前年の暮れ、わずかな暇を利用して、以前からの念願であった冬の北海道を訪れることができた。それは想像を遙かに超える極寒の世界であったが、ただ一つ、流氷を見ることだけはできないでいた。流氷がやってくるのは通常年が明けてから、3月位までであるという。3月末、関東の人間にとっては春の気配に胸躍る季節であるが、春休みは流氷を見るぎりぎりの機会ということになる。私は再び、まだ冬を脱していないであろう北海道へ向かった。前回と違い、道内でB寝台車乗り放題となるフリー切符を使うという贅沢の引き替えとして、アプローチは青春18切符による普通列車乗り継ぎで行くことにした。早朝に出発、無心に乗り継ぎを繰り返し、すでに暗くなった盛岡以北でようやく見られるようになった残雪に感動しつつ、青森に着いたのはもう深夜といってもいい時間帯だった。そして、こんな時間でも車の頻繁に行き交う国道の脇に通された、車道からかき分けられて泥にまみれた雪の堆く積もる歩道を進み、青森のフェリーターミナルから、私は夜行フェリーの旅人となった。
フェリーはまだ完全に夜のままの函館に着いた。本州がどんなに春めいてこようと、津軽海峡は気候の変動に対しては大きな壁となっているようだ。灯りに照らされた埠頭には当たり前のように雪が舞い、ひたすら寒い。しかも雪質も重く、予定通り近くの七重浜駅まで歩いていくのは困難と見て、私は函館駅までタクシーで移動することになった。朝食に入った朝市の店のラジオは、今日からの3連休、天気のよくなさそうなことを告げる。そしてこの予報は、結果的に大当たりとなるのである。
もちろんこの旅の目的は流氷であったが、ここからすぐにオホーツクを目指すのは時間的に中途半端だったので、今日のところは道南にとどまることにした。私は函館駅から、江差線の列車に乗り込んだ。明るくなった車窓には相変わらず雪が舞う。しかし道路にも屋根にも積雪は目立たない。しいて言えば線路脇にごま塩のように今日の雪が積もり始めていると言ったところか。気温は0.7℃、寒いことは寒いが厳冬とは言いがたいのかも知れない。車窓には意外と単調な住宅地が続くが、函館を離れるにしたがってだんだんと雪が目立つようになり、上磯を過ぎれば途切れがちになる家並みの合間に広がる田畑はむしろ白く。やがて道は急に険しさを増し、トンネルを越えると一気に海岸沿いの路線へと変貌を遂げた。決して海は荒れてはいないが、もやがかかり青白く淋しげな表情を呈している。普通なら大きく見えるはずの函館山の姿も車窓には映ってこない。雪は茂辺地を過ぎてなお勢い衰えず、風景の色彩を淡くする。青白い海と白くなりかかった森林を交互に車窓に映しながら、そして所々現れる漁村をかいま見ながら、列車はやがて木古内駅に到着した。乗り換えるために下車した木古内の街
、大きくも小さくもない程度の規模を持つ街並みには、雪が横殴りに打ちつけている。寒中みそぎが有名な行事ということらしく、その会場の一つである「みそぎの浜」まではまっすぐの道を数分も歩けばたどり着くことができる。もっともこの時期何をやっているわけでもなく、ただ静かに、雪に打たれる白い海が横たわっているのみ。降る雪は先日道北で経験したものとは違い、「濡れる雪」であり、吹雪いても誰も傘をささなかった道北とは違い、この街には傘の花がごく普通に開花していた。
私は松前行きのバスに乗り込んだ。程なく木古内の市街を抜けたバスは知内町に入り、海沿いの国道を進む。道は広いがその両脇には白い海、そして白い荒れ地、何とも荒涼とした風景が展開する。知内の市街からバスは内陸へ進み、市街をはずれると、吹雪舞う荒涼とした森、まばらな杉林の中を進んでいくようになった。その合間に多く見られる田畑は、シャーベット状の雪をかぶったり、あるいは真っ白なじゅうたんになりかけであったりしている。湯の里温泉の付近の車窓は、まさに秘境といった観を作り出していた。左下に川が削り取った谷の風景を従え、そして茶色く細い木だけを残すように、残りの土はすべて雪で覆われていた。案外開けているような印象を受ける福島の街からは、バスは再び海沿いを行くようになる。漁港の厳つい堤防を左に、街並みは国道沿いに長く延びていく。そんな福島の街にあっては、不思議にもそこまであんなに白い姿を誇示していた雪がほとんど目立たないのだ。天気も基本的には雪ではあるもののところによっては雨になっていたりして、予断を許さない。街並みが途切れたかと思うと今度
は断崖絶壁の下の覆道が続くようになる。海の上にもごつごつとした岩が散らばり、車窓の印象も一気にごつごつとしたものに変わっていった。いろんな表情を見せてくれる国道228号線である。そして、やがて道は再び、だんだん市街の兆しを見せてきた。道もまた広くなり、松前がこの辺りの中心であることを如実に示しているかのようでもあった。
天気がもってくれることを祈りつつ、私は雨上がりの松前の街を散策することにした。見どころは松前城址付近に集中している。城自体は小さく、中の展示品もありがちなものだったが、何と言ってもその周りを埋め尽くす桜が圧巻である。広い城址公園は歩けども歩けども桜、そして高台に登ればその向こうには津軽海峡が横たわる。今でこそただのはげた木の林でしかないが、ゴールデンウィーク辺りにやって来るというこの辺りの桜の季節にはどんなに華やかになるのか、どこまで行っても桜色に染まっている公園はどんなにすてきだろうと、想像するだけでわくわくとしてくる。北海道唯一のとか、また歴史的な意義もある城下町ということになるのだろうけれど、私にとってはそれほど「桜」のインパクトの強い街ということになった。街並み自体時季はずれのせいか静かなものだったが、役場の付近では商店街がそれなりににぎやかだ。少しずつだけどいろんな海の幸の盛られる「松前浜チャンポン」はとてもおいしいものだった。散策している間に厚かった雲はだいぶとれてきて、津軽海峡の向こうにはうっすらとではあるけれ
ども、津軽半島の姿までかいま見られるようになってきた。
松前の市街を後にし、私は木古内方面のバスに乗り込んだ。薄日が射すまでに好転した天候のもと、往き道よりも車窓はくっきりと明るくなった。白い雪をいただく山をバックに、北海道最南端の白神岬付近に広がる白神海岸の海岸線は、険しくもより美しい姿を見せてくれていた。海の色も今や、さっきまでとは違い、澄みわたっていた。そしてバスが再び福島町を訪れるころには、もう晴れたと言ってもいいくらいにまで天候は回復してくれた。
そのまま木古内まで戻っても時間が余りそうだったので、私は福島で途中下車し、青函トンネル記念館を訪れることにした。展示内容は津軽海峡にまつわること全般に及び、海峡の成立から北前船、連絡船にも触れられているが、メインはやはり、トンネルを掘るということの大変さを伝えることにあるようだ。地質調査の方法や、実際にトンネルを掘るために使う機械の実物の展示など。トンネル内で見つかった岩石や電気系統の実物なども展示され、青函トンネルのすべてを知ることができるとでもいうべきか。安価な入館料のわりには充実しているといった印象を私は受けた。記念館のそばには福島川が静かな音を立てながら、白くなった河原を縫うように流れ、周りは白や茶や深緑の、丸かったりとんがったりした山並みで囲まれる。国道も通り、家並みもそこそこある街だけど、窮屈さをみじんも感じさせない、静かでゆったりとした時の流れる街である。そんな福島の街を後にする頃にはもはや日も陰り、風は確かに前回感じた冬の冷たさを持っていた。まだまだ、ここには冬が残っている。
私は再び木古内方面のバスに乗った。津軽海峡線の途中駅である知内駅は知内の市街地からはかなり離れているが、一応バス停もあって乗り換えも可能だ。形式的には道の駅併設ということになっているようだが、どう見ても鉄道の駅の色彩は薄い。駅舎は知内町物産館の札こそ出せ、「知内駅」の看板は出していない。1日2往復しか停車しないのでは仕方もないだろうが。私は青森からやってきた海峡号に乗り込んだ。車窓の海は夕暮れの風景となり、朝は全く見えなかった函館山もくっきりと見えるまでになっていた。やがて函館に着くころにはあたりは夜になっていた。夜だからといって決して闇にはならないこの街、函館山の頂上もよく見えていたから、今日はとてもきれいな夜景が見えたことだろう。B寝台乗り放題のフリー切符はグリーン車にも乗り放題、というわけで、私は札幌に向かうスーパー北斗号の、至れり尽くせりのサービス付きのゆったりとした席でしばらく優雅な時間を過ごし、そして札幌からは、いよいよオホーツク海は網走に向かう夜行列車に乗り込んだ。残念ながら寝台車は満員で乗れなかったが、一杯まで倒せるグリーン車の椅子なら充分快適に眠ることができる。私はま
だ見たことのない流氷というものに思いを馳せながら、ひたすら東進する夜行列車に身を任せたのだった。