1.岩国、下松(8.2) / 2.山口、長門峡(8.3) / 3.宇部、長府(8.4) / 4.小串、土井ヶ浜、角島(8.5) / 5.川尻岬、青海島(8.6) / 6.萩(8.7) / 7.津和野、益田(8.8) / 8.浜田、温泉津(8.9) / 9.石見銀山、出雲大社(8.10) / 10.日御碕、立久恵峡(8.11) / 11.松江市(8.12) / 12.美保関、弓ヶ浜(8.13) / 13.大山(8.14) / 14.倉吉、白兎海岸、湖山池(8.15) / 15.鳥取砂丘、浦富海岸(8.16) / 16.余部鉄橋、浜坂、竹野浜(8.17) / 17.城崎、玄武洞、出石(8.18) / 18.福知山、保津峡(8.19)
再び暑い一日が始まった。長門市で見たかった所は2つあったのだが、歩かなければならない方は朝の涼しいうちに出発しようと決め、私は少し早めに宿を出て山陰線を昨日までとは逆行し、朝靄に煙る青海島から遠ざかるように、人丸へ向かった。本州の西北端に当たるという川尻岬へはここからバスに乗ることになる。よほど客のいない路線なのか、運転手はどこまで行くのかととりあえずの唯一の客であった私に尋ねてきた。その旨を言ってみたら絶句されてしまったというのもまあ、予想の範囲内といえるだろう。こちらとしてはバスを降りてから30分は歩くということまでは調査済みでそれでも行こうと思っていたのだから、普通バスで行くところじゃないとたしなめるように言われたところで、バスに乗ることをやめようという気が起こるわけもなかったわけである。
バスは人丸の集落の中の細い道をうねうねと通過していく。油谷湾に流れ込む河口の付近にできた漁村のようで、古い瓦屋根の家並みの目立つ素朴な集落だ。油谷大橋を左手に見送ると、左にあった水路は川から湾へと変わった。遠くの方はかすんでいるが、本土と半島、そして遠くにある油谷島に囲まれた、湾というよりも湖の大きなものであるかのようにも見えてくる。油谷半島の付け根から本体の方へと進んでいくバスはやがて高度を上げていき、車窓は山道の合間から海がのぞかれるようなものへと変化していく。そんな険しい油谷半島が細くくびれた部分の日本海側に、川尻という漁村が開けていた。
岬までは歩いて50分はかかるという運転手の再三にわたる警告を拝聴しつつ私はバスを降り、それでも岬を目指した。もっとも詳しい地図があるわけではなく、海沿いに行けばいいのかと思ったらいつの間にか山の中の私有地に誘導されて行き止まりになってしまったりなどと、何度も道に迷いながらの流浪の旅の気分に満ち満ちてしまったりもした。本当の道は、小さな川が作り出した谷間に広がる千枚田のような明るい緑色の風景を見渡す高台へとつながる細い道で、海沿いなんてとんでもない明らかな山道である。太い広域農道に合流するまでの細い道までは田圃や人家、そこそこ大きな神社なども見られたけれど、合流してしまえばそんな人工的なものは全くなく、ただひたすら、森の中に通された道を行くことになった。
そんな道を、ガイドブックの言う30分歩いても、運転手さんの言う50分歩いてもなかなか目的地らしい所にはたどり着かず、このままこんな森の中永遠にたどり着けなかったらどうしようと不安にも駆られてしまったけれど、歩き出してから1時間ほどでようやく、私は岬周辺に整備された園地へとたどり着くことができた。とりあえず海原の見えるベンチに座って冷静になってようやく、運転手さんも困惑するわけだなあなどと他人事のように思えてきたものだった。日なたはもちろん暑いのだが日陰は風が涼しくて、見晴らし台からは眼下の岩場に打ち付ける波も穏やかで、広がっていたのは明るい雰囲気の中の、のどかな岬の風景だった。
目の前には海に浮かぶように巨大な岩があって、陸地はその険しく切り立つ岩と砂州状につながっている。この辺りは特に向津具(むかつく)半島と呼ばれ、その先端に接するその岩の先頭に、本当の本州西北端である川尻岬があるらしい。もちろん、先端に通じる遊歩道もあった。しかしその道は、見た目以上に険しいものだった。ぞっとしてしまうほどの角度の石段を登り詰め、頂上の灯台の下を通過し、ロープを伝わらなければならないほどの険しい登山道を下ることで、私はようやく、本当の本州西北端へと出ることができた。険しい岩石と背の低い黄色い草、静かな波の音と蝉の声に支配される、険しい中にもどことなく安らぎを感じさせる世界が、そこには広がっていた。自分以外の人影は見あたらず、この一面の日本海を独り占めにできる、しかしやはりどこか寂しい岬の旅情は、やはり先端を制してこそ語れるものなのだなあ、などと私はここまでの決して楽ではなかった道のりを振り返りながらしみじみと感じていた。
そして、この劇的な風景と出会っただけでは険しい道のりは終わったわけではないのだと言うことを、私は痛烈に感じることとなった。同じ道を引き返すというただそれだけのことなのに、険しい登山道を引き返すうちに、気分が悪くなるほどの息切れが私に襲いかかってきた。すばらしい風景に出会うことはできたけれど、無理なことは体力と相談しなければならないな、と私は反省することしきりなのだった。
それでも往路と明らかに違っていたのは道がわかっていたということだった。登山道を脱出して落ち着いた私は、往路と同じ道を、長距離だというのに極めて軽快に、森の中のウォーキングを楽しむかのように川尻の集落へと向かって引き返していくことができた。往路ではかすめるだけだった森の中の大きな日吉神社にも気持ちの余裕を持ってお参りすることができたし、そして森を抜けた高台から川尻の集落を一望のもとにできた瞬間の、大きな喜びと爽快感は、私にとっては何事にも代えがたい癒しとなったのだった。
川尻の集落に戻ると同時に正午のサイレンが漁港に鳴り響いた。私は郵便局に行ったり水分補給をしたりすることを通して、この素朴な漁港の雰囲気に少しだけ触れることができた。漁港に面して暑さの中にさわやかな風の流れるバス停から私はバスに乗り人丸駅へ、そして列車に乗り継いで長門市へと戻ることにした。昨日も通った道ではあったが今は日も高く、車窓には昨日とは比べ物にならないくらい明るい風景が展開していった。
午後は、青海島一周の遊覧船に乗ることにしていた。船の乗り場へは山陰線の支線でもバスでも行くことができるので一瞬便利そうに見えるのだけれど、しかし実際にはどちらも本数が少なすぎるという悲しい現実があった。ほんの数分の移動距離なのにバスや列車を待つと船に乗るのが激しく遅くなってしまうのが馬鹿らしくなり、私は仕方なくタクシーに頼ってしまった。市街地は青海島に向かって三角形状に突き出すようになっていて、西側の海沿いの道を少しだけ走って仙崎の街へと入ると、長門市の駅前なんかよりもよほど賑やかそうな市街が続くようになった。明るい雰囲気に造成されていた港に停泊していた遊覧船は、1時間半という航行予定時間から私が想像していたのよりも小さくて、鯨を模した形の船はとてもかわいらしく見えた。季節柄客も多く、赤い鯨と青い鯨の二隻が続行して出ることになったらしい。
青海島は、仙崎の市街から見る限りは、多少起伏はあるけれど深緑色をした普通の丘であるように見える。しかし、この小さな鯨に乗って外海へと漕ぎ出せば、その様相は見事なまでに一転していった。灰色や、茶色や、緑や、そのほかいろいろな色の岩盤がむき出しになり、日本海の荒波を受けてできたという洞門や洞窟が、そこかしこに連続して現れる。そしてこの長丁場をこなす遊覧船には、小型でなければらならない理由が確かにあったのである。小型の鯨はその機動力を存分に発揮し、洞窟があれば入り込み、洞門があれば通り抜け、瀬戸があれば通過し、垂直のしわがたくさん入った岩盤が海に立ちはだかる様子を、常にダイナミックに見せてくれた。色の違う岩石は時には斜めにくっきりと断層を作り、時にはきれいな地層を作り、時にはまだら模様になり、海の色もさまざまに変わる岩盤の色を映しこんで青や緑に美しく透き通り、フジツボやウニらしきものの姿もくっきりと見えている。漁船や海女さんの姿も時折見られるけれど、こんなすばらしい風景の中で生活ができるということが羨ましくも感じられた。
そのようなめまぐるしくな変化するすさまじい海岸線を楽しんでいたら、長そうだと思っていた一時間半なんてあっという間に過ぎてしまった。大きな島を一周して再び仙崎港へと回りこむまでには海岸線は普通の風景に戻り、あのすさまじいまでにダイナミックな海岸線は決して内地側からはうかがえない。実際に乗ってみることで初めてすごい風景に触れることができるという意味で、ぜひ人に勧めたい乗り物だと私は強く思うことができたのだった。
船着場に戻った私はしばらくの間、周囲に広がる仙崎の市街を歩いてみることにした。仙崎の駅から垂直に、青海島に向かって、「みすず通り」という商店街が連なっている。この地出身の金子みすずという童謡詩人にちなんでいるという。七夕祭りの期間中だそうで七夕飾りがいたるところにつけられ、ただでさえ長門市駅の周囲よりもにぎわっている街並みは、輪をかけてさらに華やいで見える。駅から10分も歩けばそんな道も終点となった。道とともに陸地も途切れ、間近に大きくそびえ立つ深緑色の青海島との間の川のようにしか見えない細い海をあっさりと一跨ぎするかのような、頭上に架かる鉄骨の青海大橋はあまりに大きい。こんなにもすばらしい観光資源があり、こんなにも栄えた市街なのに、列車のダイヤがめちゃくちゃなのはなぜなんだろうと、私は駅に戻りながらどこか腑に落ちない気分にさせられてしまっていた。
私はその、仙崎駅から発車する数少ない列車に乗り込んだ。時刻表上では目立つ存在ではあるけれど、なんということはない田んぼの中をほんの少し走ればすぐに本線に合流してしまうだけのごくごく小さな路線である。この列車は長門市からそのまま美祢線へ入るので、温泉のある長門湯本へも直行できたのだが、私は預けていた荷物を回収してからバスで温泉へと向かうことにした。駅前はあまり栄えているように見えなかった長門市も、駅から離れて国道沿いに出ればそれなりにはにぎわっているようで、役場のあたりにはいろいろな店が立ち並び、渋滞だって起こっている。それでも程なくバスは国道を避けて細い路地へと分け入っていくようになり、辺りにはまた山間ののどかな風景が広がるようになってきた。やがてそんな深緑色の風景の中に、不釣合いなまでに人工的な建物が密集している温泉街が現れてきた。
そこは、さほど大きい温泉街というわけではなくて、一本の川の流れを中心としたいく筋かに集約されてしまっているような感じであったが、それでも立ち並ぶホテルはそこそこ大きく、また流れる川に架かる橋も朱色に塗られていて、川沿いに街路樹のように植えられている柳の木もまた、絵に描いたような温泉街らしい雰囲気を充分に盛り立てている。この市街には公衆浴場が2つあるということは聞いていたが、川沿いに建つ古めかしい雰囲気のある木造の建物の方には工事の関係で入れず、高台の方へ行かざるを得ない状態だった。単なる公衆浴場のような体裁であったが、まあ文句は言えまい。湯船に入ったとたん、私の足や腕、首筋に激痛が走る。知らぬ間にかなり日焼けが進んでしまっていたようだ。泉質はアルカリ性ということですべすべするような感じもあり、また硫化水素臭もあって、体が異様に温まる。脱衣所の中は当然蒸し暑かったが、外に出れば風は異様なまでの心地よさだった。コンビニに入ればビールだってあり、きわめて心地よい夕方の湯上りの散歩を私はしばらく堪能することができた。そして、長門市駅への帰りのバスでも、なんでもない冷房がこの上なくありがたいものであるかのように私はしみじみと感じていた。
仙崎のちくわをおやつにつまみながら、私は宿を取ってあった萩へ向かって再び山陰線を上ることにした。日が傾き夕刻の風景となった田園の中、列車はゆっくりと進んでいく。山間の風景もあれば時々は海沿いにも出て、夕暮れの複雑な海岸線もまた美しく車窓に広がる。時折そんな中には小さな家並みが密集する漁村の風景もあったりする。そしてどんな風景にもかなり低い角度から夕陽が照りつけ、多少かすんではいるが近くに浮かぶ島々も逆光を浴びて、海岸線は灰色の輝きを見せる。萩の市街が近くなっても、松の木がアクセントを与える茶色の岩礁に彩られた美しい海岸線が現れる。列車からの車窓としてはこの辺り、かなり見ごたえがある部類なんじゃないだろうか、と私は思わずにはいられなかった。玉江からは萩の市街地に入っていくが、列車は直接市街の中には入らず外周を迂回していくので、右手の車窓は深緑色の丘が主体となる。一方で左手に広がる、萩の市街を包み込むような幅の広い川は、沈みそうな赤い太陽をはっきりと映しこんで、落ち着いた輝きを放っていたのだった。
私は宿の最寄の東萩駅に降り立った。とにかく立ち並ぶ建物がとても大きいというのが、私がこの市街に持った第一印象である。駅の近くにはかなり幅の広い川がゆったりと流れていて、橋の上から周囲を見渡せばさほどごみごみした感じもしない、どこか重厚な落ち着いた雰囲気が漂っているような気がした。明日この街でどのような風景が見られるのか、いろいろと想像しながら、私は宿への道を軽快に歩んでいった。