1.往路(3.29) / 2.住吉、堺(3.30) / 3.生駒、大阪城、大川(3.31) / 4.箕面、万博記念公園、天神橋筋(4.1) / 5.復路(4.2)
昨日を以て今回の旅の日程はほぼ終了し、今日は再びぷらっとこだまを利用して東京へ戻るのみとなったが、予約したこだま号の発車時間まで少しの余裕があり、私はまた寄り道をしながらのんびりとした帰路を辿ることにした。天気はひんやりとした曇り空だったが、全般的に天気は良かった方で、おかげで良い旅になりましたという満足感を持って安く宿泊できた宿をあとにすれば、実はスーパー玉出が新今宮駅の近くにもあったことを発見し、私は新幹線の中での食糧を確保することを楽しむこともできたのである。
スルッと関西チケットの期限も切れたため、新大阪へはJR経由、環状線の外回りで行くことにしたわけだが、もろにラッシュアワーと被ってしまい、私は混雑した列車で大阪の慌ただしさを最後に存分に感じていくこととなってしまった。私は途中弁天町や西九条で休憩しながら、本来のオレンジ色の車両だけでなくUSJ仕様の派手な車両や関西線に直通する黄緑色の車両などいろいろな車両に出会いつつ、家並みの建ち並ぶ領域から高層ビル群の中へと進んでいく環状線に身を任せて、大阪までやってきた。そして大阪からは大量の人の波が整然と流れゆく通路の流れに身を任せてJR京都線のホームへと進み、それでも決して押し合いになるまで混むには至らない列車へと乗り込んだ。列車は広大な淀川を長い鉄橋で渡っていくが、川の対岸にも高層ビル群ほどではないにせよ、マンションなどの大型の建物は相変わらず車窓に建ち並び続けていった。
まだ時間には若干の余裕があったので、私は少なくとも地図上では新大阪駅から徒歩圏内にあるように見える東淀川まで一駅分、列車を乗り越してみることにした。新大阪を発車するとすぐにまもなく到着というアナウンスが流れるほどの近さで、ホームに降り立てば新大阪駅のホームも充分に見渡すことができる所だ。駅に隣接する自転車置き場の桜並木はもう満開に近くて、駅にも駅前の街にも明るく華やかな雰囲気が作り出されている。
私はここから歩いて行けそうな、地下鉄の東三国駅まで歩いてみることにしたが、大きなアパートや住宅が建ち並ぶ通りを素直に真っ直ぐ進むだけで、地図で見た感覚の通りさほど苦労することなく私は目的を達することができた。東三国駅もまた、地下鉄御堂筋線として新大阪の隣の駅であり、高架となる駅のホームからはやはり巨大な新大阪の駅や、その周囲のビル群の姿をよく見通すことができる所だった。そして線路の両側を挟んで延びる高速道路にもひっきりなしに車が往来し、せわしない大阪の朝の風景を演出していた。
東三国駅から新大阪とは反対方向へいく御堂筋線の列車に乗り込んでも、列車はひたすらビルと高速道路に囲まれながら続くせわしない風景の中を行くのみだった。川を渡る時には工場の姿も一瞬見られたが、渡ってしまえば再びビルに囲まれる風景となり、列車は江坂という、地下鉄線と北大阪急行線との境界となる駅に辿り着いた。駅自体は何でもない小さな駅であるようだったが、周辺に集合住宅が密集するせいか、大勢の人がごった返す大混雑の駅であった。
結局私は、色々な所に寄り道をした分だけ存分に、大都会大阪の朝の混雑した雰囲気だけを存分に経験し、新大阪駅へと帰り着いたわけである。新幹線の構内へ進めばさすがにここは普通の通勤客の動線からは外れることとなり、広々とした構内からは通勤電車的なせわしない混雑はなくなって、遠くへ向かう人達が思い思いの方法で列車を待つのみであった。私はひんやりとした空気の流れるホームのベンチで、土産として求めた大阪版の新聞など読みながら、東京へ向かうこだま号の発車を待ったのだった。
東京行きのこだま号の車内も、とりあえずがら空きの状態であった。列車は曇り空の元に広がる、建物の密集する大阪の市街をあとにした。車窓には点在する学校などの敷地に植わる、丁度見頃に花開いた桜が、きれいな街の風景を作り出していたが、こだま号とはいえど新幹線の俊足ぶりを発揮する段となれば、風景はあっという間に流れていき、田畑を中心に所々家並みや大きな建物が、車窓に代わる代わる現れては流れていくようになっていった。
大山崎の山並みが流れていけば、盛りだくさんの旅を楽しませてくれた大阪府ともお別れである。山並みの中腹にまで家が建て込んでいたり、高速のジャンクションが現れたりと車窓は一瞬賑やかになったが、程なく田畑中心の風景へと戻り、そしてまたすぐに次の大都会、京都の街へと進んでいく。多数の線路の交錯する梅小路の辺りも、列車はあっという間に通過してしまった。そして京都駅の近くにも案外瓦屋根の小さく古い建物が建て込んでいることに驚いている間に、列車は巨大な駅ビルの京都駅へと進んでいった。
京都駅でたくさんの客が乗車して、だいたい席の半分くらいが埋まった状態で列車は発車した。山科の辺りでは山並みに辺りを囲まれた風景の中を進んでいくが、その山並みは雲に霞んでシルエットのみが現れて、車窓には暫く白い世界が広がる。そして滋賀県内へ進めば、車窓に広がるものは田畑の姿が主となった。少しだけみずみずしい緑色を呈する区画や、一面緑になっている区画、菜の花の咲き誇る黄色い区画などがパッチワーク模様を織りなし、その合間に小さな住宅が密集する風景が流れていく。丘陵も近くて基本的に深緑色を呈しているが、黄色の笹藪の領域を併せ持ちながらやはり車窓を流れていく。そして米原駅に着こうとする頃合いになっても、畑が遠くまで一面に広がる風景は、駅に到着する寸前まで途切れることはなかった。
米原駅で2本の列車に追い抜かれたこだま号は、再び発車するとすぐに田畑に囲まれた長閑な風景の中へと踊り出た。関ヶ原の辺りでは広がる田畑はすぐに丘陵と接して、田畑の部分こそ平らではあるが全体的に起伏に富んで、古めかしい重厚な瓦屋根の古めかしい家並みが散在する風景の中を列車は進む。田畑や家並みに混ざるようにして茶畑の姿も見られる案外見応えのある風景が続いていき、岐阜羽島が近づけば遠くの方には大垣や岐阜の都市を作るビル群が霞の中に見られるようにもなってきたが、走る列車のすぐ周辺は、建物の数こそ増えたものの田畑の姿も相変わらず目立ったままだ。ドリンク券と引き替えたコーヒーで寛ぎながら、私は引き続きこだま号の車窓を楽しんだ。清洲の城を通過すると、周辺に現れる建物はみるみる大きくなっていった。田畑の姿も目立たなくなり、どうやら本当の意味で大都会であるらしく見受けられる名古屋へと進んでいった。
名古屋からもこだま号はたくさんの乗客を収容して、席の殆どが埋まる混雑した状態となっていった。名古屋の市街地は車窓に長い間続いていき、建物の大きさもごく僅かずつしか小さくなっていかないようで、次の三河安城駅に近づいた頃、辺りには漸く青々とした畑の姿が建物の合間に見られるようになってきた。1本の列車に抜かされて三河安城駅を出発すれば、程なく大きな郊外型の建物の中に畑の姿が紛れ込む車窓が展開するようになった。時には白い霞の中に、一面に広々と畑が広がるような風景も現れるようになっていく。現れる建物の密度が高くなったり低くなったりを繰り返しながら、基本的には瓦屋根の家並みと広い緑の畑が広がり、時折大型店舗の混ざってくるという車窓の基調は変わらないまま、列車は豊橋へと進んでいく。
また2本の列車に抜かされてから豊橋駅をあとにすると、暫く建物の密度の高い領域が続いて、列車は広大な浜名湖の中へと進んでいく。今日は白い霞がかかる水面の風景が、束の間大きく車窓に広がる。辺りにリゾート地らしい大きなホテルが広がるのを垣間見つつ、深緑の人工的な緑地を通り過ぎると、列車は再び田畑の目立つ領域へと進んで、間もなくとりあえず駅の周りだけは大きな建物が並ぶ浜松へと辿り着く。若干の客を降ろして少しだけ余裕を持ったこだま号は再び走り出し、大きな工場がいくつか現れてその敷地内に作られた広大な緑地帯が車窓にも大きく広がる、独特の雰囲気の車窓が続く領域に進んで、列車は程なく掛川駅へと辿り着く。
掛川駅でも2本に抜かされて再び走り出せば、ここからは丘陵が線路のそばにまでやってきて険しい表情を見せる車窓が続くことも珍しくなくなった。霞んでしまってはいるけれど、緑の多い領域だ。茶畑もこの辺り多く見られるし、工場の人工的な緑地帯も車窓の重要な要素となる。更に1本の列車に抜かされた静岡を過ぎても、列車の比較的近くに丘陵が迫る険しい風景が続く。空もどんよりとしていて、風景の険しさを引き立てているかのようだ。新富士までやってきて、たくさんの工場と煙突が広がるようになっても空は白く霞んだままで、それらの背後に控えているはずの富士山の姿も今日は見えなさそうだ。富士山へ続いているはずの斜面に田畑と工場が広がる風景、そしてそれを通り過ぎても、斜面に茶畑、平野に田畑の広がる風景が、近くの丘陵を背景として広がる。
そして丘陵が刻一刻車窓を流れていく一方で、三島が近づけばみるみる間に車窓は家並みが続く風景へと変わっていく。1本の列車に抜かされて三島をあとにすれば、斜面に広がる家並みの中には取り残されたような森も多く、紛れ込む桜も曇天のもと、華やかな雰囲気を作るようになった。しかし列車はすぐに深い山のトンネルへと進む。山側の座席に座っていれば、熱海駅の付近にも険しい斜面に広がる深緑の中の風景ばかりが広がるのみだった。そして箱根の山のトンネルを越えて辿り着いた小田原の周辺にも、そんな険しい風景が広がり続けた。
小田原でまた1本の列車に抜かされて発車すれば、ここまで車窓の主役であった山並みの姿は遠ざかっていき、そして線路の近くには工場や家並みが久方ぶりに高密度で連なるようになっていく。程なく車窓には今度は丹沢の山並みが現れて、丘陵の合間に家並みが広がるようになったが、山並みが途切れれば本格的に関東平野へと進んだ列車の周辺には畑が広大に広がり、その中に家並みが固まって広がる風景が基調となっていった。関東平野とはいえ新横浜の近辺は案外起伏に富んだ車窓も続いたが、多摩川を渡って東京都へ入る辺りからは、斜面でさえいっぱいに建物に埋め尽くされるようになっていく。品川が近づくと列車は更に高い所を走るようになり、小さい瓦屋根の建物に大阪以上にせせこましく埋め尽くされる市街を、まるで空の上から眺めるような車窓となっていく。そして周囲の建物が急速に巨大化すると、列車は程なく品川へと辿り着く。久し振りに山手線や京浜東北線と併走し、ビル群が辺りを埋め尽くすようになった風景の中、こだま号は最後の疾走を見せて東京駅へと帰り着いたのだった。