1.往路(8.24) / 2.焼尻島一周(8.25) / 3.焼尻から天売へ(8.26) / 4.天売島一周(8.27) / 5.復路(8.28-29)
今回の旅の最終日も、気持ちよい青空となった。朝の部屋も、この時期の東京ではまずありえないくらいの肌寒さであった。風も昨日ほどではないがそれなりに吹いて、青い海を揺らしている。まだ静かな朝、秋の虫の音は辺りに心地よく響き、そしてまだ柔らかい陽射しもまた心地よい。
昨日を以って今回の旅の主な日程をほぼ終えた私に残されていた予定は、ひたすら家路をたどることであった。最後の朝食を終えてフェリーターミナルへ向かえば、周辺の土産物屋も店を開き、1便の1時間も前だというのにフェリーを待つ客が集い始め、私が学生だった頃に流行った懐かしい歌なんかもスピーカーから流されたりしていたが、静かな雰囲気はそうそう変わるものではない。夕陽を眺めたゴメ岬の海も美しく青く輝き、カモメも1羽立ち止まる。昨日に比べれば波も穏やかで、フェリーも往路ほどは揺れずに済みそうな予感がする。異様なまでに澄み渡るゴメ岬の青い海には、今日は少し隠れ気味の利尻をバックに、ゆっくりと小さな漁船が航行する。港には今日も相変わらず長閑に時が流れ続け、波も昨日一昨日のように白い飛沫を立てることはなく、ただ丸い岩の間に静かに音を立てて行き来するのみ。きっと、多分、また来るからと、私は静かにカワラナデシコたちに声をかけた。
やがてフェリーターミナルには、焼尻をバックにして堂々とした姿の大型のフェリーがゆったりと入港してきた。大量の下船客が船を下りた後、いよいよ私は、島をあとにする航路へと乗り込むことになったわけである。昨日も一昨日も欠航となっていた島一周の観光船も今日は出航するらしく、穏やかな陽射しのもと今日は穏やかな航海となりそうである。そしてこんな小さな島でも、出航間際になれば蛍の光が流れ、そして乗客と島民との間にはお見送りのテープが交わされて、多少大げさなような気もしたけれどとにかく私も、たくさんの美しい風景と出会えた島に別れを告げたのであった。
船は外海へ進んでも、往路のような激しい揺れに見舞われることもなく、青い大海原を至って順調に航行し、カモメたちとの追いかけっこを楽しむかのように、焼尻島の北岸を快適に進んでいく。天売島はだんだんと小さく、引き替えに焼尻島はだんだんと大きくなり、両島の展望が大きく広がった後、船は大きく回り込んで焼尻島へと寄港する。島の風景も港の風景も、私が訪れた一昨日までと変わることなく出迎えてくれる。焼尻島では天売島から乗った客が降りる方が多いくらいで、港に待つ人の姿も天売島に比べればかなり少なく、宿の出迎えもなければ、変な見送りもない、至って長閑な港の風景が佇むのみだった。
焼尻を出航して本当の大海原に出ても、航海は極めて順調なままだった。私は海風に吹かれながら、甲板で飽きもせず、2つの島がだんだん小さくなって大海原の中の絵画と化していくのをじっと眺めるのみだった。対岸の本土の姿は両島に代わり、徐々に徐々にその姿を大きくし、その起伏をもはっきりと映し出すようになっていく。暑寒別岳は雲に隠れてしまっているようだったが、海原の深い青を中心として、一面青い風景が、船の周りに暫く広がり続けた。やがて苫前の丘に回る風車の姿が船からもはっきりと見えるようになって、前方には羽幌の市街もだんだんと大きく広がるようになり、程なくゆっくりゆっくりと、風車の載った柔らかそうな緑の丘に背後を守られる羽幌の港へと接岸したのだった。
羽幌の街に着いたのはちょうど昼時で、本当ならここで昼食でも摂りたい所ではあったが、予約していた札幌行の高速バスの時間が迫っていた。コンビニのある場所もわかってはいたけれどちょっと遠くて、私はバスターミナルの近くの100円ショップで飲み物と菓子を買い込むことしかできずに、直ちにバスに乗り込むことになってしまった。今回は羽幌の街には、往路で宿泊したとはいえ殆ど足跡を印すことができなかった気がして、また次に来る時にはこの、車が少ないわりには道の広い街の様子もじっくりと楽しんでいきたいものだと、私は強く感じた。
私は札幌駅へ向かう特急はぼろ号に乗り込んだ。バスは程なく大きく広がる羽幌の市街を抜け、林と草原の間の道を少し走れば、すぐに両島と利尻を浮かべる海沿いへ出た。行きには見ることのできなかった利尻も何とか姿を現してくれている。ススキや、天売島の宇宙館で名前を覚えたイタドリが茂る草原の丘の上では、今日も苫前の風車が回る。そして上平の草原に乗る大量の風車が一斉に同じ方向に回る圧巻な風景に見送られると、バスは暫く草むらを敷き詰めた崖と、真っ青な海が波を寄せる砂浜にはさまれるような道を進んでいく。行きは曇り空のもとに寂しくも見えた風景だったが、今は至って明るく心地よく車窓に広がっていく。そういえば島にはこんな完全な砂浜というのはなかったような気がする。バスはいくつかの市街を通過しながらも青々とした日本海に面して走っていたが、唐突に沖に堤防が現れ、岸に石油タンクが現れると、バスは日本海へ流れ込む留萌川に沿って内陸へと舵を取った。私にとって数日間ずっと一緒だった日本海と、ついに別れる時がやってきたのである。
遠巻きに深緑の丘陵で塞がれながら大きく広がる留萌の市街は、やがてだんだんと狭くなり、道も大きく回り込んで、程なくバスは森林に囲まれる緑の道を行くようになっていった。街なかではしっかり護岸された大きな川だった留萌川も、山の中では草や木の中に埋もれるような流れとなる。そんな山道の合間には所々小さな田圃も現れ、海沿いにはあまり見られなかった長閑な風景が展開するようになった。黄金色の田圃は往路よりももっと明るく輝いているかのように見える。周囲の草むらには残骸ではないまだ生きているエゾニュウも、少しは生えているようだ。崖の面にはオオイタドリとススキが広い面積を埋め尽くす。
そしてオオヤナギ、ナラやホオノキの茂る森林を暫く走ればバスは美葉牛峠に差し掛かり、留萌支庁を抜け、北竜町の広々とした黄金色の田圃が車窓に大きく広がるようになった。往路で見た数日前の同じ風景よりも、何だか一段と黄色みを増しているように感じられた。それは決して太陽光線の具合だけで説明できる変化ではないように私には見受けられた。白い花をたくさん咲かせる蕎麦畑も、車窓に美しく広がる。久々の広々とした雰囲気はそのまま北竜の市街にまで続く。「太陽を味方につけた街」のひまわりはむしろ数日前よりも勢いを失ってしまったかのようにも見え、刈り取られて更地となった畑も何ヶ所か広がっている。この季節の3日間というのは、田畑の作物の成育にとっては長い時間だったということなのかもしれない。
バスは往路と同じ小さな日の出ドライブインで小休止ののち雨竜町へと進み、再び広々とした黄色い田圃の間を進んだ。尾白利加(おしらりか)川の河原の草原には馬が数頭放牧されていた。そして新十津川町から石狩川を渡ると、バスは滝川の栄えた市街へ進んでいく。どうもこの街のセブンイレブンでは、本州では少し前に終わってしまったラスカルの絵皿プレゼントのキャンペーンを遅れて実施しているらしかった。バスは大きな市街を貫いて、再び車窓に田畑が目立つようになった市街の端からついに高速道路へと合流し、現実に戻る道を突っ走り始めたのだった。黄金色の田圃の風景を次に眺められるのは、また先の話になりそうである。
山林と田圃の風景を繰り返しながら高速をひたすら突っ走っていると、やがて草原を走りながらも遠方には札幌の巨大な市街が広がっているのが見られるようになってきた。程なく高速の周囲にも建物の姿が増えてきて、バスは札幌インターへとたどり着き、下界の市街へと分け入るように進んでいった。インター付近ではまだ建物の間にタマネギ畑があったりもしたけれど、菊水元町の郊外型の商店街、そして豊平川を越えて進めば、バスは完全に都会の中へと吸い込まれるのみとなったのである。札幌駅に着く前にバスは時計台の前をかすめていく。まさにちょうど、時計台が4時の鐘を打ち鳴らしているところだった。街なかの人通りも車通りも島では絶対にあり得ない、観光客のあふれかえる札幌の街へと、私は帰り着いたのである。
私はこの数日、JRの駅から遠く離れた所での生活を送っていたため、帰りの足が確保できるかどうかが、この旅で私に残された最後の最大の課題となっていた。私は札幌駅で直ちにみどりの窓口に駆け込み、残席2という状態の北斗星の寝台を無事に押さえることができた。携帯でも検索できた新千歳空港からの羽田行の飛行機がことごとく満席の状態だったので不安だったのだが、これでこの旅における私の懸案は一切なくなったことになった。私はほっとした気持ちで札幌の街に出て、せっかくだからセイコマートで、まだ食べられていなかった昼食、列車の中で食べる夕食と朝食、そしてサッポロクラシックやガラナ系飲料など、便利のいい街ならではの買い出しを存分に楽しみ、夕方間もなくやってくる北斗星2号の出発に備えたのだった。
そして私は北海道に別れを告げるべく、切符を手配したばかりの北斗星2号に乗り込んだ。まだまだ明るいうちから寝台列車に乗るなんて、ずいぶん久しぶりのような気もする。車内ではサッポロクラシックもよく冷えて売られていて、無理にセイコマで買い込むこともなかったのかなあなどと思ったりもした。札幌は曇りがちだったが、街から原生林へ行ったり来たりする車窓には何とか夕陽の姿も垣間見られた。
寝台の上段は荷物置き場には苦労しないが展望が得られないのは難だなと思いつつ、私は廊下の椅子に座って、流れゆく外の風景を眺めていた。苫小牧を過ぎた辺りから、空にはどんよりと低い雲が立ちこめるようになった。今朝まで天気が持ってくれたのはよほどラッキーだったのかも知れない。東京は雨で札幌よりも低温だという天気予報さえ出ている状態だったからなおさら、私は天気に関しては運がよかったのかも知れない。空はどんよりとしたまま、だんだんと暗くなっていった。牧場にはまだ馬が放牧されていたが、彼らもそろそろ家に帰る時間だろうか。
暗くなってしまえば特にすることはなくて、寝台にこもってビール飲みつつ漫画を読むくらいであったが、函館の声を聞いた位で私はだいぶ早く寝てしまったらしく、福島辺りまでかなりゆっくりと寝ることができた。青函トンネルも、青い森鉄やいわて銀河鉄道の区間でも、私は結局一切気づくこともなかったのである。福島の空もどんよりと曇っていた。田圃も北竜や雨竜で見たのよりまだまだ青々とし、荒れ地にもオオイタドリの群落などは存在しないようだった。須賀川辺りではリンゴがぼちぼち色づき始め、車窓に秋の訪れを感じさせてくれる。特にやることがあるわけでもなく、私は通路に座って流れる景色を眺めながら煙草を吸ったり、上段のベッドに寝そべって足元や頭上で流れる景色に時々目をやりながら、音楽を聴いたり漫画を読んだりとくつろいだ時を過ごすのみだった。南下するにつれて外界にはとうとう雨も降り出してしまい、あんなに天気のよかった島の風景が、早くも思い出の世界に遠ざかって行ってしまったかのような寂しさを感じながら、私は東京へと戻ったのだった。