雪の道北(2002.12.22-2003.1.1)


1.往路(12.22) / 2.比布、塩狩(12.23) / 3.和寒、剣淵(12.24) / 4.士別、風連(12.25) / 5.名寄、智恵文(12.26) / 6.美深、音威子府(12.27) / 7.天塩川温泉、天塩中川(12.28) / 8.雄信内(12.29) / 9.幌延、下沼(12.30) / 10.抜海、帰路(12.31-1.1)

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 温泉地に泊まった私は朝湯をいただいたわけだが、その間に辺りはだんだん明るくなって、まだあまり見たことのない周囲の富士見4丁目の集落の様子も、窓からだんだんと明らかになってきた。宿のすぐ裏には、宗谷丘陵の急峻な斜面が立ちはだかっている。立ち木は疎らで、まさに真っ白な山。夏に来たならきっと、ササの黄緑色に染まっていそうな感じだ。そして集落もこぢんまりした住宅がわずかな平地の中に集中し、その全てがやはり真っ白になってしまっている。そして、周囲は相変わらずの吹雪模様だ。窓に映る吹雪は時折、すぐ正面の丘陵でさえぼんやりとさせてしまうほどだった。

稚内西海岸 稚内の街に出るバスの時刻に合わせて私は宿を出て、バスが来る直前の少しの晴れ間に、宿の周囲を急ぎ足で回ってみた。温泉民宿街の背後の山並みを背にすれば、海岸もすぐ近くだが、海に近寄れば近寄るほど風は強く吹きすさび、空から雪が降らなくても積もった雪が巻き上げられて、周囲は曇ってしまう。冷たい風の中に横たわる海はやや黒ずみ、荒々しい波を立てるが、風雪に耐え、丘陵を背にし静かに横たわる漁村の風景もまたよい。

 バスは所定の時刻になってもやって来ず、地元のおばちゃん達とともに寒空のもと長いこと待つことになった。折しも今日は大晦日、もしかしたらバスのダイヤも特別編成になっているかもしれず、私は隣の、温泉街の中心となるバス停に足を伸ばしてみた。するとそこにだけ、まったくの休日ダイヤがベースになっている臨時時刻表が掲示されていた。再び強まる吹雪の中、ストーブもない待合室で、平日ダイヤに合わせて宿を出た私の待ち時間は1時間にも及んだ。幸いにして稚内で乗り継ぐ予定の列車には間に合いそうではあったけれど、私にとってはかなり辛い待ち時間となった。

 ようやくやってきたバスに乗り込んで私は稚内駅を目指した。もはや周囲は雪煙で真っ白にしか見えなかった。西海岸の荒い海からノシャップ岬を回り込めば市街へ入り、ただでさえ少なくなかった客はどんどん増えて、立ち客も出るほどの混雑となっていく。たどり着いた稚内の街ももちろん冬の装いで、昨夏の例の火災からだいぶ時間が経過し、焼け跡の一部にはプレハブの店も建つようになっていたが、大部分は都会の中にあって寂しいまでの雪原と化していた。

抜海駅周辺 今日は野生のアザラシがやってくるという話を聞いていた抜海の港を訪れることにし、宗谷本線の上り列車に乗り込んだ。南稚内を過ぎた辺りから見られた、夏に黄緑色の丘だった所は、見事に白色の丘が折り重なるように次々と続くようになっていた。窓は曇ってしまいその風景をダイナミックに見ることはできなかったけれど、真っ白な世界の雰囲気は車内にも充分に伝わってきた。

抜海原生花園 降り立った抜海では雪はおさまっていたが、やはり風は冷たかった。駅を一歩出れば、そこはブリザードの世界だった。空には晴れ間さえのぞいているのに、強い風に吹かれて雪は舞い上がり、体に降りかかるように積もるばかりでなく視界も悪くする。ブリザードのもととなる雪は、積もっても固まりきれない、まさに粉末であった。踏んでもふわふわとした感覚だし、強い風が吹けばまるで砂丘の砂のように風紋を描き、新たな雪の山ができていく。風が強まれば道路のアスファルトさえ見えてしまうほどで、この極寒の地では雪は決して、がちがちに積もって動かなくなるようなものではないらしい。

雪に描かれた風紋 海沿いの道道に出れば、夏にはなかった防風柵として多数の金属板が設置され、原生花園の向こうに海を見ながら心地よく歩けた夏とはだいぶ様相が変わってしまっている。しかしながら、数ヶ所ある金属板の切れ目から外をのぞけば、原生花園だった場所はやはり真っ白な雪原と化して、夏と同じように弓なりに延びていく海岸の際に、延々と遠くまで広がっていた。黄緑色だった宗谷丘陵も白に色を変えつつ、夏と同じように、海岸沿いに高くそびえ立つ。夏にはきれいに見られた利尻の姿は今日はまったく見えないけれど、抜海の漁港の周りに広がる集落は遠くからでも見て取れ、目標を見つけた私はブリザードも何のその、白い丘陵の麓の道に、ひたすら歩みを進めていった。

抜海市街 やがて私は、夏ととりあえず変わらないたたずまいを見せる抜海の小さな港街へとたどり着き、夏とはうって変わってたっぷりと雪の積もった道を、港の方へと歩いていった。港の最奥部の海面には鱗状の氷がびっしりと埋め尽くされて氷結し、冬の厳しさを感じさせる。私は強い風に逆らうように、顔の感覚が麻痺しているのを感じながらも、さらに堤防に沿って、雪の積もった道を歩いていった。そして私はとうとう、会いたかったゴマフアザラシの群れのいる岸壁へとたどり着いた。

抜海港 沖合のテトラポットの足下の岩礁には数匹の、楕円体の物体が寝そべり、そして海の上には顔だけを海面上に出してぷかぷかと漂っているものがたくさんいて、岩場の上では数匹がじゃれ合うように、あるいは喧嘩でもするように暴れてしきりに波が立つ。もともと波は強くて、そんな波に流されるようにアザラシたちは私のいる岸壁のかなり近くまでやって来て、潜ったり浮かび上がったりを繰り返しつつ、またぷかぷかと別の方角へ漂っていく。見ているこっちは手もかじかみ、顔も痛くなってしまったのだけれど、厳しい気候に負けずに元気に生きているアザラシたちの愛らしい姿を目にすることができたことに、私はまたとない嬉しさを感じたのだった。

アザラシ 夏には海越しに利尻を眺めた海岸や裸の社のある丘陵にも、立ち入ることはできないようだった。そして困ったのはトイレだった。夏に釣り人用に開放されていたものは深い雪に閉ざされていて、あとは我慢するしかないようだった。私は再びブリザードの中、体中を雪まみれにしながら抜海駅へと戻っていった。トイレを我慢しながらの歩きではなぜか心もハイになってしまい、実際には30分かかっている歩きも一瞬で終わってしまったかのような感じがした。

抜海の丘 抜海駅から、私は稚内に戻る列車に乗り込んだ。暖かい車内に入ればほっとして、それまで忘れていた空腹感を強く感じることになった。空にはまた晴れ間がのぞき、白色の丸い丘を美しく輝かせていた。細長く広範囲に広がる稚内の市街も、背後にそびえる丘陵も白く染まり、それなりに美しい風景が車窓に続いていった。

アザラシ 私の旅も、これであとは帰るのみとなった。乗る予定にしている特急列車の時間まで、市街で時間をつぶすのみだ。思い出したように減ってきた腹を満たそうにも、夏にチャーメンというものを食べたあの店も、駅構内のそば屋も、大晦日という日のせいかだいぶ早く店を閉めてしまっていた。ノシャップ岬に行って帰ってくるくらいの時間もあったけれど、もう今更という感じもするし、今日はとにかく寒さとアザラシで私はいっぱいいっぱいだった。駅の周囲で土産を買ったり、食事や酒を買ったりなどで街中を彷徨ううちに、周囲はだんだんと暗くなり、街にはまた灯りが点り始めた。あんなにひどいブリザードのあとだったから、直後はもう疲れてどうでもよくなってしまっていたけれど、当たり前のように吹雪に見舞われたり、道に雪が積もっていたりする風景も、しばらく見られないのかなあ、足の裏に受けるこのふかふかきゅっきゅっとする感覚ともおさらばなのかなあ、などと思うと、今回の旅のいろいろなことが思い出されて、私は何とも言えぬ感慨に浸ることとなったのだった。

稚内駅前 私は札幌に向かうスーパー宗谷号に乗り込み、帰路に就いた。辺りはもう完全に夜になっていた。案の定、大晦日にこれから列車で旅に出るという人もいないようで車内はがらがらであった。すっかり夜の闇の中、往路で下車した駅に停まるたび、旅の思い出がよみがえってくる。明かりに灯されて浮かび上がる雪も、またきれいだ。名寄は今日は-10.4℃だそうだ。私が訪れた日ほどは冷えてはいないらしい。駅前には巨大な正月飾りが完成して、くるくると回っている。対向列車が遅れていて発車が6分遅れるという。いかに北海道といえどもこの季節は大変なのだなあと思うも、考えようによっては6分でおさまるというのはすばらしいことなのかもしれない。

 車窓に映るすべてのものが雪に覆われてまん丸になっているのを眺めながら、私はただ列車に揺られるのみだった。進めば進むほど暖房も暑く感じられるようになっていく。札幌は-7℃だという。氷点下一桁の気温といわれても、私にはあまり寒いという感想を持てなくなったどころか、むしろ暖かいじゃないかとさえ思うようになってしまっていた。途中の遅れのため札幌駅での急行はまなす号への乗継ぎもぎりぎりになってしまい、まったくせわしない大晦日になってしまったが、快適な寝台で、年越しの瞬間は完全に夢の中であった。特に車内放送も大晦日、元旦モードということにはならず、列車はこんな日でもあくまで平常通りの運転を保っていた。

 寝台車には1両あたり3人くらいしか客はいなかったが、列車で年を越した人自体はそこそこいて、朝5時半の青森駅で乗継ぎをこなす人も少なくないようだった。元旦の青森もまだまだ北国の勢力圏にあり、雪は大量に積もり、そして大粒の雪が舞い散る。しかしもはや、昨日までに感じていた刺すような冷たさまではなくなっていることに私は気づいた。

岩手富士の元旦 私はまだ暗い中青森駅を発つ特急津軽号で南を目指した。窓についていた液体は走り出せば凍ってしまい、いかに冷たさを感じないとはいえ外の世界はまだ氷点下なんだなと私は理解することになった。野辺地が近づくと、東の空が明るくなり始めた。2003年の初日の出である。今年も良い年になりますようにとお願いしながら引き続き私は列車に身を任せた。だんだん明るくなってきて、ここまできても周囲には大雪原が広がり、そんな中にコンビニがぽつんと立っていたりする風景が明らかになってきた。川は氷結する兆しさえ見せないし、立木も雪の花や実をつけることはなくなったけれど、これはこれでみちのくの冬の朝ということなのだろう。八戸まで進めば雪の量もだいぶ少なくなり、田圃の雪も土が見えそうなくらいの薄さになっていた。そんな田圃が広々とする向こうには、本八戸の市街が巨大な遠景のように横たわっていたのだった。

 そして八戸から、私は順当に新幹線へと乗り継いだ。車窓には透明感のある朝焼けが美しく、そして盛岡付近では雲一つない快晴となって、岩手富士の姿も美しい最高の初日の出の風景が広がった。少しだけ湯気を上げながら盛岡の街中を流れる川も、まだまだ白さの残る広大な田圃も、初日の出に照らされて美しいことこの上ない。往路では盛岡以南に雪はなかったような気がするが、年末寒波はこの地でも強かったと見え、まだまだ薄く雪化粧した田畑や集落の風景が続く。日はだんだん高くなり、美しい風景はさらに輝きを増して続いていく。

 雪の量はだんだんと少なくなりつつも、古川辺りまではまだ雪景色と言える程度には残っていた。しかし仙台の市街に入ってしまうともはや、日陰にごくわずかに残るのみとなってしまい、田圃ももはや土色であった。しかし朝日だけは相変わらず、雪があろうとなかろうと、2003年の街並を輝かせていたのだった。


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