1.倶利伽羅峠(3.21) / 2.厳門(3.22) / 3.ヤセの断崖、総持寺門前(3.23) / 4.輪島、曽々木海岸(3.24) / 5.禄剛崎、珠洲飯田(3.25) / 6.九十九湾、縄文真脇(3.26) / 7.宇出津、中居(3.27) / 8.穴水、能登鹿島(3.28) / 9.能登島(3.29) / 10.七尾、大境(3.30) / 11.氷見(3.31)
翌朝の能登半島西岸、昨日のような峠の荒天ではもちろんなかったけれど、しとしととした雨が降りしきる中、私はとりあえず、海に出てみることにした。松林の中に通された一本道の下り坂を10分ほど下れば、そこには千里浜という海岸があった。長くまっすぐに伸びる海岸線は赤茶けた細かい砂で敷き詰められ、それは固く踏みしめられて、大型バスでさえ足を取られることなく平気で、時折波が足を伸ばしてくる砂の道を通ることができる。しかし砂浜がバスを通っていくという奇妙な絵以上に、そこに接する日本海の荒波は、私に激しい印象を与えてくれる。しとしと雨の降る中、白い空の下で、機嫌の悪そうな海はひたすら轟音をたて、白い波を何度も、何度も逆立てていた。
敷浪駅へ戻る道も多少長いけれど、駅前の小さな住宅街も、雨のせいか静かに静まりかえっている。私は七尾線の列車に乗って少しだけ北上した。車窓に目立つのは赤茶けた、さっきの千里浜と同じ色を露出する畑だった。田んぼはむしろ少なく、松林の風景とともに、海岸段丘の風景が車窓を流れていった。私は羽咋という駅に降り立ち、本当なら市街の様子でもかいま見ようと考えるところだったが、寒いし、雨だし、何より歩く体力を温存しておきたいという心理が働いて、今日のところはおとなしくすることにした。駅の近くに川が流れていて、その対岸にはそれなりの規模の街がありそうな匂いがしたが、駅前はあくまで交通の拠点としての意味を強く打ち出すのみで、駅そのものの規模の割には小さい街であるかのように見える。
七尾線は羽咋からは内陸へ分け入ってしまうので、ここから私は、能登半島の西岸に沿って北上するバスに乗り継ぐことにした。バスは、予想したとおりにぎやかそうな羽咋の市街を進んでいった。駅からの乗客は少なかったのに市街の中心からは結構な数の客が乗り込んできたというのが、この羽咋という市街の特徴を表しているかのようでもある。やがてさしかかった二つの川の合流点に掛かる羽咋大橋は河口にも近く、その向こうには波が逆巻いている様子も見られる。大きかった商店街も程なく途切れ、篠地や松林が車窓を占めるようになっていく。高台の道からは眼下に広々とした田畑が広がる様子も所々に見えてくる。
気多大社の近くの一の宮を過ぎてしばらくすると、バスは海のすぐ近くを行くようになった。小学校前のバス停からは、終業式だったのか大荷物を持ち帰る小学生の大量乗車があって、「ありがとー」という平板なアクセントで下車する小学生たちに運転手が「春休みだねー」と声をかける、明るい情景にも出くわしながら、バスは北上を続ける。道は海の近くではあるけれど海岸線にぴったりというわけではなくて、柴垣海岸も林の中にかいま見られるだけだったし、車窓は基本的にはまばらな松林と、砂州上の畑が入れ替わり立ち替わりしていく。高浜では国道から離れて市街地へと入っていく。しばらくぶりに現れる市街だったから大きく見えるだけなのかとも思ったが、バスターミナルもきれいなのが作られていて、相当な規模を持つ街であるかのような印象を与えられた。やがてバスは完全に内陸を行くようになり、風景は松というよりは葉のない落葉樹に囲まれる、起伏に富むものになっていく。
やがて富来(とぎ)町の田畑の中に一列に連なる家並みの中の、駐車場のようなバス停である三明(さんみょう)でバスは終着となった。そこにはすぐに接続する小型のバスが待ちかまえていた。小型のバスは、発車するとすぐにエンジンを振るわせるような急坂を山の中へと分け入っていく。後ろを振り返れば、とても歩くことができなさそう急坂が下界へ続いていく。わずかばかりの工業地帯が時々現れる山道はここにきてなおうっそうとして、上り坂が終われば直ちに下り坂が始まる。海へ向かうまでの道に試練を与えているかのように、激しい傾斜が続いていく。福浦港という集落に入っても名前とは裏腹に海の姿はなかなか見えてこず、細い路地の下り坂をぐねぐねと下りてようやく、川のように細く引き込まれた港が現れた。海岸に出るのも容易ではないほどの、複雑な海岸線が続いているらしいということが、海の全貌を見ずとも充分に予想できてくる。福浦からの道もかなり傾斜がきつく、車窓に海の姿が見られることも多くなるけれど、ほんの少し走っただけで、その表情は激しく変わっていく。通りがかったドライブインから見られた荒々しい風景の袂まで行くだけでも、小さなバスのエンジンは高々とうなり声を上げていく。
私は厳門(がんもん)という海岸線を訪れるべく、園地の中の高台にあるバス停に降り立った。松林の植林された園地もやはり起伏に富み、展望台もいくつもあって、そのどこからでも複雑に入り組む海岸線が海に対して高くそびえる風景を見ることができる。そして、そんな岩場に通された急な階段道をゆっくりと下に降りていけば、そこには真っ黒な岩石が急斜面や崖面にへばりつき、真っ白な激しい波が幾度となく、何度も何度もそのごつごつとした黒い海岸に押し寄せ、砕け散ることを繰り返していた。波の勢いはとどまることを知らず、少し油断して海水面に近づいてみようとすると、断続的にものすごい勢いで押し寄せる波から、一瞬のうちにその触手が私の足下へ迫ってくる。厳門洞穴そのものを見る前からこの有様で、私はこの波の激しさに、「厳」の字を強く感じざるを得なかった。
この、あまりの波の荒さが年々続いてきたものであることを示すのが、近くの千畳敷岩であるという。さっきのごつごつした景観とはひと味違い、テーブルのような平らな岩石が、激しい波に洗われて顔を出したと思ったらまた波間へ隠れていく。自身のごつごつとした荒々しささえ削り取ってしまうほどの激しい波が、今日もとどまることなく繰り返し繰り返し岸辺に寄せてきている。そして海に突き出す半島状の岩盤の反対側に回れば、その岩盤の一部が波に削られて貫通してしまった洞門が、鷹の巣岩という巨大な三角形の岩盤に囲まれた小さな入り江と外海とを結んでいた。ここも当然のように波は激しく、しかも外海を回ってきた波と洞門をくぐってきた波とがそれぞれ激しくはじけ飛び、そして二つの波が合流してなおのこと激しいしぶきが入り江にひっきりなしに砕け散る。険しい、激しいという形容だけでなく、むしろ名前の通り厳しい、怖いという言葉が頭をよぎり、間近でじっと眺めるということが難しくなるような風景だ。
私は洞門から崖上の園地へ続く急な階段道を一段一段ゆっくりと上り、二つの黒くてごつごつとした岩盤に挟まれて激しい波しぶきが絶えず散る険しい浦の全貌を、上から見下ろしてみることにした。観光バスが来るたびに人は多くなるのだけれど、その人の波の切れ間に、崖の上の松林の中にあるベンチに座って海を眺めれば、間近で見たときには轟音とともに激しく逆巻いていた波も、恐怖を感じさせない程度に小さくなって、ごつごつしていたりテーブル状だったりする複雑な海岸線が波に洗われている様子が、遠巻きの映像として眺められるようになった。次のバスの時間まではまだまだあって退屈さも感じないわけではないけれど、バスの接続でまったりとした時を過ごさなければならないのがこの場所でよかったと思うことができるような、厳しくも上から眺める限りは見応えのある、美しい厳門の風景だった。
私は昼もだいぶ遅くなった頃にやってきたバスに乗り込んだ。バスはほんのわずかな時間に、厳門の延長上にある高い崖の上に通された道を少しだけ北上したのち海沿いの道へと迂回し、二ツ岩状の機具岩などのやはり複雑できれいな海岸線を間際に眺められる車窓を見せ、すぐに富来町の中心までやってきた。
富来「駅」を名乗っているバスターミナルの周囲は小さくて寂れているかのような感じが一瞬したけれど、細い道を少し進めば、広々とした道沿いにたくさん商店の並ぶ街並が現れる。そして川を渡って反対側に出れば、今度は瓦屋根で格子のびっしり入った、大きくて古い木造の家並となる。この街の歴史など知らずに、ただ交通の結節点だから、そしてただたまたま宿が取れたから来ただけなのだけれど、どうやら古くから栄えてきている所なのかもしれないなと私は感じた。そんな古めかしい家並の中をのんびりと川に沿って歩くと、川は河口へとたどり着くが、ちょうどその辺りが厳門からの険しい海岸と、増穂浦(ますほがうら)と呼ばれる長いなだらかな砂浜との境になっているようだった。
河口に立てば左手には複雑な海岸線、そして右手には延々とまっすぐ砂浜が延びていて、二種類の海の王道がそろっている風景はなかなか壮観でさえあった。そしてどちらの風景にも共通しているのは、やはり荒波が白く激しく渦巻いていることだった。砂丘の上には、そんな風景をただ眺めて楽しむだけのためにうってつけの場所が用意されていた。私はその世界一長いベンチのごくごくわずかな一角を占有させてもらい、煙草を燻らしながら、行き交う波に洗われる海岸線を眺めながら、そこそこ栄えた古めかしい味のある街のすぐ近くにこのような場所が用意されている富来という街の雰囲気を、ゆっくりとかみしめていたのだった。
国道に沿って歩けば、富来「駅」の周囲に広がっていた古めかしい味わいの街並とは異質の雰囲気の、無機的な幅の広い道は、街から遠ざかるほど、現れる店も郊外型のものへと変わっていき、そして何より、建物同士の隙間に畑らしき赤茶色の空き地が広がるようになっていく。緑色の背の低い植物が植えられた区画もあり、赤茶色と緑色のモザイク模様が海岸段丘の斜面を織りなすようになっていく。そんな国道を私は、宿としたサイクリングセンターへと向かって、ゆっくりと歩いていった。