1.神居古潭(7.23-24) / 2.美瑛(7.25) / 3.幌延、豊富温泉(7.26) / 4.サロベツ原野(7.27) / 5.稚内、抜海、勇知(7.28) / 6.宗谷丘陵(7.29)
今日こそは朝から気持ちよく晴れ上がった。私は連泊した安宿を後にし、稚内を目指す普通列車へと乗り込めんだ。今日は最北のローカル駅を探訪するつもりにしていたが、荷物をロッカーに預けてしまうために、一路終点を目指すことにしたのである。車窓にはさっそく、昨日とはうってかわって雲一つかからない勇姿の利尻富士が姿を見せてくれた。朝は順光となるせいで表面のディテールまでくっきりはっきりと見え、なおさらの精悍さを私に感じさせてくれる。そんな利尻を背景として、ある時はヨシやササ、ノリウツギや、真っ赤な実をつけるナナカマドも見られる草原の上にわずかに白樺やエゾマツが生える森林が、またある時には広大な牧草地が、そしてまたある時には昨日も見たような完全な未開の原野の風景が、代わる代わる車窓に現れて、心なしか昨日よりも明るく爽やかな雰囲気に包まれながら、列車はひたすら北を目指す。
兜沼を過ぎると列車はサロベツ原野の地帯からは離れ、利尻も丘陵に阻まれて見えなくなった。周囲の風景には起伏が出てきて、斜面の上にまで牧草地が広がり、空が狭くなった分、のどかな領域が広く車窓を支配するようになっていく。未開の原野もないわけではなく、様々な植物の生えるなだらかな丘陵が作り出すのどかな風景がしばらく続いていき、そしてサロベツ原野を走っているうちはあまり注目されなかった東側の車窓にも、時折広々とした牧場が現れるようにもなってくる。
抜海駅の付近では、そんな丘陵の表面の一部は、樹木ではなくササで覆われている。深緑の林は黄緑色の中にこぶのように一部にできるのみで、刻一刻最北端に近づきつつ、もはや森林でさえ成立しにくくなる気候になってきたのだろうかと、私は興奮さえ覚えるようになってきた。ササで覆われた丘陵は樹木の持つとげとげしさがなく、丸みを帯びた優しげな雰囲気を醸し出す。そんな明るい丘陵の中をしばらく進むと、車窓には宗谷本線で唯一となる海原の姿が現れてきた。真っ青な海の向こうに、真っ青な空に浮かぶように、利尻は再び精悍な姿を、そして礼文も平たい姿を横たえている。抜海の集落の背後にそびえる丘陵もササに覆われて、あくまでなだらかでしかない。そんな爽快な風景の中を列車は徐行し、最大の見せ場とばかり乗客に楽しみを与えてくれる。
そしてまた、列車はなだらかな明るい緑色のササの丘陵へ戻っていき、家並みが現れたかと思うと、周囲は急速に稚内の市街地へと変わっていった。南稚内からは建物が密集する風景の中を進むようになったが、その市街地の背後を固める丘陵もササに覆われ、明るく輝いていたのだった。
稚内駅のコインロッカーに荷物を預けて身軽になり、私はとりあえず稚内の市街へと出た。以前にも来たことはあるのだが、その時と風景が大きく変わっている理由があった。旅に出る1ヶ月ほど前、テレビのニュースは、稚内駅前の中央レンバイの大火災を報じ、私は驚きとともに燃えさかる市街の映像に釘付けになった覚えがあった。はたして、駅前の一角には丸裸になった焼け跡が、哀しい姿をさらす。
私は市街の背後を固める丘陵の麓にある神社から短いロープウェーに乗り込み、丘陵の上に広がる稚内公園を訪れた。以前この地を訪れた時とはまったく違う、快晴の爽やかに澄み渡る青空の下、山上に吹く風は山麓よりも一層強く冷たく、心地よいものだった。眼下に広がる港や市街の青みの強い風景とは一線を画す、黄緑の軟らかい丘陵の中、海の向こうに突き出している宗谷岬を遠巻きに眺めながら、私は園内をのんびりと散策してみることにした。
海を見ながら北へ進めば、樺太を真正面に眺められる丘の上に、氷雪の門と、9人の乙女の碑、師範学校教学の碑と、樺太関係の記念碑が並んでいる。樺太師範は先進的な男女共学校であり戦後の平和教育に資する所も大きかった、という碑文も同業者としては興味深いものであったが、やはり9人の乙女の碑がこの樺太を眺められる丘に建つのを見るにつけ、なぜ彼女たちは死ななければならなかったのだろうかという思いで、私の心はいっぱいになってしまった。今目の前に広がる風景はきわめて穏やかで、平和そのものであるのに。黄緑色のササが風に揺られる丘の上で、私は煙草を燻らしながら、しばらく物思いにふけるしかなかった。うっすらとした樺太の島影は、しかしはっきりと平たく見え、今日はあくまで穏やかでどこまでも青い海に横たわっている。穏やかな海と宗谷岬、そして南へ連なっている大地を埋め尽くすササが風になびく、あまりにのどかな風景にどっぷりと浸かり、山の上にある百年塔まで行くのもなんだか面倒であるかのような気分になってしまっていたのだった。
客が一人でも来れば直ちに運行してくれるすばらしいロープウェーで私は山を下り、稚内の市街に戻った。駅に向かえばちょうど、南へ向かう普通列車の発車時刻だった。抜海駅まで往復するトロッコ列車を目当てにする行列はすでにかなり長いものになっていたので、私はそれよりも早く稚内駅を出発する普通の列車で抜海駅を目指すことにした。列車が稚内の市街を抜け、再びササに覆われた丸い丘陵の中へ進んでいくようになるまでに、そう時間はかからない。所々湿原の残党のようなヨシやノリウツギも生える草原もかすめながら、一面ササで黄緑色の丘に囲まれる荒涼とした山道を列車は進んでいく。
降り立った抜海駅は、丘陵の中の小さい駅に過ぎず、落書きだらけのぼろぼろの駅舎だったが、待合室には写真もたくさん飾られ、旅ノートもあって、最北の無人駅として、たくさんの旅人を引き寄せているらしいことが感じられる雰囲気があった。何処にこの駅をそういう雰囲気にするような秘密があるのか、私も探ってみるつもりで、ここから多少離れているらしい抜海の集落を目指して歩いてみることにした。
なだらかな丘の麓に広がる大きな牧草地の中、まっすぐ延びる道を少し進めば、日本海岸を南北にたどる道道にまもなく合流する。緩い坂を越えてたどり着いたその道は、原生花園を隔てて少し遠くに真っ青な海を従え、右手を見れば黄緑色のなだらかな丘は弓なりに長く、ノシャップ岬まで到達していそうな勢いで伸びている。そして左手を見れば、堂々と全身をさらけ出した青色の利尻富士に向かって、これまた黄緑のなだらかな丘陵が連なっている。正面に広がる真っ青な海はどこまでも穏やかで、利尻も、そして平たい礼文も静かに海の上に横たわり、海岸の湿原は涼しい風を受けて優しくさざ波のように草を波打たせる……私はまた一つの、爽やかな夏の北海道の風景に出会うことができた気がしてうれしかった。
私はなだらかな黄緑色の丘陵の麓に続く、時折ライダー達の往来する太い道道を歩いていった。まるで利尻の麓にあるかのような集落までの間には、遮るものも坂もまったくないから、たどり着くためには見た目で感じられるよりも長い時間歩かなければならなかったが、爽快な風景のもとにあってはまったく苦になることはない。道はやがて抜海の漁港へと突き当たった。集落はほんのわずかな家並みが並ぶだけの小さなものであるようだったが、漁港の規模はそれなりに大きそうな感じがする。岸壁には釣り糸をたれる人々も少なくなくて、のどかな休日の風景を演出している。港の外を見れば、ノシャップ方面へ続いていく弓なりの美しい緑の海岸が大胆にきれいに眺められるが、海に浮かぶ利尻を眺めるのは港の建造物のために難しくなってしまっていた。私はさらに道道を少しだけ、緑の丘に沿って進んでみた。
鎮守の森も何もあったものではない裸の丘陵と、複雑な形の岩に守られた神社を横目に、ドライバーの休憩所として使われているらしい海岸の空き地へ進んでいくと、海沿いへ出る砂利道があった。丘から流れ出たらしい細い小川がミニ湿原を形成する海岸の中へ分け入るその道を進むと、私はついに、海に浮かぶ利尻を眺めることのできる場所へとたどり着いた。背後の丘陵と同じように角の取れた流木がたくさん漂着するわずかな砂浜には、わずかな家族連れが遊んでいる。海水浴場と言えるかどうかわからないほどの短い砂浜は、風に吹かれてやや強く波しぶきを上げる海に洗われ、カモメたちの鳴き声ものどかさを演出する。ミニ湿原にはカモメたちも群れをなして羽を休めている。
私は大きな丸い流木に腰を下ろし、しばし海の上に浮かぶ利尻を眺めた。海は揺らめいているが利尻は微動だにせず、海の真ん中に堂々と浮かぶ。順光であるため尾根の一本一本まで見渡せ、よく見れば頂上のギザギザしている様子までもがくっきりとしている。昨日見られたよりも大きく堂々としている利尻の姿を眺めながら、昨日の苦労はいったい何だったんだろうという思いや、雄大な風景を独り占めにすることができる場所をまた見つけられたことの喜びに、私はしばし浸り続けていたのだった。背後の緑の丸い丘はまだまだ南へ向かって続いているようだった。私はそんな緑の丘陵をふくらませたかのような抜海神社の裏山にも登ってみた。弓なりの海の上に浮かぶ青い利尻も、平たい礼文も一層美しく堂々とした姿をさらし、そして左手に伸びる丘陵も、緑の絨毯を掛けられているかのように静かに横たわっていた。
雄大な緑の丘と雄大な利尻富士、どこまでも続く原野に魅せられる人が多い理由を理解できたのを感じながら、私は爽やかな道道をゆっくりと駅まで引き返していった。駅舎には落書きも多かったけれどあまり下品さを感じることはなく、ぼろいけれどどことなく味があるような感じがする。たくさんの人に思い出を残している駅であることは、どうやら間違いないようだった。抜海は日本最北の無人駅であり、それだけでも充分人を引き寄せる力を持っていると言うことなのだろう。
私はやってきた南行きの列車に乗り込んだ。抜海を出てしばらくするとササで覆われた丸い丘はなりを潜めてしまい、列車は立派に育った森林に囲まれながら進んでいくが、原野もないわけではなく、そして何といっても所々、広々とした牧場が広がるようになり、車窓にはなお一層ののどかさが感じられるようになっていく。そしてやがて到着した、北から2番目の無人駅ということになる勇知駅に私は降り立った。見どころが特にあるわけではないと聞いてはいたけれど、駅の周囲には大きな神社や寺に守られた家並みが続き、きれいなコンビニのような酒屋も営業していたりして、案外しっかりとした街並が成立していることに、私は何となく安心した。駅舎はやはり貨車駅なのだけれど、だからといって街までさびれきっているとは言えないらしい。
私は特にあてもないまま、太い道道を北側へ進んでみた。しっかりしていた街並もやはり小さくてすぐに途切れてしまい、風景はすぐに深い緑色の丘に囲まれたわずかな平地に荒れた原野が広がったり、牧草地が斜面の上の方まで広がったりするものへと変わっていく。ふと歩みを止めてじっくりと味わってみたいのどかな風景がたくさんある所だ。遠くの方に放牧されている牛たちの姿を見つけ、私はそこを目指してとにかく歩いた。
牛舎の近くのさほど広くない牧草地に、牛たちはびっしりと密集していた。奥の方で群れをなしていた牛たちは、私の姿を見ると一頭、また一頭と、柵ぎりぎりの所まで近づいてきて、じっと私の方を眺めている。時折ばりぼりと音を立てながら草をむしり取るように食べてみたり、鼻の穴にアブでも入ったか大きなくしゃみをしてみたり。牛のくしゃみなど私も初めて聞いたものだから、一瞬何が起こったかわけがわからなくなってしまったのだけれど、とにかくのっしのっしと歩き、我が物顔に振る舞ってみせながらも、なぜかこちらのことが気になっている様子だ。よく考えてみたら今日の私は赤色のTシャツを着ていたのだが、もしかしたらこの赤色に連中は興奮をしているのだろうか。そんな牛たちと、互いの様子をじっくりと観察しあっていたら、長いのではないかと最初は思っていた次の列車までの時間も、あっという間にやってきてしまっていたのだった。
私は夕刻にさしかかった勇知駅から、稚内へ戻る列車に乗り込んだ。森林の発達した勇知から、ササの丘が目立つようになった抜海を経て、また利尻富士の勇姿を海の上にのぞみ、そしてまた黄緑の風景から稚内の市街へと列車は進んでいった。今日は駅前の小さな宿を取っておいたが、受付をすませると、「火だけは気をつけてね、火事は怖いから……」と、女将さんはトーンを落として語った。あの大火事は稚内の人々に暗い影を落としているのだ、ということをいやでも感じざるを得なかった一瞬だった。
今日一日いい天気が続いたことの締めくくりとして、私はノシャップ岬へ夕陽を見に行くことにした。市内線のバスにも半袖短パンで寒いとか言っている明らかな旅行者がいたし、停車中のバスを退去してライダーが追い抜いていくシーンにも出くわしたりしたし、同じことを考えている人が多いなあなどと考えながら私はバスに身を任せた。まもなく道の右側に並ぶ家並みの隙間から海がのぞくようになり、正面にはノシャップの紅白の灯台が、市街の北端に到着したことを教えてくれた。
立ち並ぶ数軒の食事屋以外は、水族館や科学館も含めて店じまいし、薄暗くなった街には静けさが訪れようとしているのだろうが、岬の一角だけはそうでもないようだった。数人の旅人が入れ替わり立ち替わりやって来て、カメラをいじったり感動したりしているだけならまだしも、日の入りに合わせるように観光バスまでやってきて、静かに夕陽を眺めたい向きには多少不満だったりもしたが、岬の真正面にはすでに間違いなく美しいシーンが幕を開きつつあった。夕方になって雲が出てきて太陽の光球はすでに見えなくなっていたが、海の上は赤く染まり始めていて、その赤い領域は徐々に刻一刻と広がっていく。そんな真っ赤な空をバックに悠々と航行する利礼航路は、最高に絵になる存在だ。園地を少し離れた堤防の上に登れば、観光バスの客の声はカモメの鳴き声よりも小さくなって、静かにさざ波を立てる海を独り、感傷に浸りながら眺めることができるようになった。残念ながら雲は多くなる一方だったが、一瞬だけ姿を見せた真っ赤な光球が岬の空を真っ赤に鮮やかに染めた瞬間を私は見逃さなかった。光球はすぐに隠れてしまったが、灰色の雲を真っ赤に染めた今日一日の最後の太陽の仕事に感動するばかりだった。
辺りはだんだんと暗くなり、岬に建つ大小2つの灯台とも、夜の道しるべとしての仕事を始めつつあった。私はすっかり暗くなった道を行く市内線のバスに乗り込み、食堂街のネオンライトが明るく輝くようになった稚内の市街へと戻っていったのだった。