1.岩国、下松(8.2) / 2.山口、長門峡(8.3) / 3.宇部、長府(8.4) / 4.小串、土井ヶ浜、角島(8.5) / 5.川尻岬、青海島(8.6) / 6.萩(8.7) / 7.津和野、益田(8.8) / 8.浜田、温泉津(8.9) / 9.石見銀山、出雲大社(8.10) / 10.日御碕、立久恵峡(8.11) / 11.松江市(8.12) / 12.美保関、弓ヶ浜(8.13) / 13.大山(8.14) / 14.倉吉、白兎海岸、湖山池(8.15) / 15.鳥取砂丘、浦富海岸(8.16) / 16.余部鉄橋、浜坂、竹野浜(8.17) / 17.城崎、玄武洞、出石(8.18) / 18.福知山、保津峡(8.19)
私は久しぶりに見たまとまった雨の中、まずは浜田の市街にある見どころを探ってみることにした。駅前から出るバスに乗って、広い範囲に広がる浜田の市街を移動し、市街を囲む丘陵のふもとのバス停で降りれば、浜田城址への入り口を示す掲示があって、私は導かれるままその丘陵の中腹へと草むした坂道を登っていった。林の中の雨でぬかるんだ道をしばらく登ると、緑青の屋根が堂々とした護国神社の本殿の、後姿が現れた。終戦記念日が近いせいか祭礼の準備が進み、普段はないであろう木材の組まれた構造物があって、それが障害となってどういうわけか本殿の正面の広場に回る通路が見つからない。
不思議に思いつつも私はさらに登山道を進んだ。道は草に埋もれ水をたっぷり含みながらもさらに高台へ続いていて、足を完全にぬらしつつも登りつめていくと、その終点に、苔で覆われてしまいそうな石垣があった。この石垣こそが浜田城址ということになるようだったが、建物もなければ見晴らしもなく、ただ森の中に埋もれてしまうかのように石垣が静かに眠るのみの、寂しさを禁じえない雰囲気が周囲を取り囲む。実は丘陵のふもとから石垣へ至る道はもうひとつ、よほど歩きやすい階段道もあったりして、県政移管の際に津和野から解体されて運ばれてきたものであるという小さいけれど暗い森の中風格を表す山門をくぐって階段道を降りれば、そこはさっき後姿しか見られなかった護国神社の本殿の真正面だった。もっともしとしと降る雨に、広場には無数の水がたまり、朝早いこともあって他の人もほとんどおらず、そのことがまた寂しさを助長して、とりあえず雨のよけられる簡単な休憩所に座ってみても、荒城の月のメロディーがとても似合いそうな、さびしい城跡の雰囲気に私は打ちひしがれてしまうのみなのだった。
城山の麓には、大きなスーパーがいくつかあるけれど基本的にはなんでもない素朴な住宅街が広がっていて、城山とは川を挟んで反対側にそびえる丘陵へ分け入る道を進むと、私はやがて粟島公園へとたどり着いた。城山とは違って港に隣接し、見晴台として周囲の展望も開ける。そんな見晴台に立てばとんびの群れの向こうには、大きな船と大きな橋が存在感を示す賑やかそうな港が広がる。蚊が多いのには困らされたけれど、城山で感じたような得体の知れない寂しさとは異質の明るい展望に出会えたことを、私は素直に喜ぶことができた。
素朴な路地が家並みの間を縦横に通る市街を歩いてその穏やかな雰囲気を充分に味わいつつ、私は城山の麓のバス停まで戻り、浜田駅を通り越してさらに反対側へ向かうバスに乗り込んだ。住宅街で満員になるまで乗客を集めてきたバスであったが、浜田駅でそのうちのほとんどは下車してしまった。果たして、浜田駅を過ぎてしまうと、もはや街並みは長続きせず、バスは坂道を次々と登って、切通しの森の中の深緑の雰囲気の道を走っていくようになった。高速に接続する未知なので幅は広いのだけれど、交通量は多くなく、信号はあくまで黄色が点滅するのみの、寂しささえ感じてしまう雰囲気の道をバスはしばらく走り、まもなく再び海沿いに広がる素朴な漁村の中へと進んでいった。
私は畳ヶ浦口というバス停でバスを降りた。小さな街並みを抜けたところに国府海水浴場がある。小さな砂浜で左右はすぐに荒々しい緑の海岸線が控えている。その、右側の岩盤を目指して海沿いに歩いていけば、岩盤には人道トンネルがくりぬいてある。そこが、畳ヶ浦への入り口であるようだった。暗くて、闇の中に溶けてしまいそうな感覚に襲われながらも私はトンネルの中を進んだ。道は波が削った洞窟の中へと進んでいく。薄暗い洞内には外の海から高い波が激しく打ち付け、その音はトンネルの中にこだまして、大した波でもないのに辺りは轟音に包まれる。
道は再び短いトンネルとなって、それを抜けさえすれば、そこには千畳敷、畳ヶ浦の海岸が、灰色の空の下、深緑の高い崖に守られるように佇んでいた。隆起して浮かび上がった岩盤が波に浸食されて、海水面すれすれの高さで灰色の平らな表面を露出するようになり、節理が規則正しく走って畳敷きのように見えるというのが、畳ヶ浦という名前の由来だという。しかし目立つのは節理よりもむしろ、団塊と呼ばれる、表面に残された丸い突起であった。地層が堆積しているうちに、化石を中心として硬い成分が集まり、その部分だけが浸食を受けなかったというのだ。広い石畳にたくさんの団塊のちりばめられた風景は、私にとってはなんだか他の何よりも異質な不思議なものに見えてしまったが、しかし荒く波が押し寄せて、潮溜まりのフナムシが足音を鳴らすだけで集団逃走するさまは、他の磯浜の海岸とそんなに変わらないようだった。
海水の中に侵食されずに島のように残った、馬の背という巨大な岩礁から先に広がるのは、明治初期の浜田地震で隆起してきた岩盤だという。景観もそれまでとは多少異なってきて、灰色だったはずの岩盤は茶色となり、波に浸食されてできた小さい穴がそこここに口を開ける。侵食が始まってからだいぶ長い時間がっている前半部分とは対照的に、ここは今まさに波による岩盤の侵食が始まったばかりで、柔らかい部分から先に浸食を受けているということらしい。これから長い時間がたてば、また違った景観になっていくのかもしれないと、私は想像をめぐらせた。今は親子連れが、波に削られた岩盤の隙間に入って遊んでいる。この不思議な海岸線の風景は、揺らめく海、潮溜まりで遊ぶ親子連れを含めた周囲の様子を含めて、とても穏やかなものであるように私には感じられた。
隣接する小さな集落の中には国分寺のあとがあるらしいが、そこにたどり着くためには異様な遠回りを余儀なくされた。完全に市街から外れてしまった林の中には、今では国分寺とは違う別の寺が建てられているだけだった。私は国道に立つ小さなバス停からバスに乗り、少しだけ浜田の方角へ引き返して、下府(しもごう)駅で列車に乗り継ぐことにした。駅口のバス停と駅は川を挟んだ対岸同士である。国道の車の往来はそれなりに盛んであったが、鉄道の駅は非常に小さく、辺りの雰囲気はあくまでのどかなものだった。
下府駅から乗り込んだ山陰線の上り列車は、左手に畳ヶ浦への入り口の岩盤を見送ると、深緑の丘陵にはさまれた山道をしばらく行った。水族館の最寄り駅であるらしい波子のあたりでは、きれいに作られた駅舎の先にはきれいな砂浜も見られ、そして列車は一転、比較的開けた平野の中を行くようになった。国道も近くに併走するせいか建物もそれなりに多い。実は浜田から江津までの間はこの国道にもバスが頻繁に走っていて、むしろ列車よりも便利なくらいであるらしい。私は江津のひとつ手前の都野津という駅で列車を降りた。駅の周囲に広がる市街はさほど大きいとも思えなかったが、しかし瓦屋根の古い建物が細い道沿いに立ち並び、それなりの反映を感じさせてくれた。線路に併走する国道も市街を貫くが、バスはあまり駅前には入ってこない。私は国道沿いにあるバス停から、江津駅を目指すバスに乗って少しだけ進んだ和木という所に降り立った。
海の近くに家並みの続く集落の中の路地を少し山側に入ると、深緑色の丘陵を背景に田んぼが広がる風景がすぐに現れた。そんな田んぼに囲まれた民家のひとつに、ここにも雪舟作の庭園があるという。小川という旧家の庭で、今でも人が普通に住んでいるから見学には家の人の手を煩わせなければならないというのがめんどくさいのだが、しかし家の人は実に丁寧に説明を私にしてくれた。背後に迫る斜面に石を配置して山並みや滝などを表現しているとのことで、いくつか雪舟庭園を見てきたけれどやはり、石の使い方の奥深さを感じずにはいられない。最近になって何本も松が枯れてしまい、当初の景観ではなくなっているようだけれども、それも雪舟の計算に入っているのかもと思わされるかのような、落ち着いた明るい雰囲気のあるきれいな庭園だった。
私は、和木のバス停に予定よりもだいぶ遅れてきたバスに乗り込み、都野津には戻らず直接江津駅へ向かうことにした。バスの走る国道沿いにはそれなりに建物がたくさん立ち並ぶが、右手そう遠くない所にはすぐに緑の丘陵が迫り、左手そう遠くない所には海もありそうな雰囲気である。そんな道が一瞬むしろ深緑色の険しい山並みにはさまれて蛇行すると、道は新たな小さな集落へとつながり、バスは江津駅へと到着した。江津駅の駅舎はかなり大きく見えたが、それはもしかしたら、駅の周囲に広がる街並みがむしろ小ぢんまりとしていたからなのかもしれない。そして駅舎の裏には、すぐに深緑の丘が高く立ちはだかっている。むしろ広い駅の構内が、どことなくすかすかであるかのような感じさえ受ける。発車時刻表も、特に三江線方面は泣きたくなるほどのすかすかぶりである。駅を背にして細い路地に入ればすぐに漁港があり、付近には市場もあるらしい。そして私がこの街に対して持った数少ない印象の一つは、ここは刺身定食のうまい街だ、ということだった。
遅い昼食をとり終えた私は、山陰本線をさらに東進した。列車はすぐに江の川の、かなり広くゆったりとした河口を一跨ぎし、しばらく続く街並みの中をしばらく進むと、まもなく海岸へと躍り出た。荒々しい茶色の断崖がこの辺りにも続き、枯れた松原の足元を覆う白い砂浜には、青い海にやや強く立つ白波が盛んに打ち寄せる。やがて列車が高台の松林の中へ分け入ると、間もなく停車した駅は黒松というあまりにもできすぎた名前だったりもした。列車は基本的に高台を行くようになったが、海岸の風景も時折松原の間から垣間見られる。それは岩石と瓦屋根の家並みに囲まれた漁港だったり、砂浜の海水浴場だったりする。
やがてたどり着いた温泉津(ゆのつ)で私は列車を降りた。駅の周囲は小さな港と高い山に囲まれ、海が陸地に深く切れ込んだ所にある穏やかな港を回り込むような感じでほんの少し歩けばすぐにたどり着く近くの温泉街は、あくまで狭い領域の中に小さく広がる。細い路地の周りに木造の小さく古めかしい旅館がひしめくように立ち並び、絵に描いたようなひなびた雰囲気を醸し出している。共同浴場も何件かあって、ここまでにかいた汗を流そうと、私も立ち寄っていくことにした。なんだか鉄のにおいがしたような気がしたが、含石膏食塩泉だということである。
次の列車が来るまでこの街で過ごすつもりにはしていたが、街の大きさの割にはかなり余裕があったので、私は市街を囲む丘を越え、北側の海岸を目指してみることにした。浴後の体には多少きつい上り坂であったが、森の中に通された道を抜けてようやくキャンプ場にたどり着けば、強烈なまでの潮風が、えもいわれぬ快感を火照った私の体にもたらしてくれた。
陸続きとなっている島は櫛島というらしく、海岸線は複雑な形に侵食され、満ちようとする海は容赦なく節理やら洞窟やらに攻撃を仕掛けてくる。崖には白っぽい地層がむき出しになり、家族連れが遊んでいる平らな岩盤は、さっき見てきた千畳敷から団塊を取ったような、隆起した土地が侵食されてできたような感じにも見えてくる。ここに遊びに来る人にとっては、そこそこダイナミックな波がやってくる外海と、岩盤に守られて静かな内海にはっきり別れるこの場所は、遊びがいがあるに違いない。私はそんな賑わいから少しだけ距離を置いて、きれいな海岸線を眺めながら、押し寄せる波の音をしばらくのんびりと楽しんだのだった。
そのうち温泉津の小さな市街も夕暮れの雰囲気に包まれるようになった。私はあともう少しだけ山陰線を東進することにした。まだこんな車両があったのかと驚かされるような朱色一色の気動車に乗り込めば、車窓には相変わらず、基本は山の中だけれども時々きれいな海岸が目に飛び込んでくるような風景が続いていった。
宿に入るために下車した仁万駅の周辺には多少の集落が広がっていたが、国道まで出るとむしろ田んぼが目立ち、外で食事を取ろうと考えていた私は多少苦しむことになった。とりあえずようやく一軒だけ見つけたコンビニで軽食を仕入れはしたが、こちらは素泊まりのつもりで予約したのにいざ入ってみれば食事が用意されていたという互いの見解の相違が、今回だけはちょうどよい方にはたらいたことになったわけである。この夜は激しい雷雨となり、数回ほど停電も発生した。雷鳴が轟き不規則に稲妻の光る中、この夜ばかりは翌日の旅の展開が不安に感じられたものだった。