1.占冠村双珠別(8.2) / 2.占冠村赤岩青巌峡(8.3) / 3.トマム(8.4) / 4.釧路市(8.5) / 5.釧路湿原(8.6) / 6.霧多布湿原(8.7) / 7.長節湖、フレシマ湿原(8.8) / 8.春国岱、風蓮湖、納沙布岬、帰路(8.9-10)
晴天はどうも長続きしないようで、今日の根室市街には霧雨が降り、薄く霧もかかっている。今日は花咲線という愛称のつく根室本線の末端区間にある無人駅たちとその周囲にある風景を訪ねようと考えていたが、列車のダイヤの関係上出発してしまったら引き返すことさえままならない、完遂しなければならない旅程であることがわかっていただけに、多少の迷いもあったのだが、霧のかかる湿原の風景も悪くはないかなと、私は旅に出る決断をして、根室駅に向かった。まだ朝の8時を過ぎた頃ではあったが駅にはわずかにしか発車しない列車を求めてすでに長い列ができていたし、駅の周辺のカニ屋もすでに店を開いている。中には激安一匹500円という文字も散見される。どの程度のグレードのカニなのかわからないが確かに激安だ。
根室駅を出る列車は、臨時の夜行列車としてやって来たまりも号の間合いの特急車両だった。自由席車のみの開放であるが、大型の車体にはあれだけの列の乗客を乗せても余裕なくらいだった。小型のワンマン列車とは違う雰囲気の中、私は後戻りのできない旅程へと足を踏み出した。高台を走る列車は、霧に霞む市街を見下ろしながらしばらく走り、やがて市街を抜けると幹の細い木々の生える森や原野の中を進むようになっていく。
西和田という、貨車でできた小さな駅に私は降り立ち、付近にあるという長節湖(ちょうぼしこ)へと歩き出した。道案内の看板もそれなりに整備されていてわかりやすいのだけれど、周囲には深い霧が立ちこめて、まっすぐ伸びているはずの太い道道でさえ見通しはあまりよくない。牧場の間だったり荒れ地だったりする道沿いも視界は限られ、周囲を囲むのも丘陵ではなくて霧ばかりだ。
道道から分岐した坂道を下っていくと、牧場の次に見えてきたのは、今日はさすがに単なる砂利の広場でしかない漁村の昆布干し場の向こうに、寄せる波だけは何とか見える海岸線の姿だった。霧に包まれる長節の漁村には、時折旅人の車と、漁業関係の車が行き交うが、外に出ている人は見られず、雨の混じる冷たい風の中、「寒村」という言葉がぴったりとくる雰囲気である。そんな寒村に隣接して、三方を丘陵に囲まれた中、意外に大きい長節湖はひっそりと隠れるようにたたずんでいた。
長節湖の周囲を囲む丘陵は霧のために黒ずんだ哀しげな色であったが、湖面からは湯気のように霧が立ち上り、神秘的な雰囲気がとても強く感じられる。このあたりをねぐらにしているカモメたちが時折鳴き声を上げるが、他に人はいない至ってひっそりとした世界を強く揺さぶるように冷たい風は吹き、神秘的な湖に風紋を立てている。
私は湖岸を一周する遊歩道に足を踏み入れた。丘陵の間に隠されたような湖だけあって、起伏も激しく、丘陵の上に登ればサルオガセのまとわりついた倒木やササ、シダ、そしてキノコ類も多い山道の足下に敷き詰められる腐食はたっぷりと水を含んで私の足をずぶぬれに濡らし、そして平地に下がれば、ミズバショウの巨大な葉が目立ちノリウツギやら何やらの花の姿もそれなりにある湿原の中を通る木道となって、せり出す膝上の高さのヨシがズボンを濡らしてくるから、私は傘を盾のように使ってそれらの攻撃を必死でかわしながら歩かざるを得なかった。まるで泥沼と格闘するかのような私をあざ笑うかのように、大きな耳とふさふさ尻尾のエゾリスはのどの奥から変な音を出して、細い枝から枝に華麗にジャンプしてみせるし、こんな日に人など来ないと思ったのか、木道で座っていた子ギツネがあわてて逃げていったりもする。
そんな、下半身をずぶぬれにさせられた思い出の強く残る遊歩道ではあったが、林の間から垣間見られる湖はいつでも神秘的な霧をまとっていた。霧に隠れて全体を見通すことはなかなかできなかったが、実はハート型に入り組む複雑な形をしているようで、コースのちょうど中間地点では湖の中に岬のようにせり出す陸地の上に、小さな祠が湖に浮かぶかのようにたたずむ。途中他の人と会うことは全くなく、遊歩道にたくさん鎮座するお地蔵様だけを友とする寂しい散歩道だったが、私はこの湖の持つ神秘的な雰囲気を充分に感じることができたような気がした。これまでの湿原の道で何度も経験した蚊の攻撃もあるにはあったが、長袖長ズボンの重装備には大したこともなかった。そんな道も終わろうとする頃、湿原の中の木道に、足を怪我したらしいカモメがよたよたと座り込んでいた。私には何もできるわけではないからただ通り過ぎるだけだったけれど、必死にくちばしを開いて、私という敵を威嚇する姿が何とも哀れで、切ない雰囲気がさらに強く感じられてしまった。
ようやく遊歩道を一周してもとに戻ってみれば、歩いてきたすぐそばの階段ですら霧に包まれて見えなくなっていた。最後まですべてを見せてくれない神秘的なこの湖に、今度は是非晴れた時に来たいものだと私は強く感じることになった。もうすでに駅に引き返さなければならない時間になっていて、カモメの群れの見送りを受けながら私は、往路よりも少しだけ霧が薄くなったような気がする坂道を登った。打ち寄せる波の音が聞こえなくなって周囲一面に牧場が広がると、牛のいない牧場ではカラスが草の実でもあさっているのか地面をしきりについばんでいた。遠くの方には白くて大きな鳥が、同じように地面をついばんでいる。よく見れば、ツルのつがいではないか。悠々と地面をついばんだり首を伸ばしていたりする連中の姿に、私は急いでいたはずの足をしばし止められることになったのだった。
西和田駅に戻った私は引き続き、花咲線を上る列車に乗り込んだ。霧のかかる森林や丘陵も、車窓から遠巻きに見る分には充分に幻想的な風景である。落石を出てすぐの宗谷のような緑の丸い丘陵も、霧に煙ってよりソフトな絨毯であるかのように見える。しかしその丘が対峙するはずの落石岬の海は、真っ白で何も見えない。そんな厳しいけれど優しい丘の上で、牛たちはのんびりと草を食む。
私は別当賀(べっとが)という小さな駅に降り立ち、ここにもある貨車の駅舎で、寂しい時刻表を見ながらあらかじめ買っておいた食糧を口にした。釧路行は1日に6本あって間隔も長くても4時間だけれど、根室行は4本しかなく、そのうち朝一番のは休日運休だから3本しかない。10時の次は実に18時という有様である。駅をあとにして、私は周囲の散策へと出かけた。別当賀駅の周辺にも牧場はあるが、霧は雨が降らなくなってもなお厚く、歩いて行くにつれ牧場のサイロが、だいぶ近づいた頃にようやく霧の中からぼんやりと浮かび上がってきて、無線鉄塔もそんなに高いものではないはずなのに、てっぺんまで見渡すことは不可能なほどだ。
そんな幻想的な霧の風景の中、私はフレシマ湿原へ向かうべく、線路を渡っていったん道道に出て、牛のたくさん放牧されている中にあるような分岐点からダートの道へと分け入った。牛たちはこれまで何度も見てきたのと同じようにこちらの方をじっと見てくるので写真も撮りやすいのだが、ここの牛はよほど好奇心が旺盛と見え、私が歩き出すと群れをなして一緒に走ってくるのである。あんな大きな動物が集団になって追いかけてくるのだから私の方も思わずびっくりしてしまった。もちろん連中は柵からは出られないから余裕でかわせるのだが、今日は先日と違って別に赤いシャツを着ていたわけでもないのになぜなんだろう。そんな牛たちとの掛け合いを楽しんだ牧場もやはり霧に覆われ、広々としているはずなのだろうが、一つの丘の向こう側はもう霧に隠されてしまうため、広大な牧場で感じられるような開放感もあまり感じられない。
牛たちと分かれた私はひたすら、ダートの道をまっすぐ歩いていった。特に道案内もなく、ガイドブックの語句簡単な説明文だけが便りの心許ない散歩となったが、歩みを進めていくうち、牧場だった道はササ藪の上に形成されたシラカバやエゾマツの林の中をひたすらまっすぐ進むようになり、多分間違いないだろうという根拠のない自身が徐々に沸いてくるようになっていった。ダートは適当に水分を含み、足跡が比較的よく残る硬さとなる。偶蹄目の、おそらくシカのものと思われる足跡も道なりに点々と残っている。道路の端に足跡は続き、所々立ち止まったように足跡が集中する所もあったから、おそらく道の草を食べ食べ歩いていたのだろう。
山道は軽い起伏を繰り返して比較的長く続き、熊でも出ないかと心配にもなる森林の風景が延々と続いていった。やがて道沿いに久しぶりに一軒の農家の建物が見えるようになると、森は途切れ、道は突然に、丘の上に出た。丘の下には広大に、黄緑色の草原が平らに一面に広がっていた。ここがフレシマ湿原ですみたいな案内は一切ないのだけれどそのようなものも必要のないくらい明らかな、何という感動的な出会いだろう。おそらく湿原の広さ自体は大したことはないのだろうけれど、霧に覆われた丘陵までと、正面の遠くにたたずむ灰色に霞む横一線の海岸までの間、複雑な形の沼をいくつか抱えていっぱいに広がる草原は、とても広々として見える。
そして道は、その広々とした草原の中へ、ゆっくりと下りていくように伸びていく。歩みを進めれば草原はだんだんと大きくなって、ついに自分と同じ高さに広がるようになって、私は広大な草原のど真ん中へ放り出されたような気分になった。フレシマ湿原とは、湿原の広さを実感できるアプローチのできるところなのだ。沼の周りにはヨシが、そしてその周囲にも背の低い草が色とりどりの花を内包した草原となって広々と広がっている。たった2頭の馬が放牧され、のんびりと草を食むが、馬は牛と違ってあまり好奇心はないと見え、私が近寄っても悠然として草をむさぼり続ける。湿原というよりは放牧地とか草原と言った方があっているような気もするけれど、広々と劇的に広がっている草原であることには違いはない。
道は前方に接する海の近くまで続き、あとは立ち入り禁止区域となっているようだった。波打ち際以外の海原は霧に隠されて見えないけれど、ひたすら延びていた道が延びられなくなったから終わるという、ごく当たり前なはずなのに滅多に見られない終わり方をするというのも、何とも大雑把さを感じさせる自然である。そんな雄大な湿原に、ただ道なりに歩くだけで、大した苦労もなく出会うことができてしまって、いいのかと言うくらいのすばらしい感動を覚え、予定通り雨に負けずこの湿原の探訪へ出かけてよかったと私は心底思うことができたのだった。海の風は濡れたズボンには冷たいけれど、もうだいぶ乾いてきた。相変わらず霧は深いけれど、午前中と違って水滴が落ちてこないのがありがたいし、ダートとはいえ足の濡れない道であったことも幸運だった。
薄くなったかと思われた霧がまた濃くなった中、私は駅へと向かって長いダート道を引き返した。ソフトなダートには反対方向を向いた私の足跡がそのまま残り、だいぶ前に歩いたはずなのにと不思議な感じがした。もちろん新しい足跡が増えていたりなどはしない寂しい道である。でかいフキの葉の目立つ細いダケカンバの林の中にいるうちは起伏もあり、多少のカーブもあったのだけど、牧場の中へ出て道がまっすぐ進むようになると、広いはずの牧場が狭く見えるほどの霧の中に、道ごと自分も吸い込まれてしまいそうな、そんな不思議な感覚を私は感じることになった。久しぶりに再会した牧場の牛たちはまた、私のことを追い回してくれた。馬ならともかく牛が草原を駆ける姿が見られるとは思ってもみなかった。放牧されている牛はすべて雌牛、牛にモテてもしょうがないのになあなどと思いながら、走る彼女らの姿を私はまたカメラに収め、そっと別れを告げた。
別当賀駅に戻っても、駅前に市街が存在するかどうかさえわからないほどの深い霧がたちこめ、吹きすさぶ風は冷たさを増し、とても外を歩き回る気にはなれず、私は窓の閉められる貨車駅の中に引きこもってじっと耐えることしかできなかった。これが道東の8月なのだということか。テレビで連日35℃なんて言っているのはどこの国の話なんだろうななどと思えてしまう寒さが印象的でさえあった。8年前の夏に北海道を訪れた時は、涼しいと思ったことはあっても、少なくとも昼間に関しては「寒い」などと思ったことはなかったような気がするのだが……。たまに勇気を出して外に出てみれば、わずかなスカトール臭の混じる冷たい風におそわれ、私はたまらず再び室内へ逃げ込むしかなかった。時にして夕方の4時頃、まっすぐ根室へ戻る列車はまだまだ来ず、こんな何もない所で時間をつぶすよりはと、根室とは逆方向の上りの列車に私は乗り込んだ。幹の細いシラカバや松の林には引き続き霧が幻想的に流れていく。
私は以前バスと電車を乗り継いだことのある厚床駅で列車を降りた。ここで喫茶店ででも時間をつぶしつつ夕方の根室行の列車を待つ覚悟をしていたのだが、それより1時間も早く根室行の路線バスが出ることがわかり、出費を余儀なくされることを惜しみつつも多少楽な行程となったことを私は喜んだ。駅の周囲は相変わらず、道は広々としているのだけれど建物は小さくて立派な駅舎も寂しく見えてしまっていたが、8年前はなかったような気がするログハウス風の喫茶店やコンクリートの郵便局もあったりして、少しは変わっているのかなあといった感じも受けた。その時弁当を買った小さな商店は、そのまま残っているらしかったが。外の風はやはり寒く、あまり長くうろうろすることもできず、私は再び立派な建物の中に閉じこもった。町の人はなんと、ジャンパーを着込んでいた。
やがてバスの発車時刻がやって来て、私は厚床駅をあとにした。市街とはどうあがいても言えないような疎らな街並は、線路がなくなってしまった跨線橋をまたげばあっという間に途切れ、バスは広い道をひた走った。原生林の中を行くこともあれば、牧草ロールのある黄色い牧場、そしていっぱいに広がる緑ののどかな牧場の間もバスは走っていく。霧のため狭い範囲しか見えないけれど、うっすらと奥の方まで牧場は続いているようだ。シカ横断注意の電光掲示もある国道は、牧場でなければ原生林に入り、人家は滅多になく、バス停もたまにしかない。運賃表示も5区間で800円くらいまで跳ね上がり、初乗りも200円から300円近い額を示すこともある。このあたりは人よりも牛の方が多いという話を強く実感できるバス旅となった。
地図上で別当賀から国道に向かって歩きこの道に合流する地点に「基線」というバス停があり、その次の停留所が白鳥台センターだったから、もしかしたらここまで歩いてきてこのあたりでのんびりするという選択もあったかもしれない。むしろバス代も大幅に安くなりそうではあったが、しかしこの寒さに耐えられたかどうかは疑問である。白鳥台は、車窓に一瞬顔を見せる風蓮湖のほとりに建てられた施設だった。バスはまた森の中に戻るが、東梅という所ではまた湖岸へと出た。対岸すぐの所には明日行こうと思っている春国岱があって、そこへつながる細い橋の姿も垣間見られる。しばらく進むと、今度はバスの方が大きな橋を渡った。下に広がる水路は川であるようには見えず、むしろ海で隔てられた対岸の島にでも渡るような風情である。実際には温根沼という小さな入り江であるが、もちろん沼の全景は霧の中にあって、右手の水路の向こうにも海が広がっているように見えてしまうのだ。なんだか明日の下見ができてしまったような感じで、明日レンタカーを借りていろいろ見て歩くのがとても楽しみになった。
ここからはバスは根室湾に沿う半島の北側に面する丘陵の上を進むようになる。道のそば、即ち海のそばには森林は発達せず、特に下り坂では前方に広がる小さな漁村の姿が一望のもとになる。明日は脇見しないように気をつけなければと思わされる雄大な風景だ。山側にはなだらかな丸い黄緑の丘が幾重にも重なり、牧場は海側の丘の上にも広がって、決してごつごつとではなく、しかし海に対しては高く切り立っている。そして漁村ではバスは海と同じ高さにまで下りていき、漁村を抜ければまた丘陵の上へ上る。
そんな風景も西浜町という所で終わり、あとは根室にまで続くと思われる市街へと、バスは唐突に入っていった。バスは国道を避けて市街の高台へ上っていく。眼下は住宅でびっしりと埋め尽くされて、もう文句なく根室の市街へ突入したのだと実感させられた。やがてバスは最後にまた国道に戻り、昨日暗闇の中で迷った市街、イーストハーバーホテルや北斗小学校も現れ、見たことのある街並に戻った喜びを私は強く感じることができたのだった。
それにしても、夜になって根室の街はさらに寒さを強く感じるようになってしまった。夕食に鉄砲汁で体を温めはしたけれど、真夏とは到底思えない、洒落にならない寒さに私はうちひしがれていた。