焼尻島・天売島(2004.8.24-29)


1.往路(8.24) / 2.焼尻島一周(8.25) / 3.焼尻から天売へ(8.26) / 4.天売島一周(8.27) / 5.復路(8.28-29)

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 目的地を目前にして羽幌で迎えた朝。とりあえず冷房がなくてもぐっすりと眠れるというのがとても素晴らしいことだ。空には雲はまだ多いが晴れ間も覗き、天気予報では天気も回復の方向だという。しかしそれよりも何よりも、最高気温の予想が21℃という、この時期東京ではまず考えられない値であったことが、私にとってはものすごく感動的なことであった。

 既に夏休みも終わりランドセルの小学生も通学していたりする、朝の静かな羽幌の街へと私は出て、フェリーターミナルへと一路に進んだ。この街も北海道によく見られるように、道幅は異様に広いけど建物の密度はごく小さい。市街のすぐ外側には、ササで覆われたような黄緑の崖が立ちはだかっている。朝早いせいもあるのか、辺りは至って静かな雰囲気に包まれている。漁港やフェリーターミナルの辺りへと進んでいくと、海には大きな漁船が停泊して多少は活気があるように見えるが、それもたかが知れている。そんな静かな市街の外周を取り囲む緑の崖の上には、ここにも発電風車が何基か佇んでいる。

 私はすぐにフェリーに乗り込んで、焼尻島を目指した。天気は回復し、海は穏やかなように見えてはいたけれど、港の領域を出ると、その様相は一変した。空は晴れ、海原も穏やかに深い青色を呈するようになったけれど、風も強く、水面は大きくうねって船体を上下左右に大きく揺らし始めた。船にカモメが寄ってきて客に餌をねだるというのはこういう所ではよくある風景なのだろうが、この揺れの中余計なことをしたら確実に酔ってしまうような気がして、私は約1時間の航海中、ずっと甲板に立ち、船の左右の揺れに合わせて体を動かし、まるで踊り続けるような動作を取ることになってしまった。

焼尻島へ 2つの平たい島は時とともに次第に大きくなっていき、近づくにつれてこれらの島々も羽幌の街の外周の丘と同じように、黄緑色の崖で成り立っているらしい様子が次第にはっきりと見て取れるようになってきた。目指す焼尻島の方には深緑の森林も発達しているようだったが、灯台の建つ先端付近はやはり、はげた黄緑色の崖になっているようだった。やがて、常に冷たい風を船に吹き寄せ、時には甲板にまでしぶきを巻き上げてきた海も、船が焼尻島の港へと入れば急に、その手を弱めておとなしい姿を見せるようになった。

 フェリーは焼尻島を経由して天売島まで行くのだが、私は今日は焼尻島で下船することにしていた。焼尻島に上陸を果たした私は、島の外周を時計回りに巡ることにした。港にはレンタサイクルもあるようだったが、まだ午前中の早い時間、今日は1日じゅうこの島で過ごすことにしていたため、私はゆっくり、のんびりと歩いてみることにしたのである。この島ではフェリーからも見て取れたようにあらゆるものが断崖の上に乗っているようで、港の外に出るためにも坂を登ることになるし、坂の上の市街からも広々とした青い海原を見渡せる場所が、そこいらじゅうにあるようだった。街なかには古い洋風の豪商の家が、小さな建物の並ぶ素朴な漁村の中で異彩を放ち、そのような建物を模した郵便局も隣に建って、また違う意味での異彩を放つ。

 集落にはあくまで小さい建物ばかりが並んでいて、島を一周する道道を進んでいくと、いつの間にか集落は終わり、背の高い草に覆われた斜面に通された道へと変わっていく。雲も少なくなかったが大きく晴れ間も広がる、北海道の本土までの間に広くて青い空のもとに横たわる海はどこまでも深く青く、草むらの緑色も輝くように美しく、東京とは明らかに質の異なる空気の中に極めて爽やかな風景が展開していく。時折レンタサイクルの人が私を追い越していくけれど、基本的には人の姿も少なく、至って静かな雰囲気が辺りを満たす島だ。

 少し進んでいくと丘陵の草むらの中に小さな灯台の建つ所がある。島の形を単純な多角形に近似すれば頂点に当たる所となり、道も方向を変えるが、周囲の風景もここを境として大きく変わることとなった。道を囲んでいた草むらの中にはめん羊牧場ができていて、数頭の、顔が黒くて白い毛並みのサフォークがのんびりと草を食み、そして島の長辺方向を見渡す方角となったため、この先に続く島の起伏が一目でわかるほど、遠くまで島の海岸線が見渡せるようになっていった。海岸線はすべてが緑色の高い斜面になって海に接し、海上にようやく姿を現した天売島に面する崖はさらに高くなって、ごつごつとした黒い岩肌を緑の中に露呈する。それでも斜面を覆っているものがすべて草であるために、どこか柔らかそうな島の雰囲気が一面に広がるようになったのである。

焼尻島南岸 海に面する草むらの中には、北海道に来てよく見るようになった背の高い植物に混じり、ススキの穂も存在を主張し、そしてわずかながらユリやオオマツヨイグサが彩りを添え、穏やかな風に揺られている。エゾニュウの残骸も少なくない。何のことはない、昨日車窓からその姿が見られなかったというのは、単に季節が終わってしまっていただけの話らしい。そんな白浜海水浴場にはラナルド・マクドナルドというアメリカ人探検家の漂着地であることを表すトーテムポールが立つ。ペリーが来る2年前の出来事だったというが、そういえば2年前の夏の旅の時に読んだANAの機内誌に載っていた、エゾニュウを見てstrange plantsと呼んだ人のことではなかったかと、私は印象的だったその記事のこと、2年前の旅において、夏の北海道の車窓をより強く印象づけるきっかけとなったその記事のことを思い出し、離島ではあるけれど確かに北海道の大地と再会できていることの感慨に、しばし浸ったのだった。

焼尻島緑の絨毯 引き続き私は、海に面して立つ斜面の中腹に道が這うように伸びているのを追いかけるように、ゆっくりと歩みを進めていった。すると晴れていたはずの空には黒い雲が現れて、急に雨が降り出してきた。遠くに見えていた天売も白く煙り、深く青かったはずの海も灰色に変わって、私はさすがに不安に駆られてしまったが、案ずることなく雨は程なく上がってくれて、小さな紫のツリガネニンジンや黄色のマツヨイグサ、オレンジのクロユリや深紅のハマナスの実なども見られる草原の中の道を、何度も何度も立ち止まりながら歩き進む余裕が再び私に与えられた。そしてそれなりに進んだ所で後ろを振り返ってみれば、さっきの灯台はだいぶ遠くに小さく見えるようになり、灯台までの間に延びる斜面もまた、広々とした草原で埋め尽くされつつ青々とした海に面していたのである。あまりにダイナミックな、一面に美しい草原が広がる風景の中で、私は何度も足を止めては振り返り、その柔らかそうな大きな緑の絨毯を、何枚も何枚も写真に収めたのだった。

鷹の巣園地から 港とは反対側の島の末端にあたる鷹の巣園地が近づくと、道は急な登りに差し掛かり、振り返れば海原は、港の方向の陸地の向こうにも回りこむようになってきた。そして園地にたどり着けば、この緑の大地が360度の周囲をすべて海に囲まれながら快晴になった空のもとに横たわる、まさに「島」であることがよくわかるダイナミックな展望が、辺りに一望のもとになったのである。一瞬のにわか雨に霞んでしまっていた天売島も、海を挟んでまさに目の前に、鮮やかな緑色の姿を横たえていた。

 焼尻島を底辺が本土と平行な二等辺三角形とすると、天売島に正対する鷹の巣園地のすぐ先が島の頂点ということになる。底辺の向こうに横たわる青い海までのすべての姿が見渡せる焼尻の大地も、エゾニュウの残骸をたくさん含むササや背の高い草を中心とするように広大な草原となって広がっている。青い空と青い海と緑の島、それ以外には何もない穏やかな島の草原の風景は、風も強まり陽射しも強くなった中に静かに佇み、私はそんな長閑で爽やかな風景の中、しばし足を休めることにしたのだった。

焼尻島北岸 鷹の巣園地はよほどの高台であったと見え、島の北側へ下る道はかなり急な坂となっていた。そんな道をたどっていけば、真っ青な海原の向こうに、今度はうすぼんやりとだが利尻富士までもが、その姿を現し始めた。私にとっては見られるとは思っていなかっただけに、とても感動的な出会いとなったのだった。

焼尻島北岸 そんな坂道をやっとのことで下りきると、道は唐突に太くなって、廃屋ともとれない小さな建物が道沿いにぽつぽつと現れるようになった。西浦という小さな漁港もあり、北岸には南岸のような全く家並みのない草原のみの風景というのはどうやら存在しないらしかった。風は北寄りであるため、北岸の海には南岸と異なって常に強めの波が寄せ、道に沿ってより高く寄り添うようになった崖の下に延びる散歩道を、私は潮騒の音を聞きながら暫く歩むことになった。海沿いの家並みは、すき間だらけではあっても途切れることはないが、車道は起伏に富む坂道が続き、峠に立って背後を振り返れば、天売島まで続いているかのように錯覚する緑の丘陵と、その麓に通された太い道沿いに成立する小さな集落が、日本海の荒波に洗われる風景が、一望のもとに広がった。小中学校の所にはおそらくは島唯一の信号があって、生徒が道路で美術の授業中だった。もうこの地では、2学期が始まっているのである。

 そんな潮騒の道を暫く歩き、私は北海道の本土に面する底辺へ折れ曲がる底角の部分へと差し掛かった。工兵街道記念碑というよく分からない記念碑も建つ島の突端を囲むように広がる海は、再び現れるようになった北海道本土の影をバックにし、極めて青く美しく一面に横たわる。海へ落ち込む断崖にはオニユリや、ハマナスの赤い実が小さいながらも彩りを添えてくれている。ここまで来れば、私がこの島への上陸を果たした港も、もうすぐそばであった。公式には徒歩では3時間ということだったが、私は少しゆっくり目の4時間で、焼尻島一周を完了したわけである。

オンコ原生林 周囲の一周を終えた私は今度は島の内部を目指し、真っ青な海を背にして崖の上へ続く急坂を登り、小さな社の建つ境内の一角から海原を見渡すこともできる厳島神社の裏から、オンコ原生林へと入っていった。辺りにはひときわ濃い緑の針葉樹であるイチイの木が、背の高いイタヤ、ナラ、ホオノキ、アオギリなどの広葉樹の下で、赤い幹を八方に広げながら、たくさんしっかりと根付いている。足元も笹だけでなく多様な植物により固められ、中にはナラやイチイの実生も加わり、上から下までたくさんの種類の植物が生い茂る鬱蒼とした森の中に、新たな種類の植物を見つけるたびに嬉しさの感じられる、歩いていて楽しい遊歩道が通される。

原生林に秘められた沼 森の中には秘められるように小さな沼が横たわり、その周囲は雲雀ヶ丘公園ということになっているが、特に周囲の原生林との区別があるようにも感じられない、鬱蒼とした空間がここにも広がる。一つの森として一体化している空間に、沼はあくまでひっそりと横たわる。どうもこのあたりのナラの木は妙な枝振りになる傾向があるようで、奇木としてエゾシカだの知恵の輪だのと名付けられているものも多く、決して木の枝は真っ直ぐ延びるわけではないのだということが強く感じられる森である。原生林の足元を削る沢はウグイス谷と呼ばれる深い谷をつくり、自然林の樹木はその流れの上にもせり出して、ノリウツギや、小さな赤い実をたくさんつける木も、薄暗い中に存在を主張する。天気は不安定なままで、何回かシャワーのように冷たい雨が降り、陽を浴びていれば暖かかったのに、ここにきて肌寒ささえ感じられるほどになってきた。

オンコ原生林 そんな、それぞれの木が思い思いに枝を伸ばしているかのようにして成り立つ森は唐突に途切れ、道はさっきも通りがかった南岸の白浜の海を見下ろす、緑の絨毯の敷き詰められた丘の上へと出た。薄暗かった森の中から急に明るい所へ導かれた私には、強烈な眩しささえ感じられた。すぐそこにはオンコの荘という、イチイの群落がある。海からの強風に吹かれて背が高くなれず、低い所で細い枝を無数に伸ばしている。そしてこの丘からはさっきも少しだけ見られたサフォークの放牧が、さらによく見渡せる。白い体と黒い顔のサフォーク達はさっきよりも数が増えたようで、斜面に広々と広がる絨毯の上でのんびりと草を食む。島自体が防波堤、防風林となっているのか、丘の上に流れてくる風はごく弱くて、北岸に吹いていた冷たい風と強い波が嘘のように、穏やかで静かな雰囲気が醸し出され、羊の鳴き声が遠くまで響き渡る、何とも牧歌的な草原の風景が、辺りに広がっていた。

サフォークの佇む草原 島の南岸へ下る道の周りには、たくさんのオレンジのオニユリが咲き誇り、紫のツリガネニンジンや黄色のオオマツヨイグサも混じって、華やかな草原の道を演出する。そんな華々しい草原の坂道を下り、私はさっきも通った南岸の海との再会を果たした。午前中だったさっきと異なり海には太陽が近づいて、逆光となって海に面する草原の斜面も黒っぽく影となり、海面もぎらぎらとしている。だいぶ雰囲気の変わってしまった海岸の道を私は、午前の歩みとは逆方向に歩き、市街へと向かった。白亜灯台から島の底辺に戻ればまた風は強くなり、肌寒さがより強く感じられるようになった中、海も音を立てるようになり、人の姿もあまり見られなくなった市街まで、私はとぼとぼと寂しく歩いていったのだった。

 今日のフェリーが全て出てしまったあとの市街は、極めてひっそりと静まり返るのみだった。私は寂しい市街の中に佇む小さな宿に入り、携帯どころかテレビの電波さえも覚束ない島で一晩を過ごすことにしたのだった。今回は現地で宿の手配をすることになってしまったのだが、明日以降訪れるつもりにしていた天売島での宿の手配に私は少しだけ苦労することになった。港に近い便利のよい宿は軒並み満室であるか、あるいは既に今シーズンの営業を終えてしまっているかであったからだ。テレビの天気予報では平気で、放射冷却だの寝冷えに注意だの、東京ではまずこの時期には聞くことのない単語が連呼されていた。心なしか部屋も寒かったような気がしたのは、建物が古かったせいだけではなさそうである。


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