1.往路(12.22) / 2.比布、塩狩(12.23) / 3.和寒、剣淵(12.24) / 4.士別、風連(12.25) / 5.名寄、智恵文(12.26) / 6.美深、音威子府(12.27) / 7.天塩川温泉、天塩中川(12.28) / 8.雄信内(12.29) / 9.幌延、下沼(12.30) / 10.抜海、帰路(12.31-1.1)
名寄で過ごした一晩、宿にいる分には快適ではあったが、外の気温は-23℃にまで下がったのだという。明けてみれば昨日とは一転、空は雪模様だ。私は宿を出て、久しぶりにコインロッカーというもののある駅である名寄駅に荷物を預けてから、-20.3℃の粉雪舞う市街へと歩き出した。
極寒の市街を私は西の方へ進んだ。ロードヒーティングが湯気を立てる跨線橋に登れば、昨日のテレビで見た、一昨日の夜まではサンタが登っていたというレンガ造りの煙突が、街のシンボル的によく見える。もうサンタは引き揚げてしまっていたけれど、古めかしいレンガの煙突は、白い風景の中どっしりと腰を落ち着けているかのようだ。そのまま西へ進めば、名寄公園の脇は登り坂になり、名寄農業高校の近くに、レンガ工場の跡があるという。何か建物があるのかと思ったが、小さな公営住宅地の中に、かつてそれがあったことを示す小さな案内看板があるのみ。高校の校舎がレンガ色なのは、多少ここでレンガが生産されていたことを意識してのことなのだろうか、あるいは単に暖かそうだからということだろうか。
雪まみれの杜の中に立派な神殿を構える名寄神社の境内に隣接して名寄公園という立派な広場があるが、大量の雪に阻まれて中に入ることはできそうにもないし、周囲に小さな住宅が立ち並ぶ中を進んで線路際にあるSLキマロキを見に行くも、冬季はビニールシートに完全に覆われてしまっていた。見たくても見られない場所が多いというのも、冬の北海道の一つの姿なのだということか。私はただ単に、製紙工場などもある名寄の住宅街の中を歩きながら、この極寒の地の風景をまさに肌で感じるのみの旅を続けざるを得なかった。
-10℃を下回ることのなかった昨日までは充分耐えられた服装でも、-20℃になってしまうとさすがに冷たさを感じ、フードなしでは耳に強い痛みを感じるほどだ。そしてフードをしっかり固定しても守れない額は、耐えられるんだろうかと思えるほどのひどい痛みに襲われた。街なかにはスキー競技発祥の地という看板が、なんでもない所にふと立っている。明治期に旭川に入ってきたスキーが郵便配達に利用される一方、小さな寺の住職によって、競技として行われるようになったとのことで、言われてみればその看板の裏側にあるのはそれなりの寺であることにあとから気づくことになった。しかしそんな小さな発見に集中できるほどの気持ちの余裕はもはや私にはなく、ただとにかく休憩したくて、私は近くの西條デパートに駆け込んだ。中の暖かさはまさに天国のようだった。トイレの鏡で自分の顔を見れば、おかしいくらい真っ赤に染まっていた。
休憩をしている間にも、雪の勢いはさらに増していった。塩狩峠で体験したような、一時的に激しい吹雪となるもののすぐにやんでしまうという降り方とはまた違い、待っていても雪の勢いは変わらなさそうだったので、私は再び雪の舞う市街へと出た。塩狩峠のふわふわのぼたん雪とは違って小粒でさらっとした感じで、スキー場が雪質日本一を誇るのもわかるような気がしたのだが、みるみる間に服やかばんに降り積もっていく雪の勢いは、峠で体験したのと遜色ないものだった。そしてやはり真っ白になった公営住宅や広い道の出迎えを受けつつ脇道へ入ってスポーツセンターへと寄り道すれば、名寄岩といういかにもな四股名の昭和初期の力士の銅像にも大量の雪が積もる。周囲の軒先の氷柱も巨大に成長して、極寒の地の厳しさを物語る。そして裸になった白樺の木には花が咲いたように枝に細かい雪がまとわりついて、美しい姿に変えている。
粉雪が降りしきる中、雪の回廊の形成されている所も随所に見られる道道を、私は東へ向かって進み、大きな天塩川に架かる橋へと進んだ。広大な川原は当然のように真っ白に染め上げられていて、川面から立ち上る川霧が薄くかかり、内部に疎らに立つ木々もソフトフォーカスとなって、白い冬の川の景色を作り出す。大河の装いの天塩川は、無数の蓮の葉氷を浮かべながら、ゆったりとした流れを見せている。天塩川を渡ってすぐの所には小さな神社が、これまた雪の花の咲く裸の木々に囲まれてたたずんでいる。名寄の開拓がここから始まったということを記念する社であるらしい。激しく降りしきる粉雪を、この社は何度も何度もじっと耐えながら眺めてきたのだなあと、私は尊敬の念のようなものを感じた。
雪の勢いは若干弱まってはきたけれど決して止むことはないままだった。私は再び天塩川を渡って市街へ戻り、裸の白樺の街路樹の美しい、住宅街の中の雪の回廊を歩き、暖かい市民文化センターでありがたく休憩したりなどしつつ、住宅街の中にたたずむ浅江島公園という園地を訪れた。もちろんこの時期園内にはたっぷりと雪が蓄えられて自由に園内を散策するというわけにはなかなかいかないものだが、ここでは園内を周回するようにクロスカントリースキーで圧雪された跡があって、それにあわせて園内を散歩することもなんとか可能な状態だった。実際にスキーで歩いている人を見かけたわけではなかったが、私は歩きながらようやく、真っ白な雪原と本気で触れ合うことができたような気がした。スケート場も隣接していて、冬季には雪に埋もれてばかりのこの辺りの遊び場の中にあって珍しく、冬でも遊び場としての位置づけを失っていない公園であるようだった。
やみかけたと思われた雪は再び勢いを増して、公園やそれを取り囲む住宅街にしんしんと降り積もっていく。広い道の間にゆとりを持って建つ戸建てや三階建てアパートなども、埋もれてしまいそうになるのを必死に耐えているかのようにして、ひっそりとした真っ白な住宅街の中にたたずむ。天塩川舟運の跡や、力士名寄岩のゆかりの地などの史跡も、住宅街の中の看板として存在するのみで、私はとにかく暖を取りたくて、目に入った回転寿司屋で昼食とした。こんな計画性のない旅もまた楽しいのだが、降りしきる雪にやむ気配はない。そして-12.4℃の大通りに戻れば、和洋折衷の古い建物が建っていたり、白い世界の中に漫画のような彩りの、三角屋根の名寄教会があったりと、見どころ自体は少なくない市街であったが、この時期それらはとにかく、降りしきる雪との戦いの中で必死に存在を主張するかのようだった。
午後になって、私はさらに北を目指す列車に乗り込んだ。名寄から北側はステンレス製の車両が主役となっていく。白い川原の美しい名寄川を渡れば、車窓にはまた白い雪原が広々とする。霧が少し出て見通しはあまり利かず、どこまでもどこまでも雪原だけが広がっているかのようだが、実際にはぼんやりとではあるが丘陵もあるようで、ここからは昨日までに見た風景とは多少趣が変わってきそうな感じだ。やがて列車は雪をまとって灰色になった森林に囲まれる中を、大河天塩川に沿って広がる雪原とともに進んでいくようになった。天塩川は蓮の葉氷を浮かべ、周囲とともに凍り付いてしまったかのように、あまり動きを見せないように感じられた。
列車は智恵文という、今にも雪に埋もれてしまいそうな、細いホームと小さな貨車駅舎だけの駅へとたどり着いた。智恵文は私の名前の文字が入っていることもあって私にとってぜひ訪れてみたい駅であった。地図の上では天塩川を渡った対岸にそれなりの市街がありそうな感じだが、駅前には商店が一軒あるほかはごく小さな家の集まる寂しい集落で、郵便局もあるにはあるが、あっという間に集落を抜けてしまえば周囲は真っ白な雪原で囲まれるのみの、至って寂しい駅である。
この辺り、線路は天塩川が作った平野が山並みに接する限界の所を通っていて、左手に広々とした雪原が広がる一方、右手には白い雪を果実のように枝につけた森林を乗せる丘陵がそびえる。そんな道をしばらく歩いていくと、大きく広がる雪原の中に疎らな木立が現れるようになってきた。地図によれば、その木立に囲まれるように智恵文沼という、天塩川の三日月湖に当たる湖があるということになるのだが、川と違って動きのない陸水である沼はこの時期完全に氷結して真っ白な雪原となり、木々がなければ周囲の雪原と一体化してしまいそうな感じだ。白い実をたわわに実らせた裸の木々に囲まれている部分が禿げたようにまっ平らであることだけから存在を確認できる智恵文沼は、極寒の地で懸命に戦っているように見えた名寄の街並みとは対照的に、極寒の中で静かな眠りに就いてしまっているかのような、そんな静かで寂しげな表情を持っているかのようである。木々に囲まれた智恵文沼に近づくことのできる「ひぶなの里」という駐車場も、除雪されず事実上閉鎖されてしまっていた。
そのまま、右手に線路と丘陵、左手に木々に囲まれた沼と思われる雪原を見ながら進めば、沼はまた道から離れていき、左手には広々と雪原が広がるようになった。天塩川を守っていると思われる堤防までは多少距離が離れている。道道が山奥へ入り込む所に、いかにも仮乗降場上がりといった風情のきわめて小さい智北駅があり、ホームやスロープの上で、掻き分けられた雪の上に今日新たに積もった新雪の上には一切の足跡はなくて、私は取りあえず小さなプレハブの駅舎の中をのぞくがてら、今日初めての足跡を記してみた。
地図上ではこの先、智恵文沼の反対側を回って智恵文の集落まで帰ることができそうなできなさそうなよくわからない書かれ方をしていて、よくわからないけれどせっかくだからと、私は地図上に示されていた道を進むことにした。遠くの天塩川の堤防に近い所に農家のような建物があって、道はそこへ向かって雪原の中をひたすら真っ直ぐ伸びていた。周囲を山並みに囲まれながらも広々として広がって見える雪原の風景を満喫できたのはよかったが、案の定、行ってみれば廃屋のようだったその建物にたどり着いた時点で除雪は終了し、路肩を示す赤い標柱こそ堤防の上にまで続いていたのに、それ以上歩みを進めることは不可能で、私は来た道をそのまま引き返すより他になかった。
周囲が徐々に薄暗くなっていく中、雪原の中の道を真っ直ぐ、丘に向かって引き返していくと、線路には真っ赤なラッセル車が走っていった。話にはよく聞くけれど、実際に働いているのを見たのは初めてだなあなどと思いながら私はその姿をカメラにも収めたのだが、さっき取り替えたばかりの電池が異常に早く弱くなってしまったことが、私にとってはラッセル車以上に驚きであった。普段ならもっと長持ちするはずで、化学屋の端くれとしては理由もわかることなのだけれど、これも極寒のなせる業ということか。
私は再び、木々に囲まれる智恵文沼に寄り添う道を歩き、忍び寄る尿意をこらえながら少し早足で沼と別れを告げ、寂しさの漂う智恵文駅に帰還した。貨車駅舎の中には一応ストーブも設置されてはいたが、灯油の元栓が締められてしまったのか点火することができず、おかげで外気とそんなに変わらないのではないかと思わされるほどの寒さの中、列車を待つというだけのことに私は必死にならざるを得なかった。4時半にもならないうちに外は完全に夜になってしまった。わずかな街灯だけが点る駅前、街灯に照らされるのは実際には、静かに降り続く細かい雪の粒だけだと言っても過言ではない。静かな世界に新たに一粒の強い灯りを、やってきたワンマン列車が暗闇に点し、あくまでも静かに駅に入線してきた。列車の灯りに照らされる雪もまたきれいで、冬の列車というものがこんなにも美しいものだということを、私は強く感じることになったのだった。夜になってなお一層極寒の様相を呈してきた待合室から逃げるように私は列車に乗り込み、別世界のような明るさ、そして暖かさを喜びながら、宿を目指して宗谷本線をさらに北上した。
私は美深駅に降り立った。レンガ造りのように見える大きな駅舎は、後光のようなオレンジ色の照明によってライトアップされる。ここから宿へはさらにバスに乗らなければならないのだが、さすがに-12℃の夜は寒く、50分の待ち時間を駅前でつぶすことのできる自信が失せてしまったので、私は駅前からタクシーに乗ることにした。士別ほどではないもののスーパーなども見られ、それなりに賑わっているように見える市街をタクシーは抜け、暗くてよくわからないが雪原の広がっているらしい中を疾走していった。ヘッドライトが舞い散る細かい雪に拡散して雪原がオレンジ色に浮かび上がり、幻想的というよりもむしろ不気味さを感じるほどの風景がしばらく続いた。たどり着いた宿は公共の宿としてはかなりきれいな所で、寂しい旅を続けてきた身にはかなりほっとさせられるものであった。