1.長万部、黒松内、寿都(12.27-28) / 2.島牧村(12.29) / 3.雷電海岸、歌棄(12.30) / 4.雷電海岸、岩内(12.31) / 5.泊村、神恵内(1.1) / 6.西の河原(1.2) / 7.倶知安、京極(1.3-4)
だらだらと仕事の続いた年末も、大嵐の中での友人との飲みと翌日のほんの僅かな仕事を以て終わり、何故かいつまでも冬になりきれないかのように暖かい日々の続く東京をあとに、私は北海道後志地方の日本海岸へ、冬の姿を求める旅に出た。20℃をうかがってしまった東京の陽気のもとにあっては、北海道の気候を見込んだ厚いジャンパーにゴム長靴はどう考えてもオーバースペックだったようで、駅までの僅かな距離を歩くだけでも、暑ささえ感じるほどであった。
周囲が夕暮れから夜へと移り変わる中、私は山手線で上野駅へ向かった。嵐の名残か列車のダイヤは大幅に乱れているようで、乗る予定にしていた北斗星も、発車時刻になってもホームに入線する気配を見せない。スーパーひたち号も大幅に遅れるということがしきりにアナウンスされる中、北斗星は予定の発車時刻の約30分後に、漸く上野駅のホームに姿を見せた。もっとも個室寝台券でさえ直前に何の苦労もなく入手できたことから想像できたとおり、北斗星を待つ乗客の姿はほんのちらほらと見られる程度で、輸送障害時にありがちな殺気立った雰囲気は、少なくとも北斗星のホームには全く存在しないようだった。今日び、それくらいの余裕がないと夜行列車ののんびり旅には適応できないのかもしれない。
北斗星は予定より約40分遅れて上野駅を出発した。私はごろ寝しながらコンビニ弁当とビール、漫画と中島みゆきをお供にして寛ぎつつも、時々は列車の遅れ具合が気になる夜を過ごした。宇都宮辺りまでは順調に走行していたが、その先は停まりがちになり、これまでの経験からもういい加減東北地方に入っているだろうと考えられた頃合いになってもまだ黒磯だったりして、目的の北海道までちゃんと行きつけるのか、私には不安に感じられてしまった。まあ私には何もできるわけでもなかったし、その分寝坊できるのだからと前向きに考えることにして、私は照明を落とし、列車に身を任せた。
夜を越す間に列車の遅れはどんどん拡大しているようだった。白河の時点で114分遅れというアナウンスは聞こえていたが、夜が明けてみると遅れは2時間35分にまで拡大していた。定刻なら長万部に着いているべき時間にはなっていたが、列車はまだ木古内付近を走行中だった。うっすら明るくなった外の風景は、この時期であれば当然に期待される大雪原といった感じでは決してなく、雪は草原や森の足もとに僅かに残るのみだ。これではせっかく用意した長靴でさえオーバースペックだ。牧草地にも笹藪にも、笑ってしまうくらい雪がないのである。列車は程なく津軽海峡の間際を走るようになる。空は晴れてはいるが、海側の水平線沿いに立ちこめる雲は厚く、海の上に浮かんでいるはずの函館山も、完全に雲の中に隠れてしまっている。
車内では函館始発の特急列車への振替乗車も案内されたが、長万部で降りる予定だった私は、大して時間も変わらないだろうからと、そのまま個室で寛いでいくことにした。函館の市街にも全く雪の姿はなく、駒ヶ岳へ続くなだらかな斜面上の広大な田畑にも雪はない。やがて列車は住宅街の上を跨ぎ越して、森林の中の藤城線へと進んでいき、漸く雪の姿も少しずつ草むらの足もとに残るのが見られるようになってきた。そしてトンネルを抜け、本線に再合流すると、車窓には大沼、小沼の湖沼群が大きな姿を現すようになった。駒ヶ岳こそ大きな青空の下、雪を纏った白い姿を堂々と現しているが、いつもならがちがちに氷結しているはずの、足もとの沼の表面を覆う氷はどうも薄そうで、完全に凍りきっていない所もありそうな感じだ。葉をすっかりと落とした白樺林へと進めば、車窓には少しは雪原らしきものも見られるようにはなったが、それでも白が主役になることができないでいる、まだまだ深緑の強い世界ばかりが続いていく。
そして駒ヶ岳の周辺の山道を抜けるとまた雪は少なくなり、列車は森の市街へと進んでいく。街並みの向こうに横たわる海は青々とし、その向こうには有珠山になるのか、白い山が雲を纏いながら海の上に浮かんでいる。列車は程なく、海のすぐそばを走るようになった。陽の向きのせいか海は明るく青々としながら、丸い波を立てる。やはり何だか、冬という感じのしない海だ。個室の窓はずっと海に面し、車窓には暫く青い穏やかな海が大きく広がり続け、列車はそのまま八雲へと進んでいく。八雲駅の周辺には思っていたよりも大きな規模の街並みが広がり、線路脇や、街並みの中に取り込まれた牧場には若干の雪も残る。海から離れればそれなりに残雪もあり、道も雪解け水で湿っているが、海に近い牧場や田畑では、残る雪はごく僅かになってしまうようだった。
北斗星号は結局定刻の約3時間遅れで長万部駅に到着した。2時間以上の遅延により、特急料金の払い戻しを私は初めて経験することとなった。私はここから函館本線の山線を辿ることを目論んでいたのだが、北斗星の到着の2時間半後に発車する予定の列車は北斗星を待たずに発車してしまったため、結局私は次の山線の列車が発車するまでの約3時間をこの街で過ごすこととなった。
9時半となった長万部の小さな市街には太陽が明るく照りつけるようになり、全国的な暖冬はこの地でも例外ではないと見えて、空気はもちろん東京よりは冷たいけれど、道には積雪は見られず、道路脇に固められた雪塊からの雪解け水が路面を濡らし、氷ではなく液体の水が水たまりをつくる温度であり、厚着で歩き回ると汗ばむほどだ。道を固める建物の背も高くなく、そのおかげで小さな市街の雰囲気は至って明るいものになっている。跨線橋の上に登れば、線路の分岐点の周辺には背の低い街並みが、背後を白い山並みに守られながら青空の下にゆったりと広がった。
跨線橋を渡って駅の裏側に進めば、領域こそ小さいけれどそこそこ大きな建物の建ち並ぶ長万部温泉の温泉街が現れた。時間はたっぷりあったので、私は古くさい温泉ホテルに立ち寄り、湯を浴びていくことにした。建物も内装も何の変哲もない、ぼろい銭湯といった感じではあったが、湯は本物と見え、私は爽快な入浴を楽しむことができた。浴後、私は温泉街を軽く散策してみた。道は広いのに交通量は大したことのない、北海道の小さな街によくあるだだっ広い世界に、私はここでもまた出会うことができた。これで天気も荒れていたなら、寂しい気分が盛り上がっただろうに、空は不自然なまでに明るく晴れ渡っていて、何とも言えない、あまり快くない寂しさに私は包まれることになってしまった。市街に迫る丘陵もうっすら雪化粧する程度で、スキー場と銘打たれている斜面を眺めても、到底スキーなどできそうにない。
温泉街の周辺に広がる住宅街の中にあった、鉄道に関する展示のある小さな資料館で休息した後、私は市街を外れて南部陣屋川の川原に広がるあやめ公園を訪れた。もちろんこの時期アヤメなど咲いているわけもないが、雪が少ないことがここでは幸いして、園内に巡らされた遊歩道を完全に自由に散策することができるようだった。川原は広々としていて遠くの白い山並みが広く見渡せ、本当ならばその白い山並みに囲まれた広大な雪原となるべき所だろうが、晴天のもとにここばかりは明るく快い散歩を私は楽しむことができたのだった。
私は家並みから、線路の反対側の駅前の賑やかな市街へと戻り、その市街を横切るように更に歩みを進めた。程なく、真っ直ぐに伸びる砂浜に広々とした海が接する海岸へと私は辿り着いた。堤防の上に登れば、左手に丘陵が海へ突き出しながらも、基本的には真っ直ぐ長い砂浜へ、幾重にも平行に等間隔に波を寄せてくる広大な内浦湾の姿が広々と眺められた。そんな海を立ち止まって眺めているうちに、あまり本調子でない私の体に与えられたストレスが和らいでいくような、そんな快さを私は感じるまでになっていたのだった。
そうこうしているうちに長いと思っていた長万部での残り時間は少なくなり、食料を仕入れる時間さえも逸してしまって、私は空腹感を我慢しながら山線の列車へ乗り込むこととなった。車内にはスキーやスノーボードを抱えた外人客などもいたりしたのだが、本当にスキーなどできるのかどうか、私は他人事ながら少し気になった。列車は所々ノリウツギの残骸も見られる笹藪や牧場、白い畑や葉を落とした林が交互に現れる山道を進む。歩みを進めて海から遠ざかるにつれて残雪の量も次第に多くなっているようには感じられたが、まだまだ白が主役といった感じにはなってこない。それでも二股を過ぎれば、林の足もとの笹藪も半分ほど雪に埋もれるようになり、周囲を囲む山並みも、落葉樹の領域ならば何とか、白い風景と言ってもよさそうな感じにはなってきた。
私は黒松内という駅で列車を降りた。駅の周辺に僅かに広がる市街には、長万部よりは確実に多い量の雪が残っている。市街の背後にはすぐに丘陵が控え、山並みに囲まれるようにして小さく佇む市街だ。長万部とは違って空は曇り、気温も下がってそれなりに雪国のような雰囲気を呈するようにはなったが、路肩に寄せられた雪は、この地にも暫く新しい雪は降っていないということを示すかのようにがちがちに固まって、決して歩きやすいとは言えない。
市街を囲む丘の麓に流れる朱太川に沿う大通りを少しだけ歩けば、蛇行して流れる川沿いには白く美しい雪原も広がっているのを見ることができたが、夜行明けで疲れていた私の体では、どうしても歩き回ろうとする足取りは重くなってしまうのだった。路地に入ればそれなりに雪は残っていたのだから、楽しもうと思えば楽しめたのかもしれないが、最早疲れた状態で無理なことはできない歳になってしまったのかなあ、などと感じざるを得ない、気分のあまり浮かない散歩となってしまったわけである。小さな街なのに飲食店を探すのも何だかすごく遠い道のりのように感じられてしまって、今日の昼食は近くに見つけたAコープで買い込んだパンで妥協することにした。
駅舎内で簡単な昼食を済ませた私は、日本海岸の寿都へ向かうバスに乗り込んだ。道路そのものは除雪されているけれど、川沿いに広がる牧草地はさすがに真っ白に染め上げられ、起伏に富む白黒斑模様の山並みに囲まれて長閑に広がる雪原の中を、バスはゆっくりと進んでいく。街からさほど離れないうちにこんな風景が見られるのだったら、街の中に留まらないでこういう風景を探しに行った方がよかったのかもしれないな、などと思いながら、私は車窓に映る白い風景を眺めていた。熱郛を過ぎると丘陵の間隔は狭まり、川沿いに落葉樹の林が密生するのを眺めながらバスは進むようになったが、道は完全には山道の様相を呈することはなく、暫くすれば車窓にはまた真っ白い牧場の風景が広がるようになっていく。そしてまた、雪の量は次第に少なくなっていき、広々と広がる平野の中にはいくつかの風車が回る風景が展開するようになっていった。
バスはやがて国道と合流して、寿都町へと進む。辺りには白と緑の斑模様をなす広々とした畑の風景が広がるようになっていく。山の峰も心なしか柔らかい線を描いているように私には感じられた。そんな広々とした風景の中のアクセントとなっている、山の麓の人工的な建造物であるゆべつの湯という施設に寄り道すれば、その後は緩やかな山肌が控える風景が続くようになり、大きな川も寄り添うようになった。そしてその川の行く先にはすぐに海が広がって、バスは程なく弓なりにごつごつとした山並みに囲まれる寿都湾に沿って走るようになったのである。
日本海の海岸線はさっき見た内浦湾に比べれば遥かに複雑で、黒くごつごつした岩礁が浮かび、海は不規則な形の荒々しい波を、飛沫を上げながら激しく海岸へ寄せていて、私が待ち望んでいた険しい冬の海の風景にそれなりに近いものであるかのように思えた。バスは一旦高台へと登って建物の間から海を見下ろした後、再び山を下って、いよいよ寿都の市街へと進んでいった。店舗などの建物の並ぶそれなりの賑わいを感じさせる大通りを貫くように走った後、バスは街外れにある寧ろ寂しい雰囲気の漂う寂しい営業所へと辿り着いたのだった。
海岸に平行に延びるいくつかの通りの高さが全て異なる、段丘上に発達している寿都の市街を、私は暫く散策した。バスの走る大通りから海岸に出るためには急な下り坂を下りる必要があったが、下りきってしまうと港の大きな建物に阻まれてしまうために海岸の風景は案外大きく広がらないもので、寧ろ少し上の段で我慢していた方がよほど海の姿を見渡せ、バスの中から見たのと同じように荒々しく不規則に波を上げる様子を垣間見ることができるのだ。雪は道端に、長万部と同程度の僅かな量が残るのみで、街の背後を固める山並みも白いとは言い難い。段丘の上のメインストリートには北海道特有の寂しいまでに広々とした風景が広がり、建物の間からは常に港の風景が垣間見られていたが、港に近い道筋では建物同士の間隔が狭まって、素朴な港町の雰囲気を呈していた。
海はしっかりと固められた大きな港に阻まれていて、大胆に波の轟きを見られる場所はなかなか私には見つけられなかったが、街の中心を通り抜けると、私は漸く海の間際に出ることができた。険しい黒い丘陵は、対岸の岩内方面まで弓なりに連なり、そしてその先には積丹半島が、雲に隠れて完全にではないもののその白い姿を見せていて、陸地に囲まれた海は断続的に激しい波を私の足もとへと寄せてきた。最初からこういう荒々しい自然の姿を探しに来ていればよかったのかもしれないなと思いながら、私は漸く軽くなった足取りで、やっと見つけた海岸の散歩を楽しんだのだった。
丘を登って街並みへ戻れば、これも北海道ならではの異様に広々とした境内を持つ寿都神社を経て、寺院が道沿いに一直線に並ぶ通りも現れた。一つ一つの建物に目立った特徴があるわけでもないし、寺院の相互に何らかの関係があるようでもなく、単なる寺院の集合体にしかすぎないのだけれど、規模が大きくなることによって一種独特な雰囲気を醸し出す領域が、市街の中に形作られている。
そんな寿都の街には、程なく夕暮れが訪れつつあった。私は街から少し離れているらしい弁慶岬へ向かって、タクシーを飛ばした。今日の宿の方へ向かう路線バスも弁慶岬を経由するのだが、明るいうちに辿り着く便がもうないらしく、やむを得ない選択であった。弁慶岬へ向かう車窓には起伏に富む灰色の丘陵が続き、常に海沿いの道であるとは言い難いようだったが、黒い断崖の下に激しく波が打ち寄せる風景も時々は姿を見せてくれる。少なくとも歩いて向かうという選択だけはしなくて良かったのだなと納得した頃、タクシーは弁慶岬の園地に辿り着いた。
園地自体はただの小さな草原の上に、小さな灯台と大きな弁慶像が建つのみだったが、確かに陸地の突端であることを示すかのように、かなりの高さになる園地の足もとにはやはり激しく波が寄せている。そしてそれが今日だけではないいつものことであるということを教えてくれるかのように、海に沿って黒々とした岩盤が露出する断崖が続き、その足もとの海底に形成されている千畳敷のような平らな部分の上にも、小さな波が小走りに走り抜けていく。空には雲が敷き詰められて夕陽は望めなかったが、辺りがだんだんと暗くなっていく中、灯台の灯りは点り、そして寿都湾に沿って展開する市街、寿都や恐らく岩内の街の灯りが、暗さを深めていく海の上に次第に大きな光の集団を作っていく、寂しいけれど幻想的な風景が味わえるようになっていったのだった。
完全に陽が暮れてしまうと、さすがに風はどんどん冷たさを強めていく。宿へ向かうバスを待つ間にも寒さを強く感じる上、車自体がそうそう来る気配を見せず、街灯などというものとは無縁の道は最早真っ暗になってしまって、本当にバスはやって来るのだろうかと心配になり始めた頃、宿の方へ向かう栄浜行きの路線バスが暗闇の中に僅かな光をもたらした。バスの車窓は完全に暗闇となって、すぐ近くに横たわっているはずの海の姿を眺められるわけもなく、私は夜行列車で始まった今日の旅の寝不足のため、うとうととしながら過ごすことしかできなかった。
私はバスの終点の近くに建ち、海の近くであるということが波の大音響のみから感じられる宿に入り、外は見えないけれど気持ちよいラジウム温泉の露天風呂で、長かった1日の疲れを癒したのだった。テレビではオホーツク海側が大荒れの天気であることを告げていたが、こっちでぱらぱらと空を舞っているのはどうやら雪ではなく雨でしかないようで、オホーツクの方が楽しい旅ができたのかもしれないな、などと私は少しだけ感じた。日本海側の冬は必ず大雪であるという本州の常識は、北海道では常に成り立つとは限らないのかもしれない。