の念を抱きつつ、私は折り返しとなるバスに乗り込んだ。萩市街へ戻るバスは砂州が丘陵に接する辺りにたたずむ越ヶ浜駅の近くを通るので、引き続き山陰線を上ることにした私はここで列車を待つことにした。砂州から引き続いて広がる小さな漁村の集落の、陸側の賑わいの中心であるかのように存在するコンビニの裏手の築堤上にある駅は、ホームは1本で駅舎もない無人駅だったけれど、ホームに登れば笠山を背景にして広がる漁港の風景が一望のもとになる、素朴ではあるけれど決して寂しさを感じることのない駅だった。
しばらくしてやってきた、益田へ向かう列車はとても小さい車両だった。しかも夕刻の低くなってきた日差しを嫌うかのように、地元の乗客はカーテンを閉め切ってしまう。わずかに開いていたカーテンの間には、しばらくは山間の田園風景がのどかに広がっていたが、しばらくすれば列車はまた海岸に出て、漁村の集落もそんな中に現れるようになり、また時折離れ小島をいくつも浮かべる岩場の海岸も見られるようになった。しかし次第にトンネルに入る回数も多くなっており、県境に近づいて地形が険しくなりつつあることが感じられるようになった。そしてホルンフェルスが有名であるらしい須佐の、それなりに開けていて海のきれいそうな市街に引力を感じつつもそれを振り切って通過すれば、列車は内陸の田園風景の中、そして山口と島根の境界となるちょっとした山道へと分け入っていった。すなわち、この旅の初日から6日間に渡った山口県の旅がこれで終了となったわけである。
引き続く島根県の旅の始まりを告げてくれたのは、再び海岸沿いに舞い戻った列車の車窓に現れた美しい海岸線の風景であった。崖の上を走る列車からは、林や岩盤の合間から茶色く複雑な形の海岸線が現れ、そして戸田小浜の辺りでは、白い砂浜が長く続き、穏やかな海の風景となっていた。白砂青松という言葉ってもしかしてこういう風景のことを言うのかしらと思わされるような海岸沿いのクロマツの林の中を列車は軽快に走り抜け、そして海水浴場がいくつか続くと、小さな列車はそのまま大きな益田の市街地へと飲み込まれていったのだった。
今日のところは津和野に宿を取っていたので、益田の市街の散策は明日にまわすことにして私は間髪いれず列車を乗り換えることにした。津和野へ向かう山口線の線路の近くには川が流れているらしかっだが、車窓からは堤防に阻まれてよくは見えず、深い山道の緑色を背景にして田んぼの広がるのどかな風景が続く。それでもしばらくすれば、比較的幅が広く、緑色の草を薄くまとった河原を網目を織り成すように流れる川のすぐそばを、列車は走っていくようになった。山並みも川のすぐそばまで迫り、深い緑色の影を落としていく。列車は交換のために日原という駅でしばらく止まっていった。星の降る里を名乗り、星座の看板やら、駅舎にもそれなりの飾り付けやらのあったり、郵便局が同居していたりする、新しくてきれいで何かありそうなことを予感させる駅舎であったが、すでに夕暮れの訪れつつあった切符売り場はすでに営業を終え、夜を迎える準備をしているかのような静かな雰囲気だった。日原を出ると、列車はいっそう幅の狭くなった川を近くに見ながら進んでいくようになった。この青野山の辺りには規則的な模様を斜面に刻む茶畑も見られ、若い芽の緑は周囲に広がる深緑とは異質の軽くみずみずしい色合いを車窓に与える。そして、のどかな深緑の風景の中の、田畑の一部だけが街並みに変化するようになると、列車はやがて津和野にたどり着いたのだった。
あたりはもはや夜と言ってもいいくらいの薄暗い雰囲気に包まれようとしていた。津和野の駅の周囲は古い建物が立ち並んで街を形成し、どことなくよい雰囲気を感じさせてくれた。もちろんもはや開いている店は少なかったのだけれど、明日、この街がどのような表情を見せてくれるのか、それだけを楽しみに、私は駅に程近い古い旅館に宿を取ったのであった。