1.占冠村双珠別(8.2) / 2.占冠村赤岩青巌峡(8.3) / 3.トマム(8.4) / 4.釧路市(8.5) / 5.釧路湿原(8.6) / 6.霧多布湿原(8.7) / 7.長節湖、フレシマ湿原(8.8) / 8.春国岱、風蓮湖、納沙布岬、帰路(8.9-10)
今日も昨日と同じような、霧のかかる陰鬱な曇り空に周囲は閉ざされて、路面を濡らすほどの霧雨も舞う中のスタートとなった。この旅も今日で終わりにする予定にしていたので、今回も最終日はレンタカーを借り受けることにした。ぽつりぽつりと雨も降り始めた中、私は根室の市街地を国道に沿って進み、中心の市街からもはずれた思ったよりも遠い所にあった営業所から車を走らせ始めた。交通量のわりにはやたらと太い国道は路肩も充分にあって、ちょくちょく車を止めても誰にも迷惑になりそうもない。やがて市街の建物も疎らにしか建たなくなって、切り立つのに丸みを帯びる丸い丘が続くようになり、快適そのものの根室半島のドライブを楽しめるようになっていく。
しばらく車を走らせれば、車窓には大きな橋の架かる温根沼(おんねとう)が現れた。昨日もバスから垣間見られた、海が半島の根元に切り込むような沼で、今日は昨日ほど霧は濃くなくて、袋状の沼の奥を固める陸地も黒ずんではいたが見ることができて、ここが深い入り江であることが、大きな橋の上からも橋のたもとの広場からもよく眺められるようになっていた。そして反対側はすぐに広々とした海に面している。沼の岸は干潟状になり、さらにその外側は背丈の低い草の生える草原となっていて、干潟にはカラスやアオサギたちが餌をねらってじっと待機する。そんなのどかな風景に、アーチ状の大きな橋はかっこよくアクセントを添える。
ここからは春国岱(しゅんくにたい)はもうすぐだった。私は駐車場に車を止め、細い橋を渡って、地図の上では海と風蓮湖の間をさえぎるように横たわっている細長い島のような砂州の上へと進んでみた。案外幅のある砂州の右手の海側には背の低い草で覆われた草原が遙か遠くまで延々と続いているようだった。湖があるはずの左手にその姿はほとんど見えなかったが、広々とした干潟が広がって、カモメやアオサギたちが群れをなしている。そしてその先には深緑の、樹木の密度の高そうな松林ができている。砂州上にアカエゾマツが生えるのはとても珍しい例なのだという。
砂州が伸びる奥の方角へ、遊歩道が続いている。途中までは木道があって、草原と干潟に挟まれる中、遠くに松林が控えつつも、基本的には何もない荒涼とした風景が続いていく風景を楽しみながら歩いていくことができるが、木道が尽きてしまえば水はけの悪い干潟の続きのような水たまりの上を歩いていくしかなくなってしまった。その上、水たまりを避けて草原へ乗り上げればたちまち大量の蚊の襲撃を受けることになってしまい、風景を楽しみながらのんびりと散歩するということがここでは案外に難しいことであった。さらに悪いことに、おそらく砂州全体を見渡せると思われる展望台は柱が腐って立ち入ることができないようになっていて、私はこの春国岱という特徴的な場所を充分に楽しむことのできないもどかしさばかりを強く感じることになってしまった。砂地はそれでも多少は歩きやすくて、工事用の車が時折行き交う砂利道は海に沿い、消波ブロックを隔てた向こう側には、カモメたちの歩く砂浜を経て、雨と寒さのもと、根室湾が広々と、しかし寂しげな表情を浮かべて広がっていたのだった。
私は歩きやすい道を選びながらスタート地点の近くまで戻った。遠くに松原を控える平地が草原から干潟主体のものへと戻るスタート地点付近へ戻り、私は今度は、干潟をまたいで松原の方へ延びていく遊歩道へと足を踏み入れた。本格的に松原に入る手前の領域には、たくさんの松の木が立ち枯れてサルオガセにとりつかれてしまっている荒れた風景が広がっていた。8年前の野付半島で見たトドワラと同じようなものだとすれば、干潟から海水が侵入して枯れてしまったということなのだろう。太い幹が辛うじて残る所もあるが、もはや枯れ木さえごくわずかにしか残らずほとんど湿原の状態にまで逆戻りしてしまっている所も多く見受けられる。
やがて道が干潟を完全に跨ぎ越すと、目の前にはそれなりに立派な森林が発達していて、木道はその鬱蒼とした松林の中へと進んでいった。足元を見れば、風で倒されてしまった松の幹や株にはコケがたっぷりとむし、その上にはキノコや小さな葉、そして大きなミズバショウやシダが茂っていて、鬱蒼とした暗い森ではあるけれどどことなく生き生きと、新たな生命活動が始まっているのだなあといった雰囲気が感じられ、外から遠巻きに眺めているのとはまた違った深い森の風景となっている。キツネの巣があるとはいうが残念ながらその姿を見ることはできなかった。しかし干潟と森との間で、そして森の中でも、植物たちの熾烈な生存競争が繰り広げられている現場を目の当たりにしたような、軽いショックのようなものを私は感じていた。この春国岱という砂州はかくも様々な種類の風景を感じることのできるすごい場所なのだなあと、駐車場まで戻りながら私は強く感じていた。是非今度は蚊のいない季節にゆっくりと、森の中だけでなく広々とした草原の風景の中を歩いてみたいものだと、私は強く思った。
駐車場に戻った私は、引き続き国道に車を走らせた。アカエゾマツの森林の裏側には確かに湖面が横たわるのが見られたけれど束の間、道は森の中へと分け入ってしまう。そして少しだけ進めば森の中に、道の駅となっている白鳥台センターが現れた。
白鳥台センターの建物は湖畔の高台に立っていて、中からは目前にその大きな姿を横たえる風蓮湖の姿を見渡すこともできるし、その建物に付属するベランダから続くような簡単な遊歩道に出てみれば、より近づいてその大きな姿を楽しむことができる。湖の対岸はさっきの春国岱の裏側にあたり、アカエゾマツの林が正面に横一線に立ちふさがって左右に長く広がる細い水路のような風蓮湖の右手を見れば、春国岱の付け根にあった小さな集落の姿が、そして左手の遠方には走古丹(はしりこたん)の細い陸地が伸びてきて、春国岱との間で湖が外海に通じている様子もはっきりとわかる。正面のアカエゾマツ林の最前面はやはり枯死木群となっているようで、灰色の縦線が何重にも入っているように見受けられ、手前の湖岸も干潟となりつつあるようだったが、広々と広がる湖水は冷たい風の元にあってもあくまで、穏やかに横たわり続けている。建物の中には自由に使うことのできる望遠鏡も据え付けられていた。本当は鳥を見るためのものなのだろうがめぼしいものもなく、対岸の春国岱の岸辺を見れば、灰色の線として見えていたものが確かに枯死木群であることがはっきりと見て取れた。
小ぎれいな建物の中にはレストランもあって、カニだのホタテだのいちげん観光客の目を引きそうなメニューに混じってちゃんとエスカロップもあるところが泣かせる。私は雄大な風蓮湖の風景を眺めながら、数日前にコンビニ弁当として食べたものよりもはるかにあつあつでおいしいエスカロップを昼食にいただき、気分だけでもどっぷりと根室の雰囲気に浸っていた。そしてデザートには中標津のヨーグルト、旅の友には別海町のこめちちと、地場のB級グルメをしっかりと楽しみ、とりあえず雨も上がって路面も乾いてきた風の強い午後の森林へと再び車を走らせはじめたのだった。
私はしばらく、森の中の国道を気持ちよく走っていった。昨日もバスで通った道ではあるけれど、きりがなくなったので、周囲には広々と牧場が広がるのがはっきりと爽快に見られるようになっていた。そんな牧場の中に立つ新酪展望台という、それ以外に何もないきわめてシンプルな鉄製の展望台で私は車を止め、その上に上ってみることにした。周囲には森林と、なだらかに折り重なる丘陵に広々と開けた牧場しかない、何ともいかにも北海道らしい、のどかな酪農地帯の鮮やかな緑色の風景が広がった。そして遠くの方には小さいながらも風蓮湖と、指のように伸びてくる走古丹の陸地の姿も見ることができた。別に名所でも何でもない、単なる一つの展望台だというのに、広大に広がるすばらしい風景と出会うことができるというのが、北海道の良い所であるのだと私には感じられた。
程なく道は厚床駅の周囲に広がる集落へと続き、私は風蓮湖を反対側から囲む走古丹の先端を目指して別海町方面へと車を進めた。道はやや起伏があって、なだらかに重なる斜面には視界の限りいっぱいに緑の牧場が広がっていた。8年前にバスで一瞬垣間見た覚えのある風景だけれど、この、今回特に追い求めている北海道らしい風景にまたこうして出会えたことは、私にとって何よりの喜びだった。そして交通の邪魔にさえならなければ適当に車を止めて写真を撮ったりして、その風景にどっぷりとはまることもできてしまうのんびり旅を私は充分に満喫しながら、ひたすら広々とした道に車を走らせ続けた。やがて道は深緑の森の中へと入っていく。橋を渡ればヤウシュベツ川湿原という看板の立つ湿地を併せ持つ川が流れ、複雑に分かれてその向こうの風蓮湖へ流れ込む様が大きく広がったり、また車を進めれば湖岸の湿原が道の際にまで近づいたりする所も現れる。私はそのたびごと車を止めて風景を楽しみつつも、しばらくは森の中を延々と車を走らせた。
やがて道は走古丹への分岐点へとさしかかり、本道と分かれるように車を進めれば、道は森を抜けて、左手の遠くに海を望む一面の草原の中や、ハマナスの原生花園の中を続くようになった。そんな爽快な道道をそのまま走り詰め、私は走古丹の集落と漁港へと突き当たった。コンクリートで固められつつ広々と開けた素朴な漁港には何人かの釣り人達が釣り糸をたれ、のどかな先端の旅情も感じられ、その雰囲気に任せて私はしばらく海を眺めていたが、本当の陸地の先端はまだまだ先にあるようだった。
私は再び車を走らせて道を少しだけ戻り、本当の先端を目指す道へと分け入った。さっきの道の続きのような一面の草原はだんだんと狭くなり、次第に道の右側にも左側にも遠巻きに海の姿が眺められるようになっていく。海の姿は道に近づいていき、その道もだんだんと細くなり、舗装はアスファルトではなくコンクリート板となって、背の高い消波ブロックや草むらの間を進むようになっていき、かき分けられたようにうずたかく積み上げられた砂の山に突き当たって終点となった。
砂の山の裏側には、細くて潮流の早い水路のような海の姿があった。左手の根室湾にはやや強く波が打ち寄せ、奥の方に細く、納沙布岬へ向かって伸びる青白い陸地の上に根室の市街が広がっている様子も眺めることができる。そして正面にはやはり、枯死木の灰色の線がたくさん入る春国岱と見られる陸地があって、そこから右側が風蓮湖ということになる。海側は波が強く寄せるけれど、湖側には波もあまり立たず、湖岸はやはり干潟と化している。周囲の砂地には少しばかり歩くことができる広場があって、相変わらず蚊の多い丸い沼や湿原も含まれた緑色の雑多な草地が広がっていた。これ以上は進めないという文字はなかったけれど、ここが世界の終点なのだという雰囲気がそこかしこに満ちあふれている、そんな突端の旅情を私は、本来ならおそらく見えるはずの国後島の島影さえ見られない厚い雲の下に、しばしじっくりと噛み締めたのだった。
私は名残を惜しみつつ再び車に乗り、砂州の上の荒涼とした背の低い森や、ツリガネニンジンなどの色とりどりの花が見られる原生花園となっている草原の中の道を引き返した。国道244号に戻ればまた森林の中の道をひたすら進むようになったが、国道243号との合流が近い奥行(おくゆき)という所へさしかかると、周囲の斜面にはまた広々と牧場が広がるようになった。国道243号との合流点は、奥行臼(おくゆきうす)歴史の里という、駐車場などの整備されたちょっとした休憩所となっていた。何でもここは廃止されて久しい標津線の駅、そしてそれより遙か昔に村営軌道の駅や駅逓もあった所だといい、広場に軌道の車両が静置され、そして標津線の駅はおそらく昔のままの姿で残されていた。昭和初期の建築でかなり古ぼけた木造なのだが、こういう保存施設でよくあるようにきれいに塗り直したりなどすることもなく、古いまま保たれているようである。レールも残されていて、未だ現役の駅であるかのような雰囲気も強く感じられる。平成元年の廃止だというわりには雑草も少ないし、レールもさびているとはいえ形はとどめているから、草を刈ったり程度の手は入っているのだろうけれど、おそらく昔の雰囲気はそのまま残されているのだろう。
あとは国道243号の起伏に富んだ牧場の風景から国道44号の森林、風蓮湖、春国岱の風景の中を疾走しつつ、元の道を戻る旅となった。朝も通った温根沼は、朝よりも潮が満ちたと見え、アオサギの姿もあまり見られなくなっていた。海と直結している影響を強く受けているようである。
そして、根室の市街に入っても広いままの道を私はそのまま通過して、納沙布岬へ向かう道へと進んだ。市街地を過ぎてしまえば、道の周囲には広々と緑の丘陵が開けるようになった。もはや森林が発達することはなく、起伏もさほどなく、海岸ぎりぎりの集落で急な下り坂となるくらいで、あとはひたすら荒涼とした草原の中に道は延びていった。こんな辺境の地にしては案外集落の出現頻度も高かったりして、北方四島の住民が引き上げて住み着いた例も多いのかもなあ、などと私は想像を巡らせた。
友知、婦羅理、歯舞、珸瑶瑁と立て続けに太平洋沿いに現れる漁村の集落を通過し、私はついに、本土最東端の納沙布岬へとたどり着いた。土産物屋ももう店じまいをはじめようとする時間で変な客引きのようなものに会うこともなく、私はじっくりと、岬そのものを探訪することにした。駐車場からも正面に平たい水晶島が、この曇天のもとでもはっきり確認できたが、来たことは来たけれど気がつけば北方館に来たようなものだったことにあとから気がついた8年前、実は訪れていなかった納沙布岬の、白くてがっしりとした灯台の建物が岩礁の上に乗る突端を目指し、私は水晶島の見える高台をゆっくりと歩いていった。
灯台の敷地の裏側すぐが、その突端であった。黒い岩が周囲の緑の草原とは対照的にごつごつとし、波は弱いけれども頻繁に訪れて海藻の浮かぶ水面を揺らしている。正面には水晶島や秋勇留島などの歯舞諸島が、まさに手の届きそうな所にある。手が届きそうだから自分のものという主張はあり得ないと思うけれど、間違いないと思うのは、あたりにたくさん飛び回っているカモメたちにはそんなものは関係ないのだろうなということだった。吹きすさぶ冷たい風の中、気ままに飛び回り、気ままに鳴き声を上げるカモメたちのような旅を、私もし続けたいなと思うけれども、その一方で最東端を拝んでこれで終わりとなる中途半端な旅人でもある。引き返した車にいきなり糞を落としていきやがったのは何だかなといった感じだが、岩場にあるカモメの巣をよく見ると真っ白な親鳥に混じって灰色をした若鳥が羽ばたくように羽を揺すっている姿もあった。カモメの若鳥というのは初めて見たが、もう親鳥と同じくらいの大きさだし、そろそろ巣立ちなのだろうか。最東端の駐車場でそんな気ままなカモメを眺めているうちに、周囲には徐々に夕暮れが訪れようとしていた。雲が厚くて夕陽が望めないのが残念だ。灯台にも灯りが点り、今日の終わりの近いことを周囲に告げ始めた。
最後の根室半島への帰路として、私は通ったことのない半島北岸、根室湾側の道を行くことにした。南側と比べて集落の出現もごく少なく、そして何よりなだらかな緑の丘陵が延々と続く中の快適なドライブとなった。最後の最後にこんな北海道らしい風景に出会えたことを喜びながら、私はほとんど車の来ない道を快適に飛ばしていった。北方原生花園は基本的に誰も管理していない、草原に木道を渡しただけの施設のようで、入口も特に閉鎖されていなかったから入ろうと思えば入れたのだが、時間も残り少ないし何より寒いしで、残念だが次回のために残していくことにした。正面の空が薄くオレンジ色に染まっているような気がするが、これはひょっとしてもしかして夕陽なのではあるまいか。確かに空をよく見れば雲が薄くなって、一部青空になっている所もある。今回の旅は天気に恵まれないことを覚悟していたのに、いつもいつも大事なところでよい条件になってくれているような気がする。
そんな緑の丘陵を走るうちに周囲は刻一刻と薄暗くなっていき、夕闇のかなり深まった根室の市街へと帰り着いて、私はせっかくだからとホクレンのスタンドで給油し、一日お世話になった車を返却したのだった。営業所から根室の市街を駅へ向かって歩くうちに周囲は完全に夜になり、旅ももう終わりなんだという感慨にも浸ったが、それ以上に風はとても冷たくて、ここにきてもう一つの強烈な根室に対する思い出が形作られていった。私は今日も昨日に続いてカニの鉄砲汁で体を温めていくことにしたのだった。カニと格闘している内に時間はあっという間に過ぎ、つい一時間前にはひっそりと静まりかえっていた根室駅だったが、まりも号の発車が近づくにつれ、人が集まってだいぶ賑わいを見せるようになってきた。
普段は釧路で折り返している夜行のまりも号が、この時期は根室まで延長されて翌朝の札幌へ直行できるようになっていた。とはいうものの車内は釧路まではがらがらで、釧路からは混み合うのかなと思いきや、車両の特に後ろ半分はがらがらなままだった。妙に車内に偏りを生じる列車予約のシステムに不思議さを感じつつも、列車はひたすら真っ暗闇を進み、よく寝つけないながら、夕方市街の100円ショップで手に入れた漫画を友にして私は列車に身を任せた。霧でもかかっているのか、道央の車窓は街灯が拡散して妙な明るさを持ち、時折強い雨が降りしきっていた。
やがて新しい朝がやってきて、恵庭北広島の深い森林、そして札幌市街へとまりも号は進んでいった。今日も結局周囲は厚い雲に覆われ、路面もたっぷりと濡れている。遠巻きに控える山は綿のような雲がかかり、まるで羽衣をまとっているかのようだった。私は札幌駅に降り立ち、どこに行くでもなくコンコースのテレビの天気予報に見入った。寒かった根室は今日の最高気温の予報も12℃だという。札幌の22℃でも低いと思うのに、段違いの寒さであることがよく分かる。その段違いの世界から、徐々に体を慣らしつつ、今日はゆっくりと帰るのみだ。
札幌から南へ向かうスーパー北斗号の車内には南の空気を予期させる蒸すものを感じ、私は列車のトイレを利用して、長そで長ズボンから半袖半ズボンの盛夏フォーマットへと着替えてしまうことにした。どんよりとした都市、森林、畑、荒れ地を列車はひた走っていく。南千歳でもばかにできない乗車があり、車内はほぼ満席になる。美々、植苗の一面の畑も原野も霧に煙って、暗い空のもとひっそりとしている。苫小牧の市街も霧の中にあって、この旅の最初に上空からこの街を見た時のようなすっきりとした面影はどこにもなかった。すぐ近くにそびえるはずの樽前山も綿菓子のようなガスをまとう。やがて北舟岡で車窓に現れた海も、水平線こそ見えるけれど、灰白色の世界を広げるだけの存在だった。
長万部を過ぎて本気で南下を始めると、車内の温度も少しずつ上がっていくような気がした。車窓の植物相はまださほど変わるわけではなく、ササで覆われた丘にはエゾマツの森ができ、ノリウツギの白い花が咲き誇る。振り子特急は車体を大きく揺らして、海沿いを快走する。海に向かってカーブを切れば車窓全体に大きく海が広がるというのも、振り子特急の醍醐味かもしれない。遠くの方には駒ヶ岳の根元の部分がぼんやりと見えるようになってくる。何度も見たことのあるてっぺんの複雑な形は、今回は見ることはできなかったが、大沼や小沼は雲をまとった山並みに囲まれ、今日もきれいだった。
仁山の高台から函館の街並を見下ろす爽快な風景ももはや、私にとっては見慣れたものになりつつあった。そしてそれは、もう北海道との別れも近いことを強く感じさせるものとなった。列車は程なくその見下ろしていた盆地へと下っていった。周囲には広々と畑が、そして久しぶりに田んぼの姿も広々として現れた。左手の山は厚い雲をかぶるが、右手の函館山は、黒ずんだ全体像がはっきりと見える。そしてその後方の雲には切れ目も見られるようになった。あの切れ目の向こうにある青空の下はやはり、暑いのだろうか。
列車は終点の一つ前の五稜郭で、ホームの反対側に停まる盛岡行のはつかり号と接続を取った。スーパー北斗から下りて乗り継ぐ客も少なくないようで、まだまだ鉄道も安泰かなとか思ったりもする。私もはつかり号に乗継ぎ、引き続き帰路を歩むことにした。半袖半ズボンフォーマットが、もはやまったく寒くない。まだまだ充分耐えられるけれど、私は少しずつ暑い世界へ進みつつあることを実感した。はつかり号は海の上に堂々と函館山を浮かべる津軽海峡を眺めながら進んでいく。外は相変わらずどんよりとしている。木古内を出て海峡線に入った所で眠気が催してきて、最後の北海道の姿を見届けることはできなかったが、長いトンネルを抜けて本州の地上へ出ると、窓の外側が一気に曇ってしまった。以前として空も曇ったままだが、林をつくる木々はエゾマツではなくて杉に変わり、広がるものも田んぼ一色、巨大なフキもstrange plantsも、クマザサともノリウツギとも、もうお別れだ。
青函トンネル区間では空席も目立っていたが、青森駅や青森県内の停車駅でごっそりと客を拾っていき、次第に混雑の様相を呈してくる。八戸あたりで降り出した雨は岩手県になってもなお続く。今日の夜友人達と約束していた東京湾大華火は決行という情報が信じられない車窓がしばらく続いていく。しかし、盛岡に近づけば岩手富士こそ厚い雲をまとうものの、南の空は心なしか明るくなってきたような気もしてきた。
そして私は盛岡駅で、乗り換え通路に若干の湿度を感じつつ、新幹線へ最後の乗継ぎをした。列車は広々とした田んぼの上を走り、車窓の低い所を綿のような雲が速いスピードで後ろに流れていく。そして快調に駅を通過するたび、空は明るくなっていく。局地的に雨が残る所もあったが、古川、仙台と進む内に、周囲は完全に晴れの領域へと入っていった。しばらくはにわか雨もあったけれど、関東地方に入れば、劇的なまでに抜けるような快晴となっていったのだった。たどり着いた東京はたくさんの客でごった返していて、暑かったことは暑かったが思っていたより爽やかで、何となくほっとさせられたのだった。