1.与那国島東側(8.23) / 2.与那国島周回(8.24) / 3.与那国島グラスボート(8.25) / 4.与那国島から石垣島へ(8.26) / 5.波照間島(8.27) / 6.石垣島(8.28)
私が与那国島に滞在した中で一番雲の少ない朝。西崎の風景は順光を浴び、断崖は鮮やかな赤褐色に輝く。今日は午前中に海底遺跡探検のグラスボートを予約してあったが、それまでに少し時間があったので、私は宿の周辺の久部良の街を散策することにした。
ドラマでもよく登場した港の漁協を訪れれば、丁度カジキマグロの解体が始まるところだった。人の体くらいの大きさがある3本のカジキに、オバァたちは躊躇なく包丁やのこぎりを入れていく。恐らく値付けをしているかのようなオバァの高い声のやり取りの後、解体は本格的になり、次々と包丁が入って大きな塊に分けられた後、骨や細かい部品が取り外され、「生物体」だったそれはみるみるうちに「商品」、あるいは「肉」へと姿を変えていく。そのあまりの手際の良さに、他の多く観光客と同じように私もついつい見とれてしまうのだった。
これまでも何回かお世話になっている最西端の小さな商店にも顔を出し、気になっていた黒糖玄米という缶飲料に手を出してみた。米の飲料ということで、昔訪れた別海町で飲んだ「こめちち」のようなものを想像していたのだが、一口流し込んだ途端、あまりの口当たりの違いに私は愕然とすることになった。乳飲料のような「こめちち」とは異なり、生姜湯をさらにどろっとさせたような感じで、これはこれでそういうものだと思っていれば不味い飲料というわけでもないのだが、ごくごくとたくさん飲めるような感じではないのだ。
そして私は、これまであまりに宿に近くていつでも行けそうな気がしていたために訪れていなかった久部良バリという見どころにも立ち寄ってみた。海に近い石灰岩の断崖の上にはアダンが茂り、その隙間に芝生のような草原が広がって、巨大な岩盤に深く切れ込みの入る久部良バリは、人頭税の時代の悲しい言い伝えを抜きにして眺めれば、周辺の険しい海岸線の風景の一部として青い海に面する。眼下に広がる海は既に高く昇った太陽に照らされて青々とし、千畳敷のように水平に浸食されたいくつものステージが、今日も波に洗われている。左に西崎の断崖、右に馬鼻崎の断崖と荒々しい海岸線が続いてはいるけれど、崖の上の芝生でのんびりとくつろいでいる限り、よく晴れた穏やかな雰囲気に包まれる海岸だ。
一旦宿に戻り、東京に台風が近づいていることを告げるテレビを見ていたらグラスボートの迎えの来る時間となり、私は少しだけ車に乗せられたのち、小さな船へと誘われた。小さな船に乗り込んでいざ外海へと出た途端、船体は飛び上がってしまうかのような激しい上下運動に苛まれることとなった。与那国島はまさに黒潮の中にある島ということで、この西崎付近が周辺で最も潮流の速い所なのだという。
船は島の南岸へと回りこみ、周囲を反時計回りに周回する航海を始めた。海から眺めた南岸には、波に激しく浸食された険しいまでに高い崖ばかりが続いていく。あまりに潮流が速すぎて珊瑚礁もあまり発達できないのだとガイドは説明するが、なるほど海の色も珊瑚礁の明るい感じとはまた違う深い青い色を呈している。崖の上には昨日スクーターで走った牧場となる草原がみずみずしい黄緑色を呈し、所々に米粒が撒かれたかのように黒い牛の姿も散らばって見られるが、昨日のように崖の上の世界だけを眺めながら走る限りでは認識しづらい、灰色の断崖の風景が続いていく。「診療所」のある比川の辺りでは海岸は白茶色の砂浜となったが、比川を通りすぎると崖の上には深緑の森が発達するようになり、崖の高さもこれまでよりも高くなってより険しく海と対峙するようになる。そしてそのあまりに高い崖の表面に層状の岩肌が広範囲にわたって露出するようになると、船は新川鼻の海岸へとたどり着く。
船は新川鼻の沖合で一旦停泊し、海底遺跡の見学の時間となって、乗客は2階席から船底のグラスボート席へと誘導された。しかし船体は、相変わらずの激しい上下動に襲われていた。確かに船底のガラス越しには、階段状にきれいに切り分けられたような海底遺跡の姿が青白く浮かび上がっているのだが、船はあまりに小さくてグラスボートからではその全貌をイメージすることは簡単ではないようだった。そして何より、予想以上だった船体の揺れにより、海底遺跡の様子を覗きこめば覗きこむほど、私は激しい船酔いに襲われてしまったのである。他の客の多くも私と同じような状態になっているようで、乗組員さんも理解を示してくれ、海底遺跡の見学は早々に切り上げ、以降は島の外周のクルーズを楽しむ方針を取ってくれることになった。
新川鼻を過ぎた島の南岸には激しい波にえぐられたような灰色の崖が相変わらず続いていき、昨日サンニヌ台の崖の上から眺めた立神岩や、陸からでは見られない軍艦岩の裏側のやはり険しい姿も眺めることができた。サンニヌ台の上の様子は低い船からでは見づらいのだけれど、同じ海岸を見るのでも海から眺める風景は陸上からのものとはまた違う、新たな美しさをたくさん見つけることができるものである。きのうちょくちょく立ち寄った各所の展望台も、海から見ればあまりに小さな存在だった。
やがて船はひときわ高い断崖の東崎を回りこみ、島の北岸へと進んでいった。黒潮の流れからみると島陰に当たるということで船体の揺れも嘘の様に少なくなり、ここから先は快適な航行を楽しむことができるようになった。島の北岸にはきれいな長い砂浜が暫く続き、海の青色も明るさを取り戻して、やがて祖納の市街に隣接していた亀甲墓の集団が海からも見られるようになる。亀甲墓は母親の体をイメージして造られているのだという説明があったが、確かに遠巻きに眺めれば妊婦の腹のように見えなくもないものだ。
その後も南岸に比べれば遥かに穏やかな、あまり浸食もされていない丸みを帯びた崖の風景が続いていったが、与那国空港を過ぎて北牧場の下の海岸へと差し掛かると、風景には再び荒々しさが戻ってきた。南側とは違う白っぽい岩盤は、層状になることもなく不規則な形でえぐられて海岸に立ちはだかる。中には洞窟ができそうなほどに深くえぐられている所もある。ガイドの説明はやはりドラマのことにも言及され、崖の上は確かに
馬も歩く牧場となっていて、間違いなく昨日私も実際に見たような長閑な風景が広がっていると思われたが、その足元にある風景は実に、予想以上に険しいものだったのである。私はただ、その雰囲気の差に驚くよりほかになかった。台風が来るとあの高い崖よりもさらに高い波が押し寄せ、その時に岩盤ごと崩落したような崖もあるのだとガイドは説明する。穏やかそうに時が流れる島だという印象を私はこの与那国島に上陸して以来持っていたのだが、その実態は考えている以上に激しいものなのかもしれないなと、つくづく考えさせられた船旅であった。
下船した私は一旦宿まで送迎してもらって激しく揺さぶられた体を休め、再びスクーターに跨って既に慣れた道となった県道をひた走り、祖納の街で昼食を摂った後は再び牧場の中の道を走って、東崎付近に広がる雄大な草原の風景に立ち止まりながら、新川鼻遊歩道へと向かった。
入口にスクーターを停めて遊歩道へと分け入った途端、私は咲き誇るハイビスカスの出迎えを受けることとなった。辺りにはヤエヤマヤシ、フクギやビロウが茂り、森林の足元に目を向ければ多様なシダ植物も見られる鬱蒼とした森の中には、時折きれいな蝶が優雅にひらひらと舞う。遊歩道をゆっくり歩んでいけば、急な上下も時々はあったけれど、登りつめた所で振り返れば木々の間からは雄大な海原、そしてさっきの船からも見えた新川鼻の、層状の岩盤が海にそそり立つ風景が垣間見られるようになった。
この遊歩道沿いには人面岩と呼ばれる見どころがあるらしく、私にとってはそのためにこの遊歩道を訪れたと言っても過言ではなかったのだが、森に生える木々の姿の美しさに見とれながら歩くうちにいつの間にかその場所を通りすぎてしまっていたようで、気がついたら私はそれよりも先にあるはずの展望台にたどり着いていた。展望台に登ってみればそれまでの鬱蒼とした雰囲気とは一転し、周囲には広々とした海の眺望が開け、眼下にはここからでも立神岩が眺められて、荒々しい海岸線に大海原が接する風景に、私は再び出会うこととなった。さっき船で訪れたこの海域は船体を激しく揺さぶる荒々しさだったけれど、こうして上から遠巻きに眺める限りは静かに波の音が響くのみの穏やかそうな姿を見せてくれている。通り抜ける風も涼しくて、森を抜けたというほっとした気分も相まって、今日も私は何だかのんびりとした気分に浸ることになってしまったのだった。
私はのんびりとした風景の中で持ち込んだシークヮーサージュースなどのんびりと飲みつつ、今度こそ人面岩を探して同じ道をゆっくりと引き返すことにした。どうしてそんな目立つはずのものを見逃したのだろうという解せない気持ちも私にはあったわけだが、森の植物の中にもしかしたら埋もれてしまっているのかもしれないなと思いながら、私はゆっくりと坂道を上り下りしていった。暫くするとクバの木の森の中に、どうやらそれらしい大きな岩が鎮座しているのが見つかった。そこへ誘導する案内板もごく小さいうえにその上の文字もはがれ落ちていて、なるほどこれでは気づけないわけである。やっとのことで対面を果たした人面岩の表情は、人というよりもなんだか、ダースベイダーのようでもあった。
新川鼻の遊歩道をあとにした私は、昨日も通りがかった近くのヨナグニサン、あるいはアヤミハビルの保護施設を覗いてみたが、その姿を確認することはできなかった。それならば時間もあることだしと、私は宇良部岳へ向かう方角にあるというアヤミハビル館という施設へ向けて、険しい山道が一瞬のうちに広大な畑や牧場へと変わっていく快適な風景の中、スクーターを走らせた。
アヤミハビル館に入ると、いきなりそこには羽を開いたまま繭にぶら下がっている、ガの仲間の大きなヨナグニサンがたくさん姿を見せてくれていた。しかも特に檻でかごであったりガラスで仕切られた向こう側だったりもしない、ただ金属棒に吊るされているだけの開放された空間にである。ヨナグニサンはどうやら夜行性ということで、昼間のこの時間にはそんなに動き回ることもないということらしいのだが、あまりに開放的に展示されているものだから、最初はレプリカか標本なのではないかと私は疑ってしまった。しかしよく目を凝らしてみると確かに、吹き込む風に揺られながら足や触角が僅かに動いているのである。完全に羽を開いたまま殆ど動きを見せないヨナグニサンの姿は、とてもきれいな一枚の絵のようだ。
館内にはヨナグニサンに留まらず、この島に生きるあらゆる動植物の紹介がされていた。ヤエヤマイシガメ、スジグロカバマダラなんていう、確かにスクーターで走りながら、あるいは遊歩道を歩きながら出会った生き物の標本や、まだ私と会うことができていないものも含めた様々な生物について展示や説明がされている。与那国島における私の旅は間もなく終わりを迎えることになるが、数日の僅かな滞在でも、実はたくさんの生き物と出会うことができていたんだなと思うと、なんだか嬉しい気持ちになってきた。そしてその思い出とともに着実に形成された、腕の日焼けがそろそろ悲鳴を上げてきたようだった。
アヤミハビル館をあとにした私はそのまま祖納の集落をスクーターで突き抜け、最後の「初めて見る景色」を探しに島の真ん中を縦断して、比川へ向かう道を進んだ。丘を一つ越えれば、宇良部岳の麓に一面に緑の草原が広がる雄大な景色がここにもあった。人頭税の時代の話が伝わっているらしいトゥング田という見どころへの案内があったのでそこにも立ち寄ってみたが、オフロードのような道をこなしてたどり着いたのは何のことはない、宇良部岳が美しく見える緑の畑だけの風景だった。これもまた一つの美しい景色である。
そして島の南端の比川の集落を通過し、私は今日も南牧場の中のすがすがしい道にスクーターを快適に走らせたのだった。昨日に比べると牛馬の姿が少ないような気がしたが、それでもいる所にはいるといった感じだ。崖の下を覗きこむようなことをしなければとりあえず穏やかそうに見える海原をバックにして、荒々しい灰色の石灰岩を所々に抱きながら広がる黄緑の牧場には、今日もヨナグニウマの家族たちがのんびりと流れる時を過ごしていたのだった。
いい加減日焼けした腕に痛みにも似た感覚が感じられるようになっていたが、久部良の市街に入ってすぐの港に隣接する小さな砂浜がきれいで、私はついつい足を止めた。何組かの家族連れが水と戯れていたが、話に聞いていたようにみんな、水着の上にTシャツを羽織ったまま泳いでいる。どうやら私は与那国の陽射しを甘く見てしまっていたようだった。そんなことを知ってか知らずか、久部良の海は太陽の光を強く反射し、美しいエメラルドグリーンの水面を白茶色の美しい砂浜へ寄せ続けていた。
宿に戻って夕食の後、今日こそは夕陽が見られそうな空模様であったので、私はもう一度、近くの久部良バリへと出向くことにした。腕がひりひりとするくらい日焼けさせられただけあって、空は快晴に近かったのだが、どうも台湾の方面には雲が出やすいようで、夕陽は海に沈むというよりは西の水平線付近に漂う雲の中へと吸い込まれるように姿を消していった。しかし昨日や一昨日に比べれば姿が見られただけでもありがたくて、とりあえず雲の上に浮かんだ太陽は、断崖の下で白波を立てる海に穏やかなオレンジ色の道を築き上げていたし、光球が雲間に隠れてしまってもその雲は鮮やかにオレンジ色に染まって、日本最後の夕暮れの風景を美しいものに作り上げていたのだった。