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今日の旅は、松江の市街の見どころを巡ることから始めることにした。JRの駅に行けばレンタサイクルがあるとかいう話が古い情報として手元にあったので、とりあえず寺町を経由してJRの駅を目指した。商店街に隣接するように寺院街の寺町があったりする、歴史のある城下らしい雰囲気を楽しめたが、まだまだ朝早いせいか、雰囲気はあくまでひっそりとしている。たどり着いたJRの駅はやはり整備の進む巨大なものであったが、レンタサイクルのありかはよくわからず、むしろ今日もさわやかなこの風の中をのんびり歩いたほうがいいかなと私は考えたのだった。バス路線網も発達する市街、歩きつかれたら適当にバスに乗ればいいだけのことである。
松江の市街は宍道湖の北側にいくつも堀が巡らされ、そのためにいくつも美しい橋のある街並みになっている。駅と松江城との間に広がる城下の繁華街は、早朝であるせいもあって薄暗く、寂しい雰囲気さえ感じられたが、市街の中心にある松江城には、きれいな赤色の石垣と緑の木々に守られて、至って明るい雰囲気が広がっていた。整備された園地のような広々とした敷地の中にあって、赤色の石垣の上に圧倒的な存在感を誇る天守閣は黒くどっしりとした感じで、周りの色とりどりの風景の中で重厚なものを感じさせてくれる。明治維新後に解体されそうになったのを、旧藩士たちの懇願で残されたものだといい、山陰地方では唯一の現存城なのだそうだ。私はその、どことなく風格を感じさせてくれる黒い天守閣の中へと歩みを進めていった。
城に登るとまず初めに、石垣の内側の地下室へと通された。城の地下室というところへ通されたことは私は今までなかった気がする。地下室には昭和期に解体修復されたときに再利用できないと判断された部材が展示され、またとてつもなく深い井戸もあったりした。本来は籠城に備えた食料庫であったらしいが、それもあっさりと納得できるほどの、隠し収納スペースといったところか。階段を上っていけばあとはよくありがちな、鎧兜や宝物などの展示物を見せられるパターンであったのだが、何よりもすべての階を貫く黒々とした太い柱が、どっしりと支えてくれるような安心感を与えてくれる。石落としという、敵に向けて防御をするための目立たない場所というのも示されていて、この城の秘密を垣間見ることができるような展示になっていた。
太い柱に守られながら最上階まで登れば、そこはすべての窓が開け放たれた開放的な天上であった。外に出れば市内のすべての方向に見晴らしが利き、宍道湖のほとりの街や丘、そしてかすかではあったが、これからの旅の方向には大山の姿も見られるようになっていた。吹き抜ける風は涼しく、見える風景も、太陽の光を反射してさわやかに輝いている。鳶もたくさん空を舞う。当然街並みそのものが昔のままであるわけはないだろうが、昔からずっと松江の街を見てきた城は、進化してきた街の様子をどのように眺めてきたのだろうか。私はしばらく、すがすがしい風に打たれながら、このすがすがしい景色に身を任せていたのだった。
緑豊かな城内の赤くきれいな美しい石垣に守られる風景から、緑の小道を抜けて堀を渡って城の北東側へ出れば、そこには武家屋敷風の建物が多く残る、塩見縄手という白と黒の強健な美しい街並みが広がっていた。白い壁に黒い柱、門構えの瓦屋根、堀端に立つ柳の並木、そんなしっとりとした味わいのある街並みを、私はのんびりと歩きつつ、この地を愛してやまなかったというラフカディオ・ハーンの記念館と旧居へ足を運んだ。
記念館では彼が日本各地を旅して記したという「知られぬ日本の面影」から抜粋した文がいくつか示されている。日本人の私でさえ見たことのない情景が生き生きと感じられる描写に、私もここまでの表現ができるようになればよいのだがとうらやましく感じさせられた。木造で瓦屋根の、あくまで日本式の古い住居である旧居は当時のまま、蓮の花の咲く庭園も保存されている。かの作品はここで書かれたものなのだという。見知らぬ日本に来た彼が、異邦人としてこの街をどのように見たのか。私もいつか、この作品を読みながらまたこの松江を訪れ、この地の情景に対する彼の感じ方を私自身の糧にしたいものだと、私は強く思ったのだった。
私は涼しく快い風の吹き抜ける中、城の入り口の大手前から、松江城の周囲にめぐらされた堀を周遊する小さな遊覧船に乗ることにした。城に近接する内堀では、赤い石で作られたきれいな石垣や、低く堀へせり出した木々の間をゆっくりと進んでいく。のんびり泳いでいた白鳥が実はこの前行ったばかりの宇部の常盤公園からやってきたのだという船頭さんのアナウンスには、人知れず驚きを感じたものだったが、白鳥のほかにも甲羅干しをする亀、魚を狙うアオサギや、なぜかタヌキ、そして交尾するカモとアヒルなど、動物の姿も多く見られる。そんなのんびりとした時が流れているかのような内堀を、小さな船は所々橋をくぐりながら航行していく。
場合によっては暗渠を通過したり、特に低い橋をくぐったりするのだが、屋根が下がり、乗客も姿勢を充分低くしなければならないという、なかなかスリリングな航路だったりもする。そんな、普通の船旅ではなかなか味わえない面白さを充分に味わいつつも、周囲の風景を眺めれば、これまで上から眺めてきた橋や堀の姿を、あるいは武家屋敷の街並みを、また違った角度から眺めることもでき、楽しい航路となった。船は外堀にも出て、宿があった京町なども下から見上げてやることができ、私はなんだかこの松江という街を詳しく見ることができたようなうれしい気分になることができたのだった。
城の周囲を一通り巡った私はとりあえず、松江駅に戻ることにした。駅の近くはむしろビジネス街化していて、日曜の今日はかえってひっそりとした雰囲気だ。城のほうは観光客も多くてにぎわっていたし、駅の中も人が多く出てにぎわっているのだけれど、駅の周囲だけはなぜかむしろ静かな雰囲気だったりしているのである。適当に昼食を済ませた私は、バスに乗って八重垣神社を目指すことにした。バスは広範囲に広がる松江の市街をひたすら走ったが、終点が近くなると、次第に細い田舎道を走るようになっていった。
八重垣神社は、田園地帯の中に残された小さな杜の中に、しかし明るい神殿を堂々と示していた。なんでもヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトがイナダノヒメと結婚して新婚生活を送ったというところらしく、縁結びや子宝の神様ということになっているらしい。一見ひっそりとしている奥の山へ入れば鏡ヶ池という小さな池があって、婚期の占いもできるという。実はあまり私には縁のなさそうなところだったりもした。境内から外界を見れば、山の裾野に広く広がる田圃の緑色と、蝉の鳴き声がどこか懐かしさを誘う、里の風景が広がる。ここも古代出雲の古都だったらしいのだが、古都といわれる土地に共通する情景であるような気もする。
そんな、田圃の広がる山道を案内してくれる「はにわロード」に従って、私はのんびりとのどかな風景の中を歩いた。田圃の中では日陰が少なくて暑い感じもするが、それだけに涼しい風だけを浴びることのできる木陰はありがたい存在だ。深緑の丘陵に囲まれて、緩い傾斜の明るい緑の田園や、わずかばかりの小さな建物が現れるのみの風景を眺めながら歩いていけば、たとえ多少の坂があろうとも、気持ちまできわめてのんびりとしてしまう。道の途中にある神魂(かもす)神社は、境内こそそんなに大きくないけれど、出雲大社よりも400年も古い様式で建築されているという本殿が自慢らしい。確かに、太い柱で高床式で堂々とした社殿は、周囲を圧倒するに充分な勢いを表している。道と本殿を結ぶ石段の上からは松江の市街、そして宍道湖らしき青いものが地平付近に垣間見られるが、それでも視界の大部分を占めているのは相変わらず、緩い傾斜を持ちながら広がる黄緑色ののどかな田園風景のままである。
引き続き歩みを進めれば程なく、丘の上に整備された園地が現れた。八雲立つ出雲風土記の丘である。広い芝生の園内に入れば、古墳や住居、大賀ハスなど、風土記の時代の遺物に触れられ、資料館でも県内の古墳から発掘されたものを見ることができる。出雲イコール神話と考えてしまいがちだけれど、ここの展示はあくまで客観的な事実を知らせるもので、ある意味特別なことはない土地であるということもわかって私は何となく安心した。松江の近辺はやはり古墳の多いところらしく、古代からこの地域の政治の中心であったらしいことを展示は教えてくれる。こんなにのどかになってしまっても、かつてここはそういう賑わいを持つ土地だったのだということを今に伝えてくれる様々なものを前に、私は今一度、昔この地に流れていた空気のにおいを、のんびりと想像してみたのだった。風土記の丘にも松江駅とを結ぶバス路線が通じていた。こちらの道沿いは点在する古墳や史跡へのアクセスがかなりよいらしい。のどかな雰囲気の中を走る区間はさほど長くなく、バスはすぐに松江の市街地へと入っていった。
周囲が夕方にさしかかろうとした頃、私は松江を後にし、引き続き山陰線を上った。車窓の海側には宍道湖から流れ出た幅の広いゆったりとした川がとうとうと流れる。列車はその水面とほぼ同じ高さの道を進んでいく。元々は宍道湖も中海も同じ海だったといい、湖と区別がつかないほどの豊かな水面は、その名残を表しているのかもしれないなあ、などと私は想像を巡らせていた。渡船のあるところもあるらしい。やがて列車は川から離れ、昔は海だったかもしれない田圃の広い風景が車窓に一面に広がった。中海へ流れ込む別の川も、広くゆったりとした川面を線路の下に見せていく。やがて車窓には中海が姿を見せるようになった。青い海は遠くに広がる米子の市街や、長く延びていく島根半島に囲まれてはいるけれど、むしろ宍道湖よりももっと広々とした海として、車窓に横たわっていた。そして中海に通じるいくつかの川を越えるたび、周囲はまた、市街の雰囲気に包まれるようになっていった。
私はドジョウすくいで有名な安来で途中下車していくことにした。もっとも今の安来は日立の城下町ということで落ち着いてしまいそうな感じもする。駅から出て、市街の中へ分け入る感覚でほんの少し歩けば、私はすぐに中海と出会うことができた。この辺りの中海は、市街を見下ろす十神山との間に入り込む格好になって良港を作り出しており、港をまたぐように架かる橋の上に登れば、市街地を刻むような太い水路は海と連続するかのようにさざ波をたてている。見られたら見てみようと思っていた和鋼博物館には時間切れで入れなかったが、中海の広さを間近で体験できたことで、私は途中下車をした意味を充分に見いだすことができていた。この街には足立美術館とか清水寺とかほかにも見どころがあるらしいし、機会があったらまた再訪することにしようと、私は心に決めたのだった。
安来と米子の間は、山陰線の線路は中海を迂回するように延びているようで、米子の巨大な街並みはすでに見えているのに、列車はむしろ回り込んで田畑の中を進んだ。峠や川があるわけでもないのにいつの間にか、列車は県境を越えていた。すなわち、今日の旅の終わりは、島根の旅の終わりでもあり、そして、鳥取の旅のスタートともなったわけである。そのスタートを飾る米子の市街を、宿を探しながらうろうろとしてみれば、想像以上にかなり開けた便利な街であることが伺い知れ、そして知らなかった名産の赤貝ご飯と、栓抜きをプレゼントしてくれた酒屋さんに感謝しつつホテルで味わった地ビールの味は、これから始まる鳥取県の旅の楽しみを想像させてくれる美味しいものであった。