1.往路(8.24) / 2.焼尻島一周(8.25) / 3.焼尻から天売へ(8.26) / 4.天売島一周(8.27) / 5.復路(8.28-29)
天売島で迎えた初めての朝は、今日もよい天気となってくれたが、どうも風が強いようだ。昨日の昼も夜もたらふくごちそうになったウニの漁は早朝に行なわれるのだけれど、この風ではちょっときつそうな感じだ。島の宿の朝食は8時かららしい。私の今までの旅に比べると少し遅めな感じではあるが、この島ではどうもフェリー1便の10時頃になるまでは朝刊だって届かないし、特に何も始動しなくても構わないらしい。普通に目覚めて早く島巡りに出かけようと思っていたので少しもどかしい気持ちにもなったけれど、せっかくなんだからのんびりとした島の生活にどっぷり浸かりなさいということなのだろう。焼尻の方向から昇った朝陽は海面を強烈に照らして焼尻を黒いシルエットとし、港にもとても明るい雰囲気が満ちあふれる。
遅い朝食の後、私は天売島を時計回りに一周する旅に出かけた。街のメインストリート沿いにだけは、隙間は多くても住宅や民宿が建ち並び、その合間には小さな畑が造られている。道幅もそこそこ広く、車の交通量も決して少なくはない。家並みの隙間からは必ず青い海原が垣間見られ、山側には神社も佇んで、暑いほどの陽射しの中に穏やかな木陰をつくる。家並みの隙間からは所々海岸に出られる所もあって、出てみればやはり、穏やかに横たわる焼尻を浮かべる濃く青い海原が広がり、本土の山並みも美しいシルエットを示す。
街並の規模は島の底角を折れ曲がるとなお大きくなり、建物自体も大きく、隙間は小さくなって、家だけでなく小さな商店や学校、官庁も現れるようになってくる。そして少し前の昼のドラマの舞台となっていた赤い屋根の小さな診療所も、本当に診療所として集落の中に佇んでいる。実はこの前浜という小さな漁港の周りの方が、羽幌からの船の着いた港の周辺よりも市街としては発達しているかのような感じがする。前浜の港は静かではあるけれど、背景の山並みや焼尻島の姿が美しいのは言うまでもない。私は海岸と集落との間のきつい段差を我慢しつつ、港の周辺で何度か海辺に降りながら歩みを進めた。
登校中の人なつこい地元の小学生に興味を持たれ、他の人に怪しいおじさんだと思われたらどうしようなどと心配しながら暫く一緒に歩くことにもなったりしたが、彼の学校を通り過ぎればまた、家並みの間隔も広がっていく。道路沿いに立つ朽ちかけた「鰊番屋」という看板に誘われ、私は再び海沿いへ出た。古めかしい木造の鰊番屋は看板と同じように朽ちかけながら、焼尻を望む緑の崖の上に寂しく佇む。ここに来て焼尻の角度もフェリーターミナルから見るのとは変わってきて、真ん中が盛り上がるような形になっていたけれど、それでも緑の草原で覆われた柔らかそうな姿であることには、変わりはないようだった。
山側の丘陵には、小島のように木々が間隔を開けて茂り、その間は背の高い草で埋められる原野となっている。道に沿う建物の頻度は程なく極端に小さくなって、道も急に狭くなり、道の左手は海にぐっと近づいて、海原を背景にして広がる小さな草原にはエゾニュウの残骸が大群落をつくっている。あと1ヶ月も早くここに来ることができていたら、元気なエゾニュウ達がきっと草原に華やいだ雰囲気を与えていたのだろう。今は下草の緑が濃い青色の海に接し、穏やかに横たわる暑寒別をバックに、落ち着いた雰囲気となっている。
この辺りが、さっき一緒に歩いていた小学生がきれいな所だと自慢していた黒崎の海岸ということになるようだった。沖には多少の岩礁を浮かべ、黒い鳥たちがたくさん、その上で羽を休めている。風はそこそこ吹くけれど、波はだいぶ穏やかになっていて、あくまで青く澄み渡った静かな海の風景が広がる。丘陵も相変わらず草原で覆われており、青と緑が大部分を占める爽やかでのんびりとした雰囲気に包まれている。もちろん空にも雲はなく真っ青だ。そんな穏やかな風景が広がりながらも、丘陵を仰げばここまで平坦に続いてきた島の外周の道がどうやら、この先は大きく曲がりながら黄緑色の丘の上へと急に登るようになるようで、私は頑張らねばと自らを奮い立たせた。
私は草原の中に延びる急坂を、ゆっくり、ゆっくりと登った。進めば進むだけ、青い海とそれに接する黄緑の草原は、一層大きくなって私の背後に広がるようになった。草原にはススキが生い茂り、穏やかになった風にさざめくが、その中に紛れ込むようにツリガネニンジンも、たくさんの小さな紫色の花を咲かせて存在を示す。時々は柏やイタヤなどの木が曲がりくねりながら生えてちょっとした群落のようになるけれど、道はほぼ常に大きな大海原を見ながら登っていき、高度を上げるたびに焼尻も、大きな海の中にぽっかりと浮かび上がる巨大な物体へと化していく。
やっとのことで丘陵を登り詰めると白い灯台が建っていて、道はその裏手に回り込むように渡され、黄緑の断崖の斜面上に、赤岩展望台という見どころが造られていた。名前のもとになっている赤岩は展望台からは眼下にそびえ、実際は大きいのだろうけれどあまりにも真上すぎるためか、崖下の磯に切り立つ1枚の高い岩でしかなく、それよりも何よりも私の心に響いたのは、目前に一面に広がる海の、素晴らしいまでに鮮やかな青色であった。かなり低い所に横たわる海は穏やかにさざ波を立て、太陽に照らされて沖合は深い青に、そして近海はコバルトブルーに、海底の凹凸までもが見て取れるほど透き通りながら、広大に広がっていたのである。あまりにも鮮やかな海の色に、私はしばし見とれるより他になかった。
焼尻も背後に回って本土に背を向ける方角となったため海の上に浮かぶ陸地はなくなり、新たに右手の断崖に寄り添うように利尻富士がそびえ立つ。焼尻ではこんなふうに海そのものを展望する場所はあまりなかった気がするから、海の姿を眺めたければ天売島の方がお勧めということになるのかも知れない。森を見るならば焼尻だろうけれど。そして、草原を見るならどちらの島でも。
展望台の背後に立ちはだかる断崖はウトウの繁殖地であるといい、赤茶色の地肌の露呈した崖の面に無数に口を開くが、この時間は出かけてしまっているようで彼らの姿はなく、辺りは極めて静かで穏やかな雰囲気に包まれていた。しかし近くの公衆トイレには、ウトウが入るので扉を閉めろという趣旨の貼り紙が貼られる。夕方になれば帰ってくるというが、これだけたくさんの巣穴があるとなると、その時間にはかなりすごいことになりそうな気もする。眼下の赤岩にはカモメが飛来することもあり、この時間でも寂しさを感じることはない。
灯台は陸地の突端にあるのだが、島の北岸へと回り込む道はさらに登りが続き、進めば進むたび、もう会えなくなると思っていた焼尻島は、さらに大きさを増した海の中に完全に取り込まれるように浮かぶようになってきた。ススキがたくさん揺れる原野の中の登り坂に、私は着実に歩みを進めていく。やがて焼尻を浮かべる右側だけでなく、利尻富士を浮かべる左側にも、草原越しに青々とした海が望めるようになってきた。
千鳥ヶ浦という所に来ると北側の、より海岸へ近づく方へ向かう道が分岐していた。起伏に富んだ道が草原の中に通され、私はやや強くなった風に吹かれながら、転げ落ちてしまいそうな恐怖を感じるほどの急な下り坂を下っていった。程なく右手には島の北端へ続く、これまでにないくらい高くて荒々しくごつごつとした岩の露出する断崖が現れた。こういう所だからこそ海鳥たちは好んで巣を作るということのようだが、人間から見れば身の縮むような断崖である。
海からの強い風が吹きすさぶ道の終点には、海鳥観察舎という小屋が佇んでいた。小屋の中に入れば、風に吹かれない分だけ荒々しい断崖もただの絵のように穏やかになって、私は多少は落ち着いて周囲の風景を眺めることができるようになった。断崖は荒々しいが、その上の草原はやや強い風を受け、海の波と同じようにさざ波を打つ。小屋の中には望遠鏡もセットされている。オロロン鳥はもういないのだけれど、望遠鏡を覗けばデコイというらしい模型の鳥が下界の遠くにある岩場にたくさんセットされているのがよく眺められる。集団営巣性鳥類を呼び寄せて繁殖させるのには、優れた方法なのだそうだ。そして断崖に接する海は、ここでもコバルトブルーに透き通る。本物の鳥の姿がないことだけが残念だったけれど、私はしばし、時には直接、時には望遠鏡越しに、断崖の海の風景をじっくりと眺めたのだった。
私は再び、島の尾根を進むすがすがしい道へと戻った。特に記念碑のようなものがあったわけではないが少し登った所が島の頂上に当たるようで、この先の道は上下を繰り返しながら徐々に高度を下げていくような格好になった。何の為かはわからないが、恐らく島で最高となる地点は少しだけ切り開かれていて、ナデシコが咲き誇る小さな花畑には蝶が優雅に舞う。道は時折草むした丘陵の間に隠れながらも、右手にはほぼ必ず焼尻を浮かべる海が見え、左手にも時折利尻富士を浮かべる海が現れる。ここへ来て若干秋の色に変わりつつあるイタヤを含めた林も成立するようになったが、道ばたを埋めるのは依然草原の方が多く、コガネギクは鮮やかな黄色の色彩を、そしてヨモギは白みがかった濃い緑色を、黄緑の丘陵に与える。
やがて、道の前方にも海が現れるようになり、昨日訪れた紅白の灯台が草原の中に建つのが下界に見られるようになった所に、観音崎への入口があった。ヨモギをかき分けて小径の先端まで歩ききれば、ここにも高い断崖の上に展望台が設けられていた。さっきの海鳥観察台の方向は逆光となり、崖も黒い影のようになってしまっていたが、高く切り立つ荒々しい断崖に接する海は、ここでもやはりコバルトブルーに澄み渡っていた。そして緑の天売島は、海鳥観察舎の方を頭に、焼尻の方を尻にするような動物のような姿で海の上に横たわり、その周囲を囲む海は、暑寒別から焼尻、利尻を広大な範囲に広がっていた。焼尻がそうでなかったというつもりは決してないけれど、天売の海のあまりの美しさに、私はしばし圧倒されるより他になかったのだった。
観音崎をあとにすれば、道は急坂を下る一方になって、背の高い草が風に揺れる原野越しに見えていた灯台、港やその先の焼尻の背景となる海の姿も、次第にその領域を狭くしていった。ススキが一面に茂る赤い草原、笹の緑の中にコガネギクの黄色が点在する草原の中の下り坂をゆっくりと下るうちに、焼尻も灯台も周囲の森に隠れて見られなくなり、程なく私は昨日も通った森への入口へとたどり着いた。標準的には徒歩3時間の島内一周の行程を、私は5時間かけてようやくこなすことができたのである。
私は昨日も入った森に再び入り、墓地の所から昨日は通らなかった3つめのルートを選んで引き続きのんびりと散歩を楽しんだ。森は確かに赤蝦夷松や椴松が茂る鬱蒼としたものではあったが、距離は短くてあっという間に草原へと出てしまった。その一瞬だけ、青い海の上に焼尻の勇姿が望まれたけれど、続く坂を下ればあっけなく、私は朝も通った前浜の集落へと誘われていった。陽の向きは変わったけれど朝とそう雰囲気が変わるわけでもない前浜の集落の郵便局で貯金を引き出しつつ、私は港へ帰る道を歩いた。もうこの旅におけるメインイベントは終わりだなと、商店で買ったコアップガラナを片手に思いに耽ってみれば、傾き始めた太陽がまだ明るいというのにどことなく寂しげな表情を見せる。そういえば陽射し自体は昨日とそう変わらない強さだったのに今日はあまり汗をかかなかった気がするのは、風向きが北寄りに変わったせいだろうか。
時間はまだ少しあったので、私は街なかにある海の宇宙館という施設に立ち寄り、勉強がてらしばし休憩することにした。ようはオロロン鳥やケイマフリの写真などが展示されているだけなのだが、それに限らない天売の自然全般に展示が及んでいるようで、特に「今咲いている花」という展示は、生物の名前にあまり詳しくない私にとってはとても勉強になるものだった。アザミだと思っていた、ふわふわの綿毛をつけていたピンクの花は実はゴボウだったとか、青紫の野菊はエゾノコンギク、白くて小さな花序をつけて咲き誇るのはヤマハハコあるいはノコギリソウ、そこいらのナデシコの正式名はエゾカワラナデシコ、オオアワダチソウも確かに生えていたし、本土でも見られた背の高くて白い房状の花をつけていたのはオオイタドリ。クサフジも見たしウドと見られるセリ科の植物も確かにどこかで目にしている。樹木の方もオオバヤナギに、裏が白いのはドロノキ……。私は道端に生える雑草の名を一つ一つ確かめながら、海沿いの道を宿へと戻っていったのだった。
私は暫く宿でまったりしてから、港に隣接して地図では海水浴場と記されてはいるけれど狭い領域に大きな石がごつごつとしていて、気温のせいでなくあまり泳ごうとは思えない海岸や、人を恐れないカモメ達が静まり返った岸壁の上をゆっくり歩いている港をのんびりと歩きつつ、今日もまた、夕暮れのゴメ岬へと出かけた。今日こそは空に雲は殆どなく、太陽の光球が刻一刻と地平線に近づいていき、やがて接し、そして完全に地平線の下へと沈んでしまうまでの一部始終を、私は完全に目にすることができた。ナデシコたちが強風に耐える中、周囲はだんだんと暗くなっていき、最後の太陽を見送ったあとの私には、もうあとは帰るだけかという寂しさだけが残されることになったのだった。そして宿に戻れば、今日の夕食もまた、ウニづくしなのだった。昨日と今日で、私はウニを一生分食べることができたような気がしている。