山口・山陰(2001.8.2-19)


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 津和野の宿ではレンタサイクルが用意されていたので、私は早速飛びついて、朝の津和野の街へと漕ぎ出してみることにした。萩・津和野と対になって言われることが多いところだと思うが、昨日見た河口の広大なデルタに乗っかる萩は平坦で、下手をすればいくら古くて趣があるとはいえ視界のすべてが人工建造物で占められることもあったりする。それに対し津和野の市街は丘陵に取り囲まれるような格好になっていて、やや小ぢんまりした感じはするものの、市街地であっても深緑色を含んでどことなく安らぎを感じられる風景が広がるというところは、萩と好対照になっているような気がする。

津和野市街 湿度はやや高めではあったけれど空気にさわやかさを感じることができたのは、そんな津和野の市街のやさしい風景のせいなのかもしれない。そして何より、白壁の立ち並ぶ街並みの美しさには、私はただただ見とれる津和野市街よりほかになかった。道路わきの水路には水が豊かに流れて鯉がたくさん泳ぎ、すべての建物が古風で、白茶色の明るい道の色によく映えて、明るいのに落ち着いた雰囲気を作り出している。古い門の内側に建つ古い褐色の木造瓦屋根の建物は、現役の町役場であるという。わざと古めかしく建物を作る最近のパターンでは決してなくて、本当に古い建物を使っているのだ。この街の美しさは決して近代になって無理やり作り出されたのではなく、昔からの歴史によって作り出されたのだということを象徴する建物といっていいのかもしれない。

太鼓谷稲成神社から 市街の末端は美しい橋につながる。深い丘陵の作る谷間に川は流れ、市街に隣接しているというのに展開する風景はのどかで穏やかである。川沿いに少し行けば太鼓谷稲成神社への入り口があった。「稲荷」という表記でないのは珍しい気がする。本殿は高台にあるようで、丹の色鮮やかな千本鳥居は階段道になっている。ひたすら階段を登る私を、その終点で待ち受けていたものは、丹の色がこれでもかといわんばかりに鮮やかな門と本殿だった。この街の人の信仰を一手に引き受ける風格を持つ立派な本殿を控え、高台であるだけに周囲の展望もそれなりに効くのがうれしい。市街の中心のほうは見えないけれど、反対方向には山に両脇を挟まれた谷間に、細い川を中心に家並みや、遠く離れるほど明るい緑の田んぼが混じってくる、のどかな風景が遠くまで続いていた。

津和野城址から 稲成神社の近くには、市街に隣接する丘陵の中腹まで登ることができるリフトがあり、降りてからは津和野城址までの遊歩道が始まっていた。深緑色の森に通された山道を少しばかり歩けば、森の中には立派な石垣が現れ、建物はないものの三層ほどに重なった石垣の上は卅間台跡となる。ここからの眺めは、稲成神社からのものに輪をかけてすばらしいものだった。眼下に広がる津和野の市街は、周囲を津和野城址取り囲む深緑の山並みがあまりに雄大なのでむしろせせこましく見え、大きいはずのホテルも学校の校庭も、航空写真を見ているかのように、街を組み立てる小さな部品であるかのように、谷間の狭い範囲にちりばめられている。そして市街から離れる方へ視点を移せば、層状に積み重なる棚田が山肌の深緑とは異質の明るい緑色を見せ、きれいな街を周りからもきれいに見せてくれていたのだった。少し下った所にある出丸は、本丸ができたよりもだいぶ後にその防衛のために作られた場所だという。ここにもやはり美しい石垣が森の中に埋もれ、そして街並も、すがすがしいまでによく見渡すことができる。

 津和野川私はリフトで山を下り、城址から眺めたすがすがしい風景の中を引き続き自転車で駆け回った。津和野川に沿うように奥の方へ進んでいくと、維新期の学者である西周の旧宅や、森鴎外が10歳まで住んでいてヰタ・セクスアリスにも記されているという旧宅など、ここで育った文化人の遺跡が点在し、さらに川沿いに通された自転車専用道を進めば、街の末端には鷲原八幡宮の、流鏑馬ができる馬路があるため細長い独特な形をしている境内が、明るい雰囲気の下に穏やかに佇んでいる。歴史を伝えるさまざまな建物がのどかな緑の山を背景に点在する市街を楽しみながら、私は美しい河原の自転車道を市街の中心へ戻るようにゆっくりと走っていった。

 宿を出たころはまだ朝早くて開いていない門もあったりしたけれど、再び市街に戻るころにはだいぶ日も高くなり、人通りも多くなり、街はさらに活気を帯びるようになっていた。大橋のたもとの街の入り口には養老館という藩校の跡があった。建物を見るだけなら無料で入れるのだが、驚いたことに、その建物の一部は現役の公共図書館として使われていたのである。もちろん小さいのだけれど、この地域における学びの場であるという意味をいまだに失っていないということに、私は感激さえ覚えていた。黒光りする天井や柱は古い建物の味をそのまま出していて、それでいて照明などは本棚の配置に合わせる現代の図書館仕様になっている。最初に見た町役場の建物を見たときもそう思ったのだけれど、昔からの街並みを保存するということの本当の意味はこういうこと、つまり見かけだけではなく、建物の機能さえも昔のままに保存することなのだということを、私は知ることができた気がした。

 再び市街の中心から離れ、私は線路の西側に控える丘陵を巡ってみることにした。坂道を登った丘陵の中腹には永明寺という、古くて重厚に造られたかやぶきのお堂が美しい寺院がある。建物もよいが、丸や四角に刈り込まれた木が池を囲む庭園もまた美しく、滝の流れる音があたりに静かに響き渡って、穏やかな境内を作り出している。墓地の中には森鴎外が本名林太郎として眠っているという。そして、隣の山を少し登ると、その中腹には乙女峠マリア聖堂という、これまで見たものとは少し雰囲気の違う建物があった。明治維新期に改宗を拒んだ長崎は浦上のキリシタンたちがここに集められ、拷問を受けたことがあるという。今では森の中に小さな小さな聖堂がさびしく、しかし小奇麗な姿を保ちながら建つのみなのだが、こんなところに長崎との縁がある場所があるなどとは想像だにしていなかっただけに私は驚くと同時に、今が平和な世の中であることに感謝の念を抱かざるを得なかったのだった。

 こうして津和野の美しい街並みをだいたい回り終えたころ、街には正午のチャイムが鳴り響いた。市街で昼食を取り津和野駅に戻れば、ちょうど小郡方からSLやまぐち号が到着しようとしている時だった。到着とともにわんさかと観光客が降りてきて、大して大きいわけではない駅の中はたちまち大賑わいになり、黒いSLの周りにはカメラを持った客が黒山の人だかりとなった。私にとってSLというものを目の当たりにするのは初めてではなかったのだが、やはりSLというのは、電気機関車やディーゼル機関車とは違って、複雑な曲線と大きな丸で構成される特殊なもの、見れば見るほど面白い形をした物体で、近くでまじまじと眺めれば眺めるほど、一般の観光客の人気を集めるのもわからんでもないなあと感じさせられたりもした。

 ここにきて天候も下り坂となり、とうとう、この旅に出て初めての雨にも出くわすことにもなってしまったのだが、かまわず私は次の歩みを進めるべく、昨日は乗り換えるだけだった益田へと戻る列車に乗り込んだ。やまぐち号の大量の客を引き継ぐ形にもなってそれなりの客、しかも明らかに観光装備と見られる人たちの多く含まれる客層とともに、うとうとしながら益田まで連れてこられれば、雨こそ降っていなかったけれど、それなりにさわやかだった津和野とは大違いのうだるような暑さに、私は驚きさえ感じていた。

 益田の市街も史跡の点在する街であるらしく、面白いことに、駅を出て左手は雪舟の街、右手は柿本人麻呂の街というように、わりあいはっきりとした区別があるらしかった。とりあえず私は雪舟の街の方へ向かうバスに乗り込んでみた。かなり大きな益田の街並みは、しばらくいっても途切れないが、しかし進むにつれて角張っていた建物がだんだん、瓦屋根の古くて重厚なものに変わっていく。そして、街並みを囲む深緑の丘陵がすぐそばまで来ると、バスの終点にもなっている医光寺があった。

医光寺庭園 バス停の前にはすでに巨大で古く重厚な雰囲気をもつ総門があり、本堂の建物にも古くて深みのある白茶色の木が醸し出すどっしりとした存在感があったが、ここもまた、庭園がすばらしい寺だった。雪舟が設計した庭園だといい、深緑の崖のふもと、四角く刈られたつつじが池の周りに配置され、池の中には静かに鯉が泳ぐ。私は雪舟がいつもいたという部屋に座り込み、彼がいつも見ていたのと同じであるという角度から庭を眺め、絵が下手な私だがどうにか彼の絵心を感じられないだろうかと、しばらくじっと努力してみた。効果などあるはずもなかったけれど。

 万福寺庭園近くにある万福寺にも、また雪舟庭園があった。しかし雰囲気は若干違っていて、くすんではいるけれど丹で塗られた門から境内に入れば、背後には崖もなく、四角く角張ったツツジもなく、岩や池はあったけれどむしろ芝が目立って広々とした、どこか開放的な感じを与えてくれた。雰囲気の違いは美しい庭園と一言で済ませるにはあまりにも大きく、庭園というのも実は設計者の意図の込められた一つの作品なんだなあ、なんてことを、ゆっくり歩きつつ私は考えたのだった。

 近くにはそれなりの規模の住宅もあり、医光寺で折り返すバスは、駅を通ったあとは西側のさまざまなところへ向かう。バス停の時刻表を見る限り本数も少なくはないようで、益田はバスの便のいい街であるといってよさそうな感じである。さまよい歩いた結果住宅街の中にぽつりと立つバス停にたどり着いた私は、まもなくやってきた蟠竜湖へ行くバスに乗り込んだ。程なく益田の市街の中心部から益田駅にたどり着いたバスは、今度は人麻呂の街ということになっている、駅から見て右手の市街へと進んでいく。依然として賑やかそうな街並みは続いているが、ゆったりとのどかな風景を作りながら流れていく川を越えると、そのたびごと建物の大きさや種類が素朴なものへと変わっていく。途中の小さな住宅街の中にある寺の境内には、連理の松という、よくある2本の松の幹が交わるように生えているものがあるという案内があったが、見る限り、松くい虫か落雷にでもやられれたのか生えているのはただの1本の松でしかなかったりしてさびしい思いもしたものだった。そして、終点が近づいていくと、空港がそばにあるせいで、道の幅はむしろ大幅に広がって郊外型の大型店舗も現れるようになり、これまでの流れに従わない異常な雰囲気に車窓は一瞬包まれたけれど、わき道に入ってしまえばバスはまた、安らぎを与えてくれる深緑の風景の中へと戻っていき、日本で一番小さいらしい競馬場の近くをかすめてまもなく、終点となる蟠竜湖へとたどり着いた。

蟠竜湖 蟠竜湖は公園として整備されかかっている行楽地といえそうな感じである。竜がとぐろを巻いたような形と形容されている、二股に分かれた人造湖的な複雑な形の湖は、枯れたものも混じっている松の木が多く育つ、切り立った斜面に囲まれる。釣堀や貸しボートの類のにぎわう中心の部分からは、木材チップが敷かれてふかふかと歩きやすく整備されている遊歩道が、湖を二股に分ける丘の上へ延びており、木陰から複雑な形の湖がのぞかれるのだが、湖岸ぎりぎりを通っているわけではないので、視界いっぱいに安らぎの水の風景が広がるというわけにはいかない。しかしダイナミックにというわけでは決してないけれど、遠くないところにある海が市街のむこうにのぞいている様子が高台から垣間見られる場所もあったりもして、静かな森の中の風景を楽しみながらベンチに座って暑さや疲れを癒すには悪くない所だと私は感じることができた。観光地としてどんなものがあるのか事前にはあまり知らず、萩や津和野に行ったときとは違う心構えを持って訪れた益田の市街であったが、思いのほか楽しむことができたという満足感とともに私は帰りのバスに乗り込むことができたのだった。

 私はすでに夕刻となった益田をあとにし、宿をとった浜田へ向けてまた山陰線を東進した。小型のワンマンカーには中高生が満載され、車内にはどうも景色を見ようなどという雰囲気はなさそうな感じだったのがなんともいえない。列車は程なくまた海岸に出た。下り坂の空模様のせいかこの旅でこれまでに見てきた中では比較的高い波が、美しい松原に向かって打ち付ける、浮世絵かなんかに描かれていそうな風景が車窓に展開していった。やがて、車窓には所々には美しい磯浜が現れるけれども工場の姿も目立つようになってきて、益田から車内を満席にしている中高生を最後までほとんど降ろすことなく、そのまま列車は浜田の市街へとたどり着いた。益田との結びつきの強いことがうかがわれた浜田の市街は、降り立ってみると確かに発達した商店街もあって便利そうな雰囲気が感じられ、私は安心してそんな商店街のただなかに立地する宿へと入ることができたのだった。


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