1.往路、脇野沢(8.21-22) / 2.仏ヶ浦、大間崎(8.23) / 3.下風呂、尻屋崎(8.24) / 4.川内川、湯野川温泉、国道338号(8.25) / 5.薬研渓谷、恐山、釜臥山(8.26)
私にとって今回の旅の最終日となるこの日、天気は今日も快晴で、そして最早真夏フォーマットでは寒ささえ感じられるほどの冷たい空気に辺りは包まれていた。私は宿に車を置かせてもらって、宿の周辺に流れる薬研渓谷の周辺を朝の涼しい空気の中に散策していくことにした。
車道でさえ鬱蒼とした森の中に包まれるこの辺り。木々の間には、崖下に流れている川の音が静かに辺りに響いてくる。そして川に架かる橋を渡れば、高く切り立つ緑の山並みに囲まれながら大量の水を流し続ける渓流の姿が大きく広がる。川原まで降りられる遊歩道も何カ所か整備されていた。車道沿いに生える木々は杉が優勢なようだったが、遊歩道を奥まで分け入ればやはり、青森ヒバの木もたくさん立ち並ぶ。そしてそれ以外にもたくさんの種類の樹木が森林を形成し、足もとには蕗や、決して一種類ではないシダ植物がたくさん生きている。
崖の面からはあらゆる所から地下水が浸み出し、昨日は雨は降っていなかったはずなのに土はたっぷりと水を含んで、ぬかるんでいる所もある。しかしぬかるみに負けずに川の近くまで進んでいけば、静かな淵となっている川の水面は水平を保ちながら山肌の緑を鮮やかに映し出しているし、岩のごつごつしている所では川は爽やかな音を立てながら流れ下っていく。中には砂防ダムができている所もあって、豊かな水を絶えず大量に流し続けている。釣り人の姿こそ何人か見かけたものの、遊歩道を歩くだけの人は私の他にはあまりいないようで、私は静かな森の冷たい、爽やかな朝の空気を独り占めにすることができたようだった。
川沿いに通る森林の中の道を下流側へ暫く歩くと、頭上に架かる大きな薬研橋が現れた。遊歩道から頭上を渡る巨大な橋が森を貫く様子も圧巻であったし、橋の上に登って深く削られた渓谷を大きく眺める景観もまた見応えのあるものだったが、近くの広々とした駐車場に車の姿は殆どなくて、ましてや人の姿などあるわけもなく、緑色の世界には荒涼とした寂しい雰囲気が漂っていた。紅葉の季節になればまた違った、もっと美しい世界に包まれるのかもしれない。私は橋から続く車道を歩き、もとの薬研温泉の中心街の方向へ、木々の間にさっきは間近で眺めた川面を垣間見つつ、爽やかな空気を味わいながらゆっくりと歩いていった。
渓谷の見どころは宿の辺りを中心として両側に広がっているらしく、私は薬研橋とは反対側の上流側の領域を目指すため、薬研温泉へ戻る直前に分岐する、キャンプ場に通じる道へ歩みを進めた。川に架かる橋は車両通行止めとなっていて、あまり人を寄せ付けたくなさそうな雰囲気も感じられたけれど、歩行者の通行には支障はないようだった。対岸では遊歩道がキャンプ場を経てヒバの原生林の中へ続いていく。その森の中に、巨木オグリという所へ誘う案内があって、私は誘われるままにかなり急な登り坂へと分け入った。悲鳴を上げそうなくらいの急坂を登っていけば、ヒバの木はそこいらじゅうに生えているし、それ以外にも様々な種類の木々が深い森を作り出す。やっと登り詰めた所には、茶色っぽいヒバの木に囲まれながらその何倍もの太さの白い幹を堂々とさせる巨木オグリの姿があった。栗の木がここまでの巨木になること自体珍しいことであるようだが、オグリはこの原生林をどっしりと守ってくれているかのような、静かな安心感を辺りに与えてくれているようだった。
オグリへの入り口から奥薬研にかけては車も通る林道となり、敷き詰められる砂利も大きくて、マメのできた足で歩くのはかなり辛いものだった。森は大きく切り開かれて道には日影もなく、近くを流れているはずの川のせせらぐ音は聞こえても川面が見られることもない。それでも暫く頑張って歩いていくと、林道からヒバの林の中へ、歩道専用の遊歩道が分岐していた。漸く少しは川面にも近づいて快適に歩くことのできるようになった道は、実は大正時代くらいまであった森林鉄道の廃線跡であるようで所々にその遺構が残り、手堀りのトンネルを抜けて暫くすると、道の上には2本のレールまでが現れた。私はまさに、トロッコになった気分で軌道の上を歩くことになったのである。
私は深い森に包まれた遊歩道に通るレールの上を、足取りも軽く歩みを進めた。この辺りはヒバの施育林になっているとかでそれなりに手入れもされていて、この鉄道もかつてはこの辺りで切り出したヒバの木を運んでいたのだろうなと私は想像を巡らせた。やがてヒバの林を抜けるとレールも途切れ、森林浴気分の散策も終了となって、程なく道は大畑川の本流を橋で跨ぐ所に差し掛かった。そこは昨日のドライブで苦労した砂利ダートの林道のまさに出口であり、すぐ近くには奥薬研温泉と銘打った立ち寄り湯のあるレストハウスが建っていたのだった。私は早速立ち寄って、山林の中の渓流を眺めながら入浴できる贅沢な露天風呂にゆったりと浸かり、暫しの休養を楽しんだ。
奥薬研温泉から薬研温泉への帰り道は、時折川原に降りる遊歩道の整備される県道を歩いていくことにした。さっきの森林鉄道の廃線跡も悪くはなかったが、川面や川原に近づく機会の多いこちらの道を行くのもまた、楽しい散歩であった。川の流れは緩やかな淵になったり、激しく流れる渓流になったりを繰り返しながら、深緑の谷底の風景を引き立たせるように流れゆく。川原にはかくれカッパの湯と呼ばれているらしい、浴槽しかない露天風呂が現れたり、川の本流が大規模な2段の滝になっているダイナミックな風景があったりと、こちらの道でなければ味わえないような風景にも、私はたくさん出会うことができたような気がした。
結局、車を取りにもとの旅館に戻った頃にはもう昼過ぎになってしまっていた。私は車を走らせ始め、恐山を目指していった。恐山へ向かう道へと分け入ると、森の中には引き続きカーブを繰り返しながらの登り坂が続いていく。昨日ほどの荒れ狂うような道ではないにしても、今日もまた、ハンドルをさばくということに集中せざるを得ないドライブとなった。外輪山を越えると道は下りに転じ、やがて林越しに宇曾利山湖の姿が見えてくると、窓を開けていた車の中にまで、硫黄の匂いが漂ってきた。
恐山大橋を渡ると、賽の河原とでもいうのか、何もない広々とした土砂の上に川だけが流れる荒涼とした風景が山並みに囲まれて広がった。川原は沈着した硫黄で黄色く染まり、それまで私がいた所とは違う世界に迷い込んできたのだということを感じさせるような風景が続く。そして道はその名も三途川をあっさりと越えてしまい、いよいよ恐山の山域へと進んだ。美しい形の山並みに囲まれて広々ゆったりと佇む宇曾利山湖に沿う駐車場に車を停め、私は足のまめが悲鳴を上げるのをこらえながら、砂利道を恐山の境内へ歩き進んでいった。
恐山の境内は、門を入った所から本堂までは排水溝に硫黄が沈着すること以外は普通の寺院の風景だったけれど、庭園に入れば白っぽい土砂や砂利が主体となる、このような風景のことをこの世のものとは思えないと表現するのかもしれないなと思わされるような荒涼とした風景となっていた。白い地面からは所々蒸気が噴き出して、その周辺だけは黄色くなってはいるけれど、それ以外の所には彩りというものが殆どないのだ。誰かが置いていったカラフルな風車だけが盛んに回り、例外的に風景に彩りを与える。そんな荒涼とした風景の中に通される道は決して平坦ではなくてかなり起伏に富んでいる。所々白い砂利が積み上げられ、仏像や墓石のようなものが置かれ、その間を巡るような順路をたどれば何々地獄と名付けられた荒涼とした広場がたくさんあったり、高山植物の群落があったりもする。イソツツジが多いのは、恐らく私が以前訪れた北海道の硫黄山と同じような酸性土壌であることを示しているのだろう。
一山越えるたびに色合いが変わったり茶色い小川が流れたり、また新たな地獄が現れたりといった風景をいろいろ巡りながら歩くうちに、私は宇曾利山湖を間際に見ることのできる湖岸へとたどり着いた。周囲を仏になぞらえられているらしい三角形の美しい山や、ひときわ大きい釜臥山を含む様々な山に囲まれた、どうやら極楽ということになっているらしい湖は、青と緑と黄色の斑模様となりながら静かに佇んでいる。空は晴れているけれど山並みだけはなぜか雲に覆われて、あとで釜臥山にも寄ろうと思っていた私は少しだけ不安を感じた。背後の白が基調となる地獄も場所によっては茶褐色を帯びているし、敷き詰められる砂利も湖の近くでは砂のようで、美しい海岸に来たのではないかと見紛う風景にもなっていた。死後の世界にも景勝地は必要ということなのだろうと、私は勝手に納得した。周囲が真っ白であっても、小川の流れる所は黄色や茶褐色に変色する。硫黄の匂いからして特異な世界となっているのだけれど、暫しの間この特異な風景に身を置いてみて改めて、普通の世界のありがたみがわかるということなのかもしれないなと、私は感じた。
私は庭園をあとにして本堂へと戻っていった。本堂への参道の両脇、普通の寺社ならば出店やらおみくじ場などがありそうな所に、ここでは無料で入れる浴場が造られていた。参拝客は決して少なくないのだが、本当に入っていいのかどうかがわかりにくい佇まいであるせいもあってか、実際に使っている人の姿はなかった。おかげで私はあつあつの硫黄泉を、小さいけれどヒバ造りの浴槽で暫し堪能することができたのだった。
私は車に戻り、恐山をあとにして普通の世界の中に通された森の中の道に車を走らせた。一旦むつ市の市街へ戻る方向に車を進め、冷水というヒバの森から湧き水の湧き出す所を訪れた。1杯飲んだら10年若返るというのが謳い文句になっていたが、1.5杯飲めば初めて本格的な独り旅をした高校生時代にも戻れるのだろうか、などと思いながら私は冷たい湧き水を暫し楽しんだ。
そして私は再び恐山の方向に車を戻し、途中で分岐する釜臥山パノラマラインへと進んでいった。同じようなカーブの山道なのだけれど、周囲は背の低い樹木で覆われることが多くなって、ここまでの道のように鬱蒼としたといった感じではなくなってきた。道沿いには立て続けに展望台も現れる。恐山展望台からは山に囲まれた宇曾利山湖の一部が見えてひっそりと静まり返り、その向こうに大畑の市街もうっすらと霞んだ姿を見せていたが、その次の陸奥湾展望台からは早くもむつ市の市街、そして尻屋崎が本当に地図で見るような、海へと突き出すような形になって現れる大パノラマが広がったのである。
早くも感激を覚えつつ私は更に、森林もなくなって自衛隊の施設なども点在する領域へと車を進めていき、とうとう最終地点の釜臥山の展望台へとたどり着いた。下界に広がる風景は絶景というより他にないものだった。尻屋崎はもちろん、恐山、大畑の街、そしてその先の海の向こうに北海道の島影までもが見渡せ、眼下には当然のようにむつ市の市街と、その奥に弓なりに延びていく下北半島の付け根、まさかりの柄の部分が連なる広大な展望がダイナミックに展開したのである。レーダー基地のような人工建造物を擁する頂上へは、階段道を更に上っていく必要があった。一段一段歩みを進めるごとに、高度は着実に上昇し、特に周囲の山に隠れがちだった恐山の宇曾利山湖の姿もより大きく見られるようになってきた。
そして私はついに、釜臥山の真の頂上へと登り詰めた。辺りには大間崎から尻屋崎を経由して延びる太平洋側の下北半島の全貌が、地図の形そのままのようなはっきりとした姿を見せていた。そしてここ以外からでは決して見ることのできない、海上自衛隊の基地の向こうに広大に広がる陸奥湾の向こうに青森の本土が横たわる風景までもを一望の下にすることができたのである。右の方からまさかりの取っ手が延びてきて、海に突き出すような尻屋崎に至り、その向こうには太平洋が横たわり、つながるまさかりの刀身の下側に当たる目の前には、広範囲に広がるむつ市の市街が弓なりに陸奥湾に接し、上側は大畑の市街が津軽海峡に接していて、その先には北海道が浮かぶ……。思えば最初はどうなることかと思うことの多かった旅であったけれど、旅も大詰めとなった今、最後にこのような素晴らしい大展望に出会うことができて、私は感激もひとしおであった。
辺りには今日もまた、徐々に夕暮れの気配が忍び寄ってきていた。名残惜しさを感じつつ、私は釜臥山をあとにして山道を引き返し始めた。途中で冷水をもう1杯飲み、あとはむつ市街へつながる最後の山道を下るのみとなった。大湊駅の周辺の市街まで降りてしまえば、釜臥山はまた市街を背後から大きく見守る存在へと戻っていたのだった。私にとっては初めての経験であったセルフ給油というもので、共に旅をしたレンタカーを満タンにして返車し、夕暮れの駅前のスーパーで夕食を仕入れ、私は大湊線の列車に乗り込んだのだった。
背後の空が薄ピンク色に染まる釜臥山に最後の別れを告げるように、列車は大湊の市街をあとにして、防風林の上に浮かぶ雲がやはりピンク色に染まるのを眺めながらことことと、各駅に停まりながら進んでいった。頻繁に海沿いに出ることはない路線だということは往路で確認済みだったが、畑が切り開かれた向こうに海の広がる僅かな瞬間には、海に浮かぶ津軽半島の島影の上が鮮やかなピンク色に染まっていた。周囲は刻一刻と暗くなっていき、地平付近の赤色もだんだんと弱くなっていったが、旅の最後に幻想的な夕暮れの風景に出会えたことが、私には嬉しかった。吹越を出て暫くすると、往路で確認していた唯一海の間際を走る区間に差し掛かったが、太陽の勢いは既にかなり衰えてしまっていた。しかし太陽を追いかけるように、西の空には極めて細い三日月が浮かぶ、もう一つの幻想的な風景が展開していた。私は既に闇となった野辺地駅から八戸行きの特急白鳥号へ、そして八戸駅から新幹線はやて号へ乗り継いで、闇夜をひた走る列車に身を任せ、意外に蒸し暑さの感じない東京へと帰り着いたのだった。