1.往路、脇野沢(8.21-22) / 2.仏ヶ浦、大間崎(8.23) / 3.下風呂、尻屋崎(8.24) / 4.川内川、湯野川温泉、国道338号(8.25) / 5.薬研渓谷、恐山、釜臥山(8.26)
朝早く目覚めることのできた私は、朝風呂を戴いたあと、朝食の前に温泉街を散歩することにした。晴れ間ものぞくが霧雨の舞う温泉街は、昼間は賑わっているようではあったがさすがにこの時間では全ての店が閉まり、ひっそりと静まり返る。
やはりまだ静かな港の一角に出ると、いさり火公園という小さな園地があった。園内には注連縄の掛けられる二見岩を浮かべ、遊歩道も通される池のようなものがある。このような奇岩の類は普通は海岸にあることが多いような気もしたが、池自体がどうやら外海とつながっているようだったし、ここがかつては海岸だったのだけれど港を造っているうちに防波堤の中に取り込まれてしまったのだろうと私は推測した。外海からの波が入り込む池は、外で轟く波の音と連動して水位を上下させ、ウォーキングを楽しむ地元の人とともに早くも活発な活動を開始している。そして近くの堤防に登れば、外海は曇り空のもとに案外高い波を寄せ、磯浜や漁村の足もとを洗っている。
そして話に聞いて気になっていた、大間鉄道という未成線の遺構を利用したアーチ橋を私は訪れた。市街の背後に立ちはだかる丘陵の足もとに、海と並行するように延びる橋の上には駅を模した四阿も建ち、周辺の温泉街や海、港の風景をまるで高架を走る列車の車窓のように一望の下にできる展望を、歩きながら楽しむことのできる所だった。しかしここに来て雨脚が強まってしまい、傘を宿に置いてきてしまっていた私は快速運転に切り替えて宿へ戻る道を急がざるを得なくなってしまった。予報ではそんなに悪い天気にはならないはずだったが、今日の旅の予定が少し心配になってしまった。
新鮮なイカ刺しの出された朝食を済ませ、荷物をまとめて再び街に出れば、雨上がりの温泉街には半袖半ズボンでは肌寒さを感じてしまうほどの冷たい風が吹きすさんでいた。昨日までとは明らかに入れ替わった空気の中、私はむつバスターミナル行きのバスに乗り込んで今日の旅を開始した。バスは海沿いを走っていくが、窓は完全に曇っていて、外の海の風景はスクリーンをかけられたかのようにしか見えてこない。集落に入ったり、磯浜の海沿いを走ったりということを繰り返しながら進んだバスは唐突に、深い森の中の急坂に入り込んで、木野部(きのっぺ)峠を越えていく。時には周囲がガスに煙るほどの深い山を、やっとの思いで抜けきると、バスは再び海沿いの道へと進み、やがて大畑川を渡ってそれなりに開けている大畑の市街へと進んでいく。
バスは廃止された鉄道の旧大畑駅で小休止した。駅舎はそのまま残ってバスの待合所として使われ、窓口もバスの回数券売り場として利用され、そして何よりレールもはがされずに残っていて、鉄道駅の雰囲気を色濃く残している所だった。やがて再び走り出したバスは、天気さえよければ間違いなく賑わいを見せるであろう大畑の市街の中を丹念に回っていった。街並みの建物の合間から海の姿も望まれる車窓が暫く続き、正津川を過ぎて漸く、建物以外には緑ばかりという風景へと戻っていく。そして海へ流れ込もうとする出戸川の流れに沿って遡るように、バスは内陸側へと進路を変えていった。
関根など昔駅のあった辺りではそれなりに街並みや家並みも広がるが、バスは基本的には起伏に富んだ森林の中の山道を進んでいくようになった。廃線後の雰囲気を強く感じさせるような雰囲気はそれほどは現れず、バスはひたすら、森や荒れ地に囲まれる坂道の上下をこなしていく。そして最後の峠を越えたとたんに郊外スーパーなどに導く大きくて派手な看板が急に増え始め、信号で立ち止まることも多くなり、これまでに通過してきたものとは明らかに異なる雰囲気の大きな街の中へとバスは進んでいった。
バスは巨大な街の中のむつバスターミナルにたどり着き、私は大荷物をコインロッカーに預け、直ちに尻屋崎行きのバスに乗り継いだ。むつ市の大規模な市街を巡り、田名部川を渡り、坂を登ったバスは、荒れ地や杉林など緑の多い中に通された道へと進んでいく。車窓には家並みが続くこともあるがそれも農場の間に建てられているに過ぎないような、長閑な道が続いていく。育てられているのはトウモロコシに、蕎麦も丁度花盛りといったところだ。
道は延々とアップダウンの繰り返しで、平坦さを見せる気配は全く感じられない。時折辺りは切り開かれて、広大な田畑や家並みも現れるが、この道の主役は、道の雰囲気を鬱蒼とした山道のように仕立て上げる、杉林や雑木林だ。そんな山道が大きく切り開かれ、広大な牧場やトウモロコシ畑が起伏に富む丘陵を埋め尽くす風景が現れると、バスはまもなく海沿いの道へと出た。入口という集落で、抜けてしまえばバスはまた森林と畑の山道に戻っていき、起伏も相変わらず大きいのだけれど、遠くの方に海の姿が垣間見られる所もだんだんと多くなっていく。
そんな道の起伏もカーブもやがて落ち着いてきて、バスは林の中の道を延々真っ直ぐ進むようになっていく。尻労(しっかり)への道と分岐し、長い林の道を抜けて岩屋の集落に入ると、車窓にはまた海の姿が大きく見られるようになった。丘の上には風車が回り、その周囲も霧で霞んでいるが、海の方は徐々に明るさを取り戻しつつあるようだった。岩屋の集落を過ぎるとバスは明るくなった海に沿って進み、程なく日鉄鉱業所という厳つい工場の敷地の中を進むようになった。丘陵から頭上を跨いで港を守る島にまでベルトコンベアの渡される不思議な風景の背後には、やはり緑の丘陵が控えている。
そして尻屋崎口までやってくると、いよいよ辺りの牧場に寒立馬の姿も現れてきた。バスはここから内陸に入り、森林と荒れ地の中を一旦尻屋の集落へ進んだ後、再び尻屋崎口まで戻ってゲートを通過し、更に陸地の突端を目指していった。暫く走れば周囲は林ではなく牧草地の明るい緑に覆われるようになっていったのだった。
とりあえずバスのたどり着いた尻屋崎のバス停の周囲は、なだらかな起伏に黄緑色の芝生が広がる柔らかい雰囲気に包まれていた。陸地の突端には白い灯台が建ち、周囲の海は岩場となって、やや強い波が洗う。最先端の岩の周辺にも柵などは立たず、その上に登っていけば強く波の寄せる下界の海の様子をじっくりと楽しむことができる。時折人が訪れるけれど、基本的には静かで寂しい岬の風景が広がる。それでも丘陵の色が明るいおかげで、どことなく明るい希望の持てる雰囲気が漂っているかのようにも私には感じられた。ところが肝心な寒立馬の姿を、どういうわけかここでは見ることができなかったのである。草原の中には馬糞がたくさん落ちているのだから普段はここでも間違いなく放牧が行われているはずなのだが、どうも納得がいかない。背後を見れば西側の海には日鉄の鉱業所が見えるが、その後ろに聳える桑畑山には雲が被っている。いい天気なら登って展望を眺めてみたかったが、これでは少し厳しいだろう。
寒立馬の姿が見えなかったことだけに納得がいかなかった私は、もしかしたらここではない所にいるかもしれない彼らの姿を探そうと、岬を右回りに周回する道を歩き始めた。しかし寒立馬の姿はいっこうに現れることなく、普段なら馬達がいそうな周囲の草原は寧ろ松林で埋め尽くされるようになってしまった。太平洋側となる海岸ではごつごつとした岩場にしきりに波が打ち寄せ、弓なりに伸びれば極めて美しい姿を見せる。結局は馬に会うこともできず、ただ美しい海岸線の風景だけを友として延々と歩くうちに、私は放牧エリアの終わりを示すゲートを通過してしまった。
ゲートを出ると海側に丘がせり出すので、道は内陸へ分け入っていく格好となる。アタカという冬に馬の放牧される場所もあったが、馬の姿はそこにもない。程なく高台に登った道からは海を見下ろすことができるようになって、暫く歩き続けた私は、尻屋の漁港の上へと差し掛かった。漁港の背後には深緑の桑畑山が高く聳え、その上には綿のような大量の雲が頂上から麓に向かって流れていく。道は桑畑山に通せんぼされるように曲がり、建物の密集していくつかの民宿も含まれているような、小さいけれど密度の高い集落の中へと続いていく。そして集落のほぼ末端に、行きがけのバスが通りがかった尻屋のバス停があった。バス停を過ぎると建物の密度こそ下がるが、桑畑山をバックにして小学校や日鉄の社宅、いくつかの小さいスーパーなど、生活の匂いが充分に感じられる領域が続く。
結局道沿いに馬の姿を一切確認できないまま、私は程なく尻屋崎口のゲートまで連れてこられる格好となってしまった。私は結局、バスからも見られた馬達としか出会うことができなかったことになってしまったが、その分このゲート付近の馬達と一緒の時間を暫く過ごすことにした。去年戯れたヨナグニウマに比べれば、体のサイズ自体も大きいのだけれど、何といっても足が図太く、蹄が巨大なのに私は圧倒された。その巨大な蹄で彼らはドスドスと地面を均すかのように音を立てて土を踏みつける。群れの中には仔馬も混ざり、母親の乳をむさぼったり寝そべってみたりという愛くるしさを辺りに振りまいていたのだった。
空はだいぶ晴れてきて、桑畑山の雲は取れないけれど、私は予定通り夕方の帰りのバスまでこの地で過ごすことにして、再び岬を目指して歩くことにした。ゲート付近に茂る松林を程なくして抜ければ、現れた海原は午前中よりも更に青く輝くようになり、さっきは何とか見える程度だった下北半島の本体、恐山から大間にかけての島影、そしてさっきは見えなかった北海道の島影までもが、青い海の上に浮かんで見えるようになっていた。陸の方は森から草原に変わっても、相変わらず主の寒立馬達の姿は見られなかった。しかし草原をよく見ればナデシコやら百合やら、赤や黄色、白や紫の小さな花達が咲き乱れて、中には草むらに隠れるように小さな池が水をたたえる所もあったりした。こんなきれいな花畑で馬達と戯れられれば、また最高のシーンとなりそうな感じだ。
結局私は約2時間半かけて岬の周辺を散策し、再び岬の灯台へと帰り着いたのだった。集落で昼食を摂ることができなかったので、今日の昼食はバス停の近くで唯一開いていた土産物屋で摂ることとなってしまったが、ツブ貝入りおでん定食というものが意外に美味しくて嬉しかった。店内に流れるラジオは、ここでも北海道の放送らしかった。食事をしている間に空はすっかりと晴れて青空がのぞき、強い日射しが緑の牧場を照らすようになった。桑畑山もさっきまでの様子が嘘のように、その全貌をさらけ出し、海の色もますます明るくなっていた。
私は岬の先端付近の岩場に降りてみたり、灯台の敷地の中に入ったりして、帰りのバスまでのあまりにも長い残り時間をやり過ごした。太平洋側の方が津軽海峡側よりも波が強いようで、灯台の乗る崖の突端を境にして波の様子が左右で少し違うというのも面白い。私は灯台の作る影の中に座り、午後になってより明るさの増した海に寄せては返す波と、主のいない広大な草原を眺めるくらいしかやることのない午後の贅沢なひとときを満喫した。海峡側の西の海は、北海道や大間崎の島影を眺められるのは魅
力だけれど、日射しが強くて長居しづらいのが難点だ。朝から晴れていたなら桑畑山に登って、海に突き出す岬の姿を楽しむこともできたのにな、などと思いながら私は日影に暫く佇んでいた。そんな午後も4時くらいまで粘れば日射しも弱まり、私は強くなった岬の風に吹かれながら、北海道に面する石のベンチに座り、引き続き全く何もしない時を過ごしたのだった。
夕方5時には尻屋崎口のゲートも閉鎖されるといい、どうやらキャンプするつもりらしい1台の大型ワゴン車以外に車の姿も人の姿も見られなくなった頃、私は岬の西側の道をたどり、尻屋崎をあとにすることにした。夕陽は大間崎の方へ刻一刻と近づいていき、周辺の雲を次第にピンク色に染め上げていく。恐山の山並みも灰色のシルエットとなって浮かび上がり、神秘的な風景を作り出す。そして辺りはだんだん薄暗くなり、道も松林の中に分け入るようになって、程なく私は馬達が夕陽のシルエットとなりながら草を食むゲートへと戻っていったのだった。結局寒立馬達は、今日はこの辺りにしか姿を現さなかったということのようだ。それでも夕暮れの辺りには、今日最後の別れを言うには充分なムードが漂っていたのだった。
尻屋崎口にやってきた帰りのバスに乗り込み、私はむつの市街へ帰ることにした。バスはすぐに海沿いに出て、下北半島の姿をシルエットにしてオレンジ色の夕陽が車窓いっぱいに広がるようになった。光球は大間崎の影へとだんだん近づいていき、幻想的なまでに美しいオレンジ色の夕暮れの風景を、私は車窓から暫く楽しむことができた。岩屋の集落を出るとバスは森林の中の直線状の道を進むようになるが、強いオレンジ色の光は鬱蒼とした森林でさえ通過してきて、次に海岸沿いに出た時には既に光球は沈んでしまっていたけれど、西の空は依然として広大な領域がオレンジ色に染められたままだった。海から離れ起伏の激しい山道に入っても、だんだん薄暗くなりながらも夕暮れの雰囲気は衰えを知らず、大規模に切り開かれた農場に差し掛かればまた、車窓には美しい夕暮れ空が広がるのだった。
やがて森を抜け、むつ市の市街に入る頃には辺りは夜の様相を呈するようになっていた。今日の宿はこのむつ市街に取ってあった。夜のむつ市街では閉まっている店も多かったが、とりあえず話の種にみそ貝焼きを食べられる店を探しながら、飲食店街にはそこそこ元気そうな雰囲気が漂うことを、私は感じることができた。