1.神居古潭(7.23-24) / 2.美瑛(7.25) / 3.幌延、豊富温泉(7.26) / 4.サロベツ原野(7.27) / 5.稚内、抜海、勇知(7.28) / 6.宗谷丘陵(7.29)
新しい職場で専任教員としての仕事を得ることができた最初の夏休み。一度はもう長旅はできないものと覚悟を決めたこともあったが、部活があるわけでもなく、夏休み中は数日間の泊まりがけの初任者研修と、ごくたまに回ってくる日直の日を除けば、出勤の必要はないのだという。これはもうどこかへ行くしかないと、私は今回も北海道に照準を合わせ、今まで見ていない風景をたくさん見に行く旅に出ることにした。
いろいろと忙しかった学期末の仕事を何とか終えて間もない日の夕方、今回の渡道の手段とした青森発の夜行急行はまなす号に乗るべく、私は上野駅から東北新幹線に乗り込んだ。苦労することなく指定券を取ることができたから油断していたが車内はそれなりに混み合っていて、身動きもままならないまま時をやり過ごすうち、まだ明るかった外はだんだんと暗くなっていって、福島や仙台の街も明るく車窓に輝くようになっていった。満員だった客も仙台までには半分以上が降りてしまい、ようやくのんびりとした汽車旅らしい風情が私にも感じられるようになった。
盛岡から在来線の特急列車へ乗り継げば、盛岡の駅も、そして車窓の真っ暗な中に時折現れる明かりの灯された風景も、佳境に入った新幹線の八戸への延伸工事のため、私が知っていた風景からの大きな変動を感じさせられる場面が多くあった。そして、東京は晴れていたのだけれどこの辺り、地面やレールも濡れて光っているようだったし、車庫の角の照明も霧の中に拡散され、幻想的な風景が生み出されるようになっていた。東北の南部までは今日梅雨明けしたと聞いたけれど、このあたりではまだ梅雨が最後の粘りを見せていたということか。乗り換えのために降り立った青森のホームは蒸し暑かった東京とは別世界であるかのような涼しさであり、Tシャツとハーフパンツという私の東京盛夏フォーマットでは、急行はまなす号の車内はあまりに寒いほどで、ついついトイレにこもって長ズボンに履き替えなどする羽目にもなってしまった。
寝台車でも何でもない、ただリクライニングの角度は大きい座席車で、私はそれなりに眠ることができて、目覚めたのは苫小牧を過ぎた辺りだった。車窓には荒涼とした背丈の低い草に覆われた湿原、そしてビート畑が広がっていた。空は曇っていてすがすがしい風景にはなっていなかったが、別世界の風景をいきなり目の当たりにさせられたかのような感じを受け、私の気持ちは早くもわくわくとしたものになっていった。5分程遅れているとアナウンスがあっても、いいのよ5分くらい許しちゃうといった気分になる。
やがて夜行列車は札幌に着き、引き続いて私は特急スーパーホワイトアロー号でさらに北上した。uシートというデラックスな指定席に身を任せれば、車窓は札幌や岩見沢の市街の風景から、次第に田畑が広々と広がるものへと変わっていった。あいにくの曇天ではあるが、ジャガイモの濃い緑や稲の鮮やかな緑、タマネギの青に近い緑と休耕中の黄色の畑、色の種類こそ多くないが、数種類の色の田圃や畑が代わる代わる車窓を流れていく。前、ここを通ったときは車窓は一面真っ白だった。雪のない北海道に来たのはほんの2年ぶりなのに、えらい久しぶりなような気がする。砂川や深川の辺りでは緑の田畑に混じってジャガイモやソバの畑がきれいに白い花をつけている。しばらくすると列車は雲間に隠れていた山並みの中へと分け入り、緑の深い道からトンネルをいくつか越えると、やがて川に抱かれるように広がる巨大な旭川の市街の中へと進んでいったのだった。
朝8時過ぎの曇り空の旭川市街は、どことなくまだ眠りから醒めきっていないような感じがする。人通りはそこそこあるけれどまだ商店のシャッターは充分に開いていない買物公園をさまよいながら時間をつぶしたのち、私は9時になって営業を開始した駅のレンタサイクルを借り受けた。背の高い建物の密集する大都市の様相の中心街から周囲に広がる住宅街へ、途中隣の近文駅にも寄り道しつつ、川でも渡ろうものなら道幅はやたらと広いまま街並みだけが落ち着いたものへと変わっていってしまう北海道の都市の雰囲気を、そして昨日まで暑い所にいたのに現在は全く暑さを感じない気候を、私は存分に味わいながらペダルを踏み続けた。地図上ではありそうに見える道が実際にはないという小さなトラブルもいつものこととばかり、遠回りを楽しみながら自転車を進め、やっとのことで堤防の上のサイクリングロードに合流できたときは本当にうれしくて、私は土手の法面の黄色や紫の花咲く緑のじゅうたんと、その向こうに雄大に流れる川の風景を鼻歌混じりに堪能しながら、とりあえずの目的地に定めた神居古潭への道を、のんびりと進んでいった。
どんよりとした曇り空のもと、川沿いの道をしばらく進んでいくと、市街地をブロックするようにそびえていた丘陵が次第にすぐそばにまで迫ってきて、起伏は少ないものの、ちょっとした山道のサイクリングの様相を呈するようになっていった。いくつか小さい川を渡ったり、木立の間を進んだりと快く走ることはできていたのだが、ぽつりぽつりと降り出した雨は時とともに次第に勢いを増していき、しまいにはとうとう折り畳み傘が全く役に立たなくなるほどに降りしきるようになってしまった。そして正規のサイクリングロードの途中には通行止め区間があって迂回の指示も掲出されている。まだまだ行程の3分の1ほどしか進めていなかったこともあって、まだまだ先に進みたい気持ちは強く残ってはいたのだが、空模様は好転する兆しさえ感じさせてくれず、このまま進んだところで苦労ばかりになるのも目に見えてきたため、屈辱的なものを感じながらも私は今日のサイクリングを断念する決断をした。せめて帰りは別の道を行ってみようと国道経由で旭川市街を目指したが、降りしきる雨の中、サイクリングロードと違ってだらだらとした坂もあったりして、思いの外面倒な帰路となってしまった。煉瓦色のユーカラ織記念館のあたりが峠になっているようで、そこをすぎれば周囲には一気に街並みの視界が広がったが、それは完全に霧の中に沈みきってしまっているかのようだった。
結局2時間少々で自転車を返却するという屈辱的な結果に終わり、全身ずぶぬれになってしまった私は惨めさを感じながらトイレにこもって濡れた服を着替えるよりほかになかった。そして悪いことに、上はともかくズボンの替えは昨晩東京ではいていた短パンしか持ち合わせていなかったのである。朝20℃あったという気温は17℃にまで下がるという、昨日までの暑さからは信じられないような事態になっているというのに、私は今日これからを、Tシャツ短パンの真夏フォーマットで過ごさざるを得なくなってしまった。学生時代に初めてこの地を訪れたときは暑かったことを覚えていたけれど、今、当然周囲の地元民の中にそんな格好の人は居らず、私はなおのこと強い屈辱感を感じながらも、「暖かい」西武デパートで体を休め、駅構内蜂屋の油たっぷりの旭川醤油ラーメンで、冷え切った体を温めるくらいの抵抗しかできなかったのである。「季節の巡りが本州より遅い」ということはよく言われるけれど、本州ではついこの間梅雨が明けたばかりだということを、どうやら私は完全に忘れてしまっていたらしい。
午後になっても、旭川の市街はしとしとと降りしきる雨に濡れたままだった。私はとりあえず気を取り直し、バスに乗って再び神居古潭を目指すことにした。車窓に流れていったのは、さっきぬれながら自転車ですごすごと引き返した道であった。しかしながら、ここがさっき通った道であるということに、断片的に気づくことはあっても、ありありとよみがえってくるような感じは、不思議としないものだ。さっきは雨の中、自転車を漕ぐということだけに必死になっていたのだなあと、私は今更ながら思うことになった。
伊納駅近くの北都商業高校のあたりからが、先ほど前進をあきらめた道になる。それまで続いていた家並みも途切れがちになってきた国道に、ほぼ並行して旧道が残り、それがサイクリングロードとして利用されているようだ。これから訪れようとしている鉄道の旧道に加えて車道の旧道も残されているということに、この土地の人の交通に対する思いが込められているのかなあ、などという思いを巡らせながら、私は先ほどよりははるかに楽な旅路に身を任せていた。大きく濁った川に沿う道は完全に川の上にせり出し、川岸は次第にごつごつとするようになり、そして周囲が完全に深緑色の山並みに囲まれるようになってきて、長い長い神居古潭トンネルを抜けた所で、私は下車した。
順調に車は流れているけれどなかなか途切れないことにいらいらしながらも何とか横断し、旧道沿いに少し戻っていくと、黒みの強い岩がごつごつとした河原に架けられた白い吊り橋が印象的な神居古潭にたどり着いた。そこには大きな川の河原に、ごつごつとした深緑色が特徴的な岩が露出し、水量を増した川は濁りながらもしぶきを上げて、深緑の山間を激しく流れていく風景が広がっていた。相変わらず天気もよくなかったが、人がほとんどいない分、普通イメージする「北海道らしい風景」とは少し違う、山間で、岩場のごつごつとした風景に、こっそりと隠されていたものを発見したような嬉しさを私は感じていた。
吊り橋を渡った対岸には神居古潭駅の跡があって、レールこそないものの駅舎とホームはそのまま残り、休憩所として利用されていた。レールのない地面さえ見なければ、人気のない寂しい雨の駅の雰囲気が充分強く感じられて、止まない雨のしとしととした音をBGMに、自転車で「入線」することができなかったことに心残りを感じながらもゆっくりと、私は煙草の旨さをかみしめた。このあたり、アイヌの伝説も数多く残っているのだというが、このあたりに見られるごつごつとした岩を生み出している変成岩帯は、北海道の東半分と西半分が衝突して一つになった痕跡だという。北海道のルーツを想像させる何かがこの地には充ち満ちているようだが、それが何なのかは、カムイのみが知るところなのかもしれない。
私はあまり人気の感じられないドライブインのような場所から旭川へ戻るバスに乗り込んだ。雨は結局止まなかったが、バスはきわめて快適に国道を走っていく。長いトンネルを越え、旧道も本道と合流し、屈辱の北都商業高校を過ぎれば川とも離れて、周囲には再び街並が形成され始めた。結局私は自転車では、旭川の巨大な市街地を脱出することはできていなかったのである。当初は午後は別の場所にも行ってみたいと思ってはいたけれど結局はそれも不可能であった。またいつか別の季節にでも、雪化粧した神居古潭の河原の姿でも、見に行ってみたいものだ。