占冠・釧路・根室方面(2002.8.2-10)


1.占冠村双珠別(8.2) / 2.占冠村赤岩青巌峡(8.3) / 3.トマム(8.4) / 4.釧路市(8.5) / 5.釧路湿原(8.6) / 6.霧多布湿原(8.7) / 7.長節湖、フレシマ湿原(8.8) / 8.春国岱、風蓮湖、納沙布岬、帰路(8.9-10)

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 今日も晴れてはいないけれどとりあえず昨日の雨は上がり、道も乾いて霧もさほどかかってはいないように見える。宿を早めに出て外を歩けば、雲は切れ、時には晴れ間ものぞく。今日は釧路湿原の方へ行ってみようと考えていたわけだが、まずまずの天気に今日一日この程度でも持ってくれればうれしいのだがと思いながら私は駅へ向かった。

釧路川 釧路駅から、私は湿原を通り越して行く快速列車へと乗り込んだ。列車は単行であったが車内はそれなりの賑わいを見せる。列車は大きな建物の並ぶ釧路市街を行くが、しっかりと固められている太い釧路川を渡れば市街の風景は間もなく途切れ、すでに湿原の姿の垣間見られる住宅街へと進んでいく。二つも駅を過ぎてしまえばもはや車窓の風景は湿原一色と化し、時には疎らな木立、時にはヨシに覆われた手つかずの荒れ野が広がるようになった。そしてそんな疎らな木立の足下を今まさにさらに削るように蛇行しながら流れる釧路川の水面も、たくさんのヨシにぎりぎりにまで覆われて、市街で見るのと同じ川であるとは信じられないような姿となって、車窓に頻繁に顔を出すようになってくる。

 私は塘路という途中駅に降り立った。話に聞いていたとおりのきれいなログハウス風の駅舎の中には喫茶店が営業し、レンタサイクルも取り扱われていた。慣れないMTBタイプのものしかなくて足を高く上げないと跨げないのに難儀はしたけれどこれもいい経験とばかり生き生きと、私は周囲に広がる湿原の中へと自転車を漕ぎ出した。

クチョロ原野 鉄路と併走し大きな青い湖に挟まれる立派な国道を少し進み、展望台もあるというコッタロ湿原の方へと道道へ分け入れば、分岐点のすぐ先から道は砂利ダートと化していく。道沿いには疎らだけれど木々が多く生えて、一面に草原が広がる中をという絵に描いたような風景にはなかなか出会えなかったが、それだけに木々の間からのぞく小さな平原一つ一つがいとおしい存在であるかのように思えてくる。それはほとんどヨシ一色の湿原なのだけれど、目をこらせばリンドウの花が今は盛りと咲き誇り、紫のレンゲとともに、決して緑のみではない複雑に彩られる風景となっている。時には道のすぐそばにまで太い川面が迫ってきて、ヨシの間をかき分けるように雄壮に流れていく様子を間近に大きく見られる、カヌー乗り場となっている場所もあったりもする草原の中、私は懸命に慣れないMTBを進めていく。

コッタロ湿原 先日の占冠でのダートの経験と、コッタロ湿原までの地図上での距離から、もっと大変な道になるのかという覚悟をしてはいたのだけれど、足が慣れたのかMTBの自転車がよかったのか、はたまた占冠のダートがすごすぎたのか、私は案外に早くコッタロ湿原の展望台へとたどり着くことができた。広大な湿原の中には周囲から指のように幾筋もの高台がさしのべられていて、この展望台もそんな高台の階段道を登り詰めた所にある。展望台に登れば目前に、明るい緑色になって平らに広大に広がるコッタロ湿原が現れた。ダートを走る限りではそんなに広々とした草原であるという印象はあまりなかったのだけれど、上から眺めてみれば、ここが本当に広大な湿原の只中であることが強く感じられる。まん中に複雑な形の青い沼を抱え、その周囲を樹木の全くない、平らな絨毯のような湿原が広く取り囲んでいる。樹木はその外縁部にのみ発達していて、最初は広大な湖だったものが周囲から中心に向かって湿地と化していき、早くから湿地化した部分に樹木が発達しはじめているという大地の変遷の各段階が刻み込まれているのがよくわかるとともに、あまりにゆったりとしている時の流れというものがとても不思議なものにも感じられてきた。

 雲はだいぶ取れてきて日射しも強くなり、昨日と同じ格好の長袖長ズボンで自転車を漕ぎながら暑さも感じるようになった中、私はゆっくりとダートの道道を引き返すことにした。普通の自転車だったら何の障壁もなくどこででも立ち止まって気になった風景をじっくりと楽しむこともできるのだが、慣れないMTBではそのようなことが大変な作業となってしまう。しかしそれでも往路よりは余裕が出て、ちょっと木々の間に開けた立木の少ない一面の湿原の風景や、蛇行しながら道のそばに近づいて雄大な風景をかいま見せる川の川面をカメラに収めつつ、私はようやくサイクリング自体を楽しむ余裕も持つことができた。周囲を囲む丘陵の背は低く、空は低い所にまで降りてきていて、地平線だけを境界として湿原と青空だけの風景が広がることも珍しくない。

サルボ展望台から そんな爽やかな湿原の中を引き返して舗装された国道まで戻り、私はその分岐点の近くにあるもう一つの展望台である、サルボ展望台を訪れた。駐車場に自転車を止め、うっそうとしたクヌギの森の中の階段道を、ひょっこりと当たり前のように現れるリスの姿を楽しみながらゆっくりと登り詰めれば、大きな塘路湖やその周囲にたくさんの小さな沼がちりばめられた緑の湿原が、緩やかな起伏の丘陵を超えてなお向こうまで、若くて木々のない黄緑の湿原と、少し木々の育った林が入り交じりながら広々と広がる雄大な風景にまた出会うことができた。立木が多くていっぱいにというわけにも行かないのだが、それでも間近な塘路湖の大きさや、広がる湿原の大きさは充分に感じることができる。謂わばこの展望台からの眺めは広角レンズで、さっきのコッタロからの眺めはその中のコッタロ湿原という部分をズームアップしつつもなお広い視界を保って展開するようなものだろうか。釧路湿原としては広大な一つの湿原なんだけれど、展望台の数だけ異なる見応えのある風景に出会うことができるのが、釧路湿原だということなのだろう。

 私は広い塘路湖のほとりの国道を引き返し、併走している線路も湿原の中に埋もれてしまいそうだな、などと思いながら、出発点の塘路駅まで帰り着いた。駅前の公園にも簡単な展望台があって、登ってみれば線路越しに小さな沼の展望が開けた。空はさらに晴れ上がり、雌阿寒岳の輪郭もぼんやりと確認できるまでになっていた。もともとこの地にレンタサイクルがあるということは知らずにこの地を訪れており、もっともっと時間がかかるかなと思ってはいたのだが、この調子ならもっともっとたくさんの展望台に登ってたくさんの釧路湿原の絶景に出会うことができそうだと思い、かつて訪れたことはあるのだけれど今日も再び細岡の大観望を目指すことにして、私は上りの列車に乗り込んだのだった。やはり車内は立ち客が出るほど混雑していて、列車は湿原に形成される疎らな立木と、時折姿を現わす幅のある川の爽快な風景の中を引き返していった。

細岡大観望 私は以前と同じように、釧路湿原駅から森の中の急な階段道を登って、すぐ近くの細岡展望台へ向かった。展望台に登れば、コッタロにもサルボにもなかった、とにかく何にもさえぎられない広大な一面の湿原の風景に出会うことができた。木々の生えない緑色の草原はなおのこと広々と開け、周囲を囲む丘陵もあまりに遠く、その姿がはっきりしないほど霞んでしまっている。晴天の空のもと、雌阿寒や雄阿寒もぼんやりとではあるがその輪郭を確認できるまでになっていた。しかしその大きいはずの山の存在も大きいはずの釧路市街の遠景も、この雄大な際限なく広がる湿原のもとにあっては、ちっぽけな存在でしかないかのようだった。それはもちろん、この展望台に群がる記念撮影の人々の姿とて同じであった。

 一面に広がる黄緑色の絨毯の中心には、蛇行する川が複雑な形で輝き、その川よりも手前側には草原の成長が進んだのか、やや樹木が発達する。一言で湿原といっても、それぞれの区画ごとにそれぞれの表情があり、それがいっぱいに広がってすばらしい展望を作り上げる。広大な草原の風景は先日のサロベツでも見られたけれど、こちらの風景はあちらで見られた牧場のような人工的な緑は一切なく、人間が無理矢理引いた線のようなものもなく、あくまで境界のない一枚の絵として広がっている。そんな雄大な風景に出会えた喜びをしばしの間かみしめ、私は森の間を通り抜ける涼しい風をいっぱいに浴びながら、持参した弁当を広げたのだった。

 私はさらに新たな湿原の風景を求め、釧路湿原駅から再び混雑する列車に乗り込んだ。荒涼とした湿原を木々の合間や茶色の川の向こうに見ながら進み、さっき訪れた塘路を過ぎると、塘路湖やいくつかの沼の点在する湿原から、さっきのサルボ展望台を乗せる丘陵の間へと入り込み、程なく列車はシラルトロ湖畔に広大に広がる爽快な緑の湿原の中へと進んでいく。ここも悠久の時の流れの中で湿地化が進んだ結果の手つかずの湿原と見え、かなり遠くに湖の姿を望みつつ、列車はしばらく荒涼とした風景の中を行った。そして久しぶりに車窓に人の手の入った畑の姿が見られると、列車は程なく茅沼駅へとたどり着いた。

 茅沼駅はタンチョウの来る駅だといい、完全無人駅だけれども小さいながらきれいな駅舎が整備される。駅裏には湿原ではなく畑が広がっていて、ここに餌付けがされているらしい。今はツルの姿は全くないが、いつか見られる日が来るのだろうか。私は久しぶりの畑の風景の中を、太い道道の緩やかな登り坂を登っていった。しばらく歩いていくと温泉宿泊施設のいこいの宿かや沼があって、道道はここで終点となってしまった。しかし人は柵の向こうへ入ることができるようで、私は森の中の下り坂へと進んでいった。

シラルトロ湖 坂を下りきると、目の前にはシラルトロ湖の、対岸の丘陵までの間一面にゆったりと大きく広がる姿が現れた。奥行きも結構あるようで広々として見える湖は、背の低いヨシと対岸の丘陵に囲まれ、強くなってきた風に吹かれてさざ波を立てる。周囲はキャンプ場となっていて芝生の広場が整備されていたが、緑の湿原も隣接していて、湖岸を目指して踏み固められた道の通る林の中を歩いていくことで、私はようやく初めて片鱗ながら、釧路湿原というものを遠巻きではなく間近に感じることができた気がした。ヨシや枯れススキのような白い細い軸の混じった淡緑色の草原は風に揺れ、そして沼のほとりにもヨシはびっしりと茂って、足で踏んでいい場所はどこまでなのか、ぬかるみになっているのはどこからなのか、境界のはっきりしない湿原は、その足下に含ませた水ともども風に揺らめいている。静かな風と水のある風景に、私はしばしたたずんで心を和ませていた。

蝶の森 湖に隣接する丘陵づたいに本来はさっきのサルボ展望台まで続いているらしい遊歩道は、湿原を眺めるというよりもむしろ丘の上の、蝶の森と言われているらしい森の中を行くばかりだった。シラカバの森が嫌いだと言うつもりは毛頭ないが、足下のササ藪から発生した蚊はやはりうざくて、蝶の森というわりには言うほど蝶も出てこないなあなどと思いながら、この森を抜けた所にあるらしい展望台を目指して私は早足で歩いた。しばらく森の中を歩いていくと、木で造られた簡単な展望台が現れた。もちろんさっきの細岡の大観望に比べると大したことのない眺めだけれども、ここまで来ると細長いシラルトロ湖、そして岬のように伸びる丘陵の左右の遠方に確かに広がっている湿原に向かって、傾きつつある太陽が光を照らしている情景を、他に誰もやってこない展望台で独り占めにすることができた。

 しかし、地図上でその先に続いているはずの木道の入口はどういうわけかわかりにくくなっていて、しかも入ったら入ったで木立の疎らな釧路湿原のイメージとはちょっと違うような、湿原といえば湿原だけど木々もよく茂っている道、そしてメインはやはりササ藪の中の道が続いた。さらに、一歩一歩踏みしめるごと蚊柱が生じてしつこいまでにつきまとわれて、さすがに私ももうこれ以上つきあえんと逃げるように木道を引き返していった。どうもこの釧路湿原という奴は、この前のサロベツに比べて、上から眺められるスポットは多いものの、中に入ってじっくりと触れあうことのできるスポットが少ないような気がして、何だかなあといった感情を隠しきれないままになってしまった。

 蝶の森から遊歩道を引き返せばパークゴルフ場のある園地となり、その入口が、来る時に見た温泉宿泊施設のいこいの宿かや沼ということになっているようであった。蚊から逃げるように戻ってきて息も切れ切れとなったまま私は温泉を求めて施設に駆け込んだ。露天もあればいろいろな温度の浴槽もあって、湿原を充分に楽しめたのかどうかはよくわからないままだったけれど、その分ここの温泉は私にとって存分に楽しめるものとなった。

列車からシラルトロ湖を望む 温泉でのんびりしている間に、湿原には夕暮れが訪れていた。茅沼駅に戻り、私は今日初めて、すいていると言える列車に乗り込んで釧路へ戻る道を進んだ。茅沼で湿原をあまり楽しめなかった分、私は車窓から、湿原の写真を撮りまくった。そろそろ西の空が赤くなってきて、以前初めて北海道を訪れた時にも見た湿原に落ちる夕陽の風景にもう一度会っていきたくなり、宿に戻るのがかなり遅くなることを覚悟して、私は思い切って再び釧路湿原駅で下車した。

釧路湿原の夕陽 さっきと同じ駅とは思えないほど人も少なくひっそりとした釧路湿原駅から、薄暗くなった森の中の階段を展望台へ登っていけば、そこには文句なく来てよかったという気分にさせられる、すばらしい夕焼けの風景が広がっていた。阿寒の山の方には雲が出ていたけれど、そのぎりぎりをねらって落ちる夕陽。山でできた雲が低くたれ込めてはいたが、山頂よりも下には降りてこず、釧路市街にかけての地平線はきれいにオレンジ色に染まっていた。

 そして刻一刻と、時とともに雲は流れ、瞬間ごとに新しい夕陽の風景が生まれては次の風景へ移り変わっていく。やがて広大な湿原を囲む風景の一部でしかなかった釧路の市街に明かりが点って目立つようになっても目の前の湿原にはそんなものはなく、周囲の空気もいい加減寒くなり始めた中、だんだん、だんだんと本当の暗闇が迫ってくる様子をじっくりと堪能することができたのだった。昼間日当たりのよかった頃にはいなかった蚊もたくさん出てくるようになってしまったが、温泉できれいになり、雄大な夕焼けにもういちど洗われた私にとってはどうでもいいことだった。雲は流れ、時には今日見られなかったタンチョウの水平飛行を思わせる形になったりして、最後まで心憎い演出をしてくれた釧路湿原なのであった。

 やがて間もなく空の赤みも完全に消失して、釧路市街の照明がわずかばかりの星あかりのように一直線状に点るのみの完全な闇が周囲に訪れた。入れ替わり立ち替わり夕陽を見に来ていた人のすべていなくなった頃、私はおそらく今日最後の客として、展望台をあとにした。駅までのわずかな距離の未知ではあったが街灯もなく、足下おぼつかない山道はちょっと怖かったけれど、そんな暗闇の中に赤々と明かりを灯す駅の中に人の姿を見た時は、なんだかほっとさせられた。釧路に戻る列車ももはや、ひたすら闇の中を走るのみだった。晴れたというだけで儲けものといった感じだったのに、それ以上にたくさんのきれいなものを見せてくれた湿原に、私は心の中で、お休みなさいと声を掛けたのだった。


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