1.往路(12.27) / 2.女満別、美幌、端野(12.28) / 3.北見(12.29) / 4.訓子府、置戸(12.30) / 5.陸別、大誉地(12.31) / 6.足寄、勇足(1.1) / 7.池田、本別、帰路(1.2-3)
今朝まず驚いたのは、飲み物を冷やすために二重窓の外側を開いたまま寝てしまったところ、目覚めると飲み物も窓も完全に凍り付いてしまっていたことだった。昼間は温暖なことが多かったここ数日であったが、さすがに夜中は冷え込むものらしい。今日も空は快晴だけれど、空気はまだ張りつめるように冷たい。
宿を出た私はとりあえず池田の駅へ向かった。駅前では出たばかりの太陽がワイン城の背後から、アイスバーンでかちかちのまだ静かな市街を眩しく照らしつけていた。ワイン城に近い所にある、線路を跨ぐ歩道橋に登ってみると、利別川を中心に雪原が広大に広がっている十勝平野の風景がそれなりに眺められた。とりあえず川の流れを見てみたくて河原へ向かえば、きれいに整備された公園のようになっていて、堤防に登ればかなり広くなっていると見られる利別川からうっすらと靄が上がって、周囲の樹木に霧氷を発生させ、当然真っ白な河原が周囲を固めるすがすがしい風景が広がっていた。川の向こう側にも広大な大雪原が広がっているようだったけれど、いかんせん橋からは遠い場所で渡る手段もなく、私は向こうに渡ることは諦め、ワイン城の周辺を散策してみることにした。
ワイン城自体は以前の旅で友人に連れて行ってもらったことがあったから今回は中に入る必要はなかったが、そこへ向かう登り坂を登るたび、あの時に見た広々とした十勝平野の風景が真っ白に変わり、かなり遠くへ退いた丘陵までの間に、利別川を中心として広々と雪原が広がるさまがよく見渡せるようになっていった。ワイン城の裏手へと回り込めば、今度はブドウ畑が柱だけを残して広がる、新たな白い風景に出会うことができた。そしてその背後にはまた、広大な大雪原が広がっているのである。所々に建物の密集している場所はあったけれど、歩いていて心地よさを感じるような雪原が、落葉松林に守られるようにして、広々としていた。
私は雪原の中を清見ヶ岡までのんびりと歩き、市街へと下っていった。池田の市街もかちかちのアイスバーンで固められ、歩くのもなかなか大変なものだった。市街は川の流れと平行な方向には比較的長く伸びているようだったが、垂直な方向には利別川の高い堤防が控えるため、幅はあまり広がらないようだ。暗かった昨日は気づくわけもなかったことであったが、昨日は殆ど開いていなかった店も今日はぼちぼち開き始め、そこいらで初売りの活気がみなぎり始めているようだった。
池田駅に戻った私は、沿線で見残している本別駅へ向かってふるさと銀河線を逆送することにした。列車は池田の市街を抜けると間もなく、感動的なまでに広々とした大雪原の中を進むようになった。心を洗われるような白い世界の中、列車はひたすら、乗客に幻想的な風景をじっくりと見せつけるかのように進み続ける。広がっているものの多くは牧場であるようで、時折牧草ロールをむさぼる黒毛の牛の姿も見られる。白い世界は遠くに控える中腹にまで広がり、ホルスタインの姿もあれば、かわいらしい子牛の姿も所々見ることができる。
列車は暫く、昨日は夜になってしまって見ることのできなかった雪原の風景の中を進んでいった。南本別の駅前には製糖工場が、美幌と同じように澄み渡る青空へ大量の水蒸気をもくもくと上げていた。ブランドは「ほのぼの印」だったから日甜とは違う会社なのだろうか。昨日は単なる一つの工場としてしか認識できなかったのは、操業を停止して水蒸気を上げていなかったからなのだろうか。それほど今日の製糖工場は青空の下に堂々と存在感を現していたのである。本別に近づくと周囲の丘陵の姿は再びだんだんと大きくなり、雪原も広々といった感じでは次第になくなってきた。それでも裸の木立に囲まれて美しい姿であることには変わりはない。そして岡女堂駅は市街に対してやや高台にあるようで、目前に広がる工業団地の向こうに、本別の市街が広がっているのが見られるようになってきたのだった。
私は本別駅に降り立った。駅裏が丘陵に固められているのは昨日も車窓から見ていたが、駅舎もかなり立派で、駅前もきれいに整備されているという意味では足寄よりも寧ろ格上の街であるかのように私には思えてしまった。やはり雪も氷もなくなっているメインストリートから住宅街のほうへ分け入ればここでも、路面を覆うものはアイスバーンであまり歩きやすくはなかったのだけれど、義経大橋で利別川の上に出れば、川の流れは大きく氷結して細い流れしか確認できず、氷結した部分と河原を合わせるとかなり広々とした雪原が、丘陵に囲まれるようにして奥へと伸びるように広がる見応えのある展望が、一望のもとになったのである。
市街は対岸に渡ってもなお続いていて、足寄なんかにも負けず劣らず広く広がる市街なのではないだろうかとも思ってしまったが、川沿いにシンボル的に誇らしげに建つ明治の工場へ回り込むと、学校も多く建つせいなのか建物の間の隙間も広く開いていて、街なかにありながらオアシス的な雪原にも出会うことができた。道は丘陵の上へと続いていて、もしかしたらまた牧場が広がっているのだろうかと期待してみたものの、そこにあったのは新しい住宅街だったりしてしまったのだが、太陽の丘と言うらしいその辺りからも、背後を高い丘陵に守られて川沿いに広がる市街を一望のもとにすることができた。
愛のかけ橋という橋で私は再び川面の上に出た。利別川には二つの川の流れが合流していて、ここからはそれらの作るとてつもない広い雪原が見渡せ、その周囲に建物が、丘陵に囲まれた領域に埋め尽くされる風景にまた出会うことができる。ほんの少し下流にきたことになっただけなのだが、さっきの義経大橋よりも川の流域が広く見えるのが不思議である。もしかしたら昨日足寄で川面にたくさん浮かんでいた氷片が、ここより下流の勇足では見られなかったのは、この辺りでトラップされているからなのかなあ、などということさえ私には想像されてきたのだった。橋の長さも長大で、雪原の周囲に広がる本別の市街を、何度も何度も立ち止まりつつ様々な角度から眺めることができた。
川を渡りきってしまえば道は国道に合流し、私は市街に背を向けて南町工業地帯を歩いてみることにした。特にめぼしいものがあるわけではなかったが、緩やかな坂道を登っていくと岡女堂の工場と岡女堂駅が現れた。れっきとした企業駅なわけだが、土地自体も高台に上っているおかげで列車から見られたように市街の方向にはそれなりに見晴らしが広がっていたし、そして駅の入り口を探して踏切を渡ってみれば、小さいけれども斜面に美しい雪原が切り開かれている長閑な風景にも出会うことができた。私は工場に併設されている土産屋で、小豆茶や黒豆茶など試飲しながらしばしの休憩を取った。岡女堂駅のホームの不思議な形の屋根からは、しきりに水滴が滴り落ちてくる。今日もまた、気温が上がって屋根雪が融かされ始めたようだ。
私は岡女堂駅から、昨日できなかった用事のためにいったん足寄駅まで列車で戻ることにした。岡女堂駅を発車した列車は、ここから始まる本別の市街地を進んだ。市街地は本別の駅を出ても暫く続き、雪原の中の風景へと戻るには多少の時間を要したが、戻ってしまえばあとは車窓には眩しい風景が広がるのみだった。仙美里で渡った利別川は一面が凍りつき、流路が確認できないほどだった。車窓の右手の奥の方で、どうやらダムができているようだった。上流の氷をトラップしていたものは、本当はこのダムだったのかもしれない。列車は昨日とは逆に、足寄に近づくと周囲の丘陵が徐々に列車に迫り来るように車窓は変化していった。
足寄での用事は昨日は開いていなかった切符売り場を訪れることと、昼食を摂るということであった。本別駅に降り立ったときの第一印象として、足寄よりも賑やかそうな感じがするということがあったわけだけれど、なぜだろうかと思ってもう一度足寄の駅前を観察してみると、中心市街に並ぶ商店の建物が何世代か前の、それこそ昭和の味を思い起こさせるかのような、しかし特別にきれいなわけではなく寧ろ薄汚いような、そういう建物によって大部分が構成されているから、というのも理由としてかなり大きな部分を占めているのかもなあと私は思うに至った。
街の奥の方へ向かっても何だかぱっとしなくて、私は結局駅に近いという意味でお手ごろな、大阪屋という食堂を訪れることにした。しかしそこも、入ったとたんに一歩引いてしまいたくなるような、古くて薄暗い建物だったりしたのだ。「みそあじやきにく」がお勧めらしかったのでそれを注文してみると、冷凍ラムとざく切りの白菜が鉄の皿にたっぷり盛られ、味噌を塗ってそのままテーブル上のガスコンロにかけるという仕組みだった。好みでにんにくも載せられ、素朴ではあるがそれなりにうまい。こうして中途半端に古い街並みに身を任せることで、私は昨日は見つけられなかったこの街のよさを新たに付け加えることができたような気がしたのだった。
そして、なぜだか昨日は知らずに来てしまったのだが、この街なかには毎正時に松山千春の曲のメロディーが、足寄駅舎の塔にあるベルからけたたましく演奏されるのだった。この塔には階段しかないものの登ってみることができるようになっていて、昨日の里見ヶ丘からでも存在がわかった程の高さの塔の展望台からは当然のように、足寄の市街の全貌が、昨日見たどの角度とも違った角度から眺められたのである。小さな建物の密集する市街と、それを取り巻く丘陵、そして丘陵の中腹と平野の奥の方には雪原が広がる。また別の季節にじっくりと楽しんでみたくなるような、周囲のたくさんの雪原が見渡せる展望台だった。「千春ありが塔(ハート)」という名前だけは何とかならないものかと思ってしまったのだけれど、駅舎の2階は松山千春の資料室になっていて、年譜やコンサートの舞台衣装、受賞した盾なども展示されているのだ。駅売店もバスの案内所もまだ閉まったままではあったけれど、徐々に普段の感覚を取り戻しつつあるのかもしれないなと、昨日よりも増えた客とともに列車を待ちながら、私は思ったのだった。
昼下がりのふるさと銀河線の列車に乗り込んで、私は本別へ戻り、本別の旅を再開することにした。今度は駅の裏口へと出て、アイスバーンに何度も何度も足を取られながらも私は本別公園へと向かった。利別川に合流する本別川という小川が、街並に寄り添う丘陵を大胆に削り取っているかのような地形で、まさに山懐に抱かれるような奥地へ向かうように、私は住宅街の中の緩やかな登り坂を進んだ。
やがて登り坂が下りに転じると、その瞬間に本別公園への入口が現れた。要するに遊具もたくさんある街中の遊び場を巨大にしたようなものでしかないような感じを、私は入口付近の状況から感じてしまった。この公園には義経と弁慶の像が建つ。そういえば本別の街なかにも義経大橋という橋があったが、どうもこの地に12匹の狼をつれてやってきた文化の神がいたというアイヌの言い伝えがあって、その神とは義経のことであるという説があるのだそうだ。斜めにはっきりと縞模様の地層の走る崖にはさまれた谷間の、多少広い面積に庭園が整備され遊歩道も巡らされる領域は、当然のようにたくさんの雪を蓄えて、この季節訪れる人もなくひっそりと静まり返る。池である所は当然のように凍りついて、平らな雪原となる。それは立て看板を見るまでそこが池であるということに気づかないくらい普通に、雪の風景の中に溶けこむのである。
午後3時になって太陽も夕陽の様相を呈してきて、この公園を取り囲むような丘陵の影に既に隠れてしまい、もはや光球の姿は見えなくなってしまっていた。本別公園も散策する分には悪くはない所だったけれど、今日でこの旅を終わりにしなければならない私は、今日こそは白くて広大な雪原への落陽を眺めたい気がして、市街の河原へ向かうことにした。私は小走りにアイスバーンの道を進み、本別川の谷間のような領域を抜けて市街へ戻り、本別の駅前と対岸をつなぐ3つの橋のうち、まだ渡っていなかった本別大橋をまっしぐらに目指した。官庁が集中する通りから、裏手の住宅街へと回り込んで橋の上へ登れば、太陽が最後の力で対岸の丘陵のすぐ近くから、利別川と本別川の合流点を中心に広がる広大な雪原と、その周囲を固める丘陵までの間に広がる市街を、すっかりオレンジ色になった鮮やかな光で照らしているところだった。
今日こそは間に合ったと喜びながらじっくり眺める間もなく、夕陽は地平線近くに立ちこめていた雲に吸い込まれてしまったけれど、暫くは周囲の雲がオレンジ色に染まって周囲の青い空に送り出されるかのようなあまりに幻想的な風景に、私は今日も出会うことができた。今回この旅で、何度もこんな「幻想的な」風景に出会うことができたことは、私にとってこの上なく嬉しいことになった。
程なく陽が完全に沈んでしまえば、いつも通り辺りは急速に明るさを失っていった。隣の義経大橋の方を見れば、昼間に通った明治の工場の近くで合流する美利別川の姿が見られたが、本流の方は殆ど凍りついているので、寧ろ美利別からの流れの方が豊かな本流であるかのようにも見えてきた。昼間に見た、義経大橋からと愛のかけ橋からとで川幅がだいぶ違って見えたわけが、何となくわかったような気がした。これも川の凍るこの時期でないと見られない風景なのだろう。
本別大橋から駅へと戻る道は銀河通りと名付けられていて、実は昼間通った太陽の丘を中心に、惑星の名前の付けられた、言われないと気づかれないくらい小さな公園が路地の角に配置されていたのだった。周囲が暗くなるのと引き替えに、銀河通りの街路樹には電飾が点り始めた。通り自体もよく整備が行き届き、少なくとも通り沿いの建物は全て、新築されたかのように新しい。これが足寄との雰囲気の差をもたらす大きな違いなのかも知れない。やがてこの街をあとにするための列車の時刻までには陽はとっぷりと暮れ、銀河通りを中心とする市街は、とてもきらびやかな雰囲気に包まれるようになったのだった。
私はいよいよ、東京への帰路に就くことになった。本別を発ち、岡女道までの工業地帯だった道には色とりどりの光の粒が次々と展開していった。とりわけ愛のかけ橋は黄色と緑で派手に電飾され、異様な雰囲気さえ与えていた。しかし市街地を抜けてしまえば、朝見られた感動的なまでに広大な雪原の風景も当然のように消え失せ、列車はただひたすら、真っ暗な闇の中を突き進むしかなくなってしまっていたのだった。
池田からは根室本線の列車に乗り換え、私は帯広を目指した。池田駅の周辺では多少の光の粒も見られたけれど、過ぎてしまえば当然のように暗闇となった。利別、幕別と、さすがに本線の駅の周辺に展開する光の粒はふるさと銀河線内より多いような気がしたが、札内を過ぎるととりあえず併走する道路の周囲から帯広に続く市街地が形成され始めるようで、郊外型の店舗も現れたりして車窓にも明るさを与えてくれるようになった。そして帯広駅に近づいて列車が高架の上に登ると、広い範囲に光の粒の散りばめられる帯広の市街を広く見渡せるようになってきて、やがて列車は巨大な建物や、きわめて明るい電飾が点される広場も見られる都会の駅へとたどり着いた。
私は帯広から特急に乗るつもりでいたのだが、夕食を摂れるだけの時間も充分にあったので、夜の街へと繰り出してみることにした。列車から見て感じられた通り、夜になってもここでは賑わいは衰えないようだった。メインストリートに立ち並ぶ高層の建物もそれぞれがネオンをつけてきらびやかだし、街路樹も電飾されてまたきらびやか、裏通りに入ってさえも飲食店の灯りがきらびやかに、都会の夜を演出する。そしてこの街では、焼き肉屋でも天ぷら屋でもラーメン屋でも、豚丼の店に限らないあらゆるジャンルの飲食店が、十勝名物の豚丼を取り扱っているのである。私はラーメン屋に入り、餃子と一緒に豚丼を食べるという、他の街ではまずできなさそうな経験をすることになったのだった。
特急から夜行列車に乗り換える南千歳駅では何も仕入れられないことは経験上分かり切っていたので、私はこの街のコンビニで明日の朝食や、道内でしか買えないカツゲン、サッポロクラシックなど、最後の買い物を楽しんだ。外の気温は-2℃、北海道としてはさほど低い気温ではなく、車道はもちろん歩道にも、人通りのある部分には雪は一切残っていない。この旅を通じて温暖な天気が続いたことが、この街の路面にはっきりと現れているように私には感じられた。そして帯広駅から私は特急スーパーおおぞら号に乗り込んで、厳冬装備に暑さを感じながらも、外気で飲み頃に冷されたビールを片手に、大きな窓に流れる幾筋もの光の粒をのんびり眺めるという優雅な旅を楽しむことになったわけである。もっとも新得を過ぎてしまえば、あとはひたすら闇の中を走るのみとなってしまった。
南千歳駅でも若干の待ち時間があった。もちろん相変わらず何もない駅なのだけれど、空港とは反対側の小さな出口に出ると、オフィスアルカディアという企業団地が成立しつつあるようだった。少し前までは本当に何もなくて、タクシーが待ちかまえているなんて考えられなかったのだが、変われば変わるものらしい。外に出てみてもそんなに寒さを感じず、寧ろ暑ささえ感じられたのである。
そしてやってきた急行はまなす号の寝台車に乗って、私は青森到着までぐっすりと心地よい眠りにつくことができたのだった。カーテンも閉め切り外の景色など目にはしなかったけれど、青函トンネル通過中とそれ以外の車両の揺れ方が大きく違うこともまた面白い経験となった。
翌朝たどり着いた青森はまだ夜で、見事に雪が舞っていた。北海道の内陸よりも寧ろ青森の方が雪というのもまた不思議なものだ。昨日暑ささえ感じた厳冬装備を、寝台にいる間に解除してしまったのだが、さすがにちょっと厳しかったようだった。もっとも窓には大量の水が凍ることなくしたたって、水分の多い雪であることを表していた。青森からは特急つがる号に身を任せ、どうせ外など見えないからと寝ていくことにすると、八戸に着く辺りでようやく車窓にも朝が訪れてきた。ここには雪の姿もなく、ホームでは寧ろ水たまりが支配的であった。
Uターンラッシュの影響か、7時前という時間なのにえらい賑わいの八戸駅で私はすぐに新幹線に乗り継いで、あとは真っ直ぐ東京を目指すのみとなった。霧に煙る八戸駅をあとにしてトンネルに入り、二戸で外界へ出ると、しきりに大量の雪の粒が舞い周囲の田園風景も真っ白に染め上げられる、寧ろ昨日までいた北海道よりもすごい雪景色だったりした。しかし車窓を満喫できるほどの時間は私には与えられず、列車はすぐにトンネルに入ってしまう。新しい路線の寂しいところである。
盛岡まで来ると雪は舞っていたけれど残雪はごく少なくなり、盛岡を出てしまえば雪は皆無となってしまったが、曇り空のもと霧のかかる田園風景もそれはそれで幻想的なものだった。暫く曇り空が続いたが、仙台辺りまで南下すると晴れ間ものぞき、白河を超えて関東地方まで戻ると、車窓には気持ちよい冬晴れの風景が戻ってきた。
こうして舞い戻った東京駅でホームに下りても、あまり冷たさは感じなかった。体も慣らされていたのだろうが、天候自体こちらもこちらで穏やかな日々が続いていたらしい。新幹線よりも空いているほどだった山手線に乗り継ぎ自宅へ戻りながら、私は外気の暖かさを感じ、帰京したことを実感したのだった。