1.往路、函館(3.21) / 2.根室(3.22) / 3.ウナベツスキー場(3.23) / 4.峰浜、ウトロXCスキー(3.24) / 5.ウトロ流氷ウォーク、斜里(3.25) / 6.網走(3.26) / 7.サロマ湖口、帰路(3.27-28)
ひたすら流氷を求めた私の旅も、今日が最終日となる。天気は今日から崩れ始め、明日は吹雪になるという天気予報には、もう1日長くいたかったなと強く思ったものだったが、切符の期限が今日までなので致し方ないところである。
朝の時点ではまだまだ充分空は晴れていて、多少風は冷たいけれど至って気持ちのよい朝の空気の中、私は学校のような宿をあとにして、サロマ湖に沿って砂州上を長く延びていく登栄床の漁村を、砂州の先端を目指してゆっくりと歩いていった。海側には原生林ができていて海の姿はしばらくは目に入ってこなかったが、素朴な漁村には小さな建物が敷き詰められ、湖側には少し大きめの倉庫のような建物が並んで、その隙間へちょっと寄り道すれば必ず、対岸がかなり遠くで朝もやに霞んでしまうほどの広大なサロマ湖が、一面に広がっているのが見られた。融けかけている表面は朝日を浴びて美しく輝き、そのあまりのまっ平らさに、巨大なスケートリンクの姿が私の脳裏に想起させられるようだった。
30〜40分も歩けばそんな、素朴な家並みと漁業のための小さな建物ばかりが並ぶ漁村の末端に私はたどり着いた。そして海側に続いていた原生林の木々もだんだん背が低くなっていき、最後はきれいな茶色の枯れ葉の残る柏並木となって途切れ、そしてその先には、広大な駐車場と一つの展望台に象徴される竜宮台公園が広がっていた。
ここまで来れば砂州の先端も間近であり、少しばかり高台の園地に上ればオホーツク海の姿も目に入ってくるということは容易に想像ができたので、階段道を登りながら、私は海の姿が見えるまで、どんな海が広がっているのだろう、流氷は果たして、少しでも残ってくれているのだろうかと、短い距離ではあったけれどこれまでにないくらいどきどきとした、はやる気持ちを感じることになった。
そして階段道を上り詰めていざ、オホーツク海の姿と対面すれば、砂浜に沿うように、名残の流氷がまだまだ大量に接岸したままであった。前方の海面には大きく開水面もできてしまってはいたが、巨大な氷の塊がいくつもぷかぷかと、強い風に流されて浮遊しているという、ダイナミックな流氷の海の風景と、私は感動的なまでの再会を果たすことになったのである。かけら程度の氷でも残っていれば上出来だくらいに私は考えていたので、氷塊がこんなにも残っているということが、私にとってはこの上なく感動的なことであった。半日ぶりに再会できた流氷の海が、まだその雄大さを失っていなかったことがこの上なくうれしくて、私はただただ圧倒的な風景を前に、感動するしかなかったのだった。
展望台の上からは、そんな流氷の海とともに、相変わらずまっ平らに氷結したままのサロマ湖の姿も大きく眺められる。凍りきった湖からも海からも、さざ波の音さえも聞こえてこない、きわめて静かな世界が辺りには広がっている。そんな世界の中に横たわる、深く青い海の上を、まだまだ巨大な白い流氷が、ゆっくりと右から左へ流れていく。この細長い砂州には竜宮街道という名が付けられていて、竜宮台という展望台の名もそこからきたのだと思われるが、以前訪れたことのあるワッカ原生花園のある常呂町側の砂州にも同じ名前がつけられていたから、きっと永久湖口の開かれる前につけられた名前なのだろうと私は想像した。いくつかの記念碑とは離れた所に、漁協の建てた碑があった。碑文いわく、昭和初期頃鮭取りの定置網に大海亀がかかった、めでたきことと酒を振舞って海に返してあげたら、その年は鮭の大豊漁になった、これは亀の竜宮城からの贈り物に違いない、というエピソードがこの地に残っているのだそうだ。寒い風の中、心が温まるのを私は感じた。
私は流氷の残る砂浜を歩き、少なくとも地図上はまさに陸地の突端という言葉のふさわしそうな、サロマ湖の湖口を目指した。森林は竜宮台を終点にして途切れ、あとは文字通りの砂州が真っ直ぐ細長く伸びるのみとなった。砂州のふかふかの砂にはいくつもの動物の足跡が残り、その中に私も足跡を記しつつ、ゆっくりと歩みを進めていく。この湧別側の砂州は若干海側に突き出すような感じになっていて、そこへ大量の流氷が乗り上げている格好になっているようで、そのような地形が、驚きさえ感じさせる流氷の残存量をもたらしているのかもしれない。その姿を見るたびこんなに残っていたなんてと驚きながら、私はさらに砂浜沿いに歩みを進めた。
やがて周囲の海には開水面が大きく開き、その上を流氷のかけらがものすごい勢いで流れ行くようになってきた。湖口に近づくにつれ、かなり強い海流が発生しているらしいことが感じられるようになったわけだが、もっとすさまじい風景は、海側にせり出した方から、灯台の建つ湖側の岸辺へ移動した所にあった。アイスブームというらしい、流氷が湖へ入り込むのをせき止めるフェンスのような設備があり、そこに大量のごつごつとした流氷がせき止められているようだったが、それらが陸からの冷たい風に押されて、次から次へと、目で見えるスピードで、湖側から海側に戻される方向に流されていたのである。一つ一つが巨大な物体で陸上にあれば動かすこともままならないほどであるはずの流氷が、まるで小川に浮かんだ花びらのように軽々と水上を滑っていくという、おそらくこの旅の最後に目の当たりにした圧倒的な風景に、私は我を忘れて夢中になり、デジカメについていた動画撮影機能を活用しつつも、しばらくただただその姿に見入るより他になかったのだった。
思えばこの旅の序盤、納沙布岬の雄大な風景を前にして、私は確かに流氷は流れるものという認識をしてはいたのだが、旅の終盤になって、巨大な氷塊が今まさに目の前を流れ行くという風景を目の当たりにすることとなったことが、感激を通り越して半ば現実ではないかのような信じられないような気もしてきて、私は何度も何度も繰り返し確かめるように、こんなにもはっきりとその「流氷」という現象が大胆に繰り広げられている、衝撃的な現場を眺め続けたのだった。そして小一時間も流れを見続ければ、アイスブームにたまっていた氷の量もみるみる少なくなっていき、1時間前には少なくともこの辺りでは見られなかったはずの開水面がだいぶ広がるようになって、せせらぎのようなさざ波の音までが周囲に静かに鳴り響くまでになってしまったのだった。流氷の海の風景というのが決して固定されたものではなく、刻一刻と流れるように変化しているということを、私は最後に再び強く認識することになったのである。
1日3便しかない町営バスのダイヤに合わせると、この地での滞在時間はちょっと長すぎてもて余しそうだなと最初は思っていたが、こんな劇的な風景に出会うことができたことにただただ感激もひとしおで、時間はあっという間に過ぎてそろそろ帰路に就かなければならない時刻になりつつあった。正午近くなり、まだ薄いけれど空には雲がかかり、流氷を押し戻している風もだいぶ冷たさを増してきた。私はとても名残惜しいものを感じたが、この感動をしっかり目に焼き付けて、引き返すことにした。サロマ湖の方も、湖口付近は水が大きく融けているようだった。私は広大な砂州の上を、海から湖へ、また海へとジグザグに歩きつつ、それぞれの姿に最後の別れを告げながら竜宮台へと戻り、いよいよ最後となる流氷の姿を、もう一度じっくりと眺めてみた。朝よりも風はどんどん強くなる一方で水面もだいぶ開き、そして何より空も薄暗くなって、今にも泣き出しそうな表情を見せる。空も私と同じように、流氷との別れを惜しんでいるのか……。だいぶ少なくはなってはいたけれど、最後まで私に感動を与えてくれた流氷に、私はしばしの別れを告げることにした。ありがとう、そして、さようなら、また会える日まで……。
私は登栄床の集落の中にある町営バスの末端のバス停からバスに乗り込み、いよいよ帰路へと就いたのだった。砂州上に海風をさえぎるように並ぶ柏や椴松の林が右手に続き、左手には細長く続いていく漁村の集落の向うに、氷結したままのサロマ湖が雄大な姿を横たえている。漁村の中のバス停には、北海道によくある個人名のバス停もあり、そのバス停と同じ名前が縫いつけられたジャージ姿の子供がバスに乗り込んでくるという場面もあったりして、なんだかこの地の生活の深い部分が垣間見られたような気もしてきた。一晩お世話になった、校庭の奥に建つ宿を通り過ぎると、右手の林の中には葦の湿地も混じるようになり、林の足もとには青みを増しつつある笹の姿も見られるようになってきた。やがてバスは漁村を抜けて林の中へと分け入り、そして南テイネイというバス停で、ついに雄大な姿のサロマ湖に別れを告げ、代わって畑や牧場が広大に広がる風景の中へと進んでいったのだった。
昨日の経験から、湧別のバスターミナルにまで戻らなくとも、四号線というバス停で遠軽へ戻る路線へ乗り継ぐことができることを学んでいたので、私はそこで町営バスを下車することにした。これにより私は、湧別に戻るよりも1本早い便で遠軽へと戻れることになった。しかも町営バスのダイヤはかなり余裕を持って組んであるらしく、途中のバス停での乗り降りもあまりなかったバスは、四号線のバス停にもずいぶん余裕を持って到着したと見え、近くのA-coopで温かい飲み物を買って一息つくことさえできたほどだった。そして小さな停留所に過ぎないというのにトイレ付きの待合い小屋も完備されていて、バスの待ち時間により冷たさを増した風の中に身を置く必要がないというのもまた、ありがたいことだった。
私はしばらくしてやって来た、遠軽へ戻るバスに乗り込んだ。バスは往路をそのまま逆方向に進み、中湧別や上湧別の近辺はそれなりに市街地が広がるが、周囲を遠巻きに丘陵に囲まれつつ広々と畑の広がる風景が普通であるかのような一本道を、ひたすらまっすぐ進んでいった。時折丘から丘をつなぐように流れる川を渡るたび、車窓にはまた新しい、素朴で美しい風景が広がり、そして遠軽町に入ると、バスは程なく大きな市街へと飲み込まれていった。
1本早い便に乗ることができたおかげで遠軽で若干の時間の余裕ができ、私は駅前に並ぶ、木造の古ぼけた味のある大衆食堂でゆっくりと昼食をいただくことができた。それこそ昭和の頃から時が止まったままのような風情で、すきま風もたっぷりと入り込んできたものだったが、素朴でボリュームたっぷりの料理が私にはうれしかった。しかも最後に「ささやかなサービス」と称して、小さな封筒に収められた1本の煙草が……。もちろんありがたく戴いたのだが、そのようなサービスが存在するということ自体が、私にとっては驚きの経験であった。周囲の人通りも多いわけでなく、食堂の客もまた然りであったが、明日は久々に吹雪になるという天気予報が話題になっているようだった。道にももはや雪の姿はほとんどなかったから本当に久しぶりにということになるのだろうが、地元の人にとっても心配な事柄であるらしい。客人の私にとっては、あと1日滞在したかったなという思いがまた少し呼び起こされることとなったのだが、私に残された行程はもはや、ここから札幌へ、そして東京へと列車を乗り継いで帰宅することだけであった。
私は曇り空のもとに冷たい風の吹く灰色の雰囲気の遠軽駅から、札幌へ向かう特急列車に乗り込んだ。より一層大きく、車窓いっぱいに堂々とそびえる瞰望岩に見送られた列車は、オホーツクに背を向けて、わずかに白い畑が広がる平地から、整然と落葉松の立ち並ぶ山間への道へと進んでいった。車窓にはしばらくは山がちながらも牧場や林業の工場などが時々は見られ、森に入ればまた、この旅の始めからちょろちょろと現れ続けていた鹿の群れの姿も見られたりして、白と灰色の世界の中に潤いを与えてくれていたのだが、上白滝を通過して普通列車も1日1往復しか設定されていない区間へと足を踏み入れれば、そのような潤いを感じさせてくれる存在は認められなくなり、列車はエンジン音を高くうならせながら、山深くなった道を懸命に進んでいくようになっていった。急な斜面が車窓すぐそばまで迫り、地面が露出するのも決して雪が少ないせいなどではなくあまりに斜度が急だからで、土もろともずり落ちて泥色の風景をつくっている場所も見受けられるようになっていく。
そして長い長いトンネルを一つ越えれば、道路以外の山林に残る雪はさらに量を増し、より厳しい雪深い山野の風景が車窓に展開するようになった。延々としばらく山間の風景が続き、やがて久々に牧場が現れると、それを確認したかのように列車もスピードを上げ始め、霧に煙る山間の牧場や、未だ雪の深い山林の中を、久しぶりに軽快に飛ばしていくようになっていった。程なく唐突に周囲には住宅が密集し始め、列車は上川の市街へと進んでいった。そして雨なのか雪なのかをすぐに確認できるほどではなかったものの、とうとう路面も濡れるほどの降水が認められる領域へと入ってしまったようだった。
上川からの車窓には、遠巻きの山並みまでの間に広大に白い絨毯が広がるようになった。山並みも厚く霧をまとってしまい、白い雪原をさらに広く見せていたけれど、決して明るい風景ではない。忍び寄る哀しさを振り払おうとでも言わんばかり、列車は懸命に雪原を疾走していく。愛別辺りまで来ると畑に残る雪もだいぶ薄くなったと見え、周囲の風景も真っ白というよりも灰色を呈するようになってきた。むしろ周囲の霧の方が白いくらいだ。冬に戻ったような白い空は、だいぶ少なくなっているはずの残雪の量を必要以上に多く見せ、春とのせめぎ合いの中に懸命に冬の雰囲気をとどめようとしているかのようだった。それでも当麻まで下ってくるとだいぶ田畑にも土の色が目立つようになり、旭川の市街へと入っていけば建物の数も目立って増えてきて、車窓にも彩りが感じられるようになってきた。
旭川の巨大な市街には雪はさすがに少ないようだったが、神居古潭の辺りにはまだまだ大量に残雪が積もっているようだった。だんだん周囲も薄暗くなってきて、神居スキー場のナイター営業の灯りが車窓にきらびやかに目立つ。この旅行最後の夜が、間もなく始まろうとしているのだ。よく見るとどうも、雪の多く残る畑は一面真っ白なのに対して、滲んだような土色の畑には、車かなにかで走ったような跡が必ず見られるようだった。もしかしたら融雪剤代わりに色の付いた炭なり土なりをまいて太陽熱を保持させて、早く雪を溶かす作戦だったりするのかなあと、私は想像してみた。この旅の中盤に知床で、白い雪の上に大量にまかれた鹿の糞の周囲だけ雪が早く溶けて窪んでいるという現象をたくさん見かけた記憶が、私の中で反芻されていたのである。
列車はそんな、まだまだ冬の雰囲気を残す真っ白い風景と、春が訪れて白以外の色が多く含まれるようになった風景とを代わる代わるたどり、次第に明るさの失われていく中、ひたすらと札幌を目指していった。そしてやがて強く車窓を打つようになったのは、雪ではなくやはり雨であった。私にとってはそれが、別れの涙雨のように感じられた。辺りは間もなく闇に包まれ、薄明るい中に真っ白の雪原が、最後の姿をさらしていたのだった。
往路では札幌駅には寄らなかったので、私はステラプレイスができてから初めて札幌駅に降り立ったことになった。なかなかきれいなものではあるようだったが、今回も札幌は乗継ぎだけのための下車となってしまい、30分ほどの間合いではどうしようもなく、結局夕食を仕入れたのも、札幌駅を訪れた時には必ずお世話になる北口のコンビニエンスストアになってしまったのだった。せめて北海道らしさを出そうとザンギ弁当を購入し、私は北斗星4号に乗り込み、北海道に別れを告げる旅路を歩み続けた。幸運にもB個室寝台を予約することができていて、狭いながらもゆったりと時を過ごすことができそうであった。
翌朝目覚めて初めて出会ったのは、ずばり晴れの本州の空であった。松島の多島海も、大きな車窓に美しく展開していた。今頃オホーツクは吹雪いているはずなのに、天気に関してはやたらツキまくりな旅だったらしい。とは言ってもこちらの天気も決して安定しているわけではなく、宮城福島県境付近ではにわか雨にもあったりしたが、再び晴れ上がった福島県側にはまた、きれいな展望が広がっていた。チェックアウトのかなり遅いホテルのような寝台列車で、私はごろりと横になり、買い込んだ漫画など読みつつくつろいだ時を過ごした。部屋が狭い分、移り変わる車窓というサービスがついているのだと思えば、それもまた一興か。列車は福島から栃木への県境の山道にさしかかり、明るい太陽の下、きれいな山道の風景が続いていく。決して落葉松などではない赤松の林は、名前の通り本当に赤みがかった木々の幹で埋め尽くされ、原っぱには決してクマザサなどではない、葉の細いアズマネザサが、決して残雪などない地面を覆い尽くしている。そして風景は徐々に徐々に、ゆっくりとしかし確実に、見慣れた都会の風景へと回帰していったのだった。