下北半島(2006.8.21-26)


1.往路、脇野沢(8.21-22) / 2.仏ヶ浦、大間崎(8.23) / 3.下風呂、尻屋崎(8.24) / 4.川内川、湯野川温泉、国道338号(8.25) / 5.薬研渓谷、恐山、釜臥山(8.26)

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 今年の夏休みも終盤、そこそこ面白い試合のできるようになった野球部の新人戦も結局はやはり初戦敗退し、そのまま帰宅後私は速攻で旅行モードへと移ることとなった。例によって切符や宿の手配も当日の急拵えの、慌ただしいスタートである。いつもどおり暑いことは暑いけれど、日影を通っていく風が少しだけ涼しいように感じられた東京をあとに、夕刻の上野駅から私は八戸行きのはやて号に乗り込んだ。

 慌ただしい日々が続いていた私は、新幹線が走り出したことで漸く久しぶりにゆったりとした時を過ごすことができるようになり、ついさっき手に入れたばかりの旅行ガイドの地図など開いていたら早くも眠気に襲われてしまったわけである。うとうとしながら眺める車窓に流れる風景は大都会のものから次第に緑の多いものへと変わっていき、そして時折郡山、福島といった都会へ迷い込みながら進むにつれて辺りはだんだんと暗くなって、夕暮れの仙台から古川へと進むうちに、列車はとうとう夜の闇の中を走るようになっていった。

 八戸に着けば涼しいのだろうと私は思っていたのだが、降り立ってみても結局湿度は高いままで、東京よりも多少はましかなといった程度でしかない空気の中、私は早速最初の宿へ向かった。駅からほんの5分の道のりであったが、既に夜となった八戸駅の周辺の店は殆どが閉まり、僅かな街灯が点るのみだった。そして私は宿に入り、小さいけれど本物の温泉に浸り、今日は小中学校の始業式のピークだったというテレビのローカルニュースを視ながら、漸くゆっくりと過ごせるようになった喜びをかみしめたのだった。


 実質的に旅の初日となる翌朝、テレビの天気予報はここ八戸でも暑くなることを告げていた。そして夏と秋の境目が南下し、曇りがちの日が続いてしまうのだという。空は快晴で、窓から外を見ると東京と同じようにいかにも暑そうで外にも出たくなくなってしまうのだが、意を決して外に出れば東京よりは多少はましな感じではあり、八戸駅までの道はこの時期の東京ではまずできなさそうな気持ちよい散歩となった。急拵えの旅らしく、本来なら東京の量販店で安く手に入れられたはずのカメラの電池などもコンビニで高額なものを買わざるを得なかったことに多少の悔しさも感じつつ、八戸駅舎からの案外緑の多い周辺の風景を少しだけ眺めたのち、私は東北本線の普通列車に乗って更に北を目指した。

 列車は深緑の丘陵に辺りを囲まれた、緑の田園風景の中を行く。その風景を白く貫く建設中の新幹線の高架も、だいぶ形ができてきているような気がする。高台に登れば遠くに八戸の本来の市街が見られたけれど、列車はあくまで深い緑の田園や山道を走っていく。広大な田圃の稲穂はそろそろ頭を垂れ始め、快晴の空のもと明るく黄緑色に輝く。そして線路際や畦道などには黄色いキク科の小さな花が、今は盛りと大量に咲き誇る。

 駅にかなり近づかないと市街の姿が現れなかった野辺地駅で、私は大湊線の列車へと乗り換えた。今どき非冷房の車両であったというのが私にとってはかなりの驚きで、よりにもよって団体客も乗り合わせていたりしたのだが、えらい久し振りのような気のする、窓を全開にして外の空気を存分に味わう汽車旅というのも悪くはないものだ。列車は野辺地をあとに、北野辺地を過ぎると防風林の切れ間に海の姿をのぞきながら走っていくようになる。暫くは深い森の中を進んでいくが、併走する国道が内陸へ入っていくと、引き替えに列車は海の間際を走るようになった。空はやや霞んで対岸の津軽半島はうっすらとしか見えないけれど、海の色は青く、そして陸に近い所は底の砂や海藻の色を映し出して、白と褐色の斑模様となる。今日の陸奥湾には波もあまり立っていなくて、穏やかな大海原に、本当は大きいはずの船が小さな姿でゆったりと航行する。

 やがて列車は再び内陸へ入り、深緑の雑木林や、起伏に富む丘陵の中に時折広がる畑や牧草地の間を走っていく。水田もないわけではないが、水田以外の緑の割合が風景の多くを占めるようになってきたように私には感じられた。そんな緑の風景に混ざる建物の割合がたまたま多くなった陸奥横浜で、列車は小休止する。乗り合わせた団体さんもここで降りてくれて、車内は漸くゆったりと汽車旅を楽しめる雰囲気となっていった。陸奥横浜をあとにした列車は、時々は弓なりに海岸線の延びる海沿いに出ながらも、基本的には雑木林や、丘陵に広がる畑の間を進んでいく。内陸側には丘陵をバックに風力発電機の並ぶ所もあるが、今日はみんな羽根を休めたままだ。

 北上するにつれて空に浮かぶ雲の量も増えてきてしまったが、その中には恐山や釜臥山の姿も、次第に堂々と浮かび上がるようになってきた。釜臥山の姿がだいぶ大きくなった下北でもたくさんの人が下車していき、大湊までの最後の一駅間では車内は一気にひっそりとしてしまったが、列車は海に沿いながら、それなりに建物も集まる釜臥山の麓に向かって、最後の力走を見せたのだった。

 私は実に16年ぶりの再訪となった大湊駅に降り立った。駅自体は小さいけれど、折り返しの列車を待つ人の列は駅の外にまで長く延びる。以前訪れた高校生時代、列車からすぐにバスに乗り継いだの時の一瞬の面影が何となく思い出された駅から、私は当時と同じように、脇野沢へ向かうJRバスに乗り継いだ。バスは駅の周囲に広がる小さな街並みの中を進んでいく。生活路線の色も濃く、ちょこちょこと停留所に停まっては客を降ろしていき、混雑していた車内もそのたびごとにすいていく。バスの道は丘陵の上にあるようで、建物の間から海も垣間見られ、沖合の緑の砂州に守られるようにして、海上自衛隊の基地に停泊しているらしい灰色の大きく厳つい船の姿も見られる。

 やがてバスは緑が主体の道を行くようになり、大きかった美しい釜臥山の姿も小さくなって遠ざかっていって、城ヶ沢からはバスは一転、海の間際を走るようになった。すかっと晴れていないのが残念だが、穏やかな海はそれでも昼の太陽に明るく照らされる。国道338号は決して海岸沿いだけに平坦に延びるわけではなく、緑の深い丘陵と田畑の合間を行くこともあれば、小公園風に松の木の植えられた美しい海岸線に沿って進むこともある。そんな道が高台に出れば、松林に彩られた海岸線が弓なりに延びる、爽快で美しい風景にも出会うことができる。やがてかつてはバス駅のあった川内町の、そこそこの規模を持つ市街へと差し掛かったが、川を渡って進んでいけば、コンクリートで固められた海に小舟の浮かぶ長閑な風景が再び広がるようになっていく。そんな海沿いの集落、海沿いの緑の道、高台の道を行き来しながらバスは進んでいき、やがて沖合には鯛島が、名前の通り海面上に姿を現した魚のような形をして見られるようになり、その姿もだんだん大きくなって、程なくバスは脇野沢の市街へ進んでいった。

 ひっそりとした小さな市街を貫通するように走ったバスは、丁度昼時となった脇野沢の、村役場にある終点へとたどり着いた。以前の旅でもJRバスの路線同士を乗り継ぐために僅かな時間だけ降りたことのある場所であり、周りの風景に私はやはり何となく昔の面影を思い出すことができた。当時のバスは確かここから二手に分かれて更に奥地を目指していたものだったが、現在はここより先の路線は廃止されたようで、バスはここで完全に終着となってしまう。

脇野沢八幡宮 私は昼食がてら、当時の旅では行わなかった市街の散策にも出てはみたが、脇野沢の市街はほんの10分も歩けばほぼ全てを回りきれてしまう程度のものでしかなかった。街の一角を固める八幡宮に登ってみたり、フェリー乗り場に行って、明日乗船しようと考えている仏ヶ浦行きの夢の平成号の時刻を確かめたりもしてはみたのだが、ここだけでこれからの半日をつぶすことは難しいことのように、私には感じられてしまったわけである。港の出口に顔を見せる鯛島の姿もそれなりに美しいものではあったが、空の雲行きは怪しくなり、しまいにはにわか雨まで降り出してしまうような天候となってしまった。私は村役場の近辺で昔の面影を探して彷徨ったりもしながら暫く時をやり過ごしたが、住宅街の中にタクシー会社を見つけたことがきっかけとなり、昔も訪れた野猿公園まで連れて行ってもらう決断をした。

野猿公苑の猿 16年前はJRバスで走った道だったはずだけれど初めて通る道であるかのような印象さえ受けた山深い道を、タクシーは5分ほど走り、私は七引園地の野猿公苑へとたどり着いた。ただ単に猿が収容されている施設のみがあっただけのような16年前の記憶が私には残っていたが、今日訪れたそこには道の駅もできていたりして、当時よりも整備が進んでいるということになりそうだ。当時は無料だったような記憶もあったけれど、入園料が必要となっていて、より境界のはっきりした苑内へと進めば、昔からあったような覚えのあるコンクリート製の猿山と、そこから昔はなかったような気がする地下道によって、森の中に細長くフェンスで囲われた領域とがつなげられ、それらの中にたくさんの猿が収容されていた。子猿はちょろちょろと動き回って愛嬌を振りまくのだけれど、どうも大人達はぐったりとしていて、暑さに参ってしまっていたかのようだった。

野猿公苑の猿 当時よりも少しだけ森の方へ広がったように見える猿の領土に沿って、私も苑内の道を森の奥へ向かうように進んでいった。猿達の中には猿の領域を完全に囲うフェンスの外へ手を伸ばして餌をむしり取るような卑しい奴もいたりしたのだが、猿自身にそう動きもないせいか、森の中に流れる時間は至って静かなものだった。すると不意に領土外の森の木の枝ががさがさと揺さぶられる音が辺りに轟き、その音に合わせるように枝葉の揺さぶられる領域が、背後を覆う森の上から下へと動いていって、ついに森の中から本物の野生猿が顔を出してきたのである。フェンスの中の猿よりも一回り小さいから、まだ子供か少し大きくなったばかりのものであろう。フェンスの上に乗っかった野生猿はフェンスの中の餌付け猿に威嚇され、その甲高い声に辺りには一瞬緊迫のひとときが流れ、野生猿は森の中へと帰って行く……。16年前の猿達はもう少し活発だったような記憶が私にはあったが、こんな緊迫の場面を除けば、連中の様子は至っておとなしいものだった。今年はここも猛暑だということなのだろう。

 周辺の高台にはいのししの館という施設が造られていたが、施設の中で飼われている猪はぐっすりと休養中で、来年の年賀状に使えそうな写真は、建物の中のちゃんちゃんこを着た剥製の猪だけになってしまった。園地から出て少し歩いた所には温泉のある保養センターという施設もあり、来るのかどうかわからない帰りの代替バスの時間まで、私はせっかくだからと浸かっていくことにした。鏡に映った自分の姿が、首から上と下の色の全く違う野球焼けになっていることに唖然としつつもゆったりと楽しんだ施設は古い建物で、待合室には今どき冷房もないのだけれど、網戸から時折吹き込む風は浴後の火照った体には快いものだった。

 私は道の駅に戻って、ベンチで時々流れ来る優しい風に身を任せていたが、脇野沢へ戻るバスは海沿いで起こったらしい崖崩れの影響もあったのか結局姿を見せず、私は約3.5 kmの道のりを歩いて帰ることにした。森の中に切り開かれた道は、すがすがしい音を立てる脇野沢川に寄り添い、林床には川を囲むようにイタドリやシダ植物が密生して鬱蒼とした雰囲気を作り出し、様々な植物達が思い思いの静かな時を過ごしているようだった。幸い道の起伏もあまりなかったおかげで私は疲れを感じることもなく、暑いことは暑かったが陽も陰ってきて焼かれるようなこともなく、思っていたよりも早く道沿いに建物が現れ、渓流の趣だった脇野沢川の姿も護岸で固められた住宅街の中のゆったりとした川へと変わり、正面には港に隣接する愛宕山の深緑がこんもりと鎮座するようになっていった。

 私は漸く夕方になった市街に戻り、予約していた古風な旅館に宿を取った。なんと今どき冷房もなく、窓からの風と扇風機に頼るしかないのである。かなり早めの夕食には、ソイを始め地元のものがたくさん献立に上がった。言われてみれば道端に美味しそうにぷっくりと膨らんでいたウドも和え物となっていたわけである。猿はしょっちゅう出るし、熊も診療所の裏に出た、猿はトウモロコシもカボチャもみんな食ってしまうと女将は語る。今日は暑くて冷房なしでは辛そうな感じだったが、8月初めは寒くてストーブを焚いたほどだったのだという。そしてそれ以降はこれまでにない暑さが続いて、今日に至るらしかった。


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