1.往路(12.27) / 2.能代、滝ノ間海岸(12.28) / 3.十二湖、大間越(12.29) / 4.千畳敷、深浦(12.30) / 5.鰺ヶ沢、津軽鉄道、小泊(12.31) / 6.五所川原、帰路(1.1)
妻籠馬籠への短い旅から中2日、残されていた仕事も片付き、私は今度こそ、この冬の本格的な旅に出ることにした。計画自体は暫く前から立てていたこともあって、私は妻籠馬籠へ出かける時に、連続する旅として片道乗車が成立するように乗車券も購入していた。ところがこの数日間の間に、そのルートにあたる羽越本線で、脱線転覆という大事故が起こってしまったのである。私は上越新幹線から新潟で羽越本線に乗り継ぐ特急券をえきねっとで予約してあったのだが、それも事故が起こった時点で発券不能となってしまった。窓口では秋田新幹線への迂回なども勧められたのだが、既に使い始めている乗車券の片道乗車が成立しなくなるし、なんだかややこしくなりそうな感じだったので、私はとりあえず当初のルート通りに、代行バスも利用して進んでみることにした。
まだ暗い中、私は強い冷え込みの都内をあとにした。冷え込んでいるとはいえ、新調したジャンパーと、今度こそはのスノーブーツという充分な装備のおかげで、辛さは全く感じない。上野駅から上越新幹線の列車に乗り込み、地上に出れば地平線が真っ赤なオレンジ色に染まる美しい朝焼けが車窓に映し出された。そして暗かった空も、大宮まで来る頃にはだいぶ明るくなり、オレンジ色の領域の中には、筑波山の独特な美しい姿も現れてきた。方角的にはもっともだとはいえ、私は今までこの車内から筑波山が見られるなんていう意識を持ったことがなかったので、なんだか感動的なことが起こったかのような感じもした。大宮を過ぎると建物の大きさはあっという間に小さくなり、寧ろ隙間の田畑の方が目立つほどまでに急激に変化し、筑波の姿は更に美しく映えるようになっていく。西側の車窓には東側よりも近くに山並みが迫り、その山並みの間からは富士山も姿を見せる。今日も関東は冬の快晴である。
北上していくにつれ、右側の車窓の背景としてそびえる山並みには赤紫の厚い雲がかかるようになっていき、あの向こうはもしかしたら大雪の世界なのだろうかと、私は想像した。赤城や榛名の山並みに囲まれるように広がる高崎の市街にはまさにオレンジ色の朝焼けの太陽が降り注ぎ、建物に反射してぴかぴかと光る幻想的な風景が作り上げられている。そんな山の中腹辺りには少しばかり雪の姿も見られることが確認できたが、間もなく列車はトンネルの多い地帯へと進んでいく。
最初の長いトンネルを越えた時の変化は、田圃に少し雪が残るようになった程度だったが、次の長いトンネルを越え、上毛高原駅を通過するために外へ出た途端、周囲は劇的に、真っ白な世界へと変貌を遂げたのである。こんなにも劇的な変化があるなんて、と私は感激することしきりだった。そして国境のトンネルを越えると、視界が利かないほどの大雪が舞うまでになってしまった。東京の朝はあんなに爽やかで明るかったのに、あっという間に車窓の風景は別世界のものに変わり果ててしまった。
もう一つ長いトンネルを越えて浦佐まで来れば、吹雪の勢いはおさまったようだったが、辺りがぶ厚く雪を纏った豪雪の雪国であることには変わりなく、車窓は白一色に染め上げられたままだった。しかしまた長いトンネルを越えて長岡の直前で外に出ると、白い世界なのは変わらないけれど、幾分雲が薄くなったのか、辺りには明るい世界が広がるようになっていた。もしかしたらこの辺りが、去年の地震で脱線が起こった所なのだろうか。あの時でさえ死者は出なかったというのに、一昨日の羽越本線はよほどの惨事だったわけである。浦佐で見られた山深い景色とは少し異なり、山は少し離れた所から真っ白な田圃を、そして屋根に大量の雪を被った建物の密集する長岡の市街を見守るようにそびえ立つ。
列車は引き続き新潟を目指してひた走り、羽越線の不通区間にバス代行があることを告げる電光掲示も車内に流された。建物の多い平野を進むうちに辺りの雪の量も若干は減っているようで、弥彦山も雲の切れ間からの太陽を浴び、それなりに明るい姿を見せる。そして列車は、広々と真っ白な田圃の広がる平野を行くようになる。空には再び晴れ間が現れ、田圃の雪も、刈り取られた稲の黄色い茎が残っていることが判るほどで、この辺り雪の量も寧ろ大したことはないかのような印象を私に与えてくれる。車窓には再び明るい風景が戻ってきたわけである。やがて列車は新潟の市街へと進んでいく。建物の屋根に残る雪も、ここまで来るとごく少なくなっている。
新幹線は新潟へたどり着き、私はいなほ1号へ乗り換えた。ただし当面の行き先は途中のあつみ温泉で、その先は酒田までバス代行という案内が駅構内にも車内にも告げられ、列車の行き先表示も「酒田」が表示されている。発車してみれば車窓には雪を纏った田畑や家並みの姿が、新幹線よりも間近に眺められる。新潟を出てすぐの頃は貨物駅があったり、建物も大きかったりと厳つい雰囲気の車窓が続いたが、大河となった阿賀野川を悠々と渡り、新崎で対向列車と交換して発車すると、車窓には1枚の雪原と化した越後平野が大きく広がるようになった。
列車は時々家並みや郊外型の大型店が現れる雪原の中を進んでいく。空も完全に晴れたわけではなく、新発田が近づくと辺りはまた吹雪となった。そして新発田を過ぎれば、広々と広がる田圃に積もる雪の量も多くなって、吹雪の舞う空とあわせて文句のつけようのない真っ白な世界が広がった。吹雪がおさまって外を見れば、道路の雪は激しく融解しシャーベット状になっている。気温が高いのか、それとも水を撒いているのだろうか。一瞬白い河原の美しい川を渡っていくけれど、車窓は程なく再び吹雪に襲われた。風向きによっては雪の粒が窓に激しくたたきつけて音を上げる。つまりこの地の雪は、それなりに硬い粒ということらしい。同じ雪でも北海道ではこのようなことはなかったような気がする。
このような状況ではさすがに定時運行は難しいと見え、村上の時点で列車は既に所定より9分遅れていた。村上を出て電源が交流に切り替わるとともに列車はトンネルに入り、それを抜けると車窓には一面に日本海が広がった。灰色の空のもと、岩場に白い波が激しく逆巻いている様は、荒れ狂うという表現がぴったりだ。その海には決して美しい言葉はふさわしくなく、何か不気味なものがうごめいているようでさえある。以前同じような時期にこの辺りを訪れた時は、あろうことか雪が全くなく期待外れだった思い出があるけれど、今こうして見ているこの風景こそが、本当の冬の日本海の姿なのだということなのだろう。
笹川流れの領域に入れば、荒々しい海岸線に相変わらず激しく白い波の寄せる風景が現れ、険しいながらも雄々しい美しさを持っているように私には感じられた。これはと思ってカメラを向けると、見応えのある風景になった途端にトンネルに入ってしまうのが悔しい。列車はトンネルに出たり入ったりを繰り返しながら、恐ろしいほどに逆巻く日本海の沿岸に沿って、ゆっくりと歩みを進めていく。海に対峙する僅かな家並みにも路傍にも、少ないけれど雪は積もり、白く厳しい日本海の雰囲気をより強めている。防波堤に守られた港があっても、波は平気で乗り越えてくる。そして入り組んだ岩場の中には、波の花のようなものが舞い散る所もある。
やがて列車はあつみ温泉駅に到着し、その先へ向かう乗客は強制的に乗り換えることとなった。バスは酒田へ直行する便と、途中の鶴岡、余目へ向かう便に分かれ、それぞれのバス1台に丁度埋まるくらいの乗客を乗せた。私も酒田直行便に乗り込み、このあつみ温泉という所に関しては通りがかるだけになってしまったことを気にしつつも直ちに出発した。バスは駅前の小さな市街の中の細い道を抜け、その後は国道7号線の、線路よりも寧ろ海岸に近い所を通る道を走っていく。海の波は相変わらず険しく岩場に押し寄せ、波の花も時折辺りに舞い散ってくる。波の花は波本体よりも若干クリーム色を帯びていて、岩場やテトラポッドの陰で荒々しく寄せる波の上にぷかぷかと、出発を待つかのように漂って、強い風がやって来れば空中へ飛んでくる。道は基本的には岩場の海岸なので、時々は海に面したまま高台を通るようになり、山と海に囲まれた中に建物の密集する集落が白い雪に埋もれそうになっている、また美しい風景も車窓に現れてくる。
やがてバスは内陸へと進んでいき、車窓には荒々しい日本海に代わり、1枚の広々とした雪原が丘陵に囲まれるようにして広がるようになっていく。バスは羽前水沢の市街で、本来通るはずだった線路を跨いでいく。この区間は普通列車は運行しているが本数が極端に減っている状態だということだったが、確かに今にも線路が雪に埋もれてしまいそうな勢いだ。僅かにでも普通列車は運行しているのになぜ特急は走れないのだろうということも素朴な疑問としては残るのだけれど、きっと簡単にはいかない事情があるのだろうなということを納得せざるを得ない、妙な説得力を持つ白い風景が広がり続ける。
バスは平野の雪原を貫くようになり、道には防風柵が巡らされるようになって、いつでも広々とした雪原が見られるわけではなくなったが、柵の切れ間にのぞく雪原からは、風に吹かれて舞い上がる雪が煙のようにそこかしこから立ち上っている。舞い上がった雪煙りは時折道路にも押し寄せ、視界の利かないまるでブリザードのような状態になることもあった。そんな中でも道路にはそれなりに交通量があり、雪のせいもあるのだろうが、バスはさほどスピードを出すことができなくなっているようだった。高速のインターの近くも通るのだが、バスは高速には上がらないらしい。特急列車の代行なんだから使えるものは使ってもいいような気がするのだが、こちらで決めるようなことでもないのということか。
酒田直行という約束で運行されている便だったのでバスは鶴岡駅は経由しないのだが、インターを過ぎて出会った鶴岡の市街で線路を跨ぎ越せば、線路は完全に雪原の一部と化していて、どうやら暫く列車の動いていない完全な不通区間へ入ったらしいことがうかがえた。ブリザードの勢いは空が明るくなっても衰えることはない。郊外型の大型店舗の立ち並ぶ所に隣接して風力発電機が設置されていたが、ものすごい勢いで、それこそ玩具の風車のように盛んに回っているのである。なるほど列車も吹き飛ばされてしまうわけである。
バスは酒田市街へと近づき、断続的に吹雪が止んで視界が開けることもあるが程なく再び吹雪となってしまうような雪原の中の道を、引き続き進んでいく。京田川を渡り、工場のような建物が多く現れる辺りで、昨日のテレビで何度も出てきていた県立日本海病院も見えてくる。そして次第に周囲は市街へと変わっていく。相変わらず吹雪は強く、路傍には掻き分けられた雪が堆く積もっている。住宅街へ分け入る路地も真っ白だ。そしてバスは国道を離れ、酒田の市街の中の道を行くようになる。賑やかな市街であることは何となくわかったが、辺りはあくまで、完全に雪に閉ざされてしまっている。
代行バスはとにかく真っ白な酒田駅へとたどり着き、私は再び鉄道の旅へと戻るべく駅構内へと向かった。ダイヤも正常ではないだろうしここから先は各駅停車になるのだろうという覚悟を私はしていたが、案内によると、「いなほ1号」名義の特急列車がこれから発車するという。すなわち私があつみ温泉駅まで乗ってきた特急列車と同じ名前の列車が酒田口でも運転されるということだと私は認識するところだったのだが、特急券をどのように買うべきか窓口と相談したところ、特急料金を通しにすることはできないと即答されてしまった。つまりJR側は、これらは全く異なる列車であると認識していたわけである。当然酒田からの特急券は新幹線との乗継割引にもならないから、災害のおかげで当初予定の特急料金よりも高い出費が必要となるという面白い現象が生じたことになったわけだ。
所定の時刻よりも1時間以上遅れて、丁度12時に酒田駅を発車することになった酒田口のいなほ1号の車内は、あつみ温泉まで乗ってきた便よりもかなりすいているような感じだった。車窓には相変わらずの広大な雪原の風景が続いていく。本楯という小さな駅で早速運転停車をしたが、雪でポイントが動かないらしく、遅れは更に拡大していく。酒田で昼食を摂っておくべきだったかなとも少し思ったのだが、まあこういう時は進めるときに先に進んでおかないと、いつ先へ進めなくなるかわからないものだ。
漸く何とか再び走り出して雪原の中へ戻れば、一瞬切れた雲からのぞく太陽光が雪原に強く反射され、眩しいばかりの世界が広がった。そして遊佐を出て暫く進むと、列車は久しぶりに日本海と再会することとなる。海は相変わらず灰色の空の下に荒々しく白い波を立て、雪を被った小さな家が岩陰に隠れるように密集して建つ。荒々しい波の寄せる波打ち際には漬物石のような、黒く大きな石がごろごろとする。この辺りには小砂川海岸という名前が与えられているらしく、それなりに見応えのある風景が現れる。少し雲が切れ、のぞいた太陽に照らされて少しだけ青味を帯びた海には、鴎の群れが飛び交う。海に対峙する崖は赤茶けた草に覆われ、その上に疎らに立つ松の木は、荒々しい海を背にして黄昏れているかのようだ。そんな海岸を高台から広々と見下ろすような、見応えのある車窓が現れることも少なくない。このような状況ゆえ列車もあまりスピードを出せていないようで、私はこのような見応えのある風景を長く楽しむことができるというメリットを享受することとなったわけである。
象潟の元多島海の風景も今日は真白に雪に埋もれ、しかも列車の巻き上げる雪が、独特の地形の広がる右側の車窓のみにもろにマスクをかけるので、幻想的な風景にこそなれ独特の風景を堪能というわけにもいかなかったのは残念なところだ。そして仁賀保の近くの丘の上では、また風力発電の風車がしきりに回る。西目、羽後本荘と来て、列車は海からは離れて内陸を進むようになった。海側に広がる雪原はそう広くなく、すぐに丘陵に閉ざされる。それに対して山側は、恐らく鳥海山がそびえているであろう方角の、かなり遠くの方まで真っ白な平らな雪原が広がっていく。途中の駅で降りる客は少しはいたようだが、乗ってくる客は皆無だ。こんなダイヤでもあるし、ましてやこんな天気で無理に出かけようという人も、そうそう存在はしないのだろう。
列車は暫く1枚の雪原の中を進み続けるが、時には雪原を囲む丘陵にすぐ近くにまで迫られる、谷間のような所を進むこともある。列車に沿って細い川は蛇行しながら流れ、その河岸に僅かに広がる平地にも大量に雪が積もる。恐らく田圃なのであろうその雪原を少し高い所から見守るように建つお屋敷も、また屋根にたくさんの雪を纏う。そして再び舞い戻った海岸では、対峙する崖の上に必死でしがみつく松の木の中に、立ち枯れてしまっているものも多く見られる。生きている松の木は山側に傾けられながらも一生懸命頑張っているのだが、そんな松原を攻撃するかのように、引き続き吹雪は打ちつけ、灰色の海はしきりに海岸へ波を押し寄せてくる。
道川まで来ると、そんな海の上に男鹿半島の山並みが浮かんでいるのが見えるようになってきた。先端の大きな山に従うように、その右手に白い山が続いていく。はげ山の寒風山は雪がなくても特徴的な風貌を示していたが、今回のような雪の時期にも以前のように間近で眺めてみたいものだ。桂根を過ぎると列車は海から離れ、丘陵の方へ進む。落葉樹の根もとにたっぷりと雪が蓄えられる風景が、車窓いっぱいに広がる。そして森を抜ければ、列車は遠くに鳥海山らしき、雲間に隠れた山に見守られる秋田の街の中へと進んでいった。やはり屋根の雪も空地の雪も大量で、とりあえずは明るく見える白い街の風景が続いていく。ここまで来ると列車の目的地も近いはずなのだが、新屋、羽後牛島と続けて列車は臨時の運転停車をすることとなった。どうやら羽越線自身だけでなく、秋田で合流する奥羽線のダイヤも乱れているらしかった。羽後牛島まで来れば遠くの白く美しい山並みをバックに、秋田の中心街の巨大な建物が林立するのを見ることができるようになるというのに、列車の歩みはあくまでもゆっくりとしたものだった。
秋田駅でも若干のダイヤの乱れがアナウンスされていて、既に発車時刻の過ぎている青森行きの普通列車がまだ発車していないらしいことが告げられていた。何となく私も乗らなければならないような気がしたので、車内で食べようと駅内のコンビニで急いで昼食を仕入れてみたら、その間に列車は音もなく発車してしまったようで、私の今日の昼食は駅の待合室で摂ることとなってしまった。待合室のテレビに流されるニュースは、やはり脱線事故一色だった。次に発車する奥羽本線の下り列車は八郎潟止まりで、珍しく定刻に発車できる予定だという。今日の私の最終目的地である能代までは行けないのだが、私は行ける所までは行っておこうと乗り込んでみることにした。
車内には高校生の姿が多く、僅かに空席もあったけれど、旅装の私などは場違いのような気もして、私は暫く立って過ごすことにした。列車は暫く秋田の市街を進んでいく。線路に積もる雪も深く、屋根にたくさんの雪の積もる小さな家が立ち並ぶ風景の中を、普通列車は進んでいく。上飯島を過ぎると列車は秋田の市街地を離れ、車窓にはまた大雪原が広がるようになった。追分を過ぎると列車は森林の中へと進む。周囲の松の木も下の方の枝は落とされているし、落葉樹も少なくなく、白い地肌の目立つ荒涼とした森の中にはひっそりと信号所も佇む。そして森を抜ければ、また一面に真っ白な大雪原が広がってくるのである。
男鹿の方には黒い雲が立ちこめ、寒風山も見えはするがそうは目立たない。前方に控えるきれいな山は森岳だろうか。海側には特に山らしい山はなく、車窓にはこれまでにないくらいに広大な1枚の大雪原が広がるようになる。井川さくらという新しい駅はそんな中に現れる小さな住宅街の中の駅ということになる。ここからは住宅の数も多くなってはくるが、それでも広がる雪原はやはり広く、爽快な風景が続いていく。普段恐らくゆったりと流れているであろう川は凍りついていて、そんな白い川を渡った列車は程なく八郎潟の市街地へと到着する。
降り立った八郎潟の駅にはストーブやテレビが完備される立派な待合室もあるし、広大な干拓地というイメージとは裏腹に、駅の周囲にはさほど大きくはないのかもしれないが、そこそこ立派な市街が広がっている。次の列車までの時間を利用し、よく聞く八郎潟の干拓地の姿でも拝みに行こうかと、私は雪の中へと歩みを進めることにした。道にはふわふわの雪がたっぷりと積もって、新雪を踏めばさくさく、きゅっきゅっと乾いた音を立てるし、当然空気は刺すような冷たさで、ズボンに雪がついてしまっても融けるのではなく昇華するので濡れることはないという、まるで私がかつて北海道で経験したような雪なのである。こんな感覚は津軽海峡を越えなければ経験できないものだと思っていただけに、私は驚き、今年の気候の凄まじさを感じることとなった。
街なかに立つ大潟村への道案内に従って私は進み、駅前の小さな市街に別れを告げ、住宅地から役場を通り過ぎていくと、周囲には一面まっ平らな雪原が、遥か遠くにまで1枚の絨毯となって広がる風景が広がった。私にとっては北海道で何度も見て何度も感動したような景色だったが、また今年もこのような風景に、しかも特にそれを目的としていたわけでもなく予期しないままに出会えたということが、私には最高に嬉しかった。しかし次の列車までの時間ではどうも、地図を見ても八郎潟の干拓地の領域へ上陸することは難しいらしかった。私は大雪原の中にぽつんと一人佇むという、このような旅に出なければ得られない不思議な感覚を暫く楽しんだのち、八郎潟の湖面を拝むことなく駅に引き返さざるを得なかった。しかしまたいつか、ここを目的地にまた旅をしてみたいと思うことができる風景を、私は見つけることができたような気がした。
八郎潟駅から乗り込んだ、能代の方へ向かう列車は夕ラッシュにあたり、東京に比べればもちろんすいてはいるのだけれど、立ち席も少し出る混み方だった。辺りが徐々に薄暗くなっていく中、列車は相変わらずの大雪原の中を進む。森や丘陵の間の風景と雪原の風景とを繰り返しながら、真っ白だった風景も、徐々に徐々に明るさを失っていった。そして東能代駅で、私は五能線の列車に乗り換えた。乱れている本線のダイヤに合わせて接続のために若干遅れて列車は出発し、大通り沿いの大型店舗の照明が辺りを明るく照らす風景の中、程なく列車は能代の市街地へと進んでいった。
こうして能代駅にたどり着く頃には辺りはもう夜の風情となっていた。ホームにある有名なバスケットのゴールを確認し、私は宿を取った夜の能代の市街へと出た。やはり雪はさくさくとし、吹きすさぶ風も極めて冷たいものだった。一旦宿に入り、明日以降の予定を考えるなどしつつ休息したのち、夕食のために私は再び街へと出、さくさくとした雪を踏みしめながら歩くことを楽しんだ。空から再び粉雪の舞い降りてきた夜の能代の街には閉まっている店も多かったけれど、巨大なジャスコが11時まで営業しているという。アーケードには「田臥を応援しています」という横断幕が張られる。個人的にはあまり好きではない風貌だけれど、地元の人は能代工業のことが好きらしいことが伝わってくる。適当に食事をしている折も折、テレビのニュースにはバスケの全国大会で能代工業が勝ったというニュースが流れ、何でもないおばちゃんなどもそれを話題にするわけである。天気予報によれば今日は真冬日だったという。どうりで雪がふわふわとしていたわけである。地元の人の話しぶりでは、今日の天気はどうやらこの地でも異常なくらいだったらしい。