1.与那国島東側(8.23) / 2.与那国島周回(8.24) / 3.与那国島グラスボート(8.25) / 4.与那国島から石垣島へ(8.26) / 5.波照間島(8.27) / 6.石垣島(8.28)
今回の私の旅のメインはもちろん、日本最西端の与那国であったわけだが、一般人の渡航可能な日本最南端の波照間島にも石垣島からは楽に到達できるらしかった。今回日程にも余裕があったため、私はついでに日本最南端も制覇する旅に出ることにした。島内で宿泊もしてみたかったのだが宿の空きが見つからなかったので石垣島から日帰りで訪れることにして、私は朝から強い陽射しの照りつける離島桟橋を訪れた。桟橋も切符売り場も朝から賑わっていて、西表島、小浜島、黒島の周遊コースなどは大人気らしかった。波照間行きも2社が船を出しているのだが、そのうちの1社は既に満員とのことでもう1社の便へと誘導され、そちらの切符売り場もまた大混雑を呈している。活気があるのはいいが今日の旅がどんなものになってしまうのか、疲れだけが溜まるような旅にならなければいいけれど、と少しばかりの不安とともに、私は桟橋に停泊している船に乗り込んだ。
賑やかな離島桟橋をあとにして、高速艇は大海原の上を、大音響を立てて文字通り爆走し始めた。実は起伏のある巨大な島だった石垣の姿を横目に海の上を走っていけば、澄み渡る青色だった海は程なくエメラルド色に変色し、真っ平らな竹富島のすぐ間際へと進んでいく。竹富島はあくまで真っ平らで、足元の石灰岩も、浸食されてはいるが崖になるほどではなく、石垣島とは対照的な姿を見せている。
やがて船は、石垣島に負けるとも劣らぬほど起伏に富む西表島の近海へ差し掛かる。この島をきっかけにして入道雲が発生するらしく、周囲の海はよく晴れ渡っているのに西表島の山頂を見ることはできない。そして海の色も急に濃い青色になり、それまでの順調な航行が嘘のように急に揺れるようになって、船が外洋の強い海流に揉まれるようになったことを知らせてくれた。パナリ島やら他の平たい島を近くに、西表島をバックにして見ながら、あとは外洋の大海原の航海が延々と続くようになった。時折虹も掛かる真っ青な海に最後に現れた緑の平たい島が、目指す波照間島であるようだった。
島に着いたら自転車を借りて1日乗り回そうということだけは決めていたのだが、自転車を借りる場所は港にあるわけではなく、港でレンタサイクルを扱う業者が待ち構えていて、丘の上の拠点まで送迎するというシステムらしい。送迎車の中からもそこいらじゅうにサトウキビ畑が広がっているのが見られたが、集落では背の高い木がたくさん生えていて、適度に日陰ができているようだ。
自転車を借り受け、私が真っ先に目指したのは最南端ではなく集落の中の酒造所だった。レンタサイクル屋は島の第2のと言うべき集落の中にあり、第1の集落へ向けて私はなだらかに波打つサトウキビ畑を眺めながら自転車を走らせていった。目的の集落へ入っても道は細いままで、街としては与那国なんかよりもさらに小さくなってしまった感じだ。そして住宅街には当然のように赤瓦の小さな家並みが、私がこれまで見てきた中で恐らく最も高い頻度で並び、家を守っている塀は殆どが乱雑な形の石灰岩を積み重ねたもので、しかも庭にはフクギの高い木が必ず植えられて、街なかでありながらも森の中にいるかのような独特の雰囲気を持つ街だった。街の中にはいくつか、小さくて飾り気もない、ただ商品だけを小屋のような店舗に並べているだけといった感じの商店もあるが、生産量が少ない貴重な泡盛だと噂に聞いていた波照間島の「泡波」の瓶には残念ながら出会うことができなかった。酒造所の近くでは甘い匂いも確かに感じられたけれど、どうも巡り合わせが悪かったらしい。
この島のもう一つの特徴だと私が感じたのは、集落とそれ以外の領域との境界があまりにはっきりとしているということだった。石灰岩とフクギと赤瓦の密集するせせこましい集落の中を走っていると思ったら、唐突にその隣の広大なサトウキビ畑へと出てしまうということも珍しいことではなかった。そんな市街とサトウキビ畑との境界付近を進めば、コート盛という、石灰岩だけが整然と積み重ねられている所がある。登ってみれば確かに、周囲の畑の向こうに、西表をバックに青々と静かに広がる海原の様子が眺められる。
そして感じたのは、集落の中にはフクギがつくる日陰があるけれど、山らしい山の存在しないこの島ではそれ以外の場所には日陰となる場所が少ないために、ものすごく明るく感じられるということだった。私の腕は既に与那国島でだいぶ日焼けが進んでいたけれど、今日1日この島で過ごせばもっとすごいことになるのではないだろうか、いく所までいってしまったらどんなことになるんだろうかと、不安にも似た気持ちを抱くこととなった。
レンタサイクル屋の案内は真っ先に最南端の碑を目指すコースを案内するが、私は島内の一周道路を右まわりに回って、この島のいろいろな所を見ていく作戦をとった。島には所々荒れ地があったり牧場があったり、牧場といっても与那国のとは違って仕切りの柵のちゃんとあるさほど広くない緑地なのだが、牛だけではなく真っ白で小柄な山羊が飼われている所もあったりして、また新たな出会いに私はまた感激した。しかし風景の大部分はサトウキビ畑という単調なものとなり、変化があるとすれば刈り取りが終わっているかまだかぐらいで、与那国のように要所要所で劇的に風景が変わるということもないというのが、この島のもう一つの特色であるらしかった。
昨日までの旅でスクーターに慣れてしまったのか、自転車での距離感というものが少しおかしくなってしまっていることを感じながら、私はサトウキビ畑の間にだらだらと続く坂道を進んでいった。程なく唐突に、海岸へ向かう道との分岐点が現れた。恐らくあまり生活道路として利用されてはいないのだろうなといった感じの、雑多な植物が周りに生える坂道を下っていくと、そこが高那崎という所だった。岬とは言っても与那国のそれのような断崖絶壁ではなくて、広く岩肌を露出した石灰岩がある程度の高さで海に対峙する。そして地図上でもあまり突端という感じでもなく、実際にそれを感じさせる雰囲気もあまり強くなかったから不安だったのだけれど、ここが日本の最南端であることを主張する碑も、石灰岩の合間に確かに存在していたのである。これを以て私は、一般人の到達できる日本の東西南北端のすべてを訪れたこととなった。
高那崎は海岸線の石灰岩の他には芝生のような荒れ地が広がるのみの、やはり何もない所だったが、あまりにも強すぎる陽射しのせいか、陰鬱な感じは全くない、明るい最南端である。近くには星空観察タワーもあったりするがどう考えても星の見える時間ではないので入らずに、しかしとりあえず涼はとりたくて四阿に立ち寄ってみれば、先客として陣取っていたのはなんと野良山羊たちだった。彼らの気持ちもわからないではないのだが、そこいらじゅう糞だらけで休もうにも休めなくなってしまっているというのはいただけない。
涼を取ることを断念した私は、海岸に岩畳のように広がる「最南端の碑のその先」の石灰岩の中を適当に歩いてみることにした。石灰岩の中には当たり前のように無数に珊瑚の化石が散りばめられていて面白いのだが、荒々しくごつごつとしているため思うように歩みを進めることができない。そしてやっとの思いで海に面する部分まで来れば、なかなかどうして与那国程ではないにしてもかなりの高さの崖である。明るい青色の波も盛んに石灰岩の岩肌に打ち寄せて、今もまさに石灰岩を浸食しているかのようだ。しかし波打ち際さえ見なければ波の音はさざ波程度にしか聞こえず、最南端に流れる時もまた、穏やかなものであるように私には感じられた。
私は再び自転車に戻った。ここから始まる海岸通りは、たわわに実をつけるアダンの並木道となり、高台から磯浜に寄せる白波を眺めながら走ることができる。丘の側にも広大な牧場が広がり爽快なサイクリングとなるのだが、暑さが厳しいせいなのか、あまり生き物の姿は目立たない。道はやがて海岸を離れ、背の高い木々も生える林とサトウキビ畑との間を行くようになって、林の反対側まで進むとペムチ浜への入口となる。ペムチ浜は背後を深緑の森に守られた白茶色の砂浜で、端の砂浜の上には緑の植物が群生するので、深緑にしっかりと囲まれた中に太陽に照らされた白い砂浜がくっきりと浮かび上がるかのようだ。そして波を寄せる海も珊瑚を擁してエメラルド色に輝く。道路からは見えない隠されたような美しい砂浜を、私は見つけることができたようだった。
私は昼食を摂るために、ここから島を縦断するように最初の集落へと自転車を進めることにしたが、道は2段ほどの段丘となっていて、自転車を押しながらゆっくりと歩いて進まざるを得ないようだった。昨日までのスクーターの旅では味わうことのなかった、汗の噴き出すような疲労を私は感じながら、私はひたすら自転車を丘陵の上まで押し上げていった。サトウキビ畑の合間の道から集落へと入り、最初に見つけた飲食店は残念ながら休業中で、私はもう少し力を振り絞って見つけたもう一つの食堂に落ち着き、スーチカという保存食であるところの豚の塩漬けを定食でいただくこととなった。小さな店ではあるが人が集まる賑やかな食堂は、古いレコードのたくさんあるなかなか濃い雰囲気の店で、やはり冷房などなく吹き抜ける風のみが頼りの店だった。
食後、飲料を調達しようとして集落の中の商店を訪れたが、午前中は開いていたはずの店がなぜか閉まっているという、私にとっては不思議な現象を体験することとなった。思わず集落と集落の間をサトウキビ畑の間のだらだら坂道と闘いながら行ったり来たりしてしまったのだが、陽射しの強すぎる時間帯は地元の人はあまり外には出ないということなのだろうか。
結局飲料の調達は自販機で間に合わせることとし、私は再び島内の一周道路へ自転車で漕ぎ出して、案内に従って浜シダン群落と呼ばれる海岸沿いのポイントへと向かって坂を駆け下りていった。背の高い木々の茂る一瞬の森を駆け下ると、そこにあったのは植物群落というよりも、荒々しく浸食された石灰岩によって比較的狭い領域に区分されたごく短い砂浜であった。浜シダンは石灰岩の上に茂る葉の小さい樹木だったが、珊瑚礁を擁して穏やかなエメラルドの海は石灰岩に静かに波を寄せ、新たな砂浜を堆積させているかのようだ。波が石灰岩に止められる所には無数の珊瑚の枝がたまり、タイドプールにも小さな魚たちがたくさん泳いでいる。周囲はやはり深緑の森に囲まれ、ごく短い砂浜は、まるでプライベートビーチのようでもある。
そして私は一旦一周道路に戻り、暑さと眩しさと疲れを強く感じるようになりながらも頑張って自転車を漕ぎ、ニシ浜へ向かった。坂を下ったとたんに目に入ったのは、眩しいまでに明るく青い海だった。レンタサイクルも駐輪場から溢れんばかりに大量に停まっていて、この島を訪れた観光客は結局はここを訪れるしかないのかなといった感じだったが、薄い緑やエメラルドグリーン、明るい青に深い青、目の前に広がるものは1枚の「海」であるはずなのに、たくさんの色が何かの絵を描くようにまだらに散りばめられ、白い砂浜に透明な波を寄せてくる。沖縄の「海」は、今まで私が見たどの海よりもたくさんの色を持ち明るく輝くものなんだと、私は強く感じることができた。与那国にだってここまで色鮮やかな海はなかったような気がする。
そんな美しい海には少なくない人々が海水浴やシュノーケルを楽しんでいる。私は水着を持っていたわけではなかったし、仮に彼らと同じようなことをしたとしても激しく日焼けするだけのような気がして、四阿の中の日陰で暫く海を眺めながらおとなしくしていることにした。多少人が多かろうとその美しさには大して影響はないといわんばかりに広大な海を、私は暫し眺めながら残りの時間をやり過ごしたのだった。今度訪れる時は是非水着を持っていくことにしたい。そして何より、日焼け止めも。私は最後の力を振り絞ってサトウキビ畑の間の坂道を登り、最初の店舗へと戻って自転車を返却した。主人曰く、今日の海は凪いでいたし泳がなかったのはもったいないと。その分眩しいばかり美しい海を、私はたっぷりと眺めたわけである。
私はレンタサイクル屋から再び、帰りの船便に合わせて送迎してもらい、フェリーターミナルでようやく見つけた泡波のミニチュアボトルや、そこいら中に広がるサトウキビ畑から得られたと思われる黒砂糖を土産に買いこんで、石垣島行きの高速艇に乗り込んだ。往路よりもたくさんの客で賑わいを見せる高速艇は、波照間の港をあとにすると深く青い大海原に飛び出し、大きく横たわる西表の島影を目指すように、往路よりもさらに安定して爆走していった。波照間の姿もみるみるうちに、この辺りの島々と同じような平たい1枚の島へと変わっていった。
暫くは単調な航海となったが、西表周辺の平たい島がいくつか見え始める辺りまで戻ると、海はまた色合いの異なる青色を呈するようになっていった。船が速い分、外の席には強い風が吹き、焦げてしまった私の体のクールダウンにはもってこいの状況であった。夕刻が近づいて太陽も次第に西表の島影へ向かって高度を下げていく中、船は西表を通過し、平たい竹富島を浮かべる真っ青な中に深い青が時折通り過ぎるようなきれいな海の中、石垣島へ向かって最後の疾走を行った。
石垣島の空にも雲は殆どなく、この調子だとものすごい夕陽が見られるのではないかと私は期待を膨らませていた。市街で夕食を済ませた私は、港の奥の、与那国行きのフェリーの桟橋近くまで回りこんでみた。港はちょうど夕陽が沈む方向に開いていて、西表のなだらかな稜線に、オレンジになった夕陽がまさに近づきつつあるところだった。刻一刻と太陽と稜線との距離は縮んでいき、光球も赤くはっきりと見えるようになり、海にもオレンジの真っ直ぐな道が描かれるようになっていく。光球はついに稜線に接し、程なく西表の山の裏へと隠れていってしまった。するとどこからか、拍手や歓声がわきあがった。どうやら港を大きく跨ぎ越す大きな橋の上から、たくさんの若者が夕陽を眺めていたらしい。私の腕や脚を焼き焦がしてくれた猛烈な太陽も、別れ際には美しい姿を見せてくれたというわけである。