与那国島・波照間島(2005.8.23-28)


1.与那国島東側(8.23) / 2.与那国島周回(8.24) / 3.与那国島グラスボート(8.25) / 4.与那国島から石垣島へ(8.26) / 5.波照間島(8.27) / 6.石垣島(8.28)

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 夏休みも後半となり、部活も負けはしたけれど爽快な試合となった新人戦が終了して暫しのオフをいただくことができた。私は興奮冷めやらぬうちに、ようやく青く明るくなり始めた空のもとの熱帯夜の街をあとにし、1年越しの計画を実現させるべく、遠い離島でのんびりと過ごす旅へと出た。ちらほらと人の姿も見られる駅に吹く風は、湿度は高いけれどまだ涼しさを保つ。私はビルで生まれたセミの鳴き声の響く街から山手線に乗り込み、順調に明るさを取り戻しつつある都心を進んだ。いつもと同じ道なのにいつもとは違ういくつかの夜行快速列車との出会いがたくさんある早朝の街を列車は進み、ビルの上の雲間に朝陽がぽっかり浮かぶようになった浜松町からモノレールに乗り込んで、雲間からのぞく朝陽に照らされた広い運河を眺めながら、海の上を走るかのような車窓を束の間楽しんだ。東京の天気はぐずつく予報で、今週末には台風もやってくるということだった。去年台風に断念させられた旅路を、私は今年は台風を飛び越えていくことになったわけである。

 今回は新しい第2ビルを散策するために、私は飛行機の時間よりも少し早めに羽田空港へ向かってみた。出発ロビーは第1ターミナルビルに負けず劣らずの雰囲気だが、商業スペースはビッグバードよりも小ぢんまりした感じだ。まだ早朝で開いている店も少ないせいでそのように感じてしまったからかもしれないが、出発ロビーに繰り出す人々の姿はこの時間でも既にたくさんあって、賑わいの始まりつつある雰囲気に満ちた空港だった。

 私は一気に石垣島まで飛んでいく小さな飛行機に乗り込んだ。見渡す範囲にすべての客席が収まる程度の大きさで、テレビモニターもなく非常設備の説明も実演で行われる。飛行機は飛び立つ前に相変わらず長い距離をぐるぐると移動させられ、ターミナルを離れてから20分ほどでようやく離陸を果たすこととなった。相変わらず好きになれない離陸時の加速であったが、今回の旅はこの加速を何度もこなさなければならないというのが、私にとっては数少ない障壁となっているわけである。

 飛行機は右手に横浜の工業地帯、左手に房総の森林を見渡しながら順調に飛行を開始した。通路席からでも機体が傾けばそれなりに、もやで白っぽく霞んだ風景が小さな窓に大きく広がって見えてくる。しかし下界の様子が確認できたのは浦賀の港までで、あとはひたすら雲の上を飛ぶのみとなった。雲海の中には頂上に帽子のように雲をまとった大島の姿も現れたりして、単調な空の旅にほんのひと時の楽しみを与えてくれたけれど、次々と風景の移り変わる汽車旅の3時間とは全く趣の異なる飛行機での3時間は、ドリンクサービスをお代わりするくらいしか楽しみもなくて、やはり長いものに感じられてしまう。

 やがて南西に進むにつれ、厚かった雲も切れることが多くなり、奄美、与論、沖縄本島と姿のよく見える島が現れれば機内アナウンスもされ、通路席からではその姿こそよくは見えないものの、そのたびごとに機内の人々は僅かにざわめいて、単調だった機内に和みの雰囲気がもたらされるようになった。そして飛行機は程なく着陸態勢へと入っていった。薄雲の中を降下していけば眼下には、茶色と緑のパッチワークのような畑に表面を覆われる石垣島の姿が、雲の中から浮かび上がるように現れた。上空を旋回しつつ高度を下げていくにつれ、これまであまり彩度の高くなかった海にも、本来の珊瑚礁の鮮やかな青色が息づくようになっていった。そして飛行機は案外たくさん高い建物が密集する市街を左手に見ながら、勢いよく滑りこむようにして、石垣島への着陸を果たしたのだった。

 当然私にとっては初めて訪れることとなった石垣空港では、ターミナルビルまではバスで送迎だというアナウンスがあった。機内から見た街も離島という言葉との結びつきを見失ってしまいそうなほど大きな建物の密集するものであったから、ひょっとしてそれなりに大きい空港なのかしらと私は一瞬想像を巡らせたのだが、現実は路線バスと同じ型のバスに数十秒揺られただけで、地方のローカル線のターミナル駅のようなビルへと誘われることとなった。数軒立ち並ぶまるでスーパーの一角のような土産物屋と発券カウンターとの合間に出発ロビーへの入口があり、観光地にありがちな小さな食堂も軒を並べる。建物も古いコンクリート造りで、こういう飾らない空港もあるんだなあと、私は寧ろ感動さえ覚えてしまった。

 外はさすがに蒸し暑いが、建物の中にいる限りは強烈な冷房に守られる。次に乗り継ぐ便までちょうど1時間で、石垣の街に出るほど時間に余裕はなく、私は冷房の利いた待合室で静かに過ごすことにした。それでもやはり初めて訪れた場所の様子は探ってみたくて、私は蒸し暑い外へも時たま足を運んだ。空港に隣接してフェンスに囲まれて広がる土地には、恐らくサトウキビであろう、淡い黄緑色のイネ科の背の高い植物がたくさん植えられる。そして街路樹になる木も、恐らくフクギと言うのだろう、見たことのない広葉樹だ。

石垣空港から出発 曇り空の石垣島には、あまり涼しげな雰囲気もなく、恐らく数日後にゆっくりと過ごす時間もあるはずだからと、ターミナルに戻った私は早めに搭乗手続きを済ませて出発ロビーでゆっくりと過ごすことにした。出発ロビーもきれいではあるけれど、ごく小さい空間だった。そして大きな窓からは、我々がいるのと殆ど同じ高さにだだっ広い滑走路が広がる。私の今までの経験の中ではあまりないくらいに近い、飛行機という乗り物との距離感に私は戸惑いながら、この辺りでは比較的大きいはずのこの空港でこんなもんなのだとしたら、これから訪れる与那国島の空港なんてどんなに小さいのだろうかと、私は驚きやら不思議さやら、これから見られる新しい風景への期待やらの入り混じった新しい感覚に包まれていたのだった。

 そして次に乗る与那国行きの飛行機への搭乗が始まった。ゲートで航空券を改札機に通すと、あとはだだっ広いアスファルトが広がる外へと出されて、たくさんの人が飛行機に向かってぞろぞろと歩いていたのである。こんなにも短い時間にいろいろと新しい経験をさせてもらった石垣空港をあとにして、私は再び一瞬の苦行を経て、上空へと飛び立った。海も青味をさらに強くして、石垣島やすぐに通りがかる西表島を取り囲むように広がるエメラルドグリーンの珊瑚礁も透き通ってとても美しい。霞みはかかっているけれど雲塊は現れず、ソフトな感じの海原が小さな窓に広々と広がった。波も殆ど立たずに穏やかそうな海だ。

 1時間にも満たない短いフライトでは、ベルトサインが消えて一息と思ったらあっという間に着陸態勢に入ってしまう。なんともせわしないが、その短い間でもきれいな海と南の島を眺められたことはよしとしなければならないだろう。そして青く穏やかな海までの距離はみるみるうちに狭まっていく。席が海側になってしまったので目的の与那国島の姿が現れる瞬間を見ることはできなかったが、反対側の窓から垣間見た限りはやはり下調べした通り起伏の激しそうな島のような感じがする。そして海を見ながら、飛行機は与那国空港へと着陸を果たした。空港の周囲にはいきなり、それこそテレビで見たような、寝そべりたくなるような柔らかそうな草原が広がっていたのだった。

ハイビスカス 私はだだっ広い滑走路を歩いて小さなターミナルビルに向かい、きれいといえばきれいな空港をあとに、真昼の与那国島、蒸し返るような深緑の世界を歩き始めた。とりあえず中心集落の祖納(そない)まで、バスに乗ればいいのかと思っていたのだが、不案内な私には乗り場がわからなくて、まあ適当に歩いてみるかと祖納の方向へと歩いてはみたが、大荷物を背負っていることもあり、私にとって与那国島の道はやはりかなりアップダウンのきついものであった。道端には時々真っ赤なハイビスカスがきれいに咲き誇っているけれど、基本的には深緑一色の風景の中、私にはこの島の美しさを堪能できる自信がなくなりつつあった。暫く続く登り坂を登りつめた頃、道端には掘っ立て小屋のようなレンタカー屋が幟を立てていた。聞けばスクーターも取り扱っているというし、店番をしていた気さくな感じのオジィの語り口にも惹かれ、私はここでスクーターを借り受けることにした。

宇良部岳 私にとってはスクーターという乗り物も初めての体験で、最初はエンジンのかけ方さえわからず、ご主人に優しく教えていただいて要領を得て何とか走り出しても、あれよあれよと周囲の風景は飛ぶように流れて行ってしまい、暫くは風景をのんびりと楽しむ余裕など全くない状態に陥るのだった。祖納の集落にも何だかわけのわからないうちにあっという間に着いてしまい、どこで停まろうか考えあぐねるうちに集落を通り越してしまって、沖縄独特の亀甲墓群の奇妙な風景の中へと迷い込んだりもしてしまった。何とか集落に戻れば、細い路地を固めるように赤瓦の漆喰固めの建物が並んでいたり、道の分岐点ごとに石敢當という文字が必ず石に埋め込まれていたりする街並みが、宇良部岳と言うらしいシンボリックに立ちはだかる深緑の山をバックに広がるのだけれど、それを立ち止まってゆっくり眺めるにはどうしたらよいのかを考える暇がないのである。

祖納赤瓦 私は暫く走りながら、郵便局の駐輪場に一旦スクーターを停めて街の中だけは自分の足で歩けばいいのではなかろうかという些細なことにようやく気がついて、それを実行に移すことにした。まずは何をおいても昼食である。とにかく目に入った食事屋に入って注文した沖縄そばという食べ物は、私にとっては決して初めてのものではなかったが、それについて「美味い」という感覚を呼び起こされたのは初めてだったような気がする。そして食後も、私は赤瓦の家並みや石敢當が頻繁に現れる祖納の街なかをあてもなく彷徨った。塀に使われている石灰岩に当たり前のように珊瑚の化石が含まれているのに驚いたり、小さなスーパーに立ち寄ればポーク缶が当たり前のように、しかもかなり安く売られていたり、ボンカレーのデザインも一昔前の女性のデザインが当たり前のように並んでいたり、棚に並ぶ缶飲料の銘柄も本土とはだいぶ違うものだったりと、私は初めて見る場所に差し掛かるたびに驚きに包まれながら歩くこととなった。地図で見る限りはもっと賑わって人通りも多そうな印象を受けたものだったが、しかし実際にはあまり外には人影はなく、思いのほか静かなもので、単純に暑かったからなのかもしれないけれど、私は何となく、最果ての旅情のようなものも感じることとなった。

 ひととおり祖納の街なかを巡った私は再びスクーターに跨って、祖納の集落に隣接する山並みへと登ることにした。ティンダハナダという見どころを目指しつつ入口をいったん通りすぎて脇道に入ったりすれば、馬の足が嵌るくらいの幅の溝が何列か掘られて馬は通過できないというテキサスゲートと呼ばれる建造物を、私は初めて確認することとなった。濃い黄緑の山並みの中に隠れている駐輪場にスクーターを停め、私は恐らく石灰岩が岩盤を露呈する上に発達する森林の中に通された遊歩道を登っていった。岩盤には斜めに地層が走り、所々水が浸み出たりもしている。遊歩道の真上にまで巨大な岩がせり出す所もあったりする険しい道を、私は終点まで登り詰めた。

ティンダハナダから祖納をのぞむ ティンダハナダは何らかの史跡であるらしかったけれど、私にとってはただ、祖納の街並みの姿を広く見渡すことのできる場所という意味合いが強い所だった。集落は赤い屋根が一定の範囲に集まるように案外せせこましく広がり、その周囲は黄緑の畑、そしてその外側は深緑の丘に囲まれ、その背景を大きく青い海が取り囲む。横たわる真っ青な海は、沖の珊瑚に白い波をしきりにはじけさせる。折しも街なかには選挙カーが走り回る時期であったのだが、基本的にうるさく動き回るものはそれだけで、それ以外の大部分の街並みは、至ってのんびりと横たわっているように感じられた。

草原に佇む牛 私は再び市街に降りて、さっき道に迷った墓地群の中をもう一度通り抜け、今日のところはとりあえず島の東端を目指すことにした。市街を抜ければ道は深緑の低木や草むらの中を進むようになったが、程なく真黒い牛がたくさん放牧される崖の上の牧場のただ中を行くようになった。牛たちはとにかく草を食むことに夢中な様子で、他に車もめったに来ないことをいいことに、私はそこいらじゅうでスクーターを停めて、のんびりとした風景の中、牛たちにかなり近づいてみることを繰り返した。

草を食む馬 牛が近くにいなくなっても、高台からは谷底の緑地にたくさんの黒い点のように牛たちが群がっている様子がうかがえたり、その谷も高い崖のような台地で囲まれて、その外側には青々と海が広がる風景があったり、スクーターを停めるたび、私は必ず見応えのある風景に出会うことができた。そしてテキサスゲートを一つ越えれば、そのようなのんびり、まったりとした雰囲気にはさらに拍車がかかり、牛だけでなく噂通りの小柄なヨナグニウマも仲間入りして、崖上の草原には四本足の動物たちだけの、長閑な時間が流れるかのようだった。ヒトの領域であるはずの道路にも、当たり前のように彼らの糞が置き去られるわけである。

東崎 与那国島の東端である東崎(あがりざき)へ向かう道はやがて、崖の上の灯台のもとへと向かう道と、その下の海岸へ向かう道とに分岐した。私はまず、目も眩むような急坂を下る道を選んで進んでいった。それまでは周囲にあることはわかっても不思議と近くに存在するという認識に乏しかった真っ青な海が、音だけでなく次第に大きな姿で、島を守るような珊瑚礁へ白い波を押し寄せる様子を見せるようになってきた。そして道の末端となる駐車場にたどり着けば、その向こうは芝生のような広場と、激しく浸食されてぼろぼろで、ちょっと転ぶだけで大けがをしてしまいそうな石灰岩に埋め尽くされ、そのさらに先には絶えず白波が飛沫を上げ続けていた。高台から遠巻きに眺める分には穏やかなのに、近づけば近づくほど険しい表情を見せてくれる海を見ながら、私はこの島を表す「どなん(渡難)」という言葉の字面に、強い現実味を感じたような気がした。

乳を飲む子牛 広大な青い海をバックにして広がる広大な芝生の上でまったりと寝そべりながら時をやり過ごすこともできそうな、波の音だけが響き渡る静かな所だったけれど、せっかくだから高台の上の灯台にも足を運んでみたくて、私はフルスロットルをふかして急坂を登っていった。崖の上に登りきれば、下界に大きく広がる海原は遠巻きの風景となって、目の前には突端の灯台に向かってここにもやはり一面の緑の芝生が広がっていた。灯台に登れるわけではなったが、上にも下にも、時を忘れてまったりと過ごしたくなるような風景がいっぱいに広がっていて、ここまでの移動で疲れていた体を休めるのにはもってこいの場所だった。もちろん蒸し暑いのだけれど、日陰にいる限りは強く吹きぬける岬の風の極めて快い所だった。

 長かった1日もそろそろ終わりの午後4時になりつつあり、私は島の東端から、宿のある西端の久部良(くぶら)の集落へ向け、スクーターをひたすら走らせ始めた。斜面に広がる牧場を抜け、遠巻きに丘がそびえる畑の合間に通された道から亀甲墓の中の道を経て、小さな祖納の集落などすぐに越え、ティンダハナダの麓のアップダウンのきつい道をやり過ごし、空港の長い滑走路に並行する道を越えると、周囲には畑だけでなく再び所々に黒い牛が草をのんびりと食む牧場の風景が現れるようになった。私はそんな長閑な風景の中、快適にスクーターを走らせた。道はやがて、目的の久部良の集落へと続いていく。久部良の街の規模は恐らく祖納よりは小さいのだろうけれど、それよりもきつい斜面に広がる市街は周囲や漁港が広々と見渡せる分、どことなく開放的でゆったりとした感じがした。

 宿の場所がよくわからなくて街の中をぐるぐる堂々巡りすることにもなったりしたのだが、私は無事に宿にたどり着くことができた。料金が安く、部屋もそれ相応のもので今どきテレビもなかったりしたのだけれど、ロビーに降りればきんきんに冷えた水やコーヒーも飲み放題の嬉しい宿だった。まあ数日くらいテレビのない生活も悪くはないなと思いながら、持参したラジオをつけてみれば、噂に聞いていた通りAM放送には台湾からと思われる放送ばかりが入ってきていた。日本の放送はAM放送もFM波で送られてくるというのも、私にとっては初めての珍しい体験だった。


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