能登半島(2002.3.21-31)


1.倶利伽羅峠(3.21) / 2.厳門(3.22) / 3.ヤセの断崖、総持寺門前(3.23) / 4.輪島、曽々木海岸(3.24) / 5.禄剛崎、珠洲飯田(3.25) / 6.九十九湾、縄文真脇(3.26) / 7.宇出津、中居(3.27) / 8.穴水、能登鹿島(3.28) / 9.能登島(3.29) / 10.七尾、大境(3.30) / 11.氷見(3.31)

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 木の浦で迎えた朝はとてもさわやかないい天気だった。いきなり必死な思いで急坂を上り詰め、高台のバス停へ向かえば、待ちかまえていたのは昨日までのとは違う、西日本 JRバスの車両だった。車内には広告の類は一切なく、唯一の掲示は、廃止のお知らせのみ。この3月末を以てJRバスは能登半島から撤退するという話は聞いていて、今日の私の旅の目的には、能登半島の先端を目指すことと共に、余命幾ばくもない路線バスの様子を探るということも含まれていたわけである。

 バスは、昨日の道の続きとなる高台の道を進む。車窓からは木の浦のごつごつとした海岸線が常に見渡せ、沖合には漁船団も停泊している。昨日までとは違って波も穏やかで、きわめてすがすがしい朝の海の風景を楽しみながら進んでいくと、やがてバスは海に臨む山間の田んぼの間、そして少しばかり開けた集落へとたどり着く。

禄剛崎灯台 能登半島の先端に近い狼煙で私はバスを降りた。バス停のすぐ先には漁港が広がり、そして周囲には民宿や商店が並ぶ。背後にはすぐ近くに深緑の丘陵が控えるから領域自体は広くなさそうだったけれど、とりあえずバス停の周囲は市街地の体裁を保っている。半島の先端に建つ禄剛崎灯台へは、左手に控える高台の上へ、森林の中に通された急な階段道を進む必要があった。多少息を切らしながら苦労して高台へ登り詰めれば、芝生のような緑色が爽やかな園地が開かれていて、そしてまた爽やかに透き通る青色の空と海を背景に、さほど背は高くないけれどずんぐりとした太さの貫禄ある白い灯台が建っていた。

 まだ朝早いせいか平日のせいか人のいない園地からは、至る所から低い場所に横たわる海を、そして何にも遮られない丸い水平線を独り占めにすることができた。眼下に広がる外浦の海岸には、陸地に平行にいくつも縞模様のように岩礁が走り、青い海の中に白黒の模様を書き込んでいる。そして内浦の海は強い日差しに照らされて白くまぶしく光り、小さな漁船が時折漁港に出入りする他は、穏やかに波が揺らめくだけの、とても静かな朝の雰囲気に、周囲一帯は満たされていたのである。風は依然冷たいが、快晴の日射しは柔らかな暖かさをもたらし、スイセンやヤブツバキの咲き誇る明るい緑色の園地で、ベンチに座って楽しむ煙草に、私は最高な旨さを感じたものだった。

能登半島の先端 灯台の下に横たわる海岸にも、岩づたいに歩いていけば、比較的容易に行くことができた。当然のように韓国製のペットボトルが打ち上げられていたりするのは何だかなあといった感じなのだが、基本的にこの辺りはごつごつとした岩礁で占められていて、周囲の海から押し寄せる波はその岩礁の縁で拡散されて、目前まではやってこない。岩には海藻が張りついていて滑りやすく、あまり歩きやすくはなかったが、私はできる限り、能登半島の先端と言えそうな場所へと近づいてみた。そこではいくつかの思い思いの方向から絶えず訪れる波がクロスして複雑にはじけ、そして振り返れば、能登半島の先端という大きな意味を持つ断崖が、白や茶色の角張った岩や地層を露出させつつ、しかし周囲の岩盤と変わらない格好でそびえている様子が手に取れた。左の外海と右の内海、やはり外海の方が多少波があるような気もするが、表情こそ違えつながっている海。私はそんな海を間近にしながら、私自身の旅の折り返し点でもあるこの陸地の先端の旅情をしばし感じていたのだった。

 私はそれなりに建物は並ぶ、明るいけれどどことなくひっそりとしたままの狼煙の市街へ戻り、引き続き半島の先端を回り込むバスに乗り込むことにした。「お世話になりました」というヘッドマークを掲げながら走るバスは、狼煙の集落を出るとまた急坂を登り、海岸沿いというよりもむしろ、深緑のうっそうとした森の中を進んでいく。何度も何度もカーブを繰り返し、山岳の路線バスかと見まがってしまうほどである。そんな深い森を抜けると寺家の集落で、またバスは海沿いに降りていく。振り返ればさっきまでいたと思われる道は、目の前の白い砂浜に連続して白茶色の断崖として海に面している。穏やかに波を立てる青い海に沿って南下し続けると、須須神社の大きな鳥居が道にそびえ立つ。そして、森腰からは内陸に道沿いに連なる小さな集落を進む。車窓を見ると自転車に乗った中学生の集団がバスに手を振っていく。ヘッドマークの「お世話になりました」への返礼なのかどうかはわからないけれど、素朴な風景ばかりが残る海沿い山沿いの集落をつなぎ、余命1週間のバスは、道を踏みしめるようにゆっくりと走っていく。

鉢ヶ崎海岸 やがてバスは、半島の先端を完全に南側まで回り込み、鉢ヶ崎海水浴場へと進んでいった。私はバスを降り、リフレッシュセンターとして整備された松林の園地を越え、海に出た。そこには真っ白で長く、目の細かい砂に支配される砂浜が横たわっていた。青い海からは波が絶えず寄せてくるけれども、今まで見てきた中では最も小刻みで、突然荒々しく牙を立てるような真似は決してしない。私は安心して、波打ち際のぎりぎりを歩き、柔らかい砂浜の感覚を足に受けながら、穏やかな海岸の風景を楽しむことができた。こんなにも安心して歩かせてくれる海というものに出会ったのも、この旅では初めてだったと言っていいだろう。左手にはどこまでも水平線のみが続き、右手には遠くの方に能登半島と本土を結びつけるような黒い陸地、そして目前には、澄んだ青色の、あくまで穏やかな海。波の音もあくまで静かで、ここなりにゆっくりと流れている時間を、私はしばし静かに感じ入ったのだった。

 私はすぐ近くにある珠洲焼資料館を訪れた。あまりどういうものなのかを知らないまま訪れたのだったが、何でも平安末期から須恵器にならって能登半島先端部で焼かれはじめ、一時は北日本の日本海側に広く流通したものだったが、室町後期以降は衰退してしまったものだという。塗りなどの装飾はないのだが、灰色から黒の地の陶器の中には細かい模様が彫り込まれているものもある。量産型の陶器なのだそうで、合理的な中世の価値観とはそんなものなのかなあとも思ったりしたが、合理性ということなら現代にも通用する感覚だろうに、なぜ衰退してしまったのだろうか、という疑問を解決するには至らなかった。ただ一つ、展示されている豊富な出土品を眺めて確信できたのは、使い込めば込むほど輝いて味が出てくるような系統のものだったのではないかということである。近くには珪藻土資料館という名前の、セラミックコンロ製造会社の工場と直売場が建っていた。もしかしたら珠洲焼の血を受け継いでいるのかもと思ってのぞくだけのぞいてみたが、実物の風合いは全く異なるものであった。

 ここからは蛸島の市街地が、道沿いにのみ広がるようになった。家並みの切れ間からは田畑、特に砂地の野菜畑が、奥の方へ広々と広がっているのがわかる。日射しも暖かく、静かで穏やかな街並をただ歩くことを、私はゆっくりと楽しんだ。しばらく歩き続けてたどり着いたのと鉄道の終点の蛸島駅は、ぼろぼろで落書きだらけのコンクリートの駅だった。田畑に面してか細く延びてきたレールが途切れているホームから周囲を見渡せば、海側に控える高台に「弁天公園」という文字と展望台も見られた。気づくのが早かったら訪れてみてもよかったかもなと思いながら、私はまもなくやってきたのと鉄道の列車をホームで出迎えた。

 やってきた列車は、あまり手入れのされていなさそうな汚い車両で、苦しい経営なんだなあという同情を禁じ得なかった。整理券も会社名さえ入らない番号式で、趣味的に何かこの蛸島駅を訪れた記念を残そうと思っても難しいようだった。しかし春の陽気に包まれる車内を独り占めするというのも、それはそれで気持ちよいかもしれない。ワンマン列車ではあったが、そのシステムから連想されるようなテープの案内はないようだった。隙間からは畑も多く見られる、瓦屋根の木造の家並みが続く中、列車はすぐに珠洲駅へとたどり着いた。

 珠洲の駅前は、道も広くて建物も大きく郊外の国道沿いのような風情で、一応珠洲市の中心駅ではあるけれどあまりそのような印象は受けられなかった。商店の密集する珠洲飯田の中心街へは、少しばかり歩く必要があった。川をひとつ渡れば、海岸は港として固められていて、港へ向かって商店の連なる通りを越えて海に最も近い通りへ入れば、建ち並ぶ建物の大きさはさほど周囲と変わらないのに寂しさを感じてしまうほどきわめて広い道幅を誇っていた。港に接するようにショッピングセンターがあり、そういえば昼食がまだだったなと思った私は、その中のフードコートに席を取った。たいした食事をするつもりはなかったけれど、海を眺めながら食事のできるちょっとばかり贅沢な雰囲気に巡り会えたことが、私にはうれしかった。港の中の厳つい雰囲気であることを割り引いても、目前に広がる海はきわめて穏やかであった。

飯田の海岸から 時折春休みの子供らが自転車で元気にかけずり回る珠洲飯田の市街地の中心を歩けば、近代的な四角い建物と、古い重厚な木造の建物が混在していて、近代化したくても完全にはしきれないみたいな、どことないもどかしさが私には感じられた。そんな街なかにある「喜兵衛どん」という豪農の屋敷を訪れてはみたが、つい先日に閉館してしまったのだという。私はさすがにがっかりとしてしまったが、その場所の近くの海岸に出れば、まるで深い青色の海の上に浮かんでいるかのように、立山か白山かの白くて美しい山並みが見て取れたことで、私は少しばかり気を取り直すことができた。建物の密集する市街の中心から北側に抜けると、比較的大きな春日神社が鎮座し、斜面に緑の多い地帯へ入って少し坂を登ると、本来の市街地の名前を名乗っている飯田駅が、こぢんまりと隠れるように寂しく存在していたのだった。

 私は、ここから隣の上戸(うえど)駅までの道を歩いてみることにした。珠洲道路にそって上戸方面へ進むと、やがて市街地の外縁で線路を大きく跨ぐようにかかる橋が現れた。橋の上に登れば見える風景の角度も変わり、下界に広がる田んぼがその背後を深緑の丘陵に守られる風景はどことなく懐かしさを感じさせてくれるものだったし、海側をみればやはり田んぼの向こうに真っ青で静かな海、そしてその向こうには雲のように真っ白に浮かぶ山並みが幻想的でさえあった。市街地からほんの少し歩いてきただけなのにまたきれいな風景に出会えたことの喜びを感じながら橋を下れば、平らに広々と広がる田んぼの中にぽつんと孤立するかのように倒さ(さかさ)杉が立っているのが、少し離れたところからもよく見えた。

倒さ杉 私はその倒さ杉の所へ行ってみることにした。特に入り口の案内などもないが、見ればわかるということなのだろうか。周囲を田んぼに囲まれる中に寂しく立つ杉の木の、奇妙な枝振りは、間近にしてみて改めて不思議な感じを新たにさせてくれる。太い枝も含めてすべてが下向きに伸びているとのことだが、まるで大木がしゃがんで手を後ろについて背中を反らせて伸びをしているかのようにも見えてくる。そう考えるとかすかな笑いさえこみ上げてきた。田んぼと鳥の声しかしない静かな世界に孤立してはいるけれど、その世界の中で堂々たる存在感を示しているかのように、私には感じられた。

 倒さ杉から上戸駅へは、道に迷いさえしなければすぐにたどり着くことができる。細い路地沿いに小さな古い住宅が並ぶ中を抜けたところにある小さな駅は、まさに田んぼの中の駅なのであった。私は上戸駅から、のと鉄道の上り列車に乗り込んだ。田んぼの中を行く鉄路から坂道を駆け上ると軍艦島をのぞむ、森林の中の道からトンネルへ入り、それを抜けると現れた街並みの向こうに、きれいな三角柱の白い島、軍艦島が見えてきた。

 私は今日の宿のある鵜飼駅へ降り立った。駅の周囲はよくある規模の住宅街だが、川を越えて海へ向かうと街並みは民宿で構成されるようになった。民宿の隙間を抜けて海岸に出れば、列車からも見えた軍艦島が、きわめて小さく見える鳥居を従えて、さほど波のない青い夕暮れの海の上に鎮座し、そのバックにはやはり雲のように白い山並みが浮かぶ。人影が少なくて寂しいけれどそれでも、軍艦島のおかげで、展開する海岸の風景はきわめて力強いものになっていたのだった。私はこの民宿街の中に紛れ込んでいる市営の国民宿舎に宿を取った。「市営」とか「国民宿舎」とかいう言葉から想像していたものよりも、とてもきれいな宿であった。


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