1.往路(12.27) / 2.能代、滝ノ間海岸(12.28) / 3.十二湖、大間越(12.29) / 4.千畳敷、深浦(12.30) / 5.鰺ヶ沢、津軽鉄道、小泊(12.31) / 6.五所川原、帰路(1.1)
雲は多いけれど、雲の切れ間からは何とか太陽がのぞく。初日の出と言うにはおこがましい程度ではあったけれど、2006年のスタートはまずまずのものとなった。私は太陽が元気に顔を出すようになった元旦の五所川原の街へ、今年最初の散歩に出た。除雪設備が整っているのか車道には雪は残らないが、歩道にはたっぷりと雪が残り、初春という言葉とは縁遠い風情である。
線路の向こうにありそうな、本当に賑やかそうな市街の大きな建物や店たちを横目に、私はもしかしたら裏道なのかもしれない国道を南下した。暫く歩いているうちに道の正面には、建物越しに岩木山の白い大きな姿が拝めるようになった。頂上だけは白い雲を帽子のように被っているが、美しく長い裾野を引く姿、今年最初の雄大な景色に早速出会うことができて、私はこの上なく嬉しくなった。
私は岩木山の白い姿を建物の合間に垣間見ながら、引き続き歩みを進めた。真っ白い川の土手が正面に立ちはだかると、国道は街から離れていってしまうので、私は街に戻る方向に延びる、住宅地の中の広い道へと進んでいった。広がる普通の住宅地の奥には、旧平山家住宅ということになるらしい、古めかしい木造の塀と門が鎮座していた。もちろん元旦という日でもあったし中には入れなかったが、案内によれば古い庄屋で、当時は一般には許されていなかった門を造るということを、特別に許可されていたのだという。何でもない街並みの中に残された古い街の味わいを、私はほんの少しだけ感じられたような気がした。そして周囲の住宅街を歩いてみれば、その中にもよく見れば平山さんの家や店が複数存在するということが、血縁の濃さというあまり実感できない現象を目の当たりにしたようで、私には新鮮な驚きとなった。
旧平山家住宅の近辺には稲荷神社や郷土資料館、そして完全に雪に埋もれてしまっている広大な児童公園などが集中し、大きな建物の密集する所とは異なる、安らぎに満ちた領域となっていた。道路の並木も公園の中に生える僅かな立ち木もこの時期葉を落とし、背後の河原と同じようにただ真っ白な風景が広がる。
五所川原という名の街に来たのだから河原の風景も美しいのかもしれないなと思った私は、近くの岩木川に架かる五所川原大橋の上に出てみることにした。流れる岩木川のほとりにはもちろん真っ白になった河原が広く広がるが、その向こうには岩木山が、何にも遮られない堂々とした姿を、青空のもとに大きく示していた。まさに新春にふさわしいおめでたい風景である。私はそんな風景に予期せずに出会えたことがうれしくて、カメラのシャッターを何度も切り続けた。川原は広々として、その流れる先に広がる市街も小さく見えてしまうほどのものだった。私は巨大な橋を渡り終えるまで暫く悠々と歩きながら、岩木山を中心に広がる爽快な風景を楽しみ続けることができたのだった。
そして橋を渡った道の行く手には、建物の中に白い雪原も多く見られるようになった。郊外型の大型店の姿も疎らに見られるこの雪原は、実は既に五所川原市を出てしまっていて、つがる市の領域ということになっていた。街の中では見られなかったけれど、林檎畑の向こうに岩木山がそびえ立つような風景も、こちら側では何でもない所に現れてくる。広大で真っ白な雪原の向こうには大きいはずのイオンショッピングセンターも小さくなって見え、美しい岩木山は人間が造ったすべての建造物よりも大きく雄大に佇み、広大な河原の対岸には五所川原の市街が控え、その奥でも灰色の段丘が控えている遠景を楽しみながら、私はつるつると滑る川原の道をのんびりと散策した。
私は市街の北側に架かる橋を渡り、再び大きく広がるようになった河原の向こうに、大きな岩木山が白い帽子を被りつつそびえ立つ絶景に見送られ、五所川原の市街へと戻っていった。大通りには元旦からそれなりの数の客を乗せてイオンSC柏へ向かうバスも通りがかる。つがる市側は長閑な風景だったけれど、橋を渡ると道沿いにはいきなり商店街が始まった。もちろん閉まっている店の方が多数派なのだけれど、道の車の往来はそこそこ激しくて、去年や一昨年に私が体験したような、ひっそりとした元旦の風景はここにはないようだった。
雪の積もる狭い路地に小さな店の密集する風景を眺めながら、私は駅に向かうように商店街を散策した。商店街の中心に近づけば中三という大きなデパートまで現れるのだけど、それがもうすぐ閉店するというニュースを数日前のテレビが伝えていたことを、私は思い出した。今日のところは元旦からきらびやかに営業していて、恐らく普段と変わらなさそうな賑わいを見せていたが、それも閉店セールということらしい。私も地下でジュースや酒など買って、記念にレジ袋やレシートを手に入れていくことにした。
そんなこんなで岩木山の美しい河原と、初売りの声の聞こえる商店街を散策しているうちに、もうそろそろこの街を離れなければならない時間になってしまった。大型店の集まる駅の反対側へ足を伸ばすことはできなくなりそうだったが、まあ一度の訪問で全てを見てしまう必要もないわけで、また今度来た時に、といつものように誓いを立てて、私は駅へと向かったのだった。津軽鉄道の五所川原駅では今日もツアーの団体客がストーブ列車を待っていた。そして五能線の駅の方でも、元日だというのに案外多くの人が列車を待ち、今年最初の活況を呈していた。
もうすぐお昼時となる頃、私はこの旅で最後となる五能線の列車に乗り込んだ。列車は朝散歩した五所川原の市街や、私が結局訪れることのできなかった大型店の周辺を眺めて歩みを進め、岩木川を渡れば雄大な岩木山の姿を車窓に映し出していった。五所川原の市街は程なく抜け、列車は岩木山を背景として広大な雪原の広がる風景の中を快く走るようになっていく。陸奥鶴田、鶴泊と進んでいくにつれ、大きな岩木山はさらに大きく、尾根の一つ一つまでくっきりと見せつけんとばかりに、なおのこと雄大さを感じさせるようになっていく。空を埋める雲も多いけれど、太陽の光を受け、岩木山は青みがかった雄姿を、抜けるように真っ白な大雪原でさえも小さく見えるほど大きく現している。広大なはずの林檎畑でさえ、岩木山のもとにあっては小さな風景の一部分でしかなくなってしまっている。
林檎の街を自称する板柳の駅の周りにはたくさんの大きな林檎倉庫が並び、ここからの車窓は大雪原というよりも寧ろ、広大な林檎畑の向こうに大きな岩木山がそびえるというものが主になっていく。恐らくとても津軽らしい風景ということになるのだろう。荒々しい海の風景だけが五能線ではないのだということを、私は最後になって認識することになった。やはりこの林檎畑が白ではないみずみずしい色に染まる別の季節に、また訪れてみたいものだ。今はすべての林檎の幹に大量に雪が積もり、そこから天を目指すように上方へ細い枝が伸びている。雪なんかには負けずにひたすら上を目指すかのような、強い意志のようなものを私は感じた。そんな力強い林檎畑の風景と、駅の周囲で現れる白い街並みの風景を交互に車窓に現したのち、列車は本線と合流し、私にとっては今回の旅のメインテーマとなった五能線の旅も、無事終了を迎えることとなったのだった。
川部駅で暫く停まっている間に、もう街を歩くこともないだろうと考えた私は防寒装備を少しだけ解くことにした。五能線を走ってきた列車自身は進行方向を変えつつ、奥羽本線に乗り入れて弘前へ向かっていく。列車は暫くは最後の五能線の続きのような、林檎畑や雪原の広がる風景の中を暫く進んでいったが、撫牛子(ないじょうし)を過ぎると車窓に建物の姿が絶えることはなくなり、列車はそのまま弘前の巨大な市街へと飲み込まれていった。列車の終点となる弘前に降り立ちはしたが、私に許された時間は駅の中で簡単な昼食をようやく取れるくらいのものでしかなく、かなり昔に訪れた時とは全く違う駅舎に代わってしまっているこの弘前の街を詳しく見て回る楽しみは、またいつか次に訪れるときのお楽しみとして残すこととなった。
私に残された旅の行程は、片道乗車を成立させるために組み込んだ経路を通ってひたすら帰路を歩むのみとなった。弘前から私は奥羽線の列車に乗り込んで、大館駅を目指した。ホームの反対側に停まる、今回の旅の中では乗りはしなかったものの何回か姿を見たリゾートしらかみに見送られ、こんな日なのに時刻表と大荷物を携行する客の多い普通列車に乗り込んで進んでいけば、車窓に現れる岩木山には再び雲がかかり、その姿は後方へと回って、進行方向には秋田との県境に控える険しそうな山並みが横たわるようになった。比較的長く続く弘前の白い市街をなんとか抜けきると、車窓には山並みをバックにして白い雪原が広がるようになってくる。
小さな丸い雪の実をたわわに実らせる松の木や、葉を落した木々が表面を埋め尽くす山並みを背景にして、広大に広がる雪原や林檎畑の風景は見応えのあるものだったが、山並みはぐんぐんと列車に迫ってきて、そんな山地と平野との明快な境界に市街が開けると、列車は大鰐温泉駅にたどり着く。駅のすぐそばの丘陵にはすぐにでも滑ってみたくなるような、真っ白いスキー場の姿も見られる。あじゃら高原というらしく、私にとってはここも、ぜひまた訪れたい所として記憶に残ることとなった。
大鰐温泉を過ぎると、列車は両脇を黒白の丘陵に挟まれながら進むようになった。対面の丘陵をバックに、家並みや白い雪原の広がる中を列車は進んでいく。強くなった太陽に照らされて雪のこんもりとと盛り上がる田圃も、大量に雪を背負いこんでいる林檎の樹も明るく輝いて、爽快な谷間の車窓をつくる。碇ヶ関もまた温泉街を抱き、周囲を山に囲まれた良い雰囲気がありそうだ。そして周囲を囲む丘陵はさらに列車に近づいて、大量に雪を積もらせた杉の林の中を列車は進むようになっていく。雪の杉林というのもなかなか見応えのある風景を作るものなのだなあと感心しているうちに、津軽湯の沢を経て列車は長い長いトンネルへと突入し、やがて秋田県側の陣馬へと降りていった。雪の実をたわわに実らせて真っ直ぐ伸びる杉の木が整然と並ぶ丘陵に囲まれながら、線路の周りに広がる僅かな雪原は、進むにつれて再び、その広さを増していく。そして雪の向こうで列車を囲むものが杉林から住宅地に代わると、やがて一瞬だけ雪原が大きく車窓に広がり、程なく列車は大館の市街へと進んでいった。
私は大館駅で花輪線に乗り換えることとなった。丁度良い乗り継ぎで街の中に出るほどの時間はなく、駅の様子を眺めただけとなってしまったが、それでも私の目を引いたのは、駅前広場で立派なしめ飾りのつけられた忠犬ハチ公像だった。そういえば今年2006年は戌年なのであった。駅のホームで待ち構えていた列車は、銀河鉄道線直通などという近未来的な主張をされても誰にも信じてもらえなさそうな、国鉄の頃から走っていそうなとても古い列車だった。大館駅をあとにした花輪線の列車は、一旦雪原を大きく迂回して本線を跨ぎ越し、引き続き白い大館の市街を進む。小さな家並みの屋根に大量に積もった雪からは、とげとげしい氷柱がたくさん垂れ下がる。東大館からもそれなりに多くの乗客が乗り込んでくる。近くの大館神社は、初詣で賑わっているようだった。
大館の市街を抜けると、遠巻きに丘陵に囲まれながら広大な雪原の広がる風景へと列車は進んでいく。丘陵は引き続き、雪を纏った杉林で表面を覆われている。暫くそんな風景が続いたのち、列車は徐行を始め、一瞬、澄んだ流れに鴨たちのたくさん泳ぐ川と並走したのち、十和田南の比較的広く開ける住宅地へと進んでいく。当然まだまだ雪も多いし、空もまた曇ってきてしまっている。十和田南で進行方向を変えても、遠巻きに丘陵に囲まれる雪原の中を行く風景の大勢に変わりはない。左手に寄り添う丘陵は頂上の姿が黒みの混ざらない真っ白になるようになって、その標高の高さをうかがわせる。
鹿角花輪の比較的大きな市街もまた、屋根に大量の雪を載せ、道路も線路も深い雪を抱く。周囲を囲む山肌の一部はスキー場になり、黒白の杉林の中に直線的に区切られた一角だけが真っ白に染められる。やがて陸中大里を過ぎると、列車は両脇を固めていた山並みの端と急速に近づいていく。右手には白みの強い平らな山が控える。恐らく八幡平なのだろうという推測を裏付けるように列車も八幡平という駅を通っていく。そして八幡平駅を過ぎると列車はあっという間に本格的な山道を進むようになっていった。平地はなくなり、雪で埋め尽くされた川の流れを時々跨ぎ越しながら、雪にまみれた杉林の中をゆっくりと進むようになる。そんな山里の中に現れる湯瀬温泉には、家並みも少しはあるが高層のホテルも堂々と立ちそびえていたりする。ここも案外趣のある温泉街なのかもしれない。
列車はその後も山間の道を、蛇行する川を何度も渡り、そのたびごと美しい白い渓谷の風景を車窓に映しながら進んでいく。山間に現れた田山の集落もまた、大量の雪に埋もれそうになっている。心なしか杉の木に実る雪の実の量も、吹き溜まりを除けば少なくなってきているようにも私には感じられはしたのだが、落葉樹に降り積もる雪の量はまだまだ多いようだし、山道が険しくなればまた杉林もより白味を強くしてきた。横間まで来れば列車は険しい山間の道からは離れたが、相変わらず丘陵に囲まれた雪深い谷間の風景が車窓に続き、荒屋新町に広がる市街もまた大量の屋根雪に埋もれていて、そして列車は結局再び山道へと戻っていってしまう。
小屋の畑辺りで列車はようやく開けた谷間を行くようになって、広がるようになった雪原の向こうにはスキー場によって削られた山がそびえるようになった。よく名前を聞く安比高原の入口が近いと、並走する道路に立つ看板が教えてくれる。赤坂田という面白い響きの駅を過ぎると、雪深い谷間に民宿街も時々開けるようになる。高台からの民宿街や林の風景が一瞬垣間見られた後、列車はまた険しい山間の道へ進み、安比高原駅に着くとスキー板や大きなバッグを持ったスキー客が案外たくさん列車に乗ってきた。あれだけ有名だと客は皆車で行ってしまうかのようなイメージも私にはあったけれど、この駅がスキー場の駅としてちゃんとして機能しているらしいことがうかがえた。ここまで来れば盛岡まで1時間足らずなのだから、列車で行くにはちょうどいい頃合いということなのだろうか。
安比高原から険しい森の中の道を延々と駆け下り、森を抜けてまた雪原が広がるようになると松尾八幡平駅が現れる。昔の旅では列車交換のために停車した時に硬券を買ったような覚えがあったのだが、切符を売っていたことがあるとは信じられない、きれいだけれど小さい待合室だけの駅舎がぽつんと立つだけになっていたことに私は驚いた。ここからは列車は開けた雪原を行くようになり、右手には美しい山並み、恐らく岩手富士と、それに連なるように長い裾野を引く恐らく八幡平、ゲレンデの削り取られた安比高原の山が並んで雪原の背景を固める。岩手富士の麓を進む車窓にそれまでのような険しさはなくなって、大更に近づいて国道と並走するようになると、雪を纏った家並みや大型の商店も高頻度に現れるようになった。そして周囲には他にも、色々な個性的な形の山たちがそびえ立って広大な雪原を囲むようになってきた。時々集落も現れるそんな雪原を走っていくうちに、大きな岩手山の左手の雲の隙間からは、オレンジ色の夕陽ものぞくようになってきた。
山間に比べればだいぶ雪も少なくはなっているのだろうが、まだまだ真っ白い世界に支配され続ける渋民から、私にとっては何度か乗ったことはあるけれどIGRいわて銀河鉄道線になってからは初めてということになる元東北本線の区間へ進んでいった。岩手山は引き続き右手の車窓にそびえるが、オレンジ色の夕陽が示すように、辺りはだんだんと薄暗くなっていく。本線はむしろ掘割とか無理やり線路を通したような所を進むので、車窓に険しさは感じられなくなったけれど、林の中だったり、家並みが広がっても視線よりも高い所にであったりする風景が続いていく。滝沢を過ぎてしまえば、車窓に真っ白な家並みが途切れることはたまにしかなくなった。私はどうやら旅の最後の日が暮れるまで、完全な雪景色を見続けることができたようだった。程なく列車は新幹線とも並走を始め、そして厨川を過ぎると、車窓には街の灯りがきらめくようになっていったのだった。
私は初めていわて銀河鉄道線の改札を通って盛岡駅に降り立った。駅の外に出ればやはり広がっていたのは底冷えの街で、防寒装備を解除するのは早すぎたかと私は感じさせられた。コンビニ弁当を夕食として仕入れるのみで私はすぐに駅に戻り、そのまま東京へ向かう東北新幹線へと乗り込んだのだった。一応指定席を取ってはいたのだが、盛岡始発であったせいもあって車内はガラガラの状態だった。外は完全に闇の中となってしまい、盛岡の近辺では灯りが点ってはいたものの、程なく列車はひたすら闇夜を突っ走るのみとなってしまった。もちろん道や屋根にどれくらい雪があるかなどわかるわけもなく、辛うじて線路脇の雪の存在が判るのみだった。山形新幹線の連結のために少し停車した福島で、ビールでも買おうとホームに降りてみれば、盛岡ほどの冷え込みはもはや感じられなくなっていて、私は確実に南下をしていることを実感したのである。
そして旅の最後はいつもよりも複雑な経路を歩むこととなった。今回は前の旅と一続きにして片道乗車券を作っていたわけだが、経路の重なる大宮の少し手前で終着としていたため、私は新幹線を宇都宮で降りて在来線に乗り継ぎ、久喜から東武線経由で都内に戻るという作戦を立てたのである。降り立った宇都宮駅ではもはや寒さを感じることもなかった。在来線では奮発してグリーン車に席を取った。普通車だってガラガラではあったけど、私はできるだけ旅の雰囲気を味わっていたかったし、何より雪の全くない関東で長靴を履いている姿をロングシートの普通車の客に見せびらかしたくはなかったのである。もちろん車窓には何も見えるわけはなかった。窓に小さく落ちてくるものも決して雪ではなく、雨粒だった。久喜駅で片道乗車券の行使を終了して東武線に乗り換え、時間があったので加須駅まで逆走してから浅草行きのりょうもう号に乗り込んで、最後に束の間のゆったりとした旅の風情を存分に感じながら、私は小雨の舞う都内へと帰りついたのだった。当然道端にも雪の姿は全くなく、私は多少の寂しさを禁じ得なかった。