1.往路、函館(3.21) / 2.根室(3.22) / 3.ウナベツスキー場(3.23) / 4.峰浜、ウトロXCスキー(3.24) / 5.ウトロ流氷ウォーク、斜里(3.25) / 6.網走(3.26) / 7.サロマ湖口、帰路(3.27-28)
新しい朝も、流氷びっしりの白くすがすがしい風景が窓の向こうに開けている。私はお世話になった宿、そして今シーズンの営業を終了したスキー場をあとにして、再び流氷を探す旅に出た。スキー場では活躍を終えたリフトも止まり、フェンスなどの撤去作業が進む。しかし眩しいまでの朝日に照らされたゲレンデはまだまだたっぷりの雪を蓄え、充分に滑走を楽しめそうな雰囲気を、明るい朝の風景の中に示す。さすがに夜はまだまだ冷えると見え、昼間はとうとうと流れるようになった雪解け水も、まだ軟らかく凍りついたままだ。
私は整列した落葉松に区分される白い畑の間を、今日の気候、そして今日の雪原と同じように心までもがどこまでも清らかに澄み渡っていくような感じを受けながら、流氷に固められる峰浜の集落へと戻っていった。公営の小さなドライブインの中に簡易郵便局が吸収されていて、金をおろすために立ち寄ってはみたが、端末が動き始めるのは10時なのだという。簡易郵便局は終了だけでなく開始の時刻も普通の郵便局と異なることがあるということを、私はこの時初めて知ることとなった。
私はしばらく、あてもなく市街を彷徨うことにした。集落自体はわずかな時間があればすべて回りきれてしまうほどの小さなものでしかないのだが、建物の切れ間からはどこからでも、美しい白い畑の向こうに斜里岳や海別岳が望め、何もない所ではあるが風景はなかなか美しい街なのだな、と私には感じられた。
流氷を間近に眺めることのできそうな場所は民家の裏だったり、閉鎖されたキャンプ場だったりするし、そのような場所に分け入ってみたところで、砂浜に当たる部分に残った大量の残雪のため、流氷に埋め尽くされた海までたどり着くのは案外容易ではないようだった。しかしやはり流氷をできる限り近づいて見たいという素朴な願いは私だけのものではないと見え、現にどこから入り込んだのか家族連れが雪原の上を歩いているし、それよりも以前に雪原に戦いを挑んだと思しき数人分の足跡も刻まれたままになっていた。私も意を決し、そのような流氷への挑戦者の仲間入りをさせてもらうことにした。もっとも陽気でだいぶ雪も引き締まっていたから、いわゆるラッセル状態ということにはならなかったけれど、それでも一歩一歩踏みしめるごと、雪はずぼずぼと音を立てて沈み込むから、やはり歩くことは容易ではなかった。
果たして、ようやくたどり着けた海岸線からは、視界いっぱいに大量の白い氷がそれこそ隙間なくびっしりと敷き詰められている風景が広がった。浜辺に打ち付けた自分の足跡と、その行く手を阻むように広がる真っ白い海とを眺めながらの煙草もまた格別で、なかなか上々のまったり旅の午前となった。風は冷たいけれど至って穏やかで、近くに流れ込む小川のせせらぎの音と、時折国道を走る車の音だけが響く静かな海岸で、私はしばし、ゆっくりと流れる時をやり過ごした。そう、波の音が立たないから、この目の前に広々と広がっている白いものが海であるというイメージが若干捉えづらかったりしたのだが、間違いないのは目の前を埋め尽くす流氷が、すべてを超越するかのようにあまりにも巨大な存在であるということだった。
海に向かって左手の海岸は遠くまで弓なりになってなだらかに伸びているが、知床へと連なっていく右手の海岸は海に対して急角度で切り立ち、葉を落とした原生林がその上部を埋め尽くしている。スキー場と白い穏やかな海別岳の奥にはずっと丘陵が連なっていて、この峰浜という集落が、落葉松によって美しく区分される平地と険しい知床の山地との境界にたたずんでいるらしいということが伺われる。今日のこれからの旅路では、今朝の美しい白い畑とはまた違った風景が望めるのかな、と思うとまた新たな一歩を踏み出すことが楽しみなような気もしてきた。私は再び、残雪を踏みしめながらゆっくりと雪のない国道へと戻っていった。ほとんど道路に雪の姿の残っていなかったこの旅にスノーブーツは重装備過ぎたかなと、これまで私は何度も思わされてきたが、今日ばかりはスノーブーツを履いてきて本当によかったと、私は心から思ったのだった。
私はさっきの、ドライブインの中の簡易郵便局に戻った。4月になったら北風や南風で、流氷が寄せたり離れたりしてきれいだよと、窓口のおじさんは話す。なるほどそういう美しい風景もあるのかと、私はまた楽しみなことが一つ増えたような気がした。今目の前にある動きのない、びっちりと敷き詰められた流氷もすさまじいけれど、昨日納沙布で見たように、動きのある流氷というのも、きっとダイナミックで感動的なものであるに違いない。まったく、北海道という所は、ほんのわずかな時期の違いで、そんなにも違ったさまざまな表情を見せてくれるものなのか。
バスの便の少ない所なので、知床半島をさらに奥へ進む次のバスがやってきたのはもう昼に近い時刻になっていた。峰浜をあとにしたバスは、裸の白樺や深緑の松林と、一列の落葉松が区分する白い畑の間の道を進むと程なく、知床の山道、そして斜面が迫りくる海岸の道を行くようになった。道路が面する海では当然のように、真っ白でごつごつとした流氷が一面を覆い尽くしている。延々とバスは走り続けるのに、大量の白い流氷は尽きることなく、ただ広い海を静かに覆い尽くしている。海に対して急な高さで接する陸地もまた、深緑の松と裸の白樺のまだら模様のすき間に白い雪を蓄えて、海のそばになだらかに遠くまで伸びていく。晴れた空のもと、真っ白な流氷が織りなすすがすがしい車窓を延々と映し続けながら、バスはひたすら前進を続けていく。氷の上にはカモメ等の水鳥だけでなく、大きなワシも羽を休めている。
オシンコシンの滝はこの時期素通りになってしまって残念だったが、バスはこの辺り、決して平坦ではない複雑な形の入り江に沿って進み、そのたびごと一面の流氷の海にせり出すかのように伸びる陸地の、ごつごつとした険しい風景が車窓に現れ、私はついついそんな、久しぶりに現れたきれいな風景に心を奪われていた。そしてバスは知床の拠点となるウトロの温泉街へと進んでいく。ウトロの市街はたくさんの巨大な岩礁に守られながら狭い範囲に密集する。むしろ市街が岩礁を包み込むようにして広がっているようで、貫く道路も複雑に折れ曲がっていく。民宿はともかく近代的な巨大なホテルもたくさん建ち並ぶさまは、これまでの道とはかなり異質な印象を受けるけれど、領域自体はさほど広くはないので、バスはすぐに、海辺の道へと戻っていく。そして流氷の海辺に出たバスはすぐに林の中の高台に登り、プユニ岬の上からはウトロの温泉街に迫りくる広大な流氷の海の風景が一望のもととなった。私がこれまで見たことのなかった、完全に凍り付いた海のパノラマに、バスが終点に着くまで私は興奮しっぱなしなのであった。
この時期バスの終点となる知床自然センターの辺りは、真っ白で美しい羅臼岳に見守られながら、白樺やダケカンバの林が広がっている。私はこの施設で昼食を取り、午後は予約してあった、この施設で催されるという、歩くスキーハイキングというイベントに参加することにした。最少催行人数2名と聞いていたので他に誰か同行する人がいるのかと思いきや、この日の参加者は私だけであるようだった。
普通のスキーであれば私にとってはもう慣れたものだったはずだが、初体験となるクロスカントリースキーはまず板の履き方からして私の自由になるものではなかった。細くてつま先しか固定されなくて、軽くてやたらストックも長くて、最初は固定のさせ方もよくわからないし、履いてみていざ歩くにしても普通のスキーで歩くのとはまた微妙に感覚も違い、圧雪されていない雪に平らに板を押し続けることが意外に難儀で、体重をかけた側に身体ががくっと傾いてしまったり、もちろん下り坂でのスピードコントロールも難しかったり。しかしそれでも徐々に慣れてくるにつれて、本当に「歩く」のと同じ感覚で滑ることのできるスキーなのだなということがだんだんわかってきたような気がした。長いストックもまさに、雪の中を歩き回る目的にはジャストフィットといった感じがする。
結局他に参加者がいないので、私はレンジャーとなるセンターの職員のお姉さんと雪山スキーデートをしばらく楽しむことになった。まずは二人して坂道を転げ落ち、一旦開拓の手が入ったけれど再び自然林となりつつある「二次林」の領域を進んだ。この辺り、お姉さんの言う通り木の幹は細いものが多い。以前夏場にこの場所は訪れたことがあったが、夏場に遊歩道になっていた部分以外の道も、スキーさえ履いていれば自由に通ることができる状態になっていて、圧雪されていない雪との戦いを楽しみながら歩いていくことができた。ここが一度開拓されかかったことの証拠としてお姉さんが示したのは、住宅があったらしい広場に立つやや太い桜の木であった。春には花見も行なっていたらしいのだが生活は厳しくて、この辺りが国立公園になることが決定した時点であっさりと立ち退いてしまったのだという。
レンジャーのお姉さんの解説によって私は、おそらく一人で森に入っただけでは気づかなかったであろう、柳や朴の木などの花の跡や新芽、イタヤカエデから染み出すメープルシロップの本当にほんのりとした微妙な甘さ、しかもその甘みが枝の先の方が幹よりも強いということなど、たくさんの面白い現象に触れることができた。そしてカエデもそうであったが、他の木にからみつくサルナシやヤマブドウなどつる性の植物にも、鹿が食べた跡が至る所に見られた。皮が食べられているように見えたが、鹿は皮よりも道管や師管の生きている部分が好きなので、皮はむしろ地面に放ったらかされてしまい、そして黄色い木の随の部分が無惨な姿をさらすのである。そして道を少し進んでいけば、開けた場所には縦横無尽に、雪を2本の爪でつかんだ鹿の足跡が残されていた。「鹿の銀座通り」というお姉さんの形容は、まさにイメージ通りの表現という感じだ。
基本的には人の手は入っていないように見える所だが、所々、雪が1 m積もったこの時期にちょうどよい位の高さの切り株が残る。すなわちかつてここでは、雪が積もっている時期に伐採が行なわれていたということだそうだ。むしろこの時期の方が、切った木を簡単に海まで滑り落とすことができたのだという。そして本来ならば残った切り株を掘り起こして畑にするというのがよくあるパターンらしいのだが、そこは環境の厳しさ故放置されてきたということらしい。
夏にはきれいな原生花園になっていた所に成り立つ広大な雪原をわざと迂回して、お姉さんは風よけのために残されたという原生林の領域へ私をいざなった。地面を見ると至る所に、黒くてそれ故熱を吸収して周囲の雪を溶かして沈み込む、小さい小豆状の物体が散らばっている。鹿の糞だという。お姉さんに言われるまま私も普通にそれを拾って、軟らかいことや、木の繊維が含まれていること、においがほとんどないことを確かめたのだが、冷静に考えるとすごい行為のような気もする。
原生林の領域は木の幹も太く、椴松も含まれていてやや鬱蒼とした感じが強くなってきたが、何より奇妙な景観を作り出していたのはここでもやはり、鹿の生活の痕跡だった。ハルニレの木やキハダの木の皮が鹿の歯で削り取られて、ニレは赤の、キハダは名前の通り黄色の肌をさらけ出す。キハダの皮をかじらせてくれたのだが、ほろ苦い。漢方の胃薬の成分なのだそうで、連中もこれをかじってもたれた胃を治しているらしいが、むしろこんなものでも食べていかなくてはいけないという厳しい食糧事情も伺わせてくれる。
周囲には鹿の糞もあるし、そして中空で折れやすい鹿の冬毛の塊も落ちていたりする。木々の中には、去年食われた跡に新しい皮が再生していたのにまた食われてしまったというものや、木の周囲を一周するまですべて食い尽くされてしまったものも見られた。一周をやられてしまった木はもう枯れるしかないのだそうだが、どうも最近鹿の数がやたらと増えていて、それに伴ってこのように枯れてしまう木も多くなっているのだという。列車に乗っていても鹿の群れが当たり前のようにうろちょろとしていて、初めて北海道に来たわけでもないのに、鹿ってこんなに当たり前に存在する動物だったかなあと不思議に思ってはいたが、話を聞くとなるほど、実はあまり正常な状態というわけでもなかったらしいということが、私には何となくわかってきた。
もちろん周囲に感じられるのはそんな鹿の気配だけでなく、モモンガの気配にもお姉さんによって気づかされることとなった。椴松の木の下に、新芽と何枚かの葉を食べただけで捨てられた枝が散らばり、そして一緒にモモンガの小さな糞も残されていたのである。葉をもんだときに出るすっとしたにおいと同じにおいが確かに糞から感じられる。モモンガは日没後から活動を始めるのだそうで、お姉さんも姿を見たがってはいたけれど、残念ながら実際に会うことはできなかった。
そしてそんな原生林の中を海岸に向かって進めば、鹿が座り込んで寝て糞をしてつまみ食いをした跡が雪の上に、大きくへこむような形で残されていて、より強く鹿の生活の痕跡を感じるようになっていた所、まさに立派な角を持った大きい雄の鹿や、まだよちよち歩きの子鹿が、まさに木を削り取って食ったり、地面を掘って草を食べたりしている最中の風景にとうとう出会うことになったのである。連中との距離はどんどん短くなり、向こうもこちらの存在を認めているはずなのにいっこうに悠々として逃げようともしない。そしてそのまま進めば柵などない断崖の上に出て、流氷によって削り取られてできた深く高い入り江やその外側にまで流氷でびっしりと埋め尽くされた海が、爽快なまでの姿をさらけ出してくれたのである。
悠々と、しかし必死の様相で餌を食う何頭もの鹿を横目に、草原を通る正規の遊歩道に戻れば、フレペの滝の展望台はすぐだった。以前夏にも訪れたことのある、人の顔のように岩から滝が流れ落ちている所だが、右目はまだ雪がびっしりとついて凍り付いたままであるようだった。それでも左目だけでもとうとうと流れ落ちているのは、やはり季節が進んでいる証しということか。そしてその遙か下の海にはやはり流氷の海が一面に広がる……私はまた一つ、美しい流氷の海の記憶を増やすことができたような気がした。そして、後ろを振り返れば、夏には草原になっているはずの雪原越しに、他の色を含まないくらい真っ白な羅臼岳をはじめとする連山が堂々とそびえ、ここにもまた白く美しい風景が作られていたのだった。麓を取り巻く山林には、葉を落とした林の中に、椴松の深緑を含む領域と含まない領域が、まるで線でもあるかのようにはっきりと区分され、海側が原生林、山側が二次林であることがはっきりと見て取れる状態になっていた。
遊歩道のすぐわきの崖の上には、やはり人など気にしない鹿が数頭、流氷の海に沈みつつある太陽を眺めるかのようにべったりと座っていた。実は単に反芻しているだけらしいのだが、まるでこいつらにも夕日に黄昏れる感情があるかのようで、なかなか愛おしいものである。夏には原生花園だったはずの雪原は、正規の遊歩道に限らず事実上もうどこを通ってもいい状態になっていた。夏はハマナスが茂っているし、林に戻れば笹藪になっているから遊歩道以外の領域に立ち入ることは不可能なのだけれど、この時期はカンジキなりスキーなりを装備しさえすれば、どこを歩こうと自由自在なのである。これこそが歩くスキーの醍醐味なのだな、と感じながら、私はお姉さんに導かれるまま、スタート地点に戻るように林の中を進んでいった。雪に閉ざされているかのような林ではあったが、柳の新芽が出ていたり、笹が雪の上に頭を出していたりと、春の兆しも所々に見かけられ、お姉さんと一緒に春を発見することを喜びながらの短い旅路となった。
盛りだくさんの内容にすっかり満足して知床自然センターへ帰還した私はスキーを返却し、引き続きレンジャーのお姉さんが宿まで車で送ってくれるというのでそれに甘えることにした。往路にバスでも通りかかったプユニ岬へ、お姉さんは寄り道をしてくれた。ウトロの街を見下ろすかなり高い崖の上からの眺めは、街そのものはすごく小さくて、むしろその周囲に連なる知床半島の険しい地形、そして何より、広大な海のほぼすべてを埋め尽くす真っ白な流氷が一望の下になっていた。往路に比べてだいぶ低くなった太陽が、所々穴が空くように開いた開水面をオレンジ色に照らして、より一層美しいウトロの風景を作り出していた。そしてこの周囲の崖の面、道路のすぐ近くにも何頭もの鹿が来て、こっちをじっと見ながら一生懸命に地面をほじくり返していた。なんだか鹿づくしのツアーになってしまった感もあるが、私にとっては鹿にこんなに間近に触れあえるということも珍しいことであるし、とりあえず、大満足なのであった。
今日の宿はプユニ岬からウトロの市街を通り越した反対側の端にあって、夕陽こそ亀岩なる巨大な岩礁に遮られて見られなかったが、窓からは流氷がびっしりと敷き詰められた海が漁港の向こうに広がっている風景が眺められた。海面近くにはだいぶ薄い雲が出ていたから、昨日の夕陽の方がきれいなはずだ、と私は納得することにした。小さい素朴な民宿だったが、食事は量も種類も豊富で、カニも出てきてもう満足を通り越しそうな勢いだった。