能登半島(2002.3.21-31)


1.倶利伽羅峠(3.21) / 2.厳門(3.22) / 3.ヤセの断崖、総持寺門前(3.23) / 4.輪島、曽々木海岸(3.24) / 5.禄剛崎、珠洲飯田(3.25) / 6.九十九湾、縄文真脇(3.26) / 7.宇出津、中居(3.27) / 8.穴水、能登鹿島(3.28) / 9.能登島(3.29) / 10.七尾、大境(3.30) / 11.氷見(3.31)

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 天気は急速に回復するとの予報であった。外に出てみれば、すでに青空がのぞき、まだ厚い雲が青い中に分散を始めていた。私は和倉温泉駅から一駅だけ、のと鉄道でもJRでもある七尾線の七尾行きの列車に乗り、今日の旅を開始した。単行の列車はかなりの混雑を呈していた。

 七尾の市街自体は昨日雨の中、車の中から見ていて、賑やかそうな街だということはわかっていたが、能登半島で一番の都市と言うだけあって、賑わいは広範囲に渡り、どんなに細い路地にも、建物が密集して立ち並んでいる。そして何気なく植わっている桜の木も、ちらほらと花を開き始めていた。昨日輪島で開花宣言が出たということはニュースでやっていたし、山桜も七尾城までの道に開いているのを確認していたから、そろそろかと思っていたところのうれしい発見に、私は脇目もふらずシャッターを切りまくった。

小丸山公園 市街地の中には、小高い山に整備された小丸山城趾、小丸山公園があった。昨日見た七尾城ほど大規模なものではないのだけれど、穴水城程度というべきか、3段ほどのステージを持つ城跡で、史跡としての価値よりも何よりも、とにかく、椿と桜の公園なのである。ヤブツバキの花もきれいに、深緑の葉の中にたくさんの可憐な花をつけているが、何よりも高台に大量に植わっている桜が、濃いピンク色の蕾を大量につけ、そしてその一部がすでに薄紅色の小さな花を開く。その桜の木のあまりの多さに、公園中の至る所が、ピンク色の春の雰囲気で満たされていたのである。あたかもここが、七尾の街の中で最も強く春の雰囲気を感じることのできる場所であるかのような感じさえ、私は受けていた。そのピンク色の桜越しに見る下界の風景は、当然昨日の七尾城趾からよりは狭い範囲なのだけれど、市街は遠くにそびえるその七尾城趾を乗せる高くて深緑の山並みまでの間まで、たくさんの建物で埋め尽くされて隙間のないように広がっている。近くに見える港に固められた海は静かだが、海沿いの工場の煙突からは煙が上がり、なおのこと生き生きとした街の表情を見せてくれていた。そんな街の風景を眺めながら、この街の春を感じることができたことを、私はしばし喜んだ。

 私は下界の街並をさまよった。どの通りに入っても建物の密集する七尾の街並も、奥まれば奥まるほど素朴な古い建物が多くなり、歩けば歩くほど私は古くから発展していそうなこの街の味わいを感じたものだった。港の旅客埠頭は「食祭市場」として整備され、大きな建物の中に土産物屋や鮮魚店が並んでいる。魚もおいしそうだし酒もおいしそうだが、独り暮らしの身では土産物ばかり買っても仕方ないし、実際に買うのはこのたびで何度も目にしてきた魚醤、いしるだけにしておいた。海岸沿いは「マリンパーク」として整備される途中であった。もうだいぶできあがってはいるが、まだ立ち入ることはできないようだ。完成すれば、穏やかで対岸に小島や能登島を擁するきれいな七尾南湾を間近に眺められることになりそうである。

温泉街 食祭市場の旅客埠頭からは七尾西湾の遊覧船も出ていて、昨日車で眺めてはいたけれど海の上から眺めるのもまたおもしろいかと思い、乗り込んでみることにした。曇り空ではあったが七尾湾は穏やかで、波よりもむしろ船が立てるしぶきの方が激しいくらいだった。昨日は上と両端から見た能登島大橋を、私はまた下から、間近から見ることになったが、よりそのスリムで美しい曲線がはっきりと見て取れた。そして船は和倉の温泉街を遠くに見ながら、ぽっこりとふくらんだ中海のような七尾西湾を、昨日車で通った能登島の西岸の道と並行するように北上していった。中島町の海岸線も、能登島の海岸線も、それぞれ緑の丘が美しく入り組み、穏やかな海を囲んでいる。

ツインブリッジ そしてしばらく進めば、中島ツインブリッジがまた現れたのだった。斜張橋の堂々とした美しさは深緑の両脇の崖に囲まれ、橋の真下には深緑の小さな森を擁する猿島が、岩礁に囲まれて静かに浮かぶ。能登島大橋もツインブリッジも昨日も見てはいるけれど、潮風と海水のしぶきをたっぷり浴びつつ、真下からという昨日とは全く違った角度から見上げてみれば昨日とはまた違う趣で、2つの島をしっかりと結びつけている姿に、私はかっこよさのようなものを強く感じることになった。

 船では鳥のえさも売られていて、子供が投げるパンにカモメやトンビが急降下急旋回でわらわらと集まり、複雑に一心に旋回を繰り返す微笑ましい光景にも私は出あうことができた。船は七尾西湾を再び引き返し、能登島大橋を再びくぐり七尾南湾に出てからは、船内ではなぜかロープの結び方講習会が催され、不器用な私ではあったが、まき結び、もやい結びを教えてもらうことになった。親指に縄を引っかけて手のひらを返すのがポイントらしい。小型船舶の免許試験に出るとのことで、その経験をおもしろく生かしてくださっているようである。約束の60分間、私はたっぷりと船旅を楽しむことができたのだった。

 短い船旅を終えた私は、駅と港との間に広がる賑やかな商店街に戻り、人気のあるらしい寿司屋で昼食をとった。奮発したことになってしまったが、アカニシもうまかったし、そして何よりあのミミイカのかわいい姿が忘れられない。小さい体に耳がついていて、それでいて足がちゃんと10本ある姿に、私は自然の芸の細かさを感じずにはいられなかった。

 午後になり、私はいよいよ、この旅を始めてからの延べ10日を過ごしてきた石川県をあとにする路線バスに乗り込んだ。立席が出るほどの客を乗せたバスは、能登半島の東岸に達する前に、さしあたって七尾南湾に沿う七尾の街並の中を進んでいく。山の方には雲がかかりまだすっきりとは晴れていないが、今朝方よりも気のせいか開花が進んだような気もする七尾の市街は、上から見下ろしたとおりかなり広い範囲に広がっているようだった。それでも走って行くにつれて、建物の密度は下がっていき、海側に貯木場を見るようになると、道は迫り来る山並みまでの間に狭く広がる田んぼに挟まれるようになる。海側に建ち並ぶ工場は、おそらく対岸の能登島からも大きく見られたものなのだろう。

 やがてバスは、一転七尾南湾に背を向け、杉林の中の山道を登り始めた。能登島に沿って小口瀬戸まで回り込むようなことはせずに、能登半島の東岸へ向けてショートカットをするといった具合である。みるみるうちに周囲は山深くなり、トンネルを抜ければ、狭い谷間に限られた範囲で田畑の広がる山間の田園風景の中へと出ることになった。バスはいくつかの山間の集落に立ち寄ると、今度は法面補強の痛々しい切り通しの間をカーブを繰り返して下っていき、程なく百海(もうみ)で海との劇的な再会を果たした。陸地に囲まれた七尾の海とは違って外海、富山湾を向いており、遮る陸地のない分どこまでもどこまでも広々と広がって見える海だ。外海であるわりには波もさざ波程度にしか立たず、広々と広がる穏やかな富山湾に沿って、バスは延々と走っていった。海岸線もこれまでの能登半島の海のように変に入り組むことなくまっすぐ、なだらかに続いていく。そして海底に海藻の森が見渡せる透明感もまた、すばらしいものだった。砂浜や岩場には実に大量のカモメやアホウドリが群れをなして羽を休めている。

 海岸は決してどこまでも直線というわけではなくて、時々は岩場や崖が立ちはだかることもあり、そのたびバスは曲がりくねって上下する道を行く。高い所に登れば、海はなおのこと広く青く、そして山の方を見れば、田んぼが谷間一面に堂々と広がる。そして本格的に海岸線が入り組んでくるのかと思ったあたりで、海沿いに広がる住宅街で大量の客を下車させたあと、バスは県境を越え、富山県側に数百メートルばかり進んだところにある脇という小さな集落で終点ということになった。海沿いにだけ小さな家並みが立ち並び、背後を丘陵に固められる脇の集落の正面は、すぐに何にも遮られない海が面していた。天気もだいぶよくなり、海はその青い輝きをますます深くしていた。海岸を固めるテトラポッドの上にはやはりカモメが群れをなし、しきりに鳴き声を立てるから、のどかではあるけれど決して退屈ということはない。

富山石川県境 乗継ぎのバスの時間が来るまでの間、私は石川県の名残を求めて数百メートルほど海岸のバス道を引き返した。県境の付近には、崖の上に通じる激しく急な階段道があった。滑らないように気をつけながら、私は一段一段を踏みしめるようにゆっくりと上まで登ってみた。果たして、目の前には青い青い富山湾ばかりが一面に広がっていた。対岸に何もない海は、水平線がまさに丸く見える、爽快以外の何者でもない風景を見せてくれたのである。石川県側の海沿いに広がる、さっきのバスが大量の客を降ろしていった家並みも一望のもとになるが、この巨大な海のもとにあっては、あくまでもこぢんまりとしていた。バスの乗継ぎだけのために訪れた集落ではあったけれど、こんな爽快な海の風景に出会えたことに、私はただ感謝しながら、再び県境を越え、石川県に最後の別れを告げたのだった。富山県側のバスは休日は大きく減便となるとのことで、予定していたよりもこの集落での待ち時間は長くなることになった。しかし他に行ける所があるわけでもなく、私はただ、砂浜のテトラポッドに座り、さざ波が揺れる海の上にトンビが舞うのを見ながら、カモメの鳴き声を聞くだけの、のどかな昼下がりを満喫することになった。

 やがてやってきた富山県側のバス会社のバスに乗り込み、私は引き続き能登半島の東岸を南下した。ぽつりぽつりと、しかし比較的長く家並みが続いていくようになった海岸沿いの道をバスは走っていく。富山県側に入って、海岸線は多少ごつごつしてきたかなとも感じたが、沖を固めるテトラポッドにカモメが群れる、波の穏やかな富山湾であることには変わりがないようだ。やがて海沿いに険しい岩礁がせり出すと、バスは山道を迂回し、再び海岸沿いに出た所の大境という集落で、私はいったんバスを降りた。

大境 大境は漁港の街であるようだったが、見た限り民宿も数多く建っている。港の隣は公園として整備されていて、ここでも波のほとんどない広々とした富山湾が眺められる。右側に延びる青白い丘陵は氷見や高岡の市街あたりまで続いているのだろうか。そしてその先には、まるで蜃気楼のように、新湊辺りの工場群が海の上に浮かんでいるように見られる。そんな漁港の背後を固めるようにして高くそびえ立つ白い肌をむき出しにした崖には、大境洞窟が刻み込まれている。わずかばかりの杜の中に立つ小さなお堂を回り込むと、直上の崖からしみ出す地下水の攻撃にさらされ、何とか回避しつつ奥に進めば、その洞窟が口大境洞窟を開いていた。大きな洞穴は人が入れる範囲こそ狭いが、非常に狭くはなっているものの奥まで続いているようで、匍匐前進すれば入って行けそうな感じでもある。

 洞窟の内壁には地層が露出し、かつては大正時代、最初に発掘調査された洞窟として重視されていたという。私が特に驚いたのが、この地層を発掘した結果、縄文の方が弥生よりも古いことが実証されたという意味を持っているということだった。常識として信じて疑ったことのなかった事柄が、実はこの洞窟のこの地層から明らかになったのだという。単なる洞穴ではすまされない重大な意味を持っていたということに、私は驚きながら、しばらくの間洞窟と同じように大口を開けてたたずむより他になかった。

 この周囲は九殿浜と呼ばれ、崖の上には展望台や花畑もある遊歩道が通されているという。それは隣の小境という集落にまで続いているようで、実はけっこう時間をかけても惜しくない場所だったらしい。つくづくバスが平日ダイヤでもう少し早く脇を出発できていればと私は悔やんでしまったが、次回は是非時間に余裕を持って訪れたいものである。夕暮れにさしかかり、陽も低くなって、静かな漁港の街は次第にオレンジ色を帯びてくる。ピーヨロと泣いて飛び回る鳶も、もうそろそろ家に帰る時間である。私も氷見にとった宿を目指し、引き続きバスに乗り込んだ。

 バスは引き続き、複雑に入り組んでいて所々に民宿街も形成される海岸沿いを、海にあわせてカーブを切りながら南下していく。入り組んでいるといってもリアス式のように入り江が山の間に割り込んでいくようなものに比べれば、時々ごつごつとした入り江が現れる程度のかわいいものである。阿尾の浦あたりまで来ると、道の周囲にはかなりの規模の街並が開けるようになった。城跡がいくつもある歴史の街でもあるらしい。遠くの方に見えていた海沿いの建物も、だんだんと大きく見えるようになってきた。どうやらバスは本格的に氷見の市街へと入ったようである。こちらもかなり大きな街であるようだ。程なく道に連なる建物の密度も上がり、バスは完全に氷見のどことなく古くて素朴さを感じさせる街の中を進むようになった。氷見中央の辺りにはアーケードつきの商店街も現れるようになり、文句なしの「市街」といった感じだ。

 私は市街地の中の宿に入り、夕食を求めて夜の氷見の市街をさまよった。さすがに寿司屋と鮮魚店が多く、七尾にも負けず劣らず大規模で賑やかな街であるように私には感じられたが、あてにしていた店にはことごとく裏切られ、結局は飲屋街の大衆割烹でキトキトのブリカマをいただくことになった。港に通じる川には桜の木が植わり、もうだいぶ開花したものもあって、私はきれいな夜桜を楽しむことができた。駅前に立ち寄り湯のようなものがあってそこに行くつもりにしていたのだが、宿の近くのアーケード街の中にも「氷見温泉」を名乗る銭湯があった。本当に温泉かどうかはわからなかったが、建物も内装もレトロチックなのが印象的である。おそらくかなりの昔から建て変わることもなく存在し続けているのだろう。どうやら氷見は富山のキトキトの魚と同じ、しゃぶればしゃぶるほど味のある街であるようだ。


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