1.与那国島東側(8.23) / 2.与那国島周回(8.24) / 3.与那国島グラスボート(8.25) / 4.与那国島から石垣島へ(8.26) / 5.波照間島(8.27) / 6.石垣島(8.28)
与那国島での最後の朝は、寝返りを打つと日焼けした腕に激痛が走るので安眠できずにかなり早く目覚めざるを得なくなってしまった。この時期東京にいれば朝6時にもなればもう昼のような陽射しが照りつけるものだが、時が遅れてやってくる最西端与那国島ではまだ暗いのである。やがて明るくなった空は今日もよく晴れていたが、西の空にはやはり雲が立ちこめる。台湾の方に雲の発生源でもありそうな感じだが、台湾が見えるということ自体この島では珍しいことなのだという。テレビでは関東に台風が上陸したというニュースがしきりに流されていたが、それがまるで異国からのニュースであるかのようにも聞こえた朝だった。3泊もお世話になった宿、そして久部良の街には、もはや私は愛着のようなものさえ感じるようになっていた。そんな久部良とのお別れの記念に、最西端の大朝商店で「ミキ」という、これまた気になっていた缶飲料を買って飲んでみた。やはり何というかどろっとした、得体の知れない飲み物だった。
今日はお昼の飛行機でこの島をあとにすることにしていたが、私はこれまでの旅で、島内で見るべきものはだいたい見てしまっていた。昼までこの島でどう過ごそうか悩みもしたが、やはりまるでこの島を支配しているかのような存在の牛馬たちにもう一度会って行こうと、私は南牧場の方へスクーターを走らせた。一昨日訪れた限りではこの時間ではまだ牛たちは姿を現さないようだったし、爽やかな朝の海の風景でも見られればいいやといった軽い気持ちであったのだけれど、今日はいい天気のもと、牛たちは朝から海をバックに一心不乱にばりぼりと草を食べていたのである。生まれて間もない感じの子牛も母親のそばで座り込んで、爽やかな朝を楽しんでいるようだった。脇道に入りこめばアダンの林がまた美しく、そしてその向こうに佇む西崎灯台と久部良の海の風景も、そのまま絵葉書にでも使えるのではないかと思えるくらいきれいだ。快晴の空のもと、今日の南牧場はすべてが穏やかで、きれいだ。
きれいな海沿いの牧場やアダンの林を眺めながら、私は引き続きスクーターで疾走した。南牧場の終点付近では海に対して垂直に落ち込む新川鼻の海岸も、逆光のシルエットとして美しく佇んでいたし、比川に入る手前に横たわるカタブル浜も、比川や他の砂浜に比べるとごつごつとした石灰岩が多く転がっていたりするけれど、岩場にも砂浜にも植物がたくさん生えて、そして巾着袋に押し込まれたような形のエメラルドグリーンの海がきれいに佇んで、外洋の波は入り口で遮られるので至って穏やかな、箱庭のような海岸になっていた。崖だらけのこの島の海岸にあっては、貴重な存在だ。
空はよく晴れているのに遠くからは雷鳴も響いてきて気にはなっていたが、比川を過ぎる頃太陽は南の方からやってきた黒く大きな雲に隠されて、風景の彩度を若干抑え込んできた。それでも寧ろ辺りは涼しくなって快適に走ることができるようになったような気がする。比川から私はインビ岳の麓を経由する道へスクーターを進めた。林や牧場が広々と広がる風景もこの旅で何回も見ているはずだったが、坂を登りきったりカーブを曲がり終えたりするごと、広がる宇良部岳の精悍な姿のもとに展開する畑の風景、祖納の向こうの海までもが見渡せるかのような広々としたパッチワーク模様、様々な形の崖が海と対峙する海岸線、目に入ってくる様々な風景すべてが、私にとっては素晴しいものであるかのように、二度三度となく感じられたのである。
そして立神岩展望台を過ぎる辺りから広がる東崎付近の見事な風景、なだらかに波打つ丘の上に様々な色の畑や牧場が広がる風景も、私がこの旅で大好きになったものだ。牛馬の姿はまだ少なかったけれど、ずっと立ち止まって眺めていたくなるような風景の中、私は東崎を回りこむようにスクーターを走らせていった。風力発電所の下の高い道を進むと、ダティクチティという昔の見張り台の跡が道端に残っていた。要は石灰岩が積み上がっているだけなのだけれど、登れば確かに東崎の方向には海の見晴らしが利くし、背後にも祖納のティンダハナダや宇良部岳の深緑の下に広がる畑や牧場の風景が、まるで1枚の絵のように美しく広がっていた。
長閑な風景を眺めながら、私は引き続きのんびりとスクーターを走らせた。多数の亀甲墓が広がれば、その形からもう私はすぐに母胎を想像できるようになっていた。そして私は祖納の集落へ入り、意味もなく赤瓦の集落の中を走り回った。もし私が魔物だったらそこいらの石厳當にぶつかるところであろうが幸いにしてそのようなこともなく、私は酒造所の甘い香りを楽しみ、街なかの福山スーパーで休憩することにした。私はまたも、一度飲んでみたかったゲンキクールという飲み物に手を出した。1
Lの牛乳パックと同じ底面積を持ちながら250 mLという見慣れないサイズにも惹かれていたし、名前はもちろん黄色くて爽やかなレモン味を想像させるデザインにも惹かれていたわけであるが、期待を裏切らない美味しさだった。
私に与那国島で許された時間は残り1時間ほどになって、どうしようか迷いもしたが、ここはやはり最後に北牧場へ向かってみることにした。県道よりも海に近い道を進み、長い空港を通り抜け、再びオフロードに出て草原へとスクーターを進め、ドラマの中でコトー先生が体育座りをしていた辺りへと向かった。崖はやはり荒々しいけれど、崖の上にはやはり、今日も安らいだ時が流れていた。強い陽射しが戻ってきた中、丘の上の緑の草原では馬の群れが穏やかな青い海をバックにして今日ものんびりと草を食んでいた。1頭の雌馬になぜか懐かれてしまい、彼女との追いかけっこを楽しんでみたりとか、群れを遠巻きにしながら広々と広がる穏やかな海を草原に座って眺めたりとかしているうちに、私にとっての与那国島での最後の時間は、安らぎの中で終わりを迎えようとしていた。
間もなくお昼になるという頃合い、私はスクーターを借り受けたレンタカー屋を訪れ、4日間の私の旅のお供をしてくれたスクーターに別れを告げた。「与那国島はどうでしたか」と主人にたずねられ、何の躊躇もなく返した「のんびりしていてよかったです」という返事は、決して社交辞令などではない本心からのものだった。レンタカー屋のサービスとして空港まで私を送り届けていただけることとなったが、車が出るまでの間、私は店舗の外のパラソルの下で、麦茶を飲みながら流れてくる風の涼しさを味わうことになった。冷房に頼り切る生活の中では忘れかけていたけれど、これが本当の、沖縄の夏の過ごし方なのかもしれない。
送り届けてもらった与那国空港は石垣なんかよりも遥かに小さな空港だ。他の空港では当たり前のようにお世話になるチェックイン機もこの空港には存在せず、石垣島で買ってあった機械発券の航空券も昔ながらの席番のシールを貼る方式のものに発行替えされてしまった。土産物屋は数軒店を開くが食事の摂れる店はなく、その上乗るはずだった飛行機が到着遅れによりだいぶ出発を遅らせるという。スクーターを返す前に祖納で昼食を摂っておくべきだったかなと、私は後悔した。外に出たところで今更どこに行くこともできず、何もすることのない小さな待合ロビーで、私はあまりにのんびり流れる時を何もできずにやり過ごすしかなかったのだった。出発ロビーの大きなガラスの向こうにも、見えるのは何もないだだっ広い滑走路のみで、その向こうには青い海とすがすがしく晴れ上がった空のみが広がる。やがて遅れてやって来た飛行機が着陸し、入れ替わりの客が爽やかな空のもとに降り立って、航空機をバックに写真を撮る家族連れなど、こんな空港でもなければ出会えない光景が展開し、ようやく我々の搭乗の時間となったのだった。もう既に、本来石垣島に到着しているはずの時刻も過ぎてしまっていたが、これも離島の旅の楽しさなのかもしれない。
乗り込んだ飛行機は、さっきまで馬たちと戯れた北牧場に最後の別れを告げるかのように近づいていく。緑の草原で相変わらず彼らの時間を過ごすのみの彼らの姿を横目にして飛行機は方向を変え、延べ4日間ずっと私のそばにいた宇良部岳を右に見ながら大空へ離陸を果たした。4日に渡って私を楽しませてくれた祖納の集落、北岸の美しいエメラルドグリーンの海と広々とした丘陵の牧場、そして東崎の向こうの立神岩や荒々しい海岸線に最後の別れを告げ、飛行機は青々とした海原の上へと飛び立った。
程なく飛行機は西表島の上空へと差し掛かった。海には雲はないのに島の上にだけ、綿のような雲が大量に現れるというのも不思議なものだが、それよりもここからいくつか連続して現れる島々、パナリ島や竹富島とその周りの海の美しさに、私はただ圧倒されるしかなかった。外洋の青とは全く違うコバルトブルーエメラルドグリーンの珊瑚礁は、平らな南の島を美しく縁取っている。そしてここまで来るとあっという間に飛行機は着陸態勢へと移り、石垣島のサトウキビ畑がみるみるうちに飛行機へと近づいてきたのだった。
今回の旅の初日以来の石垣空港に降り立った私は、今度こそ石垣島の中心の市街を目指して、大荷物の客がたくさん乗り合わせて空席もない路線バスに乗り込んだ。空港の近くこそサトウキビ畑がたくさんあったけれど、暫く走っていくと辺りには、東京にでもありそうな大型店舗のたくさん並ぶ市街が形成されていった。巨大な全日空ホテルの敷地内をこまめに回ったバスは、港へ向かって大きな街の中を走っていく。さすがに建物同士の間隔は広くて緑地も多く出現するのだけれど、一つ一つの建物自体は近代的で背も高く、ここが離島であるということをあまり感じさせない車窓が続いていく。
バスは石垣島の中心市街のバスターミナルへたどり着いた。近辺にはたくさんの店が並び、見るからに賑わっていそうな感じである。飛行機が遅れたおかげでもう昼飯時という時間でもなくなってしまっており、食事屋を探し回る時間も惜しくて私は安易にバスターミナルの2階で遅めの昼食をいただくことにした。予約しておいた今晩の宿にももうチェックインできるようだったので荷物を置き、私は早速市街へと繰り出した。ヤシの木が街路樹となるメインストリートは本土の都会と遜色ないくらい賑わっているし、裏手の商店街へと入れば、那覇のそれに比べれば小さいけれどそれでも大きく賑やかなものに感じられる公設市場や、その周囲の土産物屋に並ぶ沖縄らしい品物を眺めながら歩くだけでも楽しいものだ。泡盛も石垣島産だけでもたくさんの種類があって、しかも安いのである。与那国で味わったゲンキクールも、ここでは送料が入らない分さらに安価に手に入るようだった。
メインストリートから路地へ分け入れば、近代的な無機質の建物と沖縄らしい赤瓦の建物が混在する通りが現れた。陽射しが強いせいなのかどうかよくわからなかったが、こんな裏通りでさえどことなく明るい雰囲気に満ち溢れているように私には感じられた。赤瓦の家の中には石灰岩の塀が立派なお屋敷もあるし、宮良殿内(みやらどぅんち)や石垣家のように上級士
官の風格のある家もあれば、商店になっていたり戸を開け放したままだったりする普通の家も軒を連ねる。禅寺の桃林寺はそんな街の中に静かな雰囲気を保っているし、日本庭園である石垣家の庭園も、白い石灰岩とソテツの配された庭はフクギの鬱蒼とした林に囲まれた美しいものとなっている。陽射しも強くて暑かったのだけれど、本土の都会と違って空気が自然であるような感じで、私はのんびり歩くだけで充分にこの街の雰囲気を満喫することができたような気がした。
そして夜になっても、メインストリートの飲食店街は賑やかさを保ったままなのだった。宿の食事に頼らなければならなかった与那国島に比べれば、店を選ぶことのできる石垣島での夜は便利で快適なものだった。私は料理にかけたコーレーグースでほろ酔いになって、極めて良い気分で初めての石垣島での夜を過ごすことができたのだった。