1.往路、脇野沢(8.21-22) / 2.仏ヶ浦、大間崎(8.23) / 3.下風呂、尻屋崎(8.24) / 4.川内川、湯野川温泉、国道338号(8.25) / 5.薬研渓谷、恐山、釜臥山(8.26)
天気は暫く不安定であると天気予報は伝えていたが、今朝の脇野沢はとりあえず晴れている。夜中は蚊と湿度に邪魔されて私は若干寝不足のような感じではあったが、さすがに朝の風は爽やかに感じられる。いくら猛暑とはいえ朝はすがすがしい空気が流れているというのが嬉しい東北の旅であるけれど、それでも陽が射し込んでくれば、朝からまた暑さが感じられてしまう。
宿を出た私は、充分にすがすがしさの感じられる脇野沢の街へ出てみた。街なかを適当に彷徨い、脇野沢川の河口へ向かえば、川と海のまさに境目には鮭の見える公園という園地が整備されていた。四阿に登ってみれば、背後を深緑の丘陵にしっかりと守られた脇野沢港が静かに佇む様子が一望の下となる。陸地は弓なりに奥の方まで連なっているが、海側の空には晴れ間こそあるものの、丘陵の上には相変わらず黒い雲が被さっている。
川を渡れば小高い愛宕山の麓であり、海岸沿いには遊歩道も通されていた。私は時折鴎の鳴きしきる声や、小さな漁船の行き交う音を聞きながら遊歩道を進んだ。山を回り込めば、沖合には大きくなった鯛島がゆったりと横たわっている。脇野沢本村の反対側まで回り込んだ所にある短い遊歩道の終点は海釣り公園と、短い砂浜の海水浴場となり、背後は芝生の公園となって、その奥には16年前に宿泊したユースホステルもある集落と、深緑の丘陵に固められる。天気は確かに不安定でにわか雨も訪れる中での散歩となってしまったが、園内から堤防へ向かって橋が架けられている所もあり、沖合の鯛島の姿を様々な角度や大きさで、思いのままに楽しむことのできる所だ。一方でさほど距離のない集落からは、防災放送で猿の出没状況なるものが断続的に放送され、駆除にご協力くださいと報じられて、厳しい現実を少しばかり感じさせられる。
愛宕山の頂上へは藪と化していた遊歩道が通り、私は虫に追われながら必死で頂上を目指した。頂上の神社にたどり着いても展望が開けるわけでもなく、もしかしたらだまされたのだろうかと私は一瞬考えたが、そこから正面へ少し下っていくと、海の方に展望が開け、沖合の鯛島に守られるように弓なりに横たわる海岸線と集落、そして背後の深緑の丘陵の姿を一望の下にすることができた。ゆっくりと立ち止まって眺めてみたくなる風景ではあったけれど、にわか雨の後の高湿の空気とうざい虻どもがそれを許してくれなかった。山の麓には桜の公園もあったが、この時期は入り口から塞がれてしまっているようだった。
遊覧船の時間まではかなり余裕があって、私は集落にも入り込んで、ユースホステルの周辺を散策してみることにした。わりあいせせこましく建ち並ぶ家並みの間にたくさんの畑が嵌り込むようにして成立する集落で、様々な作物の育つ畑の周辺はほぼ全て、電撃ネットで囲まれる。これもこの地域の厳しい現実と言ったところなのだろう。昔ユースホステルに宿泊した時、ミーティングの後で近くの湧き水へ行ったような覚えが私にはあって、私はそれがどこにあったのかを思い起こそうと、引き続き集落の中を歩いてみた。しかしかなり昔の夜の記憶と現在の朝の風景とのリンクを確立する作業は難しく、私には当時の周辺の様子を思い出すことは殆どできなかった。
程なく空には晴れ間が戻り、私は再び海沿いに遊歩道を引き返して、港の見える四阿で暫し休憩を取った。確かに蒸し暑いのだが、じっとしたまま風に当たっていればそこそこ快適でいられるのがありがたい所だ。そして私は脇野沢の本村を経由し、金を下ろしたり買い物をしたりしながら、遊覧船の出るフェリーターミナルへと向かった。昨日昼過ぎに訪れたここはひっそりと静まりかえっていたけれど、乗る予定にしている夢の平成号が出港するのと前後してほぼ5分ごとに、蟹田行きのフェリーや佐井行きの高速艇ほくと号が出港するのだそうで、どうやらこのターミナルが一日の中で最も賑わう瞬間を迎えつつあるようだった。建物の中にいると蒸し暑く、外に出ると風はあるけれど強い日射しに焼かれ、日射しを避けようと動き回ると無駄に疲れるといった感じのあまりよい状況ではないフェリーターミナルで、私は暫し船を待った。
やがて出航の時間となって、私は夢の平成号の80人乗り高速艇に乗り込んだ。しかし他の乗客の姿は一切確認できず、なんと貸し切り状態での航海となったわけである。直前に出港した佐井行き高速艇のほくと号を追いかけるようにして夢の平成号も出港し、大海原を快適に走り始めた。まずは脇野沢のシンボル的な鯛島に挨拶をするかのように接近してから、船は下北半島のまさかりの周辺をなぞるように、陸地を眺めながら沖合を進み始めた。陸地には深緑の丘陵の谷間に時折小さな集落も姿を見せたが、16年前の旅の際に当時存在したJRバスで訪れた思い出のある九艘泊という集落が最後となり、その際に暫しの時を過ごした岩場の海の北海岬を回り込んで、船は下北半島の西岸、まさかりの刃の部分へと進んでいく。左手には津軽半島の姿までもが、海の上に大きく浮かび上がるようになった。ここにきて空の晴れ間も大きく広がるようになり、海の色も深みを増して、なおのこと爽快な航海を楽しむことができるようになった。前方には雲海に包まれるように北海道もその姿を現し始め、穏やかな航海をより楽しいものにしてくれた。
下北半島の西岸には、どこまでも高い山がそのまま海に落ち込むような、高く切り立った険しい山肌が続き、その斜面には車道など人の手が加わった形跡は一切見られない。あまりに急な斜面は時折垂直近くまで落ち込み、様々な色の岩盤が様々に浸食を受けている。垂直に立つ青みを帯びた灰色の岩盤の中腹がえぐられたように複雑な形になっていたり、洞窟が穿たれていたりする岩盤が深緑の皮膚の裂け目にのぞていたりする。そして仏ヶ浦に近づくと、今度は赤茶色の岩盤が激しく、崩落したばかりであるかのように生々しく、まるで炎を上げているかのように山肌を荒らしている。仏の住む仏ヶ浦への入り口だからこそ、このように険しいものなのだと考えられているのだという。やがて久し振りに現れた牛滝の集落を境とするように、岩盤の色はまた青白いものに変わり、激しさ、厳しさばかりを感じさせていた岩盤にどことなく優しい丸みが感じられるようになって、船は程なく仏ヶ浦へと到着した。
仏ヶ浦に到着した私が何より感動したのは、その海の青さだった。高く昇った陽に照らされてどこまでも透き通った青色を呈し、周囲の岩盤と同じように白い岩が海底となって、底に住む海藻やウニ達の姿もくっきりはっきりと、たくさん確認することができる。これまで私が見てきた、険しい海岸の奇岩の風景とはひと味違って、海岸に立ち尽くす巨大な岩盤には、やはり仏の優しさなのか、丸みを帯びた穏やかな雰囲気が感じられる。そして岩肌に刻まれる模様も、炎のように流れる柔らかい線を描く。仏像なのか人の姿なのか蓮の花の姿なのか、色々な形の巨大な岩の合間に広がる磯浜をのんびり散策しながら、私は岩陰の日影で、風と共に心地よく流れる時を感じていた。要は、この世の艱難辛苦を乗り越えながら岩が削られ続ければ、最終的にはこの仏ヶ浦の岩のように、海岸線に仏像のように立ち尽くす、丸みを帯びて柔らかそうな岩山になるということなのだろう。
仏ヶ浦に船で訪れる場合は同じ船で出発地へ戻るのが基本のようではあったが、私は佐井からやって来る別会社の遊覧船に乗り継ぐことにしていたため、この美しい海岸に多少長い時間滞在することを許された。近くには国道が通っているはずで、国道沿いの駐車場の近くに休憩所があるらしいという情報もあったので、昼食でも摂れればいいなと思いつつ、私はそちらの方へ向かってみることにした。白と青の鮮やかな極楽をあとに、国道を指し示す道標に従ってみると、その道はあまりにも急な階段であった。水平距離は決して長くないはずではあったが、私は途中何度も何度も立ち止まって少しずつ高度を稼いでいくより他になかった。
そしてやっとの思いで国道と合流し、情報にあった休憩所にたどり着いてみても、売店の営業もされていないし、周囲の展望が開けることもなかったのである。私はある意味無駄足を踏んでしまったわけだが、ちょっと険しすぎる断崖の森の中に通る遊歩道を楽しんだと思うことにして、今度は急な下りの道を、再び休息を取りながらゆっくりと下っていった。途中の四阿から林越しに下界をのぞけば、青々とした海原の姿と波の音に出会うことができ、過熱した体を冷やすには丁度よい所だった。すなわち海から訪れようが陸から訪れようが、仏ヶ浦に入る前には必ず険しい崖があるのだということがよくわかる、予定外の登山となったわけである。
私はゆっくり、ゆっくりと階段を一段一段踏みしめて、明るい青い海と白い巨岩の海岸へと戻り、巨岩の作る大きな日影で暫し休憩した。それにしても天気がもってくれてありがたいことだ。周辺の奇岩達のことは一通り眺めることができていたので、私はのんびり日影で、売店で売られている林檎アイスを食べたりしながら帰りの船を待つことにした。やがて佐井から遊覧船がやって来て、そちらのガイドさんの率いる遊覧客達と合流し、鷲が飛び立つ様子、フクロウに似ている、つがいの鶏、など色々なものになぞらえて岩達を紹介していくガイドさんの案内を聞くことで、私は改めて仏ヶ浦の岩達の神秘的な姿の美しさを噛みしめることができたのだった。
北海道の姿はまだ見えるものの、津軽半島の方角にだいぶ雲がかかってきた頃、私は佐井へ戻る船に乗り込んだ。船は再び青い海原を快走していき、風の心地よい航路となった。仏ヶ浦の領域を出ると、相変わらず山がそのまま海に落ちこむような険しい海岸の風景が続いたが、岩肌が露出するほどに切り立っている場所は、仏ヶ浦の南側よりも少なくなって、深緑や、陽が照れば明るい緑を呈する柔らかそうな森林に覆われた山並みが続いていった。そしてその山の角度もだんだんとなだらかになり、海のそばにまで道路が建設されたりするようになってきて、少しずつ人の立ち入りを許してくれそうな雰囲気の海岸へと変わっていく。この周辺では数少ない露岩となる、願かけ岩というらしい手を合わせようとしているような形の岩肌を通過すると、海岸には集落も形成されるようになっていき、船はその、佐井という集落へと滑り込んでいった。
私は遊覧船の到着した佐井の集落を少しだけ散策した。佐井の市街は細い道沿いに家や小さな店が建ち並び、脇野沢なんかよりも密度が高そうな雰囲気が感じられたが、食事を摂れそうな店はあるわけでもないようで、私はおとなしく、船のターミナルであるアルサスという建物に戻り、遅めの昼食を摂ることにした。建物の3階は展望台になっていたが、大きく見えるはずの北海道は雲間に隠れてしまっているようだった。
再び佐井の集落に戻り、私はやって来たマイクロバスに乗り込んで、本州最北端の大間崎を目指した。マイクロバスは佐井の集落の中をぐねぐねと走り抜けると高台へと出て、田畑や、荒れ地とも牧草地ともつかない緑地の間の道を進む。海側には田圃の向こうに海も広がり、時折高台から下り坂に差し掛かれば、先の方には美しい海岸線が延びていく、見晴らしのよい素晴らしい道が続く。北海道の島影も再びなんとか見られるようになってきた。
やがてバスは佐井村から大間町へと進んでいき、車窓に集落の現れる頻度も上がっていき、その中には「奥戸」と書いて「おこっぺ」と読むらしい、まるで北海道のような響きの名前を持つ集落も姿を見せてくる。そしてバスは国道から海沿いの細い道へと分け入っていく。前方へ延びる海岸に重機が並び厳つくなっている様子がそこへたどり着く少し前からでも判るほどの規模を持って現れてきたが、どうやらこの辺りに原発を建設しているらしい。函館行きのフェリーの発着する根田内まで来ると、バスはそのまま大間の市街へと連続する建物の集まりの中を進むようになった。家並みの間から垣間見られる海も、テトラポッドに固められる人工的な風情のものへと変わっていく。大間町の中心街にあたるそこそこ賑わう街の雰囲気を一瞬味わうと、バスは大間崎への分岐へと進み、周囲の建物の規模も雰囲気もまた、素朴なものへと戻っていく。
やがてバスは、大間崎というバス停にたどり着いた。目的地への誘導も何もあったものではなく、降り立ったバス停の目の前が、まさに碑なども建ちよく整備された大間崎の海岸であった。空はまた曇ってきて、前方の海の上にあるはずの北海道の姿を望むことはできなくなっていて、冷たい風も強くなり、さっきまでの蒸し暑さを感じることもなくなった。灰色になりながら広がる広大な海にはやや強めの波が立ち、目の前に浮かぶ灯台の建つ緑の島も、護岸に固められる足もとの地面とともに波に洗われる。
周辺の道路沿いは少し前のオリンピックで有名になったマグロ一筋テーシャッツなども売られる数軒の土産物屋で固められ、以前訪れた宗谷岬ほどではないにせよ多少の俗化は否めないところだったが、私はそんな雰囲気に背を向けて、正面に浮かぶ弁天島の姿をただ眺めた。まるで自分が訪れるのに合わせたかのように薄暗い、薄ら寒ささえ感じさせる風情を濃くした大間崎の海には、ただやや強く波の揺れる海原と、灰色の空だけが大きく広がる。後ろさえ見なければ、寂しい岬の雰囲気を充分に感じられる所だ。私にとって大間崎は、16年前の高校時代の独り旅の際に判断ミスによって訪れ損ねた所だっただけに、今こうしてこの岬の厳しささえ感じられる雰囲気をじっくり味わえたことが嬉しくて、その喜びを噛みしめながら私は暫し、灰色の海に身を任せた。満ち潮の海は足もとの護岸に強く打ち付け、海岸に立つ柵には波に洗われたくず昆布が、大量に絡まりついていたのだった。
夕方となった大間崎をあとにするバスに乗り込む頃には、辺りには雨がぽつりぽつりと降るようにさえなってしまった。霧雨の舞う中、下北半島の北岸を進むようになったバスは、暫くは海沿いを進んだが、やがて起伏に富む高台の森の中へと進んでいく。周辺に広がるちょっとした丘陵も、綿のように雲に煙っている。やがてバスは風間浦村に入り、また海の間際に出るようになった。しかし雨脚は強くなり、右手の丘陵の上には晴れ間さえのぞいているというのに、灰色に霞んだ海には強い波が立ち続ける。雨は暫くすれば止んだけれど、相変わらずどんよりとした空のもと、時々高台や集落の中に立ち寄りながらも黒い岩のごつごつとした海に沿って、バスは走り続けていった。
やがてバスは、今日の宿を取ってあった下風呂温泉へと進んでいった。そこそこ賑わっていそうな温泉街の中にある宿の目の前にバスは停車してくれた。今日の宿も昨日に引き続き冷房がないようだったが、前線でも通過したか空気は涼しいものに入れ替わっていて、今晩は耐えられそうな気がした。館内にはほのかに温泉の匂いが漂い、古風だけれどきれいな旅館だった。テレビをつければ北海道、函館からの電波も充分に入るようで、駒大苫小牧ばかりが話題の北海道のニュース番組と、猿の食害の話題を流す青森のニュース番組をどちらも視聴することができる所だ。部屋は海に面しているわけではなかったが、硫黄の匂いの強い浴場からは降り続く雨の中、海の上に点々と浮かぶ漁り火が、きれいに眺められたのだった。