流氷の道東(2003.3.21-28)


1.往路、函館(3.21) / 2.根室(3.22) / 3.ウナベツスキー場(3.23) / 4.峰浜、ウトロXCスキー(3.24) / 5.ウトロ流氷ウォーク、斜里(3.25) / 6.網走(3.26) / 7.サロマ湖口、帰路(3.27-28)

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 夕陽を見ることはできなかったが、知床の山から登ってウトロの街や流氷の海を照らす朝日もまたすばらしくきれいだ。今日も至ってよい天気となっている。

 今日はまず、漁協のお兄さんたちが主催する流氷ウォークというイベントに参加することにした。宿にまで迎えに来てくれて漁協の建物に案内され、私はもちろん生まれて初めて、前もって聞いていた通りのドライスーツの完全装備を着込むこととなった。ごっつい衣装を一苦労して着込み、ダイバーのような格好となるのも、いよいよ流氷の上へ行ってやるという気分が盛り上がり、それ自体が楽しい演出となっているような気がする。

 10人強くらいのちょっとした集団となった私達はお兄さんたちに案内されるままに、いよいよ氷の上へと歩みを進めることとなった。融け始めて薄くなったとは言うけれど、まだ厚さは70 cm程度を保っている。港の内部に張っている平らな氷はここで凍ってできたものであるが、基本的には多少歩いたくらいでびくつくものではなくて、そもそも普通は水の上であるはずの部分を平気で歩くことができているということ自体に、私は本物の流氷原にたどり着く前からすでに興奮してしまっていた。もちろんこの時期決して氷は一枚ではなくなっていて、多少は大きな亀裂が入っている所もある。これから春になれば、このような亀裂がもっとたくさん入ることになるのだという。

 お兄さんたちの案内についていった私達は、やがて防波堤の外側の海へと案内されていった。そこには港の内部とは異なる、ごつごつと盛り上がった真っ白い氷に埋め尽くされる流氷原が広大に広がっていた。ウトロは網走方面から流されてきた流氷が滞留する所で、遅くなっても大量に流氷が残るところなのだそうだが、それでも暖かくなってきたこの時期にここまで残っているのはかなりラッキーなのだという。今目の前に広がる氷は白いのだがそれは実は雪のせいなのだそうで、2月頃、ここに来たばかりの流氷は海のミネラルを含んで青々として見えるのだそうだ。今までで一番間近に大量の流氷の景色を眺められたというだけで私は充分うれしかったが、もし休みが取れたなら、そんなやって来たばかりの新鮮な流氷の姿も見てみたいものだ。

 私達のツアーは、引き続き広大な流氷原を進んだ。所々表面の氷が融け、足が少しだけ氷の中へ沈み込むこともあったが、基本的には陸上と同じように、普通に歩いていくことができた。派手なドライスーツをまとった集団は、果たして部外者から見るとどのように奇妙に映ることか、冷静に考えれば心配にもなるが、その中に身を置いてみればただ楽しいばかりである。やがてツアーは、スタッフが懸命に保守してきたという「流氷露天風呂」というスポットへと誘われていった。かなりの厚みのある流氷に大きな穴が穿たれて、中の水からはわずかに湯気が昇っている。厳冬期には激しい温度差ゆえに、本当に露天風呂のように湯気がもうもうと立ちこめるのだという。この辺りには陸から川が流れ込む影響で1 m程の真水の層が表面にできており、下の海水との対流も起こりにくいので、表面は普通に凍ることになる。この辺りの氷をなめてみても全くしょっぱくはないのだ。

流氷露天風呂 そして、このツアーの裏の、というよりもお兄さんたちにとってのメインイベントであるらしい「入浴タイム」が始まった。ドライスーツはたっぷりと空気を含んでいて絶対に沈まないつくりになっているとのことであったが、それを利用してこの「露天風呂」に浸かってみようという催しである。意を決して水の中へ入ってみればなるほど、ぷかあーとただ浮かぶだけではあるのだが、ふだんの生活ではまず覚えることのない、何にも支えられず何にも引っ張られないという不思議な感覚だ。この広大な流氷原の真ん中で、そんな不思議な感覚を体験させてもらえたというのも、私にとってはまた、体で覚えた楽しい思い出となった。

 私達は、後から来た流氷に押されて隆起したという巨大な三角の流氷をバックに記念撮影などしつつ、ゆっくりと周囲の流氷原を歩いて回った。やはり暖かくなって、氷も所々軟らかくなっている所もあったりしたのだが、そんな割れかかった氷の上にバランスを取りながら乗ってみるという地元の少年たちの遊びを体験するという時間も取られた。失敗したとしてもドライスーツで沈むことはないし、大胆な行動も取れてしまう。そんなたくさんの珍しい体験をさせてもらったツアーも、港へ戻ってあっという間に終了となった。時間は決して長くはなかったけれど、流氷の上を歩くということだけでも珍しい体験だというのに、その流氷というものをさまざまな方法で体で感じることのできた、とても面白いツアーであった。

オロンコ岩 最後に漁協の建物の中で重装備のドライスーツを懸命に脱いでツアーは解散となり、身軽になった私は直ちに、周囲の市街の散策へと出た。岩礁に守られるように発達する漁村という存在自体は私は今までにもいくつか見たことはあったが、このウトロという市街はそのような漁村が異常に発達してできたかのようで、それなりに発達した市街の、普通に大きな車も往来する交差点に、巨大なごつごつした切り立った岩が鎮座していたりして、市街地としてとらえるとなかなか奇妙な風景も存在する。

オロンコ岩から流氷の海 港を守るように立つ真四角のオロンコ岩には、急な階段で上まで登ることができるようになっていた。もはや雪もない階段道を登ってみれば、頂上からは崖下の市街地の中にでんと2つの巨大な岩石が鎮座している不思議な市街の全景、そして背後の大地の上には、高層ホテルが密集するまた別の市街が広がり、さらにその周囲には、そんな街を大きく取り囲む山々、そして羅臼岳にはじまる真っ白で精悍な美しさの知床連山がそびえて、昨日のプユニ峠からとはまた異なる角度から市街を大きくとらえることのできる雄大な展望が広がった。そして海を見れば、今日も当然のように、音一つ立てずびっしりと流氷で埋め尽くされた海原が広がっていた。海が真っ白に染め上げられる風景を、今回は何度も見てきたけれど、何度見てもそれぞれの場所でそれぞれなりの凄まじさを持って広がっているもので、そんな風景に出会うたびごとに私は、雪の残る展望台からそれをただまったりと眺め続けていたくなる衝動に駆られ続けていた。

オロンコ岩から知床連山 私は階段を下りて市街へと舞い戻った。私自身は網走でしか見たことのない砕氷船おーろら号が夏場はここに来てたくさんの観光客を知床半島へ誘っているようであるが、この時期は市街も多くの店がシャッターを閉じ、その前には掻き分けられた雪が高く積まれ、上からは賑やかそうに見えた街並みも、実はひっそりとしてしまっている。高く積まれた雪からは折からの陽気で融かされた水がとうとうと流れ出して、せせらぎのような音を排水溝に響かせている。この街の雪が全部なくなった時、どのように新しい賑わいがこの街に訪れるのだろうか。

オロンコ岩からウトロ市街 とりあえずバスターミナルのロッカーに大荷物を預け、私は高台のホテル街へ続く坂道を登っていった。それなりに急な坂で、みるみるうちに巨岩に守られるウトロの街が、オロンコ岩からともまた違う角度で広がるようになり、その背後にはさっき歩いた流氷原もまた大きく広がっていた。私達の行動はホテルの宿泊客からは丸見えだったということかもしれないな、などと思いながら私は坂道を登り続けた。雪解け水は路肩をまるでせせらぎのように流れ下って、その岸辺には雪の下に埋もれていたササや、そしてなんとフキノトウも顔を出していた。北海道の蕗は夏になればお化けのように巨大な葉に成長するということを、私はその季節に訪れた時の記憶から知っていたが、そんなことを感じさせないほどにフキノトウはかわいらしく、始まりつつある春の雰囲気を充分に感じさせてくれた。

高台からウトロ市街 そして高台にたどり着けば、真正面にはさっき登ってきたオロンコ岩が、頂上までばっちりと望まれた。さっきまでいた展望台の、手すりや残雪などの細かい様子も見てとれる。ということはスキーウェアを着ている私の姿も、ホテルの客からは丸見えだったということになる。もちろん背後の白い流氷の海も、この上なく美しい姿を現していたのだった。この辺りには夕陽台の湯という入浴施設もあるらしかったがどうも午後にならないと開かないらしく、その夕陽台という見晴台そのものも、厚い雪に閉ざされているキャンプ場の向こうということになってしまっているようで、私が見たいと思っていたものは結局、全く見ることができないという結果になってしまった。

フキノトウ しかしその分、辺りにはまた当たり前のように鹿達が姿を見せてくれて、私は彼らと共に過ごす時間をしばらく楽しむこととなったのだった。鹿達の写真を撮ってみたり、糞や足跡を探してみたり……残雪の上には探すまでもなくあまりにもたくさんの足跡が刻まれている。私はその、鹿達の足跡をたどってみた。足跡はやがて市街を望む崖の上に出て、崖下には深い入り江に阻まれてはいたけれどやはり美しい流氷の海が広がっていたのだった。鹿達も餌を探しながら出会ったであろう風景、この時期でしか見られない美しい景色というものに、私はあまりにもたくさん出会うことができたような気がした。私はそんな満足感とともに、もとの市街へと戻る坂を下っていったのだった。

 気温はなんと+15℃を指し、食事に入った店に流れるラジオは、網走が道内一暖かいこと、そしてこれから訪れようと思っていた湧別で海明け宣言が出たことを告げていた。これからの残りの旅路で、私が見ようと思っていた風景に出会えるかどうかが心配にもなったが、いつもならこの時期にこんなに流氷が残っていることはないというし、もし見られなかったとしてもこれまでが運が良すぎたのだということ、季節は全く予定通りに進みつつあるのだなと納得しなくちゃいけないのだなということを、私は感じさせられたのだった。

 午後になり、私は斜里へと戻るバスに乗り込んだ。お世話になった宿の近くの亀岩をあとに小さな市街を抜けると、バスはせり出す高い崖と流氷びっしりの白い海との境界線を延々と走るようになった。崖には時折、凍り付いたままの三段の滝や、この時期でも元気に活動するオシンコシンの滝なども現れて変化を与えるけれど、基本的には真っ白く動きのない流氷の海に接する崖が延々と続き、バスの車内にも心なしか穏やかな時間が流れているように感じられた。

落葉松並木の雪原 やがてまた車窓には、そびえる山並みをバックにして、区画する落葉松の列が美しい、白くて広大な畑が現れるようになり、往路で訪れた峰浜の集落で最後の姿を見せてくれた流氷の海に別れを告げ、バスは白い畑のまっただ中へと分け入っていった。白い山をバックにして、陽の光をたっぷり浴びて白く光る畑、その中に整然と一列に落葉松が立ち並ぶ久々の風景が、私にはなんだかより一層美しいものであるかのように感じられた。今日の斜里岳は霞んでいるけれど、おぼろげながら美しい全貌を見渡すことができるようになっていた。

斜里川河口 斜里の駅前に戻った私は、今まで乗り換えしかしたことのなかったこの斜里の市街でしばらくの時を過ごすことにした。私は市街に背を向けるように進み、斜里川にかかる斜里橋を渡っていった。斜里川の河口付近は、手持ちの地図では白鳥飛来地ということになっていたのだが、水面は氷のかけらを浮かべながら広くゆったりと広がっているのに、白鳥たちの姿は見ることはできない。しかし何より市街の背景には斜里岳や、その隣に白くそびえる優しい海別(うなべつ)岳がおぼろげながらもきれいな姿を現わしている。

 そして何より、河口の先に広がる海には、ここでも大量の流氷が浮かんでいるようであった。河口まで堤防の上を歩いて行けそうな感じだったので、私はひたすら、ずんずんとぬかるむ道を先端へ向かって歩んだ。堤防の先端にたどり着けば、辺りは川の水が流れ込むせいでずいぶん開水面が広がってはいたが、小さくなりつつも氷はぷかぷかと、弱い風に流されるように浮遊し、その上ではカモメが羽を休め、そして濃い青色の水面ではカモか何かの水鳥が気持ちよさそうに泳ぎ、流氷と同じようにゆったりと流れていく時間を楽しんでいるかのようだ。さらに沖合にはいまだにびっしりと、白い流氷が水面を埋め尽くしている。快晴の陽気の中、流氷に閉ざされてほとんど動きも音もない世界では、時間はあくまでゆっくりと流れているかのような感じだ。

 しかし不意に、沖合からは激しい衝撃音が轟いてきた。まさか流氷同士が衝突し、破壊でもされたのだろうか。直接見渡すことはできないが、この流氷の海のどこかに、何か荒々しい姿が見られそうな予感を私は感じた。川の対岸の堤防はむしろもっと沖合まで伸びて、流氷に接していそうな感じだったので、私は一旦市街地に接する橋まで引き返して対岸に渡り、再び河口を目指して堤防の上をずんずんと進んでいった。周囲はいつの間にか厳つい港の領域へと変わり、右手には蓮の葉氷の浮かぶ直線的な漁港、そして左手にはゆったりと流れてきた斜里川の河口を見ながら、脇のテトラポッドの隙間にまだだいぶ雪の残っている堤防の上を、私は先端を目指してひたすら進んでいった。

流氷越しにそびえる白い山 対岸の堤防が途切れてもこちらの堤防はまだ長く伸び、ついに流氷が堤防に接岸した所で向きを変え、右手の港をぐるりと取り囲むように続いていた。その先端はまさに、ごつごつとした巨大な白い流氷にがっちりと取り囲まれていた。次々と押し寄せてきたのだなということを強く感じさせる、幾重にも重なる激しい氷の盛り上がりの中には、今朝の流氷ウォークでお兄さん達が言っていたように、確かに青や緑色をした氷がたくさん混じっていて決して白一色というわけではない、私にとっては新たな流氷の姿があった。そして陸側を見れば、斜里岳も海別岳も、まるで流氷の海に浮かぶ海山のような様相を呈していた。ここまでいろいろな流氷の景色を見てきたけれど、ここまでダイナミックな景観に、私は初めて出会ったような気がした。遠くにそびえる優しい白い山の足下を、ごつごつした巨大なたくさんの流氷が固めているなんて!

流氷越しにそびえる白い山 私はそんなダイナミックな風景についつい見とれ、次に乗る列車を1本遅らせることにした。耳を澄ませば辺りにはちょろちょろという音が静かに響いている。テトラの間に残った雪や、堤防の上に残った雪が、少しずつ溶けて海に流れ落ちているようだ。分厚い流氷に固められて動きのなさそうな世界ではあったが、確実に春の訪れを告げている音である。ここに来て思ったのは、流氷にはいろいろな見方があるということは今回も、また数年前にやはり流氷を見に来たときにも感じてはいたけれど、外海に面した堤防の上から眺めるというのは、実は角度的にも景観的にも非常にすばらしい見方なのではなかろうかということだった。その意味では、私がたどり着いたこの場所は流氷見物としては超穴場というべき場所であるような気がした。そしてそれを、自分の足で歩いて探し当てることができたということが、私にはとてもうれしくて、何度も何度も私は周囲の流氷の海に見入ってしまったのだった。そして今度流氷を見に来る時にも是非この場所は訪れたいと思うし、流氷を見たいという他の人にも必ず教えてあげたいと、私は強く思ったのだった。

 斜里の街なかに戻れば、古くさいけれどもれっきとした天然温泉の公衆浴場もあった。一昨日楽しんだ峰浜の温泉と同じように、肌のつるつるとする湯だが、若干石油臭も漂う。苔むす古ぼけた浴槽ではあったけれど、体はだくだくに暖まった。列車の待ち時間を潰すだけのつもりではあったけれど、私にとっては思いの外楽しめた斜里の街歩きとなったのだった。

釧網本線から 私は知床斜里駅に戻り、夕刻の訪れつつあった斜里の街を後に、網走へと向かう列車に乗り込んだ。斜里を出た列車は、背の低い、葉を落した細い木々の間を抜け、程なく流氷の海沿いへと出た。林の木々は、茶色く枯れた葉が残っているものが多数を占めている。そういえばこれは柏だと、昨日レンジャーのお姉さんに教わった。名前だけはよく聞くのに実物を認識したのはその時が初めてだったような気がして、特に強く印象に残っていたわけである。そして海を見ると開水面も広く、流氷はなんだか陸から離れてしまっているような感じがした。これは本気で、旅の終わりよりも先に流氷に別れを告げねばならないかもしれないなと、私は覚悟を決めざるを得なかった。

 止別駅辺りでは列車はその柏や落葉松の林の中へ入ったり、あるいはもはや整然とした落葉松の姿も見られなくなった雪原を見渡したりするように走るようになって、海からは離れてしまう。周囲に広がる畑にはだいぶ土の姿も見られるようになって、雪の量も減ってきているのだなということが私にも感じられた。赤茶色の独特な雰囲気を醸し出すようになった畑と柏の林を抜け、立派なコンクリート造りに建て変わっていた浜小清水の駅舎の姿を確認しつつ、列車は引き続き走っていく。海側は柏の林が上に乗る砂州が引き続き続いていったが、左手の車窓は土色白色入り乱れ、多少荒れた感じのする畑を通り過ぎ、突如としてまだ凍ったままの濤沸湖が、土が目立つようになりながらもそれなりに白い雪の残る草原に囲まれるようにして姿を現わしてきた。折しも低くなって赤みを帯び始めた夕陽が濤沸湖に近づき、白く凍った湖をピンクがかった淡い色に染め始めようとしていた。原生花園駅を過ぎると、右手の砂州上に林はなくなってまたちらちらと海の姿が見られるようになったが、この辺りではもうだいぶ水面が開いてしまって、海岸にこそ取り残された氷塊が山積みにはなっていたけれど、ここまでの海でがちがちに固まっているように見えていた流氷も決して永遠の存在ではないのだなあと、私はショックのようなものを感じざるを得なかった。

 もはやさざ波さえ打っているオホーツク海に沿い、列車は引き続き進んでいく。北浜駅の付近では、浜辺に打ち上げられた山積みの氷塊のみが、流氷の名残を残す。そしてまだ氷結したままの藻琴湖を通り過ぎ、列車は網走市域へと進む。入り江になっている海には名残の流氷はまだ残っているようだが、明日乗るつもりにしているおーろら号の航海もどうなることか、心配にならざるを得ない。夕陽はだいぶ低くなって、市街の高台を赤く照らすようになりつつあった。

 私は網走駅の一つ手前の、市街に直接入って行けそうな所にある桂台駅で列車を降り、夕食までの間、夕暮れの訪れつつある市街を軽く散策することにした。まさに沈まんとしている夕陽が見られるスポットはないかと、高台にあるらしかった桜ヶ丘チャシという遺跡へ向かったがどうも思い通りの風景に出会うことはできなかった、なんていうこともあったりしたのだが、やはり流氷の様子が心配で、数年前にここを訪れた時に私が生まれて初めて流氷というものを目にした、モヨロ貝塚の裏手の海岸へ向かうことにした。

網走 市街を縦断し、チェーンで削られでもしたのか砂塵の多く溜まる橋を渡って川の対岸に出て、路地に分け入り、当時見たような完全に真っ白な世界とはやや様子の違う、所々残雪がどろどろに溶けてあまりきれいとはいえない金網の中の貝塚を横目に、私は海を目指した。果たして、その海はまだしっかりと凍りついていた。入り江の奥にあたる所だからかも知れないが、開放水面のない、以前見たのと同じように氷で閉ざされた海は、左手の二ツ岩の方向に弓なりに延びる陸地に沿って、いっぱいに広がっていた。もちろんさっきの斜里で見たようなダイナミックな起伏があるわけではないから、流氷と言うよりも単にこの湾内で凍りついただけなのかも知れないけれど、私が初めてこの場所で流氷という現象に触れた時の記憶が、周囲の薄暗さと周囲の雪の少なさ以外はありありとよみがえってくるかのような風景だった。初めての頃はこの程度でも感激したんだよなあと、私はしばし懐かしい気持ちになることができたのだった。

 市街の居酒屋のような食事屋で食べたオホーツク丼というのがとてもおいしくて満足しつつ、私は真っ暗になった市街を歩き、再びこの街を訪れることのできたことを喜びながら、予約してあったホテルへと向かったのだった。


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